第28話 The Show Must Go On

目が覚めると、ベッドの上だった。


「あ…」


身体がきしむように痛む。重たいまぶたを上げると、そばにはレイが椅子に座って寝ていた。


「終わったのか…」


うっすらと音楽も聞こえる。


「良かった…」


大きく息を吐くと、座っていたレイが目を覚ました。


「無事か?」

「ああ、何とか…ありがとう。助けてくれて。」

「…すまない。」


助けてもらった礼を言うと、レイは顔を背けた。


「正直あの時の事は、よく覚えていない。」

「…え?」

「気持ち悪かった…『何か』が体を支配しているような…試験の時とは違う、もっとはっきりした違和感があった…」

「それって…」


口を開いたとき、ドタドタと走る音が聞こえ、ドアが開け放たれた。


「良かった、気づいたね!」

「レジリアさん…その怪我…!」

「大した怪我じゃない。君の方がよっぽど状態が悪かったよ。」


息を整え、足音の主は話し出した。その頭と片目は包帯で覆われている。


「びっくりしたよ…血だまりの中で倒れてるんだから。」

「血…そうだ!ジル君は…!」

「ジル君はひどい状態だったが、今は落ち着いている。心配はいらないよ。」

「じゃあ、あの男の人…俺をかばった人は…」


レジリアさんは口をつぐみ、頭を垂れる。


「グイド・チェザード。ジル君の義理の兄らしい。…病院は最善を尽くしたようだが…すでに事切れていた。」

「そんな…」

「ジル君は彼を助け出そうとしていたんだね…だが、それだけだとどうして牢から逃げられたのかが…いや、今は考えるときじゃないな。少し休むことにしよう。滞在期間を延ばすことも僕から団長に報告する。」


