第11話 彼がモノノケを愛するのは
「よし、手当ては終わったよ。他に怪我してるとこはない?」
茉莉はスタッフルームのソファに座らされ、包帯を巻かれていた。鴨は最後にきゅっと包帯を締めると、茉莉に向き直った。彼女は首を振った。
「大丈夫です。」
「そう、良かった。災難だったね。」
救急箱の片づけをしながら、鴨が呟いた。茉莉はソファの上に横たわった。
「又三郎が裏切者だったなんて…一体あの二匹は何で人を襲っているんでしょう?」
茉莉が尋ねると、鴨は胸元から古びた新聞紙を取り出して彼女に渡した。
「これは…。」
「君が生まれてなくて、僕が小さかったときのことだ。ある町で二匹の猫の惨殺死体が見つかったんだ。全国ニュースにもなったから、よく覚えているよ。」
鴨の衝撃の言葉に、茉莉は目を見開いた。そして次に新聞紙に目を落とした。それには『○○市猫虐待死事件』と題された記事が載っていた。
今から17年前、近郊の町はずれで二匹の三毛猫の死体が見つかった。猫たちは兄弟と見られ、死因は車による轢殺だったとのこと。兄弟の死体は損壊が激しかったが、首にはそれぞれ『雪次郎』と『又三郎』と書かれた首輪が巻かれていた。更に、死体には意図的につけられたと見られる傷跡が発見され、警察は人間による虐待が行われていたと確定した。
「犯人はまだ見つかってない。」
鴨が付け加えた。猫兄弟の残酷な死因に、茉莉は瞳にうっすらと膜が張った。
「人間に殺されたから、ずっと復讐を続けているんですかね?でも、どうしてこの阿弥陀市に?」
「色んなモノノケに聞いて手に入れた情報なんだけど、どうやら猫兄弟は色んな町を流れて犯人を捜しているらしい。その合間に無関係の人間に八つ当たりしていたようだ。」
八つ当たり、か。そう思うと茉莉は無性に腹が立ってきた。両親は兄弟の憂さ晴らしのために殺されたのか。やっぱりモノノケが両親を殺したんだ。茉莉は気づけば新聞紙をぐしゃっと握りしめていた。
「ふざけないでよ!なんで、そんな事情でお父さんとお母さんが死ななくちゃいけなかったの?何にも関係ないのに!やっぱりモノノケなんて大嫌い!」
大粒の涙を流しながら、茉莉はソファを何度も殴った。その手を鴨は掴んだ。
「茉莉ちゃん、落ち着いて。」
「落ち着いてなんていられないですよ!?モノノケも悪くないかもって、やっとわかったのに!これからどうやってモノノケを信じていけというんですか?」
「茉莉ちゃん…。」
「人間も信じれないのに、モノノケまでそうなら、もう私は独りぼっちの“気狂い”です…。」
そこまで言うと茉莉はソファに顔を突っ伏した。鴨がその頭を一瞬躊躇して、そして撫でた。その行為に、茉莉の緊張した肩が幾らか緩んだ。
「モノノケ全員が悪い奴じゃない。」
「本当にそう言えるんですか?」
「うん。」
鴨は立ちあがると、エプロンを外し、ブラウスを脱ぎ始めた。茉莉は焦って顔を背けた。
「き、急にどうしたんですか?」
「君にこれを見てほしくて。」
そう言うと彼はブラウスを取り払った生身の背を見せた。茉莉はゆっくりと顔をそれに向けると、唖然とした。
「その傷…。まさかモノノケに?」
鴨の背中には夥しい量のケロイドとなった鋭利な傷跡があった。一体、どんな人生
を辿ればこんなものが付くのだろうか。呆然とする茉莉に、鴨が首を振った。
「違うよ、これは人間、僕の家族につけられたものさ。僕の実家はね、神社だったんだよ、“モノノケを祓う専門”のね。」
※
鴨公宏は古く由緒ある『鴨神社』の家で誕生した。四人きょうだいの三番目として生まれ、神職の親類縁者に囲まれて育った。代々一族のほとんどがモノノケを視認でき、モノノケを絶対悪としてその根絶に努めている。
公宏も物心ついたときから、父母から刀を渡されモノノケを斬る鍛錬を施されてきた。他のきょうだい達は難なくモノノケに立ち向かえる一方で、公宏はいつまでたっても刃を振るえなかった。
ただ、可哀想だったからである。気味の悪い見た目をしている彼らだが、別段何か悪行をしでかした訳でもない。そんな無実潔白ともいえる生物を屠ることなど、公宏にはできなかったのだ。しかし、鴨家はそれを許さなかった。
「この異端児め!」
家の仕来りに背く人間など言語道断。鴨家の者は公宏をぞんざいに扱った。飯はきょうだい達とは違う納屋で腐りかけのものを食わせられ、服もボロボロの着物を渡された。ときには納屋に閉じ込められて学校に行かせてもらえなかったときもある。モノノケを殺せなかった度に、公宏への暴力や暴言は増えていった。
