第19話 時には乙女らしく


「んもう、マスターに海水浴じゃないって言われたばかりじゃないですかぁ。」


 翌日。休日であった茉莉は猛暑のなか、お糸とアッカに襟を掴まれてショッピングモール内で引きずられていた。彼女は只今、水着の買い物に繰り出されているのだ。


 昨日、刑事二人は任務の内容を言い渡すと、そそくさと帰っていった。念のために、任務には和泉の相棒である東条真菜子が同行することになった。彼らが帰還したあと、海水浴を諦めきれなかったモノノケ女子達は茉莉を連れ出して水着選びへと赴いたのだ。


 人間に擬態し、鼻歌と共に店内を闊歩する二匹に茉莉は溜息をついたが同時に妥協して大人しくしていた。彼女は今までの生い立ち故、あまり女子らしいことをしたことがなかった。偶にはこういう風に、流されてみるのも悪くないと思ったのだ。


「ねぇ、糸ねーね!あのフリルの水着可愛くない!?」


「バカ、こういうときは男を魅せるのを選ぶの!そうマイクロ・ビキニとか、プランジングとか!」


 服屋の水着専用コーナーではしゃぐ二匹。一方で茉莉は水着の値段の高さに音を上げていた。女子はお洒落のためなら財布など何回でも開けるのだ。手に持つ札の枚数とにらめっこしていた茉莉だったが、不意にお糸が彼女の前に水着を寄せた。


「ねぇ、茉莉。あんた、これ似合うんじゃない?」


 お糸に渡されたそれを茉莉は見つめた。それはターコイズブルー色のハイネック・ホルターである。クロスされた箇所が魅力的で、首から鎖骨にかけてのレースが女性らしさを際立たせている。値段も丁度良く、それに悪くないデザインだ。

茉莉は水着を掲げ、近くにあった姿見を見つめた。サイズはピッタリで、茉莉の体型によく見合うものである。色々角度を変えてみたが、映りは完璧である。するとそこへ店員が寄ってきた。


「まぁ、お客様。とってもお似合いですよぉ。きっと、彼氏さんとかにも喜ばれますよ!」


 その途端、茉莉は沸騰したように顔が赤くなった。


「か、彼氏なんていません!」


 ぎゅっと縮こまった茉莉に、店員はオロオロして謝罪して引き下がっていった。その様子をお糸とアッカはほくそ笑み、茉莉は尚更恥ずかしくなった。


 ただ、胸にあのシルクハットの紳士がよぎったのは事実だった。彼なら何と言うのだろう。夜のあの人も、昼のあの人も自分の水着姿を見たら何を言ってくれるのだろうか。褒めるのか、それとも…。


 そこまで考えて茉莉は下らないと一蹴し、取り敢えずこの水着は買おうと決めたのだった。


 その後も茉莉達の買い物は続いた。いや茉莉が付き合わされたと言った方が正しいだろう。お糸は高級コスメを買いあさり、アッカも「偶には垢以外のものも舐めたい」とデパ地下スイーツ店を何件もはしごした。昼頃には茉莉はヘトヘトになり、一人だけベンチに座って休むことになった。


 隣には杖をついた高齢の男性が座っていた。茉莉が手で扇いで涼んでいると、彼はこちらを向いて話しかけてきた。


「ご友人と買い物かな?」


「え、あ、そうです。皆と水着を買いに来てて。でも私は疲れちゃったから絶賛休憩中です。」


 皺だらけの顔に、茉莉は微笑んだ、きっと暇であったから話し相手が欲しかったのだろう。彼女とて人との会話は嫌いじゃない。寧ろモノノケダンスフロアの一員になってから、人の輪が広がることにどこか心地よさを感じていた。


 老人は茉莉の回答に、うんうんと頷いた。


「そうかい、そうかい。青春ってやつかねぇ。」


「お爺さんもお買い物ですか?」


「ああ。でも私は心臓と足が悪くてね。老いと戦争の名残さ。それで中々一人で買い物が難しくてね。」


 老人の言い分に、茉莉は彼の足元を見た。そこには買い溜めのためだろう、膨らんだ買い物袋が置かれていた。この老体に、これを運ぶには無理がある。茉莉は眉を下げると、あることを思いついた。


