第2話──2日目 午前──
意識が浮上する。起き上がって周りを見回すと、昨日目を覚ました場所だった。
(本当に、夢じゃないんだな……)
現実なのか夢なのか境界線の怪しい世界で、現実として、ここに居る。なんとも不思議な気分だ。
(まあ、悪いものじゃ、ないな。)
ベッドから立ち上がって、身支度をする。いつもの癖っ毛も健在だ。顔を洗って寝間着から着替えると、食堂まで降りる。
「おはようございます、千堂さん。」
「おはよう、悠祐くん。よく眠れた?」
「はい、おかげさまで。」
食堂に行くと千堂さんが配膳をしていたので、俺もそれを手伝う。白い湯気が漂い、いい匂いを充満させていた。
「おはよう、浅葱。悠祐も、おはよう。」
ルリさんが食堂に駆け込むようにして入ってくる。
「おはよう、ルリ。そんなに急がなくても朝食は逃げないわよ。」
「それはそうだけれど、ザクロにちょっかい出されたくないのよ。」
ルリさんは席に着くと、ほっと息をつく。
「そうそう、浅葱。最近また白羽軍が活動を活発にしているわ。気を付けて頂戴。買い物は、私が代行するから、浅葱は家にいて。」
「分かったわ……。ルリも、気を付けて。」
白羽軍?何だろう。疑問を2人に投げかける暇もなく、ザクロさんが食堂に来て、朝食が始まった。
ふっくらとしただし巻き玉子、出汁の香りが食欲をそそる味噌汁。そして、ほかほかの炊きたてのご飯。シンプルなのにとても満足感がある朝食だ。
「おいしい。今日も頑張れるわ。」
「ふふふ、そう言ってもらえてよかったわ。お弁当は厨房に置いてあるから、忘れずに持っていってね。」
「ええ、いつもありがとう、浅葱。」
ルリさんが明るい顔で笑う。ザクロさんはというと、寝起きだからなのか不機嫌そうに味噌汁を飲んでいた。
「ごちそうさまでした。それじゃあ、行ってくるわね。」
「行ってらっしゃい。」
「行ってきまーす……」
ザクロさんのテンションは地の底よりも低い。しかし、ルリさんや千堂さんは気にも留めていない様子なので、きっといつものことなのだろう。
玄関先で2人を見送ると、急に家の中が静かになったような気がした。まるで、家も寂しがっているかのように。
「千堂さん、俺も外に出てきてもいいですか?」
「それは駄目。」
間髪をいれずにきっぱりと言われる。あまりの勢いに、俺は一歩後退してしまった。
「さっきもルリが言っていたでしょう?白羽軍の活動が活発になっていると。」
「あの、その白羽軍とは一体……?」
「ああ……悠祐くんには話していなかったわね、ごめんなさい。少し説明するから、立ち話もなんだし、こっちに来て頂戴。」
案内された先は応接室のようなところだった。千堂さんは重厚そうなカーテンを閉めて明かりを点けながら、俺に座るように言った。
ふかふかの上質な感じのソファに座ると、千堂さんは向き合ったソファの方に腰を下ろした。
「白羽軍というのはね、この世界を脅かす恐ろしい軍団のことなの。天使で構成された白羽軍は、悪魔の力をも凌ぐような強大な力を持っていて、私たち幻想世界の住人を強制的にあの世に連れ去ったりするのよ。」
「天使なら、いい存在なのでは?」
「この世界に於いては、それが通用しないの。この世界では、現世で考えられている悪魔と天使の立場が逆転していると考えてもらって大丈夫よ。」
強制的にあの世に連れ去ったりする……ということは、宙ぶらりんな存在の俺なんかがちょうどターゲットになりそうなものだ。それは困る。まだ死んでいないのにあの世に連れ去られたら、それこそ生きられるものも生きられないではないか。
「そうよ、そういうことなの。だから、悠祐くんには絶対に生きて現世に還ってほしいから、外には出ないでほしいの。」
「分かりました。」
頷きながら返事をすると、千堂さんも安心したように頷いた。
「買い物はルリとザクロが代行してくれるから、私たちは暫くは家に缶詰め状態ね。少し退屈かもしれないけれど……休養とでも思って頂戴。」
