第32話 せめて人のままで
そのとき、茉莉はそっと手を伸ばして鴨の頬に重ねた。あれ程の重傷を負ったのに、温かい。彼女は鴨の生存を噛みしめると、精一杯の顔を綻ばせた。鴨はそれに応えるように、茉莉の手を握った。そうして、暫く互いの体温を確かめ合った。
「あのぉ、お取込み中悪いんやけど、早よ撤収した方がええんちゃう？」
いつの間にか二人だけの空間となっていた廊下に、軽快な関西弁が響き渡った。見れば、和泉がナギサを横抱きにして立っていた。どうやら和泉も同行していて、ナギサを保護してくれたようだ。茉莉は、途端に顔を真っ赤にして鴨をぐいぐいと押して解放してもらって、ナギサに駆け寄って再会の喜びを分かち合って、和泉を見つめた。
「和泉さん！ 来てくれたんですね」
「おん。部下のケツ拭うのは上の仕事やからな……。すまん。ほんまに、君らには悪いことした」
和泉はそう言うと目を伏せた。茉莉はいいや、と首を振った。
「気づけなかったのは私達もです。東条さんもいまは反省していますし、あとは二人で話し合ってもらえば＿＿」
「和泉さん……。」
そのとき、か細い女性の声がした。振り向けば、そこにはお糸に肩を貸されて息絶え絶えになっている真菜子が立っていた。彼女は血まみれであったが、その傷はみるみるうちに消失していっている。アッカはお糸の腕に抱かれて肩で息をしていたが、二人とも何とか追っ手を掻い潜れられたようだ。
和泉と真菜子はそのまま真っすぐ見つめ合っていた。しかし、すぐに和泉が走り出して真菜子の頬が殴った。
一同は騒然とし、真菜子は壁にまで吹っ飛ばされた。そして和泉は続け様に、呆然とする彼女の襟元を掴んだ。
「こんのドアホ！ 何でこんなことしたんや！？ 俺はお前を、犯罪者にするために教育したんやないぞ！？ なぁ！？」
和泉の怒声に、真菜子は口元を引きつらせて俯いた。そして、絞り出すように呟いた。
「ごめんなさい、私、あなたに死んでほしくなくて……。それで、不老不死の薬を作ろうとして……。」
「アホが……。」
和泉は悔しそうに顔を歪めると、縋るように真菜子の肩に顔を押し付けた。苦しい啜り泣きが辺り一帯に響く。全員が何も言えない状況であったが、鴨は漸く口を開いた。
「ミスター・和泉、ここで立ち止まってても何にもならない。早く出よう」
「……。ああ、せやな」
和泉は頷くと、手錠を取り出して真菜子にかけた。彼女もその行為に対して、同意しているようで大人しく彼に引っ張られた。
「行くぞ。上は教祖のお前以外は、全員処分っちゅう命令を出した。仲間はあの世で、お前はムショ行きや」
「はい……。」
真菜子は観念して頷くと、前へ進みだした。そして他の者達も、後を追って歩み出した。床に転がる半身の死骸がほんの少し揺れたことにも気づかず。
「おーい！君達、やっと来た！」
教会を飛び出た先、竹林の茂みから大柄な男がのっそりと現れた。茉莉がよく目をこらすとそれは……。
「潮島さん？どうしてここに！？」
なんと茂みの中からは、潮島平が姿を見せたのだ。茉莉の問いに、横にいた鴨が答えた。
「万が一のことを思って、不老不死者を倒すために彼に応援に来てもらっていたんだ」
「そうさ。飯作ってたらいきなり来てビックリしたよ。海坊主化して不死身の連中を宇宙まで飛ばせなんてさ。」
「文字通り、ぶっ飛んだ作戦ですね……。」
茉莉は上司の奇天烈なアイデアに思わず、脱帽したくなった。対して、潮島はやれやれと汗を拭った。そのとき、和泉に拘束された真菜子が口を開いた。
「信者の中には、不完全な不老不死を遂げた者もいますし、教会には不死の妙薬が置いてあります。その作戦に乗っとるならば、この廃屋と信者ごと宇宙まで飛ばした方がよいかと……。今晩は、薬の完成を祝して全国の信者が集まっています。掃討するなら、今がチャンスかと……」
真菜子の発言に対して、鴨が頷いた。
「そうだな。潮島さん、教会を持ち上げて飛ばすことはできるか？」
「お茶の子さいさいさ。ほら下がっといてくれ」
潮島は胸に手を当てて、ウィンクをすると地を足で踏み鳴らした。そのとき、彼の足元から水が発生し、潮島の肉体を包んだ。それから水は形状を次々と変えて遡上していき、しまいには巨大なヒト型を作り出した。
