第30話 枯れた人魚達に灯火を
軋む教会の床を、茉莉達は突き進んでいた。教会内には電灯がなく、あるのは壁にかかった心もとない松明だけである。茉莉はアッカの手を引きながら、真菜子に聞いた。
「本当にこっちで合っているんですか!?」
「ええ。ナギサさんは地下の個室に閉じ込められています!あそこには人魚専用の生け簀がありますからね。__!! こんなときに!」
真菜子は急停止すると、茉莉達が行くのを手で制した。ふと前を見ると、赤装束の信者が二人、こちらに立ちはだかっていた。二人は真菜子の姿を捉えると、目を見開いた。
「教祖様! 乙部殿が探しておりましたぞ? 人魚を捕らえた宴をすると……。なに!? なぜその娘達と一緒なのですか!?」
そのとき信者達は胸元に手を入れた。大方、自身の獲物を取り出すつもりなのだろう。しかし、真菜子は一瞬眉をしかめると袖口から拳銃を即座に取り出して彼らに向けた。
「今宵、私は八百の会に終止符を打つ!数百年積み重なった業への償いのため、人魚を解放して、組織を潰す!」
真菜子の言葉に信者達は唖然としたが、すぐに親愛する教祖が敵対者となった現実を受け入れて険しい目をした。同時に真菜子の引き金も引かれようとした。真菜子は信者達を殺すつもりだ、そう茉莉は確信した。その瞬間、少し前の光景が脳にありありと浮かんできた。
私はもう戻れない。そう言って、歯を食いしばって慟哭する真菜子。茉莉は、そんな彼女を救ってやりたかった。罪悪感の余り、素直にモノノケを愛せなくなった一人の女性に手を差し伸べてやりたかった。丁度、どこかの紳士がそうしてくれたように。
真菜子は泥沼から引き出してやりたい。そのためには彼女を取り巻く物騒な殺し合いなど言語道断だ。茉莉は瞬時に、アッカに目配せした。
あの人達を殺させないで。そう訴えかける彼女の意図を、アッカは理解して力強くうなずいた。そして、自慢の舌を更に太く、そして強固にして伸ばした。
「そら、よいしょ!!」
アッカの舌は信者達二人を掴み込んで一気に窓から放り投げた。叫び声の数秒後に、何か木に引っ掛かる音がした。真菜子はハッとして銃を下ろすと、茉莉を見つめた。
「どういうつもり?」
「“戻りたい”んでしょう?だったら、殺しなんて一番ダメです。そんなの、自分を更に汚すだけです」
茉莉の意思が宿った瞳に、真菜子は枯れた笑みを漏らすと、拳銃をしまった。
「分かりましたよ。じゃあ敵は見つけ次第、無力化っていうことで」
真菜子の返事に、茉莉は満足気に微笑むと再びアッカの手を握って走り出した。道中、三人は何人かの信者達に出会ったが、全員アッカの舌と警察時代に仕込まれた真菜子の柔道で制圧された。そして、紆余曲折を経て無事地下室に辿り着くことができた。
真菜子は先陣を切って突入して、続いて茉莉達が乗り込んだ。そこで見た光景に、茉莉はあっと口を開けた。
地下室には、松明に照らされて大量の人魚のミイラが吊り下げられていた。どれもこれも生前の見る影なく、骨が浮き出て凄まじい臭気を放っていた。どれほど苦痛を与えられたのだろうか。人魚達には欠損箇所が大量にあった。
茉莉は危うく嘔吐しそうになったが、地下室の最奥にある生け簀に目が止まった。生け簀には重い蓋がされており、その水中にはウェンディングドレスを纏ったナギサがぐったりと浮いていた。
「ナギサちゃん! 助けに来たよ! ナギサちゃん!」
茉莉は生け簀に駆け寄って、そのガラスを叩いた。しかしナギサは目を開けなかった。
「ナギサちゃん? どうしたの!?」
「きっと、息が苦しいんだよ」
追いついたアッカが厳重に閉じられた生け簀を指さした。確かにこれでは、地に埋められた棺のように酸素など入ってこない。このままではナギサは窒息死してしまう。茉莉は真菜子に声をかけた。
「東条さん! 銃を!」
「えぇえぇ、分かってますとも! 離れていてください!」
真菜子は拳銃を構えて、生け簀に放った。数発打ち込まれたそれはヒビが入るといとも簡単に砕け散った。その瞬間、水が大量に流れだしてナギサも床に転がり落ちてきた。それを茉莉は抱き上げて優しく揺らした。
「ナギサちゃん! しっかり!」
「うぅ、はぁはぁはぁ、マ、マリ?」
意識を取り戻したナギサが茉莉を見上げた。茉莉はそれに安心すると、ナギサを抱きしめた。
「良かった、本当に良かった!」
「マリ! もう二度と会えないってオモッテタ!」
抱き合う二人にアッカはつられて目尻に涙を浮かべたが、真菜子はどこか複雑そうな顔でナギサを見つめた。ナギサは真菜子の姿に気づくと、悲鳴を上げて茉莉に縋った。
「な,何で、アナタがココに!?」
ナギサの動揺に、真菜子は覚悟を決めて息を吐くと、背筋よく頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい。私は、私達は自分の欲望のために、あなたの同胞を大量に殺めて、あまつさえあなたの結婚式も台無しにしてしまった。今更、こんなこと言って許してもらおうなんて思ってない。でも、せめてもの償いとしてあなたを無事に皆さんの元に送り届けさせてほしい。駄目でしょうか?」
真菜子の誠心誠意がこもった謝罪に、ナギサは茉莉と目を見合すと頷いた。
「ワカッタ。ワタシ、シンイチに会いたい。会うまで、ワタシ達を守って」
「勿論です。必ずお守りします」
真菜子はナギサの返事に、顔を綻ばせた。なんとか場を取り持った茉莉はナギサを背に抱えた。
「さ、行きましょう!」
茉莉の呼びかけに、真菜子もアッカも頷いた。そして三人は地下室のドアを潜り抜けた。
去り際、ナギサは振り返って地下室に下げられた人魚達の仏を見つめた。
こんな汚い場所で、いつまでも彼女達は飾り物にされてしまうのだろうか。臭く、光も水もない場所で醜い姿のまま永遠に眠ってしまうのか。そう思うとナギサはどうしようもなく、虚しくなった。そのあまり、彼女はせめてもの弔いとして同胞達を荼毘にふそうと思った。
地下室を抜ける瞬間、ナギサは壁にかかる松明を一つ払い落したのだった。
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