謎は深まるばかりだったが、身も心も疲れ果てていた彼らは思考を放棄した。


傷は思ったよりも早く癒え、大騒動の憂さ晴らしのように活気づく街を眺めながら、俺とレイとエストは歩いていた。


「エストは無事だったのか。」

「傷は浅かったんで、問題なかったっス。それより、二人はすいぶん早く治ったっスね!」

「自分でもよくわかってない…不思議な感覚だ…」

「まあまあ!治ったならよかったじゃないっスか!」

「私は貴様らのような考え無しではないからな…」


そういうと彼女は目を細め、冷たい視線を浴びせる。徐々に本調子に戻ってきているようだ。


「あ、あそこの屋台でなんか売ってるぞ。」

「あれはアイスクリームっスね!ミルクの濃厚さとひんやり感がたまんないんスよね~!」

「へぇ~初めて見た…」


次の瞬間、先ほどまで隣にいたレイが光のような速度で消え去った。


「敵襲か!?」

「いや、これは…」


そして息つく暇も無く、彼女は戻って来た。手に握られていたのは…


「アイスクリームを買いに行っただけ…っスね。」


コーンの上に乗った、見るからに滑らかそうな物体…アイスクリームだった。


「へ、へー…意外だな…」

「そうっスね…でも画になってるっスよ…」

「…何を見ている?貴様らの分は無いぞ。」


そういうと彼女は舌を出し、一口舐める。そして、見たことがないような至福の表情を浮かべた。


「あぁ…この味、久しぶりだ…疲れた体に染み渡る…」

「なんか、うまそうだな。」

「僕らも買うっスよ!」


3人でアイスクリームを食べる。舌に乗る冷たさが心地よかった。


休暇は、あっという間に終わった。




「それで、この先の行政はどうしましょうかね。」

「今までと同じでも問題ないと思うけど。だけど、お嬢様はしばらく参加できないだろうね。」

「私は…問題ないですわ…」

「あのクソ執事のせいで両目を潰されて、おまけに右肩にも障害が残ってしまった…問題ないとは到底言えますまい。」

「ちょっと、そういう言い方は…」

「いいのです、ルドルフさん。…そうね…この姿では、皆さんに心配をかけてしまう…」

「…どこまでも民衆思いの方だ。」


モナトがため息をつく。ベネフィッサ家の屋敷の一室では、総会会議が行われていた。ベッドに横たわる彼女の目には、包帯が巻かれている。


「それでも、私の口から皆さんに話さなければならないの。」

「…貧民街スラムの処分ですか。あの小僧…『サーカス』も。」

「そう。…ごめんなさい。私のわがままを通していただいて…」

「僕は大賛成だよ。」

「初めて聞いたときは耳を疑いましたが…あなたの判断を信じます。」

「ありがとう…ございます。」




牢の中には少年がいた。そこに警備の男がやってくる。


「小僧、出ろ。」

「何で…」

「俺の知るところではない。これは総会長の指示だ。」


言われるがままに外へ出る。外には群衆が待ち受けていた。皆、こちらを睨みつけている。


「皆さん、本日はお集まりいただき、ありがとうございます。芸術総会長のベネフィッサです。」


壇上の淑女が話し始める。


「まず、私たちの不手際で、楽しい芸術祭を混乱の渦に落としてしまったこと、深くお詫びいたします。」

「あなたたちのせいじゃない。悪いのは『サーカス』だろ!」


群衆の中から声が上がり、賛同するようにその波は広がっていく。その光景を見て、思わず目を背けた。


「『サーカス』のことについても事態は把握しております。その上で、誠に勝手ながら、総会の中で処分を決定いたしました。…ジルさん、こちらへ。」


戸惑うが、促されるままに壇上へ上がる。非難の声と鋭い視線が、突き刺さるように痛い。


「彼は、『サーカス』のトップに位置する者です。皆さんもご存知の通り、『楽団』のヴァイオリニストとして、その名を馳せていました。」


どよめきが上がる。その混乱も意に介さず、彼女は驚愕の一言を放った。


「彼を、解放します。」


一瞬の静寂の後、怒号と罵声が飛び交う。それも黙らせるように、一筋の声が広場を突き抜けた。


「これまで『サーカス』は夜のペトリを取り仕切り、貧民街スラムを根城に悪事を働いていた…そう思う人も多いでしょう。ですが、彼らは私たちが芸術を楽しめる手助けをしてくれていた…楽器の作成や売買、悪徳商人の特定と報復…やり方は容認できるものではないですが、ペトリの発展にもたらした功績は大きい。」


彼女はそのまま話し続ける。


「今回の事件は『サーカス』の一部の内部構成員によって引き起こされたものです。当然責任は彼にある。ですが先ほど述べたこれまでの功績を鑑み、『サーカス』を芸術総会の一部門として組み込み、彼らを正式な機関として認めることとします。」




これは、レジリアの入れ知恵でもあった。


「『サーカス』は力を持っている。無理に解散に追い込んでも、また今回のような事件が起きるとも限らない。なんなら、次は貧民街スラムの人間全てが相手となるかもしれない。…この案が妥当ってとこだろう。」


レジリアは続ける。


「だが、間違いなく民衆は反発する。そこでだ…」


彼は意味ありげに眉を上げた。


「彼には『ショー』をしてもらう。」




鳴りやまない怒号。群衆の熱がこちらまで伝わり、背中に汗が流れ落ちる。熱気のせいか、はたまた冷や汗なのか。もはやそれすらもわからなくなっていた。


「致し方ありませんわ…ルドルフさん。」

「まあ、こうなるとは思ってたよ。…はい、ジル。」


壇上に上がって来たのはルドルフ楽団長。手には、自分のヴァイオリンがあった。


促されるままに手に取ると、その楽器は体の一部のように、滑らかに染み付いた。


「もう、疲れたな…」


全身の筋肉が弛緩している。だが、背筋は反比例するようにまっすぐ伸び、これ以上ない状態を作り出している。そのあまりの美しさに、群衆はその声量を下げる。


「そうだ…僕はから始まったんだ。」


弓を構える。その指先には、一切の震えもない。


「なら、思い切り。」


弾け。心のままに。


懐かしい声が聞こえた。


弓を引く。弦と弓が擦れ、空気を切り裂くように音が弾ける。


一度弦から弓を離し、今度は打って変わって滑らかに、流れる川のように奏でる。


「…まだまだ。」


今度は動物が跳ねるように。次は草原に風が吹くように。


「もっと…」


不安を煽るように、暗闇に光が射すように。


「ああ…これが。」


これが、「音楽」。これが「芸術」。


これが、「感動」。


名もなき調べに、群衆は涙を流す。


街も貧民街スラムも静まり返り、ひとつのヴァイオリンの音だけが響く。


音は加速し、クライマックスへと。


「終わりたくない…」


違う。


「終わらせたくない。」


違う。


「そう、違う。」


限りがあるから、世界は美しい。


振り上げた最後の一音は風に乗り、空に消えていった。

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