第10話 二匹の化け猫
翌日、茉莉はいつも通り学校を終えた。最近は鴨が弁当を作ってくれているおかげで、コンビニ弁当を食べずに済んでおり、体の調子が良い。
教科書を詰め終わった鞄を担ぎ、教室を出る。その瞬間、すぐに何者かに呼び止められた。
「四辻さん。」
「宮木先生?」
宮木は教室の扉付近に立っており、茉莉を見つけるや否や歩み寄ってきた。
「今から時間ある?」
「えっと、はい、大丈夫です。」
今日はモノノケダンスフロアは定休日だったはずだ。茉莉はそれを思い出して頷いた。宮木は満足そうに笑みを零した。
「そう。じゃあ、少しお話しない?」
宮木はニタニタと笑った。茉莉は断る理由もないが、担任の笑みが不気味に感じたので取り敢えず首を縦に振った。
「…分かりました。」
「そこに座って、今お茶を持ってくるから。」
茉莉は職員室近くにある講義室に案内され、革のソファに座らされた。宮木が茶を入れている間、茉莉は手持ち無沙汰に辺りを見回した。特に何の変哲もない教室の景色。茉莉は帰りたくて仕方なくなった。一体、何の話をされるのか。もしかしてモノノケダンスフロアの存在がバレてしまったのだろうか。
「どうぞ。」
宮木は茉莉の前に湯気がたつ湯呑を置いた。そして茉莉の向かいに腰を下ろした。茉莉はその湯呑を怪しんだが、宮木も茶を啜っていたため取り敢えず口つけた。
「それで、何の用ですか?先生。」
「あぁ、えっとね、四辻さんの人間関係について聞きたいなぁって。」
「人間関係?」
茉莉は眉をしかめた。どうやら宮木お得意のお節介タイムのようだ。茉莉はうんざりしたようにそっぽを向いた。
「別に、クラスの皆とは普通にやってますよ。」
「そう?先生ね、クラスメイトや他の先生から度々言われるの。『四辻さんが寂しそうにしてる。』って。だからね、四辻さんにお友達がいるのか知りたくて。もし、いなかったら先生が皆に呼びかけて四辻さんと仲良くなるようにして__!!」
宮木が言い終える前に、茉莉はテーブルを両手で叩いた。
「いい加減にしてください!私が一人でいようが、誰にも関係ないでしょう!?」
茉莉が学校で一人でいるのは、彼女自身がそう願っているからだ。クラスメイトをモノノケの脅威に巻き込まないため、そしてもう二度と「狂人」と呼ばれないため。周囲が茉莉に安い慈悲をかけようが、彼女には全て無意味なのだ。だからこそ、宮木の言動に酷く腹が立った。
打撃により、テーブルの上で茶が零れた。茉莉はハッとして、頭を下げた。
「えっと、すみません。大声出して。」
茉莉はポケットからハンカチを取り出して、急いでテーブルを拭いた。すると宮木が立ち上がって、茉莉の手を握った。
「いいのよ。誰しも他者には理解されない自分を持っているもの。辛いわよね、誰にも分かってもらえないって。先生も“よく”分かるわ。」
知ったような口で。どういう経緯か知らないが、宮木はきっと茉莉を自分に被せているのだろう。しかし茉莉の悩みは常人にも理解してもらえない、超常的なものだ。たかが一教師と同列にされては困る。
茉莉は宮木の手を振りほどいた。
「先生が何を言いたいのか分かりませんが、私は大丈夫です。私は一人でいいんです。」
茉莉はそれだけ言うと講義室を飛び出した。幾度か自身を呼び止める声がしたが、知らん振りをした。そしてそのまま玄関を駆け抜けていった。
校門まで来ると、一気に疲れがどっときた。肩で息をする。苛立ちや焦りで感情がぐちゃぐちゃだ。一体、明日からどうやって担任と向き合えばよいのか。茉莉は過ぎたことは仕方ないと、溜息をついて気持ちを落ち着かせた。その時だった。
「茉莉。」
「又三郎?」
モノノケ猫の声が聞こえたと思えば、校門の裏から又三郎がとぼとぼと歩いてきた。茉莉は彼に駆け寄ると、その頭を撫でた。
「又三郎?どうしてここに?」
「暇だから迎えに来た。マスターにも出かけるってちゃんと言っておいたから。」
それだけ言うと又三郎はこちらに背を向けて歩き出した。茉莉は子猫の計らいに先ほどまでの怒りを忘れて笑みが零れた。そして、その後ろに続いた。暫く無言でお互い歩く。道中、又三郎が立ち止まった。彼はぼうっと横を見つめている。茉莉もその方向を見れば、アイス屋のワゴンが止まっているのが見えた。
「アイス?食べたいの?」
茉莉の問いに、又三郎はこくっと頷いた。すると彼女は「いいよ。」と言って財布を取り出し、店員にバニラアイスとチョコミントアイスを頼んだ。茉莉は品を受け取ると、近くにあったベンチに座って又三郎にバニラアイスを渡した。
「はい。」
「ありがとう。」
そうして二人はぺろっとアイスを咀嚼した。ミントの爽やかさが喉を潤す。ふと又三郎を見てみると、夢中になってアイスを頬張っていた。
「又三郎って、アイス好きだったんだ。」
茉莉が微笑むと、彼は手を止めた。
「うん。アイスはなんだか懐かしいから。」
