第8話 準備

「いや〜疲れましたよ。今日は思ったより早く終わりそうだと思ったのに…レイさんとカロニアさんもあんなに怒らなくたって…カインさん?」


くたくたになった体を引きずり、研究所にたどり着く。だが、人がいる気配がしない。研究室の明かりをつけ、覗き込むとそこには…


破損したモップと、倒れているがいた。


「…カインさんっ!」


状態を確かめる。脈があることを確認して少しホッとしたが、近くに落ちていたハサミを見て一気に不安が増した。


「襲撃?いや、侵入された形跡が無い…だとしたら…」


最悪の考えが頭をよぎるが、すぐに首を振る。もし「黒い蛇」の暴走だとしたら、研究所など吹き飛んでいただろう。


「カインさん!聞こえてますか!カインさん!」


幸いにも、彼が目覚めるのにそう時間はかからなかった。




「よかった…今回ははっきり覚えていたようで。」

「はい…でも、結局が何なのかは分からずじまいで…」


事の顛末を話し、渡されたお茶を一口飲む。その暖かさが心地よかった。


「しかし『黒い蛇』…宿主と直接コンタクトを取ることができるとは…」

「ラーベルクさん。」


メモを取っていた彼がこちらに目線を向けた。


「俺は、何者なんでしょうか。」


声が震えた。


殺した人たちが夢に出てきました。みんな俺を『化け物』って呼ぶんです…地獄で俺に手招きしてました。『早くこっちに来い。』って。が現れた時、せめてもの償いとして死のうと思いました。でも死ねなかった。躊躇した。それでに眠らされた。」


虚ろな目で目の前の男に問いかける。


「俺は、何一つ自分の意思で行動できてない。俺は、本当になんですか?」


涙がこぼれる。泣くつもりは無かった。泣くことなど許されない。大勢の人の命を奪って、被害者面するなんて…


「これは私の意見ですが。」


冷静に、ラーベルクさんが話し出す。


「私はこの世に、自分の意思だけで行動できている人は一人もいないと思います。全ての決断は、環境によって左右されるものであると。」


信じられないような言葉に、思わず顔を上げた。


「あなたは今、過酷な環境下にいますが…少なくとも、あなたは生きることを選んだ。それができる人は強い。それだけは、自信を持って言えます。」


涙がまた溢れ出した。


「すみません、何の解決にもなってませんね…」

「いや…ありがとうございます…」

「今日はもう寝ましょう。疲れた時はよく寝るのが一番良い。話も明日、することにしましょう。」


その日は少しだけ、深く眠ることができた。




朝になり、起きて身支度を整え、研究室に向かう。


「おはようございます…よく眠れたようですね。」

「はい、おかげさまで。それで、話とは…」


ところどころ髪がはねたラーベルクさんは一つ咳払いをし、言う。


「あなたには、四日後の騎士団入団試験を受けてもらうことになりました。」


話はこうだった。審問を乗り切ったとはいえ、「俺の体」と「国」の安全には程遠い。入団試験を突破することで俺の安全性を示し、かつ正式に騎士団に入団することでより活動範囲を広げ、俺の身の安全も確保するという騎士団長の計略らしい。


「でもそれって、俺の合格が前提じゃあ…」

「そうです。一番の問題はそこです。能力を持っていない、それどころか『黒い蛇』の力も制御できているかどうか確証が無い人間を試験に出すのかと、会議でもそれはそれは揉めました。」


一つ息を大きく吐き、再び話し始める。


「ですが、騎士団にいる有能な人間が能力を持っている確率が高いだけで、私のような『前例』もいる。気にしなければならないのは、あなたの存在が気に食わない貴族の妨害です。当日は貴族も大勢試験を受けに来る。戦闘実技もあるため、試験中に命に危険が及ぶことも大いにありえるんです。」