小山を越え、ますます肥大化する潮島を茉莉は夜空を見上げて眺めた。
「はぇー、すごいですね。マスター？」
茉莉はふと、横にいた鴨を見つめた。彼は茉莉に対して何も答えず、ぼうっと地面を見つめている。そして次の瞬間には、真正面から倒れ込んだ。その拍子に、彼のマスクも転がっていった。
「マスター！？」
茉莉は顔を青ざめて、すぐさま彼に駆け寄った。お糸やアッカも滑り込んできた。茉莉は、ゆっくりと鴨を仰向けにした。すると、彼の腹部から大量の血が滲みだしていることに気づいた。
「そんな、あのときの銃創が……」
「はは、無茶をしたね……。病院に行けば、よかったんだけど、居ても立っても居られなくて……」
鴨は息絶え絶えに呟いた。彼の額には脂汗が浸っており、顔色も増々悪くなってきた。このままでは死んでしまう。しかし、こんな辺境に救急車を呼んでも助かる見込みはない。事態は絶望的だ。
「いや！ いやだよぉ！ マスター！」
茉莉は為すすべもなく、鴨に縋りついた。しかし、意識も覚束なくなってきたのか彼は泣きじゃくる茉莉の背を擦る力もなかった。そのときだった。
「っきゃぁぁ！」
途端に響いたナギサの叫び声。茉莉達が振り向けば、そこには胸元を押さえてもだえ苦しむナギサが倒れていた。よく見れば、手元からは鮮血が滴っている。そんな、まさか。
まさかである。ナギサは何者かに銃撃されていた。狙撃されたであろう方向を辿れば、教会の窓から乙部が拳銃を片手に姿を覗かせていた。彼は口から大量に喀血しながらも、快活に笑った。
「真っ二つにして死んだかと思ったか！？私はとっくに不老不死なんだよ！まぁ、老化が遅く進んでしまう不完全なものだが」
乙部は呆気に取られている一味に、銃口を向けた。
「貴様らだけは許さんぞ！我らの計画を台無しにしやがった貴様らはなぁ！ そこの人魚と一緒にくたばっちまえ！」
「うぅおりゃぁぁぁぁぁ！」
そのとき、真菜子が叫びながら和泉の拘束を抜けて走り出した。彼女はそのまま窓の中に身を投げ込むと、乙部に襲い掛かった。幸い彼の体は修復途中であったため、いとも容易く押し倒すことができた。彼女は乙部から銃を奪った。引き金に手をかけた。
乙部は両手を上に挙げながら、気味の悪い笑みを漏らした。
「ハハ、御父上はあんたを二十五代目にしたのを心底後悔してるだろうなぁ？ 永遠を手放した出来損ないの異端児め！」
乙部の煽りに対して、真菜子はふっと笑みを漏らすと口を開いた。
「好きに言え。私は、ヒトのまま死にたいだけだ」
彼女はそう言うと一気に引き金を引いた。鈍い発砲音がし、乙部の一時の無力化は成功した。そのとき、教会がぐらりと揺れ出した。潮島の海坊主化が成功したのだ。きっと、彼はいま教会を持ち上げている最中なのだろう。
真菜子はよろめきながら、窓に身を寄せた。外では、大量出血で瀕死の鴨と、狙撃されたナギサで大騒ぎである。とすれば、彼女にできることはあと一つ。
「四辻さん！ これを！」
真菜子は茉莉に声をかけると、袖口から乳白色の液体が入った小瓶を取り出した。例の不老不死薬の失敗作である。茉莉は涙で顔を歪めながらも、運よくそれを掴んだ。
「不老不死の薬です！ 飲めば効果は数日。でも、その瓶は一人分だけです。一人しか、助けられない……」
「真菜子！ お前どうする気や！？」
和泉が引き上げられ、遠くなる教会に向かって叫んだ。真菜子は和泉を見つめると、柔らかくほくそ笑んだ。
「信者達の足止めを行います。先祖が始めたことを、末代の私が終わらせるんです……。私は、ヒトのまま死にたい。肉体はそうでなくとも、私は一人の女のまま果てようと思います。和泉さん、愛していました……。さようなら、今度はもっと綺麗になってあなたに会いたい」
真菜子はそれだけ言うと、窓から姿を消した。それから教会は天に向かって、小粒のように見えなくなった。和泉は悔しそうに唇を噛むと、膝を叩いて喚いた。このもどかしさをぶつける先などなく、ただ声を張り上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます