第16話 芸術祭二日目
その日、ある手紙がペトリの空中に舞った。
送り主は「サーカス」、宛名は「芸術総会」。
手紙の内容はこうだった。
「芸術祭三日目、各
「全ては神の復活のために。」
弓を持ち、弦を震わせる。音は他の音と交わり、一つのハーモニーを作り出す。舞台上では歌姫、ヤーレン・ベネフィッサが優雅に言葉を紡いでいく。
演劇と音楽が混ざり合うこの瞬間が好きだった。二つの芸術が手を取り合い、一つの感動を生み出すこの瞬間が。
最後の一音まで気は抜かない。弓が弦を離れるその瞬間まで、体の全神経を音に捧げる。そうして終わった公演は、芸術祭二日目の幕開けを告げた。
「や、ジル。」
「楽団長…」
控室にいた僕を呼び止め、隣に座ったのはルドルフさんだった。
「今日、調子悪かった?」
開口一番に言われた。自分では完璧にできていたつもりだった。おそらくこの事はルドルフさん以外は気付いていないだろう、小さな綻びだ。思わず唇を噛む。
「やっぱりそうだったんだね。少し、乱れがあった。」
「…すみません。」
「責めてるんじゃないよ。でも、何があったかは聞いてもいいかな?」
この人は本当に鋭い。とっさに作り笑いで誤魔化す。
「大したことじゃないんです。明日の演奏会までには修正しますから…」
そう言って席を立つ。足早に部屋から出たが、ルドルフさんはおかまいなしについてきた。
「何でついてくるんですか!」
「楽団員の状態・状況は把握しておかないと、楽団長として、また指揮者として最も重要なことだからね。」
少し足を速める。もう追っては来てないだろうと思い振り返ると、前を歩いてきた人とぶつかった。
「すみません!あ、もしかしてヴァイオリンの…」
最悪だ。よりによってなぜ今…
男は昨夜の教団の男に見せられた写真の男だった。
「あ、騎士団さん!ちょっとそいつ止めといてください!」
もはや逃げ道は無かった。
その後、彼らに「サーカス」や教団の話は伏せ、昨夜起こったことを話した。
「んー兄弟喧嘩ねぇ…兄弟いないからわかんないけど、後味悪そうだ。」
「俺も兄弟はいないです。」
「あの僕、明日に備えて今日は休むんで、帰ってもいいですか?」
少し苛立ちが声に交じってしまった。しまったと思ったが、背を向け、帰ろうとする。
「ジル。」
ルドルフさんの優しい声がする。だが、振り返りたくなかった。振り返ってしまえば、その優しさに甘えてしまうと思った。
「ここからは僕の独り言だ。でも聞いてくれ。」
そう言うとルドルフさんは話し始めた。
「僕は昔、君の歳くらいの頃、ピアノを弾いていたんだ。世界的なコンサートにも参加したり、賞を取ったりと輝かしい日々だったよ。」
予想していなかった事実に驚く。
「だけどね、ある日ずっと男手一つで育ててくれた父親を亡くしたんだ。彼とは喧嘩別れだったよ。今でも夢に出る。それから全くピアノが弾けなくなったんだ。」
「え…?」
「全くだよ?その時から今まで、一度も弾いてない。当然予定は全てキャンセル、仲間は大損害を被った。」
彼の言葉は、心なしか寂しく感じた。
「でも仲間たちは燻ってた僕を今度は楽団に誘ってくれてね。そこで指揮者をすることになったんだ。そして、今の僕がいる。」
楽団長は真っ直ぐ僕の目を見た。
「いい?ジル。何があろうとそのお兄さんは『家族』だ。取り返しのつかなくなる前に、ちゃんと仲直りすること!そして、時間は必ず傷をいやしてくれる…歩んできた道に間違いは無い、そう考えるといい。」
「…はい。ありがとうございます。」
その目を直視できなかった僕は、急いで劇場を飛び出し、
裏路地に入ったところで、誰かに呼び止められた。
「ボス、手紙です。」
封を開け、中身を見る。その内容は、信じられないようなものだった。
「呼び止めて申し訳ない。」
「いえ、お役に立てたようなら何よりです。」
「明日は僕たちの演奏会もあります。残り少ない芸術祭を、存分に楽しんでください。」
「お気遣いありがとうございます。」