ラーベルクさんはこちらをじっと見つめる。


「公平性を期すため、騎士団は試験中に介入することができません。手は尽くしますが、何が起こるか保証はできない…それでも、やりますか。」


怖い。失敗したら、間違いなく死ぬだろう。でも…


「やります。元々死ぬはずだった身です。命を賭して、合格してみせます。」


覚悟は決めた。


「…わかりました。くれぐれも、無茶はしないでください。」


彼は最後まで悲痛な表情をしていた。




その後はせめて準備だけでもと、騎士団第二席のジャックさんが稽古をつけてくれることになった。


「お前さんが例の『黒い蛇』か!どんな豪傑かと思ったら、意外に細いな!」


ジャックさんは親しげに話しかけてくれたが、その目は完全に心を許しているわけでは無さそうだった。


「短い間ですが、よろしくお願いします。」

「むう、残り二日半…最低限の基礎だけになるが、普通一ヶ月かかるところをそれだけで習得するのはちと難しくないか?」

「無理でも、やらなければいけません。…もう二度と、誰かを傷つけないために。」


目の前の屈強な男の目が、一瞬笑ったように見えた。


「面白い…苦しい二日半になるぞ。死ぬ気で俺に付いてこい!」

「はい!」


命がけの「準備」が始まった。




試験前日、剣術などの粗方の基礎を身に着けて疲れた体を休める。だが緊張のせいか、なかなか寝付くことができなかった。


「明日…明日で全てが決まる。」


やれるだけのことはやった。だが…


「『能力』ダロ?」


ざらついた声。


「…お前か。」

「ソノ『オマエ』ッテノ、ヤメロ。俺ハ『絶望ディスペア』だ。」


近くの木箱の上に「蛇」がいた。


「貴様ノ名前モ教エロ。」

「ふざけるな。どうしてお前に教えなきゃいけないんだ。」


今はこんな奴にかまっている場合ではない。無視して目を閉じる。


「『力』ガ欲シインダロ?『カイン』トヤラ。」

「…知ってるなら聞く必要無いだろ。」

「俺ニ身ヲ委ネレバ、ソノ試験トヤラモ簡単ニ終ワラセラレル。」


蛇は笑みのようなものを浮かべる。


「お前の魂胆は分かってる。」


体を起こし、蛇を睨みつける。


「また俺の体を乗っ取って、暴れるつもりだろ。」

「…」


蛇はその歪な笑みをさらに強めた。


「ドウダカナ。」

「もう、お前の好きにはさせない。そのために俺は強くなる。お前の力なんて誰が借りるものか。」

「人間風情ガ!タッタ二日半デ大キク出タナ!」


正直に言って自信は無い。実際に今も体中が震えて、変な汗をかいている。


「それでも俺は、やらなきゃいけない。」


俺を生かしてくれた人たちのためにも。


「結果ガ楽シミダナ。」

「特等席で見てろ。」


空気が揺らぎ、蛇は姿を消した。再び横になると、さっきまでの苦戦が嘘のようにすぐに睡魔に襲われ、俺は眠りに落ちていった。




ニザルカーマ、フライハイト邸の一室で少女は呟く。


「あの男…絶対に、に試験を突破させてなるものか…!」




蝋燭の明かりが淡く広間を照らす中、ある男が話し出す。


「明日、リオンでは騎士団の入団試験があるそうだ。」

「…偵察、ですか…」

「『』様〜俺が行ってもいい〜?」

「お前が行くと混乱を招く。」

「単身で乗り込むのも危険じゃないかしら?」

「…」

「多くは望まん。『この男』を中心に、騎士団の内情を調べて来い。」


前に跪く五人を制し、手を空にかざすと、ほのかに浮かび上がったのは…


「ん〜?」

「こいつが…」

「あら、ちょっとタイプかも。」


安らぎの中で眠る「黒い蛇の男」。


「もし、を持っていた場合は…」

「場合は?」

「お前ちょっと黙れ。」

「即刻ここに連れて来い。…今回は『黒山羊ゴート』に任せる。適任だろう?」

「え〜!い〜なぁ〜!」

「…」

「…仰せのままに…」


黒山羊ゴート」と呼ばれた、悪魔のような角が付いた男は頭を垂れた。


「では、『』。」

「「「「「『全ては神の復活のために』。」」」」」


様々な思惑が渦巻く「騎士団入団試験」が、始まろうとしていた。

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