第18話 八百の会



「どうぞ…。」


 鴨は男女の前に湯気が立ったコーヒーを差し出した。和泉は興味深そうに、カップを見つめた。


「おお!純喫茶の本格コーヒーやな?缶コーヒーしか飲んだことないから、新鮮やわ。」


「和泉刑事、本題に入りましょう。」


 和泉の興奮を真菜子が諫めると、彼は改まったように咳払いをした。茉莉はこれからどんな話が来るのかドギマギしたが、和泉は胸元から数枚の写真を取り出した。


「これは…。」


 鴨は写真の内容に顔をしかめた。そこには、モノノケの一種である人魚の死体が映し出されていたからだ。人魚はどれも腹部や頭部に激しい損傷があり、まるで何者かに食されたかのようだ。茉莉は先ほど飲んだレモネードを吐き出したくなった。


「あんたは見える側やから分かるやろ?この子らは人魚や。普段東南アジアとか暖かいとこにおるけど、温暖化の影響か知らんけど日本の阿弥陀市にも人魚がよく来るようになったんや。これは最近特殊カメラで撮影された、阿弥陀市で発見された死体。」


「モノノケ同士の共食いか争いですか?」


 鴨は顎に手を当てた。それに対し、和泉はゆっくりと首を横に振った。


「いーや、違う。これは人間の仕業や。」


「に、人間!?」


 茉莉は目を見開いた。人間がどうして、獣のように人魚を貪り食うことがあろうか。ついこの前、異常性癖の人間と対峙した茉莉でも理解できなかった。和泉は耳打ちをするように、右手を口元に寄せた。


「実はな、この件には“八百の会”っちゅうカルト宗教が関わっとるんや。」


「八百の会?」


「人魚の肉で不老不死の肉体を得ようとしている宗教団体です。」


 頭を捻った茉莉に、今度は真菜子が答えた。


「人魚の肉には不老不死の効果を発現させる酵素が眠っています。八百の会の信者達はそれを狙って、人魚を襲い、その生き胆を食べ続けているのです。」


「八百の会の奴ら、阿弥陀市に人魚が出るって聞いて拠点を内陸地からここに移してきたみたいでな。そこで、俺らモノノケ課が監視と取り締まりで本部の京都から派遣されてきたっちゅうわけ。」


「ていうか、そのモノノケ課ってなんなのですか?極秘とか言ってましたけど…。まさかモノノケを傷つける組織なんですか?」


 茉莉は訝し気に二人を見た。すると和泉が慌てた様子で手をぶんぶんと振った。


「ちょ、ちょい待ち。勘違いせんといてな、俺らはモノノケと人間両方の味方や。双方で起こる事件を解決して、国民とモノノケの平和を維持する善良なお巡りさん!」


「では、善良なお巡りさん。そんな物騒な話を持ち出して、僕に一体なんの要件ですか?」


 鴨は腕を組んで刑事を見つめた。和泉はふっと笑うと、コーヒーの水面に目線を落した。


「モノノケを見える側っちゅうのはマジョリティーの真反対。モノノケ課は毎年すっくない人数で危ない職務をこなしとる。そう易々と人員は割けん。そこで、や。」


 和泉はコーヒーカップを持ち、鴨を指さした。


「見える側であり、尚且つ阿弥陀市のモノノケ界隈に精通しとる君らに応援要請をしに来たんや!」


「応援?私達が?」


 茉莉は目をぱちくりした。要するに、この者達は連続人魚殺人事件の解決を手伝えと言っているのだろう。和泉はカップを煽ると、息をついた。


「聞けば、君らは俺らモノノケ課が追っていた化け猫の事件を解決したらしいやん?しかも店長に限っては、モノノケに無害化の契約を取り付けて治安維持の筆頭になっとるらしいし。こんな優秀な人材達をほっとくわけにはいかん。」


「勿論、タダでとは言いません。」


 口を開いた真菜子に、鴨が視線を移した。


「はぁ、お金なら別に__。」


「“開業許可証”です。」


 真菜子の言葉に、鴨が呆然とした。茉莉はそこで、自分達のダンスクラブが行政非公認だったことを思い出した。和泉はカップを弄びながら、上目遣いで鴨を見た。


「そういえば、この前窃盗の疑いでパクったモノノケがバラシとったけど、ここの地下でモノノケ専用のクラブかなんか営業しとるそうやな?無断で。一般人にバレとうないからかな?」


「そう、と言えばどうしますか? 」


 苦い顔をする鴨に、和泉はふっと笑った。


「あぁあぁ、勘違いすなや。俺は別に責めてへんで?でもこれが他の奴らに見つかったらどうなるやろなって。検挙は免れんやろなぁ。ま、開業許可証があれば全て解決する話やけど。」


 そこまで言うと、和泉は糸目をかっと開いて鋭い眼光を覗かせた。茉莉は鴨と人魚の写真を交互に見た。これはモノノケダンスフロアの一大事である。目の前の警察たちは、要請に応じなかった場合のために特大級の脅しを持ちかけてきた。流石にこの案件を無視するなど店の命運をドブに捨てるようなものである。それに加え、茉莉は写真を見つめた。


どの人魚も生前は凄まじい美貌の持ち主であったろうが、今は凄惨な苦悶の表情を浮かべて全て息絶えている。彼女達はただ海の中を優雅に泳いでいたかっただけだ。それなのに生まれ故郷を離れ、乾いた陸で惨たらしく殺されてしまった。その事実に、茉莉はどうしようもなく胸が苦しくなった。そして同時に、彼女達の無念を晴らしてやりたくなった。


 そうと決まれば、である。


「やりましょう、マスター。」


 茉莉は上司を真っすぐ見つめた。彼も同じことを考えていたのだろう、目で彼女を肯定している。


「モノノケダンスフロアがなくなるのは絶対にイヤです。ここは“私の家”ですから。それに、殺された人魚さん達が可哀想です。何とか皆で協力して八百の会と立ち向かいましょう!」


「…そうだね、ここは腰を上げるときだ。店のためにも、モノノケのためにも。」


 鴨も茉莉に頷いた。彼女は上司が乗り気になってくれて、嬉しくなってはにかんだ。そのとき、和泉が手を叩いた。


「ほんなら、決まりってことやな!なんか頼もしいわ!」


「はい!でも、私達は何をすればいいんですか?」


 茉莉が尋ねたとき、真菜子がこちらを向いた。


「あなた達の仕事は、沿岸の監視と人魚の保護です。」


「おん。俺らは八百の会を追うから、君らには夜間に阿弥陀海水浴場で監視をしてもらって、人魚が迷い込んできたときは八百の会一斉検挙まで保護してもらう。」


 和泉がそこまで言った時だった。クリーピーから従業員控室に続くドアから物音がして、続いて三匹のモノノケ従業員達が雪崩れこんできた。


「海に行くの!?アッカも泳ぎたーい!」


「海、水も滴るいい男、そしてナンパ…。うーん、そそるわ。」


「鯛に河豚にマグロ、カジキ!煮るか焼くかどっちにしよう!」


 どうやら三匹の様子を見るに鴨達の会話を盗み聞きしていたらしい。しかも大幅な勘違いをして。


 鴨はやれやれと首を振った。


「君達、これは任務だ。ただの海水浴じゃないんだぞ…。」


 その言葉に、三匹をがっくりと肩を落としてしなしなと床に崩れ落ちた。急な第三者の登場に茉莉は苦笑いをしたが、刑事二人は取り残されてただ口をあんぐりと開けるしかなかったのだった

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