第22話 急襲
「マリ!あのガラスはなに?スズメが鳴いてるミタイ!」
「あれは風鈴」
「じゃあアレは!?アノ耳がついたサメみたいなヤツ!?」
「あれは犬だよ。」
車椅子を押されるナギサはご機嫌になって、阿弥陀市のそこらかしこを指さして鼻息を荒くしていた。その様子に茉莉はまるで妹ができたみたいだと微笑ましく思った。一方で、真菜子は挙動不審に辺りを見回し、懐に手を入れていた。
それから茉莉はナギサに阿弥陀市の様々な場所を見せてやった。阿弥陀市一番の巨大な鳥居がある神社や、古き良き阿弥陀商店街。そしてショッピングモール。ナギサはどれも目を輝かせ、思いつく全ての質問を茉莉にぶつけた。同時に食い意地も張っていたのか商店街のコロッケやかき氷、ショッピングモールのクレープまで食べつくした。
茉莉は空になっていく財布に溜息をついたが、朗らかに笑うナギサを見れば自然とつられていた。二人は姉妹のように、寄り添って観光を満喫した。その後ろ姿を真菜子はただ見つめるだけだった。
「そろそろ、休憩しようか?」
観光を始めて数時間が経ち、茉莉はナギサに声をかけた。彼女は道端に散らばる鳩に興味津々であったが、茉莉の言葉に頷いて器用に車椅子を押してきた。しかし、そのとき急に立ち止まって横を向いた。
「どうしたの?」
茉莉が尋ねると、ナギサは向こうを指さした。その方角を辿れば、駄菓子屋があり、その前に子供達が集まってシャボン玉を膨らませていた。
「アレ、なに?」
「あぁ、あれはシャボン玉って言って、うーん、泡みたいなものかな」
「シャボンダマ……やってミタイ!」
「はいはい、分かりましたよ、人魚姫」
茉莉は苦笑すると、駄菓子屋まで走り、シャボン玉を購入してナギサに渡してやった。ナギサの息で出来上がるシャボン玉は、宙を登ってはその短命を全うして割れた。ひたすら不器用に泡を膨らませようとする彼女に、茉莉と真菜子は近場のベンチに座って見守った。
「今日はありがとうございました、東条さん。」
茉莉は駄菓子屋でついでに購入した緑茶を手渡しながら言った。ペットボトルを受け取った真菜子は短く礼を言ってそれを飲んだ。茉莉はそれを眺めながら、ふと呟いた。
「東条さんって、意外と押しに弱いタイプなんですね。」
「ふん、子供がみくびらないでください」
「あはは、すみません……」
茉莉は申し訳なさそうに頭をかくと、前に向き直った。
「私、実はちょっと前までモノノケが大嫌いだったんです」
何とはなしに放った一言に、真菜子は僅かに反応した。
「へぇ、じゃあ何であの店長さんの慈善活動なんかに付き合ってるんですか?」
「居場所をもらったからです」
「居場所?」
真菜子の返しに茉莉は頷いた。
「天涯孤独だった私を、マスターとモノノケの皆は愛で一杯にしてくれた。だから、私はそれに応えなきゃって思ったんです。そうしたら、モノノケが大好きになっちゃってました。東条さんも、モノノケは好きですか?」
そう言うと、茉莉は照れ臭そうに笑った。一方で真菜子は、どこか浮かない顔で目を伏せた。そして何か口から紡ぎ出そうとした瞬間、ナギサが車椅子で近づいてきた。
「ナニナニ?ガールズトーク、ってヤツナノ?」
「うん、そんなとこ。もうシャボン玉は満足した?ナギサちゃん。」
「ウン!」
ナギサは空となったシャボン液の容器を差し出した。茉莉はそれを受け取ると、帰り支度を始めた。しかし、ナギサの方はワンピースの裾を持ってもじもじとしていた。茉莉はそれを見逃さず、声をかけた。
「どうしたの?ナギサちゃん」
「エットネ、アノ、あとヒトツ行きたいバショある。」
「まだ?今度はどこなんですか?」
真菜子は若干呆れた口調で尋ねると、ナギサは口をきゅっと窄めて、次には大声で言い放った。
「ワタシの、フィ、フィアンセのおうち!」
