第31話 剣の弧
地上一階に上ってきた茉莉達は、白目を剥きたくなった。なんと既に騒ぎを聞きつけた大量の信者達に取り囲まれていたのだ。四方八方逃げ場がない。茉莉はナギサを背負いなおして、真菜子を見つめた。
「ど、どうしましょう?」
真菜子は拳銃を引き抜くと、顎で向こうの廊下を指示した。
「私とアッカさんで時間を稼ぎましょう。その隙に、逃げてください」
「でも、二人が!」
「茉莉姉ちゃん! 行って!」
アッカの怒声に、茉莉はハッとすると信者達の僅かな隙間を狙って走り出した。それをゴングとして、真菜子達は信者に猛攻をしかけた。真菜子は短刀を取り出して峰打ちし、アッカはひたすら舌で敵を薙ぎ払った。二対十数人にしてはいい勝負であった。茉莉は二人の無事を祈ると、廊下の先を走った。
道なりに進んで、ひたすら出口を探す。ある角を曲がったところで、茉莉は視界の端に人影を捉えた。その瞬間、彼女は盛大に床を転げた。どうやら人影に足をかけられたようだ。
「マリ! ダイジョブ!?」
「う、うん。一体、誰が__」
「おやおや、最近の鼠は盗みが上手なようで」
気味が悪いくらい冷徹な声。乙部だ。茉莉は即座に、ナギサを抱えて後退りした。すると角の物陰からぬっと乙部が姿を現した。彼は手に鋭い刃物を大事そうに抱えていた。
「そ、それは……。」
「ん?ああ、これ?これは鮪包丁です。普段は鮪の解体に使うのですが、これが人魚の場合にも使い勝手がいいんです」
大人しい口調で無残な言葉を羅列する乙部に、茉莉は腰を抜かしていた。しかし真後ろで怯えるナギサを見つめると、すぐに立ち上がった。
「ふ、ふざけんな! あんた達にナギサちゃんは渡さない! 第一、八百の会はもう終わりです。今回のことはモノノケ課にも伝わっているだろうし、東条さんもこっち側についた。もう、あんた達は終わっているんです!」
勝ち誇ったように茉莉が叫ぶと、乙部は瞳をぐるりと回して息をついた。
「教祖様、あぁ、真菜子様。漸く不老不死の薬が完成するというのに、なんと惜しいことを。まぁ、あの人に期待はしてませんでしたが」
「え?あんなに尊敬していたのに?」
茉莉は、乙部の態度に首を傾げた。彼は茉莉が真菜子の肩を掴んだだけで突き飛ばしたほど、真菜子のことを気にかけていたはずだ。それなのに、この豹変振りは……。
茉莉の様子に、乙部はにたにたと笑みを浮かべて口を開いた。
「ええ、まぁ、あれはただの“振り”ですよ。真菜子様は、一族の中でもかなりのヘタレで出来の悪い子だったんです。あの方は、輝彦様が語った永遠の素晴らしさを分かっておりませんでしたからね。どうして、そんな人を崇拝したいと思いますか?ただ幸運に不老不死化が成功しただけで教祖の座についた小娘など、舐め腐って当然ですよ。不老不死の薬が完成した暁には、真菜子様を引きずり落して、真に永遠を愛するこの私が八百の会二十六代目となるんです!」
そう言い放つと乙部は天に宣言するように両手を広げて、大笑いを始めた。一方で、茉莉は乙部の掌返しにじりじりと怒りが湧いていた。真菜子は教祖の娘として生まれた半生を必死に悔いていた。彼女は普通の少女でいたかっただけだ。それをヘタレなどと吐き捨てる目の前の男に腹が立って仕方なかったのだ。
「東条さんはヘタレなんかじゃない!」
「へぇ?」
反論した茉莉に、乙部は眉を上げて笑みを零した。さも見下している視線である。
「東条さんは、人魚を殺してきた罪をちゃんと認めて、いま償おうとしている。あの人は、人間でいたかったんだよ?不老不死なんて、一人の女の子が背負うにはあまりにも重すぎるよ。それなのに、あんた達は……。みんな、みんな間違っている。死ねない恐怖も、大好きな人たちに置いて行かれる寂しさも、なに一つ分かっちゃいない!あんたらには何も成し遂げられないよ!__っひ」
茉莉の雄弁が途切れた瞬間、彼女は乙部の姿を見失った。いや、失ったのではない。あまりの素早さに動体視力が追い付かなかったのだ。気づいたときには乙部は、眼前までに迫っていた。
「永遠が分からない輩など、この世界にはいらない」
静かに呟いた乙部は、煌めく鮪包丁を抜き去った。このままやられてはいけない、守るべきものがいるのに。茉莉は最後の抵抗として、真横の壁にかかっていた松明を手に取って乙部にぶつけた。
「あっちゃ、あちゃちゃちゃちゃ!!」
そのとき、乙部の肉体は炎に包まれた。皮膚が焼かれる痛みに、冷静沈着な彼はもだえ苦しみだした。勝った。茉莉がそう思ったのも束の間、彼女は次の瞬間には乙部に首根っこを掴まれていた。次の瞬間には、そのまま宙にまで引き上げられた。動脈が絞められ、意識が遠のいてく。
「マリ!」
ナギサは、絞め落とされる茉莉を助けようと床を這った。しかし、茉莉は首を振って制止した。
「に、げて」
茉莉の引き絞った一言に、ナギサは両目から涙を零した。そして彼女の意図を汲んで、ナギサは尾を必死に引き摺って進みだした。それに対して、茉莉は満足気に笑うと乙部を見つめた。
「もう、あん、た達終わりよ」
茉莉の言葉に、乙部は眉間をこれでもかとしかめた。
「ふざけるな! 散々私達を邪魔しやがって!どうして、分からないんだ!? 不老不死の崇高さが! ほら、人間はこんなにか弱いんだぞ?」
乙部は更に、手に力を込めた。骨が軋む音がする。終わりは、私の方だったか。茉莉は、観念して目を閉じた。
「死に晒せ! あの世で悔いるんだな! モノノケという化け物を庇ったことを! 永遠を理解しなかったことを!」
思考がまとまらない。酸素が、酸素が足りない。どうすればよかった?いや、これでいい。ナギサを助けたことには何も後悔してない。それだけは確かだ。でも、欲を言えば、モノノケダンスフロアの皆に会いたい。モノノケ三人衆に、鴨に。会いたい。
「閻魔大王が会いたがっているのは、貴様の方らしいぞ」
二人の間に割って入った第三者。その聞き覚えがありすぎる声に、茉莉は一瞬で目尻に雫が零れ落ちた。乙部はその声に、怪訝に振り向こうとした。その瞬間、闇の中で刃先の光の弧が浮かび出た。
「っぐう!」
乙部の呻き声がしたと思えば、次には彼は上半身と下半身を真っ二つにされていた。割れたその隙間から、マントの紳士が現れる。茉莉は安堵の笑みを浮かべて、解放された。その脱力した身を、紳士が颯爽と駆け出して抱きかかえた。
二人の視線が交わされる。茉莉はぐったりとしながらも、その唇から言葉を紡ぎ出した。
「良かった、マスター、生きてた」
「遅くなってすまない。ワタシはここにいるぞ、ミス・マリ」
そう言うと鴨は、いつもの不敵な笑みを浮かべたのだった。
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