第12話 見つけて

「幸せでいてほしい、か。」


 夜、ベッドの中で茉莉は夜空を見上げながら呟いた。窓から漏れる月光が彼女の瞳を彩る。


 鴨が自身の幸を思ってくれていた事実には、悪い気はしない。しかし、茉莉はどうしてももう一度又三郎と話がしたかった。鴨の話から、モノノケが必ずしも悪の心を持っていると限らないと分かり、彼女は説得の余地があると踏んだのだ。


 このまま放っておいても又三郎達は人間を襲い続けるだろう。鴨がこの件を早急に片付けられるとも限らない。ならば茉莉はもう一度どうにかして猫兄弟に接触して、愚かな復讐をやめさせたかった。


 ふと床を見れば、持ち主はもういない猫用ブランケットが目につく。頭の中には数週間ともに過ごした子猫の姿が過る。もう一度、撫でてやりたい。茉莉はいつの間にか又三郎を茶々丸と重ねて見ていた。だからこそ、こんなにも又三郎に思い入れしてしまっているのだ。が、当の茶々丸はモノノケとなって茉莉を何度も助けてくれていた。茶々丸は死んでもずっと傍にいてくれた。故に、茉莉は猫兄弟を二匹のモノノケとして正しい道に導いてやりたかったのだ。


 猫兄弟と会い、説得する。そうと決まればどうやって彼らと再会しようか。茉莉は考えあぐねた。その時だった。


「ん?何の音?」


 ふと窓からノックのような音が聞こえた。茉莉はふとある一縷の望みにかけて、ベッドから出て窓を開けた。外は静寂そのもので怪しいものは何も見つからない。そこで横を見回してみた。


「又三郎?」


 窓の縁に、又三郎が腰かけていた。その髭はシュンと垂れ下がり、ただ浮かない瞳で地面を見つめている。


「茉莉…。」


 又三郎は茉莉の顔を見つめると、安堵の笑みを浮かべた。


「良かった、元気そうで安心したよ。」


「よくそんなこと言えたわね。」


 茉莉は彼を睨んでそっぽを向いた。無理もない、ほんの数時間前に裏切られ、殺される寸前になったのだ。恨み言の一つでも言いたくなる。


 又三郎は彼女の様子を察すると、再び俯いた。


「本当にごめん。兄ちゃんを止められなかったんだ。」


「ねぇ、君達二人は人間に殺されたから復讐なんてやっているの?」


 茉莉の問いに、又三郎はハッとして顔を上げた。図星だったようだ。


「どうして、それを知っているんだ?」


「私の上司がね、君達が死んだ事件が載っていた新聞記事を見せてくれたんだ。」


「…愛されてると思ってたんだよ、でも飼い主はそうじゃなかったみたい。」


 又三郎は自嘲気味に笑った。茉莉は窓に身を乗り出すと、彼の肩を手繰り寄せた。


「ねえ、復讐なんてやめなよ。こんなの、ただの八つ当たりよ。君達は何の罪もない人間達を殺しているんだよ?それを分かってるの?」


「やめたかったら、とっくにやめてるさ。」


 又三郎は茉莉の手を解くと、頭を抱えた。


「僕はただ、兄ちゃんと二人でいたいだけなんだ!殺された過去なんて捨ててさ。でも、兄ちゃんはずっと人間を恨んでる。僕に暴力を振るってまで、人間を襲わせようとするんだよ!モノノケダンスフロアの前で倒れたときだって、『人間を欺いて、連れてこい』って言われてボコボコにされたんだ。」


 その途端、又三郎は顔を覆って泣き出した。


「復讐なんてどうでもいい!家族で平和にいたいだけなのに、兄ちゃんはそうしてくれない。どうすればいいっていうんだ…。」


 『家族で平和に』。茉莉はその言葉に、ぎゅっと口をつぐんだ。それは茉莉も同じだった。両親と茶々丸とこれからも生きたかった。でも、その夢は目の前の猫とその兄に引き裂かれた。とはいえ、あちらも一筋縄ではいかない事情があるようだ。茉莉は素直に怒鳴る気持ちにはなれなかった。