そんな公宏の拠り所は、モノノケ達であった。家の者に虐げられる彼を見て、モノノケ達はずっと彼の傍に寄り添っていた。時には飯を分け合って食べ、時には寒い納屋で身を寄り添い合って眠ったりもした。皆が彼を哀れんだからだ。
公宏はモノノケ達のことを愛していた。血が繋がっているにも関わらず、自身を痛めつける家族と違い、彼らは公宏を我が子のように愛してくれた。だからこそ、公宏はモノノケを殺すことなどできなかった。
しかし鴨家の者も、とうとう公宏に愛想を尽かした。
「公宏は失敗作だ。殺してしまおう。」
ある日、公宏は晩御飯に御馳走を出された。肉料理に、魚料理、デザートまである。普段から碌でもないような飯ばかりを食らう公宏にとって、その食卓は夢のようだった。遂に家族から認められた、モノノケも殺せない自分を愛してくれるようになった。そう思えたのだ。
しかし、箸を取って口をつけてみればどうだ。
「うっ!」
御馳走には毒が混ぜられていた。見た目にはそぐわない苦味。公宏は吐き気が止まらなくなり、納屋の畳に倒れた。足音がして顔を上げると両親が立っていた。
「お父さん、お母さん!助けて!」
幼い手を二人に差し伸べても、両親はただ公宏が死ぬのを今か今かと待ちわびるように彼を見つめていた。誰も助けてくれない。結局、自分は独りぼっちのまま死んでいくのだ。
公宏は力なく床に突っ伏した。誰か、助けて。ただそれだけを願って。
その時だった。
「公宏!死ぬな!」
聞き覚えのある声がしたと思えば、納屋の入り口にモノノケ達が立っていた。皆、公宏と親交のある者達である。両親はモノノケの出現に驚いて刀を抜いた。しかし彼らはそれに怯むことはせず、公宏に目がけて押し寄せてきた。何匹かは両親の猛攻で命を落としたが、生き残った者達は公宏を抱き上げて納屋の外に逃亡した。
モノノケに抱えられ、人生の檻であった神社の門を潜る。自分は解放されたのだ。公宏にはそう思えずにいられなかった。
その後彼は病院に届けられ、虐待が発覚した鴨家の者達は訴えられ、刑務所送りとなった。公宏は児童養護施設に入れられ、漸く普通の子供時代を手に入れた。友人もそこそこ作り、勉強にも熱心に取り組んだ。しかしその傍にいたのはいつもモノノケだった。
モノノケ達は施設に入った公宏に表立って会えずとも、陰に隠れて彼を見守っていた。彼もその視線を常に感じ取っていた。そうして成長していく中で、彼は何時からか自身の命の恩人であり、家族でもあるモノノケ達に恩返しをしたいと思うようになった。そして、遂にモノノケ達に寄り添い、居場所を与える「モノノケダンスフロア」を考案したのだ。
孤独だった自分を救ってくれたモノノケ達を独りにさせないために。
※
「マスターに、そんなことが…。」
曲がりなりにも尊敬する上司の驚愕の過去を知らされ、茉莉は目をパチクリとさせた。先ほどの話が本当なら、鴨の背中の傷は鴨家の虐待によるものだろう。しかし、モノノケがそんな絶望の最中にあった彼を救った。それなら彼のモノノケへの愛に納得がいく。
鴨はブラウスを羽織りながら、続けた。
「確かに、モノノケの中にも悪いのはいるさ。でも僕を助けてくれたような、善良な奴らもいるんだ。それは忘れないでね。」
「はい…。私、もう一度又三郎達と話し合いたいです。」
茉莉は顔を上げて、鴨を見つめた。
「話し合って、お願いしたいです。もう、こんなことはやめてと。確かに彼らが人間を憎む理由は分かります。でも、こんなことを続けさせてはダメです。彼らの思いを聞いて、説得したいです。いいでしょう?マスター。」
茉莉の懇願に、鴨は少し考え込んだ後首を振った。
「ダメだ、茉莉ちゃん。この件は危険だ。君はいつも通りの生活を送ってくれ。この化け猫事件は僕が何とかする。」
「でも_。」
「君のためだ。」
鴨は茉莉の両肩を優しく握った。そして眼鏡の奥の曇りなき眼で彼女を見た。
「君には辛い思いをした分、幸せでいてほしいんだ。これは上司からの命令だ、頼むよ。」
鴨の真剣な眼差しに、茉莉は頷かずにはいられなかった。たとえ、胸の中でどれだけ引っ掛かっていようと。
「今日はもう休んだ方がいい。おやすみ。」
「はい、失礼します、マスター。」
茉莉はソファから立ち上がると上司に一礼して、スタッフルームを後にした。そして小走りで階段を駆け上がっていった。
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