休養か。その間に、何か少しでも思い出せたらいいのだが。
「さて、話は以上です。私は片付けとか、家事をするから、悠祐くんは好きに過ごしてね。」
「俺も手伝います。現世の俺の家では家事は分担していたから、少しはできるし……それに、退屈しのぎにもなるかなって。」
「ふふ、そうね。いい退屈しのぎになるわね。それじゃあ、手伝ってくれる?」
「はい!」
四人分の食器を片付けて、洗濯。そして、掃除。洗濯までは俺も慣れていたのでよかったのだが、掃除は大変だった。この家には掃除機が無いのだ。床はモップで磨いて、絨毯はブラシをかけて……なんとも昔ながらな感じの掃除だった。これだけの広い家の掃除を今まで千堂さんは一人でやっていたのか……と思うと、頭が上がらない気がした。
「……とまぁ、掃除の手順はこんな感じね。これを全部の部屋と廊下でやるんだけど……悠祐くんは三階をお願いしてもいいかしら?私は二階と四階をやってくるわね。二階と四階は慣れた人じゃないとできないような部分があるから、私一人でするわ。」
「分かりました。」
掃除道具を持って三階に移動する。一部屋ずつ、床をモップで磨いて、絨毯をブラシがけして、窓を雑巾で磨く。なかなか大変だ。使われていない部屋も千堂さんが毎日掃除をしているからなのか、埃一つない綺麗な部屋が保たれている。
三階の六部屋と廊下を全て掃除し終えると、千堂さんが俺を呼びに来た。
「どうかしら、調子は。」
「全て終わりました。」
「あら、飲み込みが早いのね!ありがとう、悠祐くん。」
掃除が終わった頃には昼食を準備する時間になっていて、掃除道具を片付けてから2人で厨房に向かった。
「何が食べたいとかあるかしら?一応、食材はまんべんなく揃っているけれど。」
「……じゃあ、」
俺が好きなものを言おうとしたとき、千堂さんがしーっ、という仕草をした。
「私に当てさせて頂戴。サンドイッチとナポリタン、でしょう?」
「正解です。」
今更、思考を読まれても驚かない。ここは幻想世界で、千堂さんは俺のことをよく知っている。その驚きは昨日存分に味わったからだ。
「材料も揃っているわ。作りましょう。」
俺が何も言わなくても、千堂さんは食材を冷蔵庫から出していく。見れば、それは俺の好きなサンドイッチの具材と一致していた。
スパゲッティを茹でている間に、ピーマンとソーセージと玉ねぎを、ケチャップとコンソメで炒める。サンドイッチの方は、卵を茹でて、刻んでマヨネーズと少量の砂糖、一味唐辛子で和えて、レタスやハムと一緒にパンに挟む。
「三つ口コンロって、お店みたいですね。」
「そうでしょう?私もここに来たときびっくりしたわ。」
厨房も掃除が行き届いていて、塵一つ無い。しかも、テーブルや調理台は背の低い千堂さんが使いやすい高さに揃えられている。男子の平均身長くらいある俺には低くて少し使いづらいが、千堂さんは安心して使うことができているだろう。なにとなくそれにほっとしながら、調理を進める。
「悠祐くん、マヨネーズの甘味と辛味はこのくらいでいいかしら?」
「はい、ばっちりです。」
ほんのり甘いスイートマヨネーズに、一味唐辛子でパンチを効かせる。山野家のサンドイッチは常にこの味で卵を和えている。俺はこの味が大好きで、確か現世でもよく作って食べていたような気がする。
「さて、あとはサンドイッチの具をパンに挟むだけね。」
2人でパンに手早く具を挟む。パリッとしたレタスがみずみずしい。ハムも上等のものなのか、俺が現世でいつも使っていたものより厚く見える。最後に対角線で切り分けたら、サンドイッチの完成だ。
「ふふ、なんだか豪華な昼食になったわね。さぁ、食べましょう。」
千堂さんがナポリタンの皿を持って食堂まで運ぶ後ろに続いて、俺はサンドイッチの皿を運んだ。
「いただきます。」
「いただきます。」
俺は、フォークを取ってスパゲッティをくるくると巻き付けた。
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