 しかし、これ以上猫兄弟によって自身のような被害者を出すわけにはいかない。どうにかして二人には復讐をやめてもらわねばならない。


 そこで茉莉は顔を上げた。妙案が浮かんだのだ。


「又三郎、お兄さんは事件の犯人を捜してる?」


「え?うん、僕たちはずっと犯人を捜して色んなところを回ってきたんだ。」


「そう。じゃあさ、私が犯人を見つけたら君達は復讐をやめてくれる?」


 茉莉の言葉に、又三郎は目を見開いた。


「見つけるって?そんなの__。」


「無理な話だな。」


 その途端、第三者の声が響いた。二人は辺りを見回すと、ビル前の街頭の上に雪次郎が立っていた。


「兄ちゃん!?」


「小娘、馬鹿な話はよせ。俺達が17年間飼い主の匂いを追って探し続けてきて見つかっていないんだぞ?お前如きに何ができるっていうんだ?」


 雪次郎は嘲笑うように、茉莉を見つめた。彼女は眉をしかめると、雪次郎に指を向けた。


「今は手がかりはないけど、絶対に見つけてみせるよ!そうしたら、もう人殺しはやめてくれるよね?」


 茉莉の真剣な瞳に、雪次郎は黙って暫し考え込んだ。そして急に膝を打つと、不敵に笑いだした。


「ハハハハ、いいぞ!二週間だ、二週間くれてやる!その間に犯人を見つけて、今日の路地裏に連れてこい!成功できたら復讐はやめてやるよ。でも、もし失敗したら“お前の仲間”含めて全員八つ裂きにしてやる!」


「っく、分かったわよ。それでいこうじゃない!」


 茉莉の返答に、雪次郎は鼻を鳴らすと街頭からビルの屋根へと飛び移って走り去っていった。彼女は兄猫が去ったのを確認すると、窓の縁に項垂れた。


「はぁー、犯人見つけるって約束しちゃったぁ。」


 嘆く茉莉に、又三郎は苦々しく微笑んだ。


「本当に大丈夫?僕もできることがあったら手伝うよ。」


 子猫の気づかいに、少女は「ありがとう」と微笑んだ。


 ※


「それで、君は昨晩尋ねてきた化け猫達と犯人捜しの約束をしてしまったということだね?それに加えてモノノケダンスフロアの面子を危険に晒していると?」


「はい…。」

 

 翌朝。クリーピーのカウンターにて、同僚達に囲まれながら茉莉はそこに突っ伏していた。グラスを拭く鴨は、それを置くと大きな溜息をついた。


「全く、化け猫事件には首を突っ込むなって話したばかりだろう?」


「し、仕方ないですよ!」


 茉莉は椅子を勢いよく引いて立ち上がった。


「このままだったら、被害者がどんどん増えるだけです!マスターはそれでもいいんですか?」


「よくないよ。でも、無茶振りも駄目だ。茉莉ちゃんはどうやって犯人を見つけるつもりなんだい?手がかりはあるの?」


「そ、それは、又三郎からもらった情報が少し…。」


 昨晩、又三郎は去る前に茉莉にいくつか情報提供をした。まず第一に、彼ら兄弟は自分達を殺した飼い主についてよく覚えていないこと。生前、頭部を頻繁に殴打されていたため記憶があやふやになっているらしい。分かることは、『犯人は女性であること』、そして『キーちゃん』というあだ名があったこと。


 情報はたったのこれだけだ。茉莉はスズメの涙ほどの手がかりから犯人を捜さねばならない。内心、焦りでいっぱいの茉莉を察したのかお糸がこめかみを押さえた。


「やれやれ、仕様がない子だねぇ。できもしない約束なんてすんじゃないよ。」


「でも、決まったことならやるしかないでしょ?ね?マスター?」


 アッカはそう言うと、茉莉に向かってウィンクした。どうやら彼女は肩に持ってくれたようだ。鴨は観念したように、首を振った。


「仕方ないね。皆で協力して化け猫事件を解決しようか。」


 鴨の言葉に、茉莉は顔を輝かせた。そのとき、骸田が口をはさんだ。


「そういえば、オレのダチにゾンビがいるんだけど、そいつが住んでる墓地に夜な夜な怪しい奴が来るって話してた。」


「怪しい奴?どんな感じにですか?」


 茉莉は眉をひそめた。


「なんかその不審者は黒いコートを着てフードを被っててさ、すんげー死臭がする袋を抱えてきて墓地の空き地に埋めてるんだって。ダチがいうには、中身から“鼠とか猫の死体”が見えてたんだとさ。」


 最後の言葉に、その場にいる全員がぴくりと反応した。猫を惨殺するような人間だ。たとえ逮捕されてないにしも、同じような犯行をしでかす可能性は高い。それに、阿弥陀市は犯行現場がある県からそう遠くない距離にある。逮捕を恐れた犯人がこの町に逃げてきていてもおかしくない。