その瞬間、茉莉と真菜子の脳内は真っ白となったのだった。
※
「ええと、つまり、ナギサちゃんには日本人の婚約者がいて、その人に会うために日本にやってきたってこと?」
「ウン……」
真菜子と茉莉はベンチで顔を揃えたまま、ナギサを見つめた。ナギサは全てのことを話してくれた。なんと彼女は日本にやってきた目的は観光ではなく、大昔に生き別れた婚約者と再会するためだったのだ。
茉莉は唐突な情報の羅列に、こめかみを掻いた。真菜子も同様に、小首を傾げていてる。どこから手をつければよいのか。茉莉は大いに悩んだが、取り敢えず一番気になっていることを尋ねた。
「その人は、阿弥陀市にいるの?」
茉莉の問いに、ナギサは頷いた。
「アノ人、故郷についてタクサン話してクレタ。戦争で帰れないケド、ハヤク『阿弥陀市』に帰りタイって」
そこでナギサは目を伏せた。
「阿弥陀市に帰ってモ、ワタシのこと、忘れないって……。いつか迎えに来て、ワタシをお嫁サンにしてくれるッて。でも、来てくれなかった。ズット、待ってタケド、来てくれなかった」
戦争、という言葉を聞いて茉莉は眉をひそめた。鴨から聞いたことがある、モノノ
ケは不死ではないが長寿であり、人間とは老化のスピードが遙かに違うと。恐らく、ナギサの婚約者は既にこの世にいないかもしれない。それでも、彼女は若いままでひっそりと水平線の向こうで恋人を待ち続けていたかもしれないのだ。それを思うと、どうしようもなく胸が痛くなった。真菜子も何も言えずに、神妙な面持ちで人魚を見つめている。
そこでナギサは顔を覆い、声を上げ始めた。
「会いたいヨォ、アノ人に、シンイチに会いたいヨぉ!」
シンイチ?その途端、茉莉はハッとした。シンイチ、どこか聞き覚えのある名前だ。そう、ええと、あれは数週間前の買い物。そのときに出会った老人、新田真一だ。
思えばナギサの話と、彼の話は似通っている。戦時中、互いの立場から別れなければならなかった恋人達、そして人魚の婚約者。これはもう確定ではないか。
「ナギサちゃん。あなたの婚約者。知ってるかもしれない」
「ホント?」
ナギサは泣くのを止めて、顔を上げた。真菜子も「本気か?」という表情をしている。茉莉は頷いた。
「ちょっと前にね、新田真一っていうお爺さんに出会ったの。そのとき、あの人はあなたの話をしていたの。人魚の婚約者がいるって話を」
「シンイチだ!ゼッタイ、シンイチだよ!ねぇ、マリ、その人に会わせて!オネガイ!」
ナギサは車椅子から飛び出して、茉莉に抱き着いた。その子犬のように潤んだ瞳に、茉莉は溜息をついて観念せざるを得なかった。
「分かった。おうちの場所は知っているから、今からでも行こう。東条さん」
「私が何といっても、あなた達は行くんでしょう?」
真菜子は半ば諦めの目で、茉莉に笑いかけた。彼女もそれに微笑み返した。
「よくわかってますね」
「あなたみたいな頑固者、今まで相手にしてきたモノノケの中でも見たことありませんからね。いいでしょう、興が乗って付いていくことにします。でも、どうやってそのご老人の所に行くんですか?まさか、空でも飛んで?」
「その“まさか”ですよ!?」
茉莉はにかっと笑うと、胸元から札を取り出した。その古びた用紙には「カラス天狗」と達筆な文字で書かれている。
真菜子は目をぱちくりとした。
「それは?」
「これはうちのマスターが用意してくれた、カラス天狗さんを召喚するためのお札ですよ!見ててくださいね」
そう言うと茉莉は札を地面に叩きつけた。
「いでよ、カラス天狗!」
「カァァァァァ!!」
茉莉の掛け声と共に、投げ出された札は煙を上げて巨大なカラス天狗をその場に顕現させた。小ぶりの札から赤子が産道を通るように、カラス天狗は飛び出してきた。食事中に召喚されたのだろう、カラス天狗の口には大量のピーナッツが詰め込まれていた。そして辺りを見回すと、一気にそれを吹き出した。