ルドルフさんを見送り、少年が去った方向を見た。
「カイン、アノ小僧ヲ追エ。」
「…びっくりした。」
突然現れた蛇に驚くが、彼にいつものような余裕はなく、焦っている様子が見て取れた。
「早クシロ。取リ返シノツカナイ事ニナルゾ。」
蛇に言われるがまま、日が辺りを照らす街を駆けて行った。
「本当にここなのか…?」
「間違イナイ。」
目の前にそびえるガラクタでできた倉庫を見る。とてもマフィアがいるような場所には思えなかった。
「サッサト行クゾ。」
戦闘は覚悟していたが、中には全く人がいなかった。よく考えれば、夜を拠点とする「サーカス」が昼に集まることはほぼ無いだろう。物色していると、棚の上に写真が数枚あった。
「これは…?」
棚にあった一枚の写真を手に取る。そこには、俺の写真があった。おそらく、リオンで入団試験を受けた時の。
「誰だ!」
後ろで声がした次の瞬間、体が後ろに吹き飛ばされ、体を打った。うめき声が出る。
入口にいたのは、ヴァイオリンの少年だった。
「ジル、君…?」
「…!『
少年が叫ぶと周りの空間が歪み、立っていられなくなった。膝をつくが、まだ目は回り続けている。
「カイン!使エ…」
蛇の声も闇に吸い込まれ、少年の哀しそうな顔が目に入ったところで、俺は意識を失った。
「ぶはぁっ!」
「目が覚めた?」
顔にかかった水の冷たさに、一気に意識が明瞭になった。周りには、屈強な大男が何人もいる。全員武器を持っていた。対する俺は後ろ手に縄で縛られ、服は破れていた。
「まさか、君が『サーカス』だったなんて…」
「…気付かれたからには、死んでもらうしかない。」
少年は、初々しさのあったあどけない顔とは全く違う、冷酷な目で俺を見る。
「お前らのことは調べた。…裏社会の一大組織として恐れられているが、実態はそこまで危険じゃない。むしろやっていることは治安維持だ。」
「…何が言いたい。」
「ジル君、考え直せ。君は若い、今からでも…」
頭を強く殴られる。視界が揺れた。
「てめぇ!うちのボスになんて口のきき方だぁ!」
「やめろ。」
冷ややかな声が倉庫に響く。俺を殴った男はすぐに手を止め、後ろに控えた。
「無駄だよ、騎士団さん。僕は『サーカス』のボスだ。」
「は…?」
頭に引っかかってはいた、だが信じられなかった事実が痛む頭を襲う。
「あなたの身柄は『教団』の男に引き渡すことになっている。」
「『教団』だって!?」
「あなたの体…いや、その特殊な『能力』に興味があるらしい。『黒い蛇』…確かに異質な力だ。」
驚きに目を見開く。この少年には、いったい何が見えている?
「僕の能力『
「どうして、こんなことをする!」
叫ぶと、彼は微かに顔を歪め、一枚の手紙を見せた。
「明日、この国で大量虐殺が起きる。」
「な…!?」
「『教団』は条件を出してきた。『カインという男を差し出せば、
「そんなの、相手が守る保証なんてないぞ!」
「けど、やらなければいけない。」
その顔を見て、彼の覚悟が相当なものだということがわかった。
「僕らはこの国が、この街が好きだ。みんなが笑って暮らせるのなら、僕たちは悪魔にでもなんにでもなる。」
それは、国を陰で支えてきた者たちの覚悟だった。
「一人の犠牲で何万人と助かるのなら、それが最善だ。」
だけど、
「でもそれは、君が望む終わらせ方じゃないんだろう?」
「…どういうことだ。」
初めて、彼の瞳が揺らいだ。
「サーカス」に入ったばかりの頃、僕を膝の上に乗せて、歌を歌いながらダミは言った。
「いいか、ジル…」
「犠牲の上に成り立つ平和など、すぐに瓦解する。本当に大事な事を見失うなよ。」
…こんな状況下だというのに、感傷に浸ってしまった。
「もう遅いよ。おやすみ。」
仲間から受け取った拳銃を騎士団の彼の頭につける。そしてそのまま、引き金に指をかけた。
「ごめんね。」
乾いた音が、拠点の倉庫に響き渡った。
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