 茉莉はぐいぐいと骸田に近づいた。


「骸田さん!その墓地、是非とも行ってみたいです!案内してください!」


「え?べ、別にいいけ__。」


「その前に。」


 突然、鴨は茉莉の首根っこを掴んで引き寄せた。


「茉莉ちゃん、今日学校は?」


「あ…。」


 茉莉が掛け時計を見てみると、それは八時を指していた。あと30分で始業である。彼女は冷や汗を垂らすと、すぐさま横に置いていた通学鞄を持って駆け出した。そして去り際、骸田に向かって手を振った。


「骸田さーん!今晩、一緒に墓地まで行きましょうね!」


 それだけ言うと、茉莉はビルを駆け抜けていった。その後ろ姿を見ていたお糸は煙管を取り出して火をつけた。


「騒がしい子だよ、まったく。」


「でも、茉莉姉ちゃん、明るくなったよね?」


「確かに、隈が若干薄くなった気がするなぁ。」


 べらべらと談笑する従業員をよそに、鴨はうっすらと笑みを浮かべていた。茉莉の良好な変転に対して。


 昨日のいざこざから宮木と気まずくなっていた茉莉だが、別段二人は特に会話することもなく放課後になった。彼女は帰宅の用意をすると、図書室に向かった。化け物事件の捜査に有力な情報を得るためだ。


 図書室のスライド式のドアを開ければ、埃っぽい空気と紙の匂いが鼻についた。室内には数人の生徒と教員が一人いた。各々勉強するなり、読書するなり好きに過ごしている。


 茉莉はそろっと入室し、阿弥陀市の事件や歴史がまとめられているコーナーに向かった。うず高くそびえる本棚の前に立ってみるが、どのタイトルも事件の参考になりそうなものはなかった。  


「うーん、いいのないなぁ。」


「おっとっと。」


 そのとき後方で女性の声がし、茉莉は振り向いた。見るとそこには、眼鏡をかけた新任の化学の教師・松田が本を落して回収していた。茉莉も咄嗟にしゃがみ込んで手助けした。


「あぁ、悪いわね。えっと…。」


「四辻です、松田先生。」


「あぁ四辻さん。ありがとう。」


 お礼を言う松田に、茉莉は軽く会釈した。本を拾い終わった。それを返す前に表紙を見てみると、どれも小動物用の解剖書だった。


 化学の実験に使うのかな。茉莉は何とはなしに、松田に本を渡した。


「ごめんね、探し物の途中で。」


「いえいえ。それ、授業で使うのですか?」


「え?…。」


 茉莉の問いに、松田は目を丸くしたが次にはこくこくと首を振っていた。


「あぁ、そうなの。今度、生物との合同授業で解剖をやることになってね。」


「そうですか。」


 小動物、と聞いて茉莉は刹那に訝しんだが、どうやらやましいことには使わないようだ。茉莉は納得して、松田と別れた。その後も、夕暮れになるまで本棚を吟味したが得られたものは少なかった。


「帰ろう。」


 茉莉は鞄を抱えると、図書室を後にした。黄昏に染まる校舎を走っていると、職員室前で教師たちの話し声がした。なんとなく歩を緩めて、耳を澄ます。


「宮木先生、これ。」


「あぁ、いつもありがとうね。」


 どうやら宮木と松田が会話しているようだ。茉莉はそっと壁に隠れて、職員室前を覗いた。するとそこには、宮木に解剖書を渡す松田がいた。


「おかしいわ…。」


 宮木は数学教師だ。解剖書なんて必要ないはず?それを置いても、わざわざ松田に貸してもらう手間は必要か?茉莉が更に覗くと、気味の悪い笑みを浮かべる宮木が俯く松田の肩に手を置いていた。


「じゃあ、“弔い”もお願いね?お代はちゃんと振り込んどくから。」


「はい…。」


 弔い?茉莉は宮木の言葉に首を傾けた。一体、彼女は何を話しているのだろう。茉莉が疑心に囚われたとき、二人は解散して松田がこちらに向かって歩き出してきた。茉莉は急いで走り出した。なんだか聞いてはいけない会話だと直感で感じ取ったからだ。


 もしや化け猫事件と何か関係があるのかもしれない。一瞬、その思いが茉莉の脳裏によぎったがすぐに首を横に振った。そんな偶然あるわけない。第一、自分は一刻も早く帰宅して墓地に向かわねばならない。


 茉莉は校門まで一直線で走っていった。それを窓から見つめる担任の視線を知りもしないで。



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