「ガァァ!?ウェゲッホ!!ここはどこなんだ?」
「こんにちは、カラス天狗さん。呼び出してなんですが、ここにいるナギサちゃんの婚約者さんの元まで私達を連れて行ってくれませんか?あ、勿論、道案内はしますので。」
「ふっざけんな!ランチ中に呼び出しやがって!このすっとこどっこい!誰がテメエなんかに__」
カラス天狗がそこまで言ったところで、茉莉は口元に手を寄せた。
「ここだけの話ですが、阿弥陀商店街の花屋さんでひまわりの種が叩き売りされているらしいですよ?もし連れて行ってくれるなら、お礼にあげちゃおっかなぁ、なんて」
「すっとこどっこい!早く後ろに乗りやがれ!」
相変わらず怒り口調のままであったが、カラス天狗の瞳はどこかキラキラしている。交渉成立だ。茉莉がガッツポーズする横で、真菜子とナギサはジトっとそれを見つめていたのだった。
話し合いの結果、ナギサが車椅子のままカラス天狗に搭乗し、それを真菜子と茉莉が支えるという顛末となった。不安定な足元のなかで空中に舞い上がり、茉莉と真菜子は不安で一杯の表情であったが、ナギサの方は婚約者との再会と空からの景色に胸を躍らせていた。
「スッゴーイ!今日はイイことタクサンだぁ!オソラも飛べるし、シンイチにも会える!」
黒羽の上でバタバタする人魚に内心冷や冷やした茉莉だったが、その笑みを見ると全てどうでもよくなった。暫くそのまま飛び続け、茉莉も定期的にカラス天狗に指示を下した。そうして遂に、茉莉の見覚えがある家が雲の上から見え始めた。
「あそこだ!ナギサちゃん、あそこが真一さんの家だよ!」
「シンイチ、アソコにいるんだ!」
「うん。ねえ、東条さんも__」
茉莉は真菜子に声をかけたが、当の彼女はどこか険しい顔でどこか遠くを見つめている。その様子に茉莉は不安になり、再び口を開こうとした。その瞬間、真菜子はばっとこちらを向いた。
「伏せて!」
尋常ではない真菜子の表情に、茉莉は急いでナギサの肩を掴んでカラス天狗の黒羽に身を押し付けた。するとすぐに頭上に幾つもの弾丸が抜けていくのが見えた。ナギサは叫び声をあげて蹲り、茉莉は弾道の出発点を辿った。そこで向こうから一体の大型ドローンがこちらに接近してくるのが見えた。
「な、なんですか、アレ!?」
「恐らく八百の会です。どこかから情報がリークして襲撃してきたのでしょう」
真菜子がそこまで言うと、ドローンは急接近してきた。ある程度近づいたところで急停止すると、その頭部に装着されているスピーカーから音声が流れだした。
「我らは八百の会。モノノケダンスフロアの者達よ、その人魚をこちらに渡しなさ
い。さもなくば撃墜ただ一つのみです」
親切心があると見せかけて、残酷で低く、心を凍らせるような男の声。茉莉は瞬間的に拒絶反応を示して、首を振った。
「絶対に、イヤです!」
茉莉は震えるナギサを庇うように抱きしめた。
「あなた達みたいなモノノケの命をなんとも思っていない人に、大事な“友達”を渡せません!」
「そうか、ならば蜂の巣となって朽ち果てなさい」
その時、ドローンはプロペラの奥から機関銃の銃口を覗かせた。それにカラス天狗も非常事態だと目を泳がせた。真菜子は眉間を更に険しくすると、胸元から短刀と拳銃を取り出した。そして振り向かずに、茉莉に声をかけた。
「私が撃破します。それまでナギサさんを、守ってあげてください」
「と、東条さん!」
「大丈夫、私は死にませんよ」
そう言って真菜子は笑いかけると、黒羽を踏み込んで上空に飛び出した。その背を茉莉とナギサは固唾を飲んで大人しく見守った。
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