「ふーん。」
懐かしい、か。茉莉は、きっとアイスは又三郎の記憶のトリガーとなっているのだろうと思った。これは彼に記憶について問いただしてみる良い機会なのではないか。
「ねぇ、又三郎。本当に何も覚えてないの?」
茉莉の質問に、又三郎はただ黙ってアイスを舐めた。沈黙の時間が続く。このままでは埒が明かない。茉莉はそっぽを向いた。
「いいよ、無理に話さなくても。またちゃんと思い出せたときに_」
「茉莉はモノノケが好き?」
コーンに残った液体状のバニラアイスを見て、又三郎が答えた。それに対し、茉莉は小首を傾げたが、素直に答えた。
「え?ええと、今はそんなに嫌いじゃないけど。急にどうしたの?」
「じゃあさ、そのモノノケが人間を闇雲に殺していても、そのままでいられる?」
又三郎の声音が下がり、視線も落ちた。茉莉は尋常ではない彼の様子に眉をひそめた。
「又三郎?様子が変だよ?」
茉莉が顔を覗き込むと、次の瞬間には又三郎は顔を上げて笑みを見せた。
「何でもないよ!ちょっと驚かそうとしただけ!」
そう言うと又三郎はコーンを一飲みして「ごちそうさま。」と言った。ドッキリにしては悪趣味だ。茉莉は怪訝そうにしながら、自分もアイスを完食した。又三郎はベンチから飛び降りると、茉莉に向き直った。
「茉莉、ボクすっごくいい穴場を知ってるんだ!」
「穴場?」
「うん!猫たちが沢山いる路地裏なんだ。今ならモフり放題だよ!」
「モ、モフり放題!?」
モフり放題。動物好きな茉莉の心を射止めるには十分な言葉だ。彼女は鼻息を荒くさせると、ベンチから立ち上がった。
「ぜひとも案内して!」
同じころ、昼間の鴨はクリーピーのテーブルに大量の新聞紙を広げて一部ずつを観察していた。
「やっぱり、聞いたことがあるんだ。“又三郎”という名を。クソ、どこだ…。あった!」
鴨は目当ての新聞記事を発見した。古ぼけて黄ばんだそれを掴むと、ざっと目を通す。
「ふむ…っ、そういうことだったのか!まずい、茉莉ちゃんが危ない!」
鴨はそう叫ぶと、胸元から札を取り出した。
「ねぇ、又三郎?こっちで合ってるの?」
大通りを抜け、人気のない商店街付近まで来た茉莉は又三郎に聞いた。彼はこちらを振り返らずに、「大丈夫、合ってる。」と返した。一人と一匹はそのまま商店街の薄暗い路地裏に入り込んだ。ゴミが散乱し、足元が見えない空間に茉莉は背筋が寒くなった。
「やっぱりいいよ、私。ここ、なんだか不気味。」
その途端、路地裏の行き止まりに到着した。猫の姿などどこにもなく、ただビール瓶や汚れたチラシが散らばってるだけだ。痺れを切らした茉莉は又三郎の腕を掴んで引き返そうとした。しかし、彼は突然茉莉に振り返った。その目には涙が止めどなく溢れている。
「ごめん、ごめんなさい。茉莉。」
「又三郎!?」
茉莉は焦って、彼に触れようとした。その瞬間、又三郎は大声で叫んだ。
「“雪次郎兄ちゃん”!!人間を連れてきたよぉ!これで満足だろ!?」
そのとき、隣のビルの頂上から巨大な物体が飛び降りてきた。それは路地裏に勢いよく着地すると、二足歩行で立ち上がった。茉莉は目を開けると、そこにはあの黄昏時に見た片目に傷がある化け猫が仁王立ちしていた。
「ば、化け猫!?」
「でかしたぞ、又三郎!こいつは俺が仕留めそこなった女だ。」
茉莉は冷静に状況を整理した。又三郎がこの雪次郎という猫を「兄」と呼んだこ
とから、二匹は兄弟関係なのだろう。それなら同じ三毛猫という種も納得がいく。継ぎ接ぎという部分も、二匹が同じような理由で死亡したに違いない。二匹は何等かの動機で人間を襲っていると見れば、今の茉莉は完全に嵌められたわけだ。
「騙したわね、又三郎!友達だと思ってたのに!」
茉莉は子猫を睨みつけた。しかし又三郎はただ凍った眼でそっぽを向くだけだ。その時、雪次郎は手から鋭い爪を取り出し、茉莉の方に飛びかかってきた。
「きゃっ!!」
茉莉は寸出のところで、それを躱して後方の壁にぶつかった。頭部を強く打ち、膝から崩れた。
「っち、よけんじゃねぇ!!」
舌打ちをする雪次郎に、茉莉は痛む頭を押さえて叫んだ。
「なんなのよ、あんた達。何で人間に悪さするの?」
「復讐さ。」
鋭利な爪を伸ばしたり、縮めたりしながら雪次郎が答えた。
「俺達をこんな目に遭わせた人間という種に復讐してるだけさ。」
雪次郎は又三郎と自身の継ぎ接ぎだらけの体を示した。茉莉はその途端、自身が追い求める疑問が浮かんだ。
「去年辺りに、崖を走行していた人間の夫婦が事故死したことは知ってる?」
茉莉の問いに、雪次郎が人差し指で頬を掻いた。
「あぁ?ああ、あいつらか。ちょっと、驚かしたらハンドル切って落っこちていきやがったなぁ。お前、奴らのなんだ?娘か?」
その瞬間、異常なほど茉莉の呼吸は乱れた。それどころか全身の血液が沸騰するように煮えたぎっている。怒りだ。怒りが