第15話 ある少年の過去

僕は、男にヴァイオリンを教えてもらう代わりに、彼のを手伝うことになった。


「今から違法取引の現場に行くぞ。ついて来い!」


そうして連れていかれた倉庫では、腕にタトゥーの入った大柄の男が待ち構えていた。


「おっと。」


男の剛腕が振り下ろされ、彼は軽快に避ける。ただ避けただけではない、何かな感じがした。


「野郎ども、やっちまえ!商品に傷はつけんじゃねぇぞ!」


そうして「取り返した」商品とは、大量の楽器だった。


「一級品ってほどじゃないけどな。でも内地の奴らは意外と買う。」


彼はその中から一つのヴァイオリンを取り出し、僕に渡した。


「それがこの中で一番良いやつだ。大事にしろよ。」

「兄貴…いやボス、それは商品だ。」


後ろから近づいてきたのは、彼の弟。かけている眼鏡には返り血がついている。


「わかってる、グイド。金は俺が払うし、あちらさんにも話をつける。」

「そういう問題じゃないんだが…」


そういう経緯で僕のものになったヴァイオリンで、彼のレッスンを受けることになった。


「…そう、顎を乗せてな。弓はつまむように持つんだ…そう、掴んじゃいけねぇ。姿勢は土台だから、しっかりやるぞ。」


粗野な印象を持つ彼だが、教え方はとても丁寧だった。


「あーそれだと音が汚くなっちまう。もっとこう…ああそれだ!今のは良い音だったぞ!」


毎日のように練習しているうちに、人に聞かせれるぐらいにはうまくなった。


「どうだい!俺の弟子、凄いだろ!」

「凄いのはボスじゃなくてジルでしょ!」

「何を言いやがる!お前今日メシ抜きにするぞ!」


「サーカス」での生活は楽しかった。命のやり取りをするような危険な場面でも、彼らは陽気で、芸術というものに憧れを持っていた。彼の弟…グイドは、あまり音楽が好きではなかったが。


上達が早い、うまいと言われていたせいで調子に乗ったのだろう。何を思ったのか子供の僕は、内地でヴァイオリンを弾こうとしたのだ。


「見てあの子…汚い服。」

貧民街スラムの子だろう…一丁前にヴァイオリンなんか持って…」


世間の目は僕が思ってるよりずっと冷たく、僕のヴァイオリンは、そんな空気を陽気に変えることはできなかった。


それでも、日が沈むまで弾き続けた。自分が歩んできた道を、自分で否定したくはなかったのだ。


腕が疲れ、肩が強張り、指先からは血がにじんできた頃、「楽団長」はやってきた。


「君、いい腕をしているね。どうかな、僕の楽団でヴァイオリンを弾くというのは。」


もうすぐ「サーカス」の活動が始まる時間だった。断らなければいけない。ましてや自分は貧民街スラムの人間だ。受け入れられるはずがない。


だが、その甘美な響きは、僕を狂わせてしまった。


「ジルです。よろしくおねがいします。」

「ルドルフだよ。よろしくね。」


楽団の人たちは、「サーカス」の仲間たちのような暖かさがあった。居心地がよかった。それに、たくさんの上手な演奏者たちと一つの音を奏でるのは、とても楽しかった。


「サーカス」に帰らなくなって数年後。コンサートでも大役を任されるようになることが増え、全てが上手くいっていた時だった。


かつての仲間が、僕を訪ねてきた。


「ジル…いや、ボス。」

「ボス…?どういうこと…?」

「先代の、ダミさんのです。『次のボスは、ジルに』と。」


言っていることの意味が分からなかった。頭が混乱した状態のまま、拠点に向かう。


「どこに行ってたんだお前はぁぁぁッ!」


拠点に着くなり、グイドに殴り飛ばされる。


「兄貴はなぁ!お前が帰ってくるのをずっと待ってたんだぞ!それをお前は…!」

「グイドさん!落ち着いてください!」


羽交い絞めにされた彼に睨みつけられながら、拠点に入る。


そこには、彼の…ダミの亡骸があった。


冷たかった。


あんなに温かく陽気な人間でも、ここまで冷たくなってしまうものだと今さら気づいた。


涙は出なかった。


出せなかった。


出すことなど、できるはずがなかった。




芸術祭二日目は、演劇をメインにした祭だ。楽団も、バックミュージックを担当する。


「緊張してるのかい?」

「え?いや…」

「浮かない顔してるからだぞ!」

「腹でも痛いのか?」


楽団は相変わらず続けている。だが、以前のように笑えることはなかった。笑うわけにはいかなかった。


僕は、「道化ピエロ」だ。


仮面を貼り付け、何も無かったかのように笑う。


今回も同じだ。


ベノフとかいう男も、ついに戻ってくることのなかったグイドも、今は気にする必要はない。


そう言い聞かせ、拍手で包まれたステージに踏み出した。

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