「重そうですね。私がおうちまで運びましょうか?」


「いやいや、悪いよ。若い人に迷惑かけるなんて…。」


「“若い人”だからですよ!大丈夫です、私は頑丈ですから!」


 モノノケと何回も遭遇して生き延びてきたから、とは流石に言えなかった。茉莉にはごく普通の道徳心が働いたのだ。それに、鴨も常日頃から助け合いのモットーを彼女に説いている。『モノノケも人間も弱さは一緒だ。困った者がいたときはまず一歩踏み出してみること。』、鴨の口癖である。茉莉は今まで人と関わらずに自殺で人生を終えようとしていたが、今は違う。今こそ一歩踏み出してみるのだ。


 茉莉は立ち上がって、老人の買い物袋を抱えた。


「さ、行きましょう!家の場所まで案内してください。」


 少女の意気込みに、老人は「ありがとう。」と言葉と共に、ふっと綻んで立ち上がったのだった。


「奥様や他の家族はいらっしゃるのですか?」

 猛暑の道のなか、買い物袋を抱えた茉莉は老人に聞いた。老人の名は新田真一というらしく、過去には太平洋戦争で従軍した時期があると語った。茉莉の問いに対し、新田は優しく首を振った。


「いいや。親兄弟も皆、戦火でやられたんだ。それに独り身だったから、子供も孫もいないし。ただ……。」


「ただ?」


「婚約者はいたんだよ。」


 婚約者。新田はその単語を紡いだ時、口元を緩ませた。どうやら、新田にとってその人は大切な人物であると想像がつく。しかし、結婚という終点に行きついていない時点で何かが二人の間に起こってしまったのだと茉莉は確信した。


 何だかデリケートな話題がして気が気でなかったが、茉莉は再び聞いた。


「その婚約者さんは……。まさか?」


 茉莉の物憂げな視線に、新田は苦笑して手を振った。


「あぁ、違うんだよ。彼女とは別れただけだ。戦争で派遣された東南アジアの島で出会ったんだけどね、互いに一目惚れだった。とても美しい人でね。でも、お互い立場があったからね。戦争で負けて引き上げるときに、別れてしまった。」


 途端に、視線を下げた新田に茉莉は心が痛くなった。戦で飛ばされた土地の現地人との恋だ。きっと成就する方が困難である。茉莉は場を和ませようと彼に声をかけた。


「生まれも何もかも違う人間との恋ですもんね。難しいですよね……。」


「人間、じゃなかったんだ。」


「え?」


 茉莉は立ち止まって、自分の耳を疑った。新田はいま確かに、「人間じゃなかった」と発言した。婚約者がか?茉莉のなかで人外といえば二つある。一つ、動植物。二つ、モノノケ。そんなまさかと思い、茉莉は新田を見つめた。


「それって、どういう__。」


「彼女は、人魚だったんだよ……。」


 そのとき、二人の間で沈黙が流れた。彼らの横を、何台もの車が行き交う。このときばかりは蝉の声が耳について仕方なかった。新田の婚約者が人魚?茉莉はその事実に驚愕した。様々な思いが流れる。そのどれもを新田に聞き正しかったが、彼は顔を上げると茉莉に向かって微笑んだ。


「なんてね。今のことは、老いぼれの妄言だとでも思ってくれ。」


 それだけ言うと、新田は右横を向いた。そこには古びた古民家があり、表札には「新田」と刻まれている。


「私の家はここだよ。本当にありがとう、茉莉さん。」


 茉莉は呆けたままだったが、ハッとして顔を上げると買い物袋を新田に手渡した。彼は少女にお礼にと飴玉を分けてやると、そそくさと家に入っていった。一方で、茉莉は取り残されたままである。彼女の手には融解したステンドガラスのような飴が載っており、夏の日差しに焼かれようとしている。


 婚約者、人魚。たった今、八百の会と対峙しようとする茉莉にはこの出会いがどこか必然のようにしか思えなかった。だからこそ、彼女はその不可思議な気持ちに浮かれていた。


 そのとき、スカートのポケットに入った携帯が鳴り響いた。茉莉の硬直は解かれ、一気に現実に引き戻された。すぐさま通話ボタンを押すと、同僚達の凄まじい怒号が鳴り響いた。


『こらっ、茉莉!一体、どこをほっつき歩いているんだい!?とっくに買い物終わってるよ』


『茉莉姉ちゃん!早く来ないと限定スイーツ食べつくしちゃうよ?うーん、これうんまぁーい!』


「あぁあぁ、すみません!いま戻ります!」


 茉莉は電話越しにペコペコと頭を下げると、通話を切った。そしてもう一度新田の屋敷を見上げると、ショッピングモールに向かって走っていった。



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