セイレーンの花嫁

第17話 公安組織”モノノケ課”

「ラン、ラララーン、フフーン。」


 反射した星屑が宝石のように煌めく海面。波は天の川の如く、水面を彩っている。それが波打つ海岸を、美しい黒髪の女は鈴のように小可愛い声で歌いながら歩いていた。一つ歩む度、水音が響いて足跡が作られる。女は一糸纏わぬ姿で、ただその濡れた髪で素肌を隠すだけであった。


 女はある地点までで立ち止まると、黙って横を向いた。するとそこには、20代くらいの軍服を着た年若い青年が立っていた。青年は、涼しい顔で女を見つめている。彼女も彼に向き直ると、微笑んでこう言ったのだった。


「……あなた。」


 ※


『ただいま阿弥陀市は六月の下旬で、梅雨が終わって初夏へと入っています。温暖化の影響か、熱帯夜になる日も多く、既に海水浴場が解禁されている場所もあります。』


「もー、ほんっとに暑い。」


 クリーピーの店内で、茉莉はカウンター上の扇風機に顔を当てながら項垂れた。キッチンに取り付けられているテレビからは、初夏の到着を知らせるニュースが連日報道されていた。茉莉も衣替えを行って、いまは半そでの爽やかな制服を着こなしている。


 鴨は茉莉に微笑むと、彼女の前に冷たいレモネードを置いた。


「はい、キンキンに冷えたやつ。」


「うわぁ、ありがたいです。」


 茉莉はコップを持つと、一気飲みして美味しそうに吐息をついた。


「ぷはぁ!やっぱ、マスターのが一番うまいや。」


「はは、光栄だね。」


 鴨は綻ぶと、コーヒーカップをふきはじめた。茉莉はコップを持ったまま、店の外を見つめた。外では日傘をもつ女性や扇を煽るサラリーマンなどが道を往来している。


「最近、暑くなりましたよね。春なんてすぐに終わっちゃった。」


「夏はアイスものが美味しい季節だけど、あんまり暑いと参っちゃうよね。エアコン代もかかるし。」


「でも、この町の平和は変わりませんね。」


 茉莉はそう言うと、にかっと鴨に笑った。化け猫事件が解決してから、阿弥陀市に特に浮いた怪異騒動は聞かなくなり、モノノケダンスフロアも相変わらず大盛況である。茉莉の心も落ち着き、幾分か安眠できるようになり、隈も大分薄くなっていた。勿論、両親や茶々丸が恋しくなる夜もある。しかしモノノケダンスフロアの仲間のおかげで、寂しさは解消できている。まあ、学友は一人もいないままだが。


 茉莉の言葉に、鴨もうんうんと頷いた。


「何もないのが一番だよ。さて、僕も夏限定のカクテルのレシピを作らないとなぁ。あ、いらっしゃいませ。」


 そのとき、クリーピーに二人の男女が入ってきた。男性は長身であり、ボルサリーノに黒い外套を羽織り、切りそろえられたおかっぱ髪、糸目という中性的な風貌である。女性の方はパンツスーツを着用したポニーテールの美人であり、片目に眼帯を装着している。


 警察官?それとも映画の撮影とか?茉莉は口でストローを弄びながら男女を見つめた。男は店内を見回しながら、口を開いた。


「おしゃんな店ですねぇ。いかにもSNS“映え”って感じやな?」


「ありがとうございます、休日には若い方も来られるんですよ。」


「ほう、ほな俺も今度個人的に来てみよっかな。ところで……。」


 男は鴨の前まで来ると、口元から笑みを消した。そしてすぐに胸元から、手帳を引っ張り出した。


「うちらは、極秘の公安組織“モノノケ課”っちゅうもんなんやけど、お宅に話があって来ました。」


 茉莉はぎょっとして、男の手帳を覗き込んだ。そこには彼の顔写真と共に、『モノノケ課 巡査部長 和泉智也わいずみともや』と記されている。公安の登場に、鴨も表情を厳しくしている。茉莉は立ちあがって、彼らを指さした。


「あなた達は一体__っぎゃ!?」


 その瞬間、眼帯の女が茉莉に回り込んで、彼女の首に短刀を突きつけている。


「茉莉ちゃん!」


「すまんのう、ちょいと手荒にいかせてもらうわ。お嬢ちゃん傷つけられたとうなかったら、大人しゅう話聞いてもらおか。」


 そう言うと、和泉は更に目を細めた。鴨はきっと歯を食いしばると、大人しく首を縦に振った。


「分かりました。そこにおかけして下さい。」


「話が早くて助かるわぁ。真菜子、お嬢ちゃん放してやれや。」


 その言葉に、真菜子と呼ばれた女は頷くと茉莉を解放した。彼女は命のやり取りに、冷や汗を流して鴨の傍まで走っていった。そして、怪しい男女と向い合せの状態になったのだった。


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