第18話 芸術祭三日目

その日は、春にしては少し肌寒い、天気の悪い日だった。


朝早く起き、身なりを整え、腰に剣を差す。


「ふぅー。」


長く息を吐く。妙な緊張感があった。そのまま外へ出る。


俺とレイはヤーレンさんの護衛を任された。足早に屋敷へ向かうと、レジリアさんがいた。


「おはようございます。」

「ああ、おはよう。」

「何かあったんですか?」

「いや…」


レジリアさんは言葉を濁し、俺に近づくと耳打ちした。


「昨日の夜、ジル君が地下牢から脱走したみたいでね…」

「なっ…」

「何で出れたのか…いやそれよりも、そっちに割ける人員がいなくてね…一体どうしたものか…」


レジリアさんは大きくため息をつく。どうやら相当疲れているようだ。


「あの、俺が追いましょうか?」

「…いいの?」

「護衛はレイ一人でも十分だと思います。というか、彼女ならそう言います。」

「危険だが…あの子を一人にさせておくのも危ない。頼むよ。」

「拝命しました!」


敬礼し、外に出る。


雨脚が、強くなりだしていた。




その頃、中心街のある路地裏では。


「準備はいいね。じゃあ、『全ては神の復活のために』。」


そう言うと、一斉に男たちは散り散りになった。




「親方さん!早く逃げないと敵が来ますよ!」

「うるさい!今いいところなんだ!」

「知りませんよ!命の危機なんですよ!」

「どこに逃げたって変わらん!それなら迎え撃つ方がいいだろう!」

「なに武闘派みたいなこと言ってるんですか!その絵を描き上げたいだけですよね!?」


工房では、モナトが大きなキャンバスを前に絵を描いていた。


「イメージが溢れて止まらんのだ!形にだけでもしておきたい!」

「なら早くしてください!」

「お前は逃げればいいだろうが!」

「親方を置いて逃げれるわけないでしょ!」


怒号が飛び交う中でも、彼は手を止めない。


「大叔父さん!無事?」

「おおレジリアか。見ての通り無事だわい。」

「よかった~」


工房に入ると、彼は足を止め、大叔父の隣にいる男を見た。


「君は、誰?」

「嫌だなぁ忘れたんですか?モナトさんの弟子の…」

はね。」


一瞬で彼に近づき、首を掴む。


「もう一度言う。は、誰だ?」

「…もう、冗談はよしてくださいよー。」


その瞬間、男の顔はどろりと溶けた。


「これからいいところなんだからさぁ!」




同時刻、劇場の裏口。


「ふぅ…」

「お疲れですか、ルドルフさん?」

「ああ…昨日はよく寝れなくてね。」

「そういえば、本番の前はいつもそうでしたね。」


渡された水を一口飲む。少し甘く感じた。


「これ、何か入ってる?」

「いや?疲れてるだけですよ、きっと。」

「そうかもね…」


そう言ってひとつ大きなあくびをする。


「あーなんか眠くなってきた…本番前には起こしてね…」

「心配はいりませんよ。」


静かな寝息をたてて寝る彼に、男は言う。


「あなたも演奏会も、これで終わりですから。」

「終わりなのはお前っス。」


後ろの声に振り返ると、騎士団の男がいた。


「おや、いたんですか。」

「姿かたちは楽団員にそっくりっス…でも…」


そう言うと男はゆっくりと剣を抜く。


「楽団員はみんな、本番前はに近づかないようにしているらしいっス!」

「そうですか…それは。」


「教団」の男はポケットから二丁の銃を取り出す。


「なら、あなたにも死んでもらいましょう。」




同時刻、ベネフィッサ家の屋敷では。


「タキスタム、劇場に行くわよ。」

「しかしお嬢様…殺害予告も出ていることですし、やはり屋敷にいるのが一番ではないかと…」

「何言ってるの。年に一度の芸術祭なのよ?『楽団』としての彼らの演奏なんて、めったに聞けるものじゃないのに…」

「それでもやはり、ここはお控えいただくのが安全かと…」

「ほら、騎士団の方もこう言っていることですし…」

「だ、か、ら、行くって言ってるでしょ!」


さっきからずっとこの調子だ。きっと屋敷ではこうなのだろう。実際、かなりリラックスしているのがうかがえる。


「はぁ…全く、困ったお嬢様だ。あなたに何かあったら、私は先代に顔向けできないのですよ。」

「お父様の話はいいでしょ。」

「あの…お父様って…?」

「芸術総会の前会長で、三年前にお亡くなりになられた方です。病気でお亡くなりになったお母様に代わり、男手ひとつでお嬢様をお育てになったんですよ。」

「そうでしたか…それは、失礼しました。」


頭を下げる。嫌なことを聞いてしまった。


「いいのよ。それよりも、早く支度して!そろそろ開場の時間よ。」

「承知いたしました。では、レイさんは階下でお待ちください。」

「はい。」


正直、執事である彼が彼女の身の回りの世話は全てやってくれるので、楽だ。安心して護衛に専念できる。


彼女が出ていくのを見送り、ゆっくりと扉を閉める。


「…思えば、先代に雇っていただいてからずいぶん時が経ちましたね。」

「そうね。あの頃は不愛想で素性のわからない男だったけれど、今となっては…」


そう区切ると彼女は私を振り返った。


「私にとって、なくてはならない存在だわ。」

「それは…願ってもないお言葉です。」


彼女は満足げだった。


「それだけに…」


それだけに、残念だった。


「何か言った?」

「いえ、ただ…」


懐から、ナイフを取り出す。


「最後まで、お気づきになられませんでしたね。」

「どういう意味…」


そのまま、首に刃を当てた。


「今まで、お世話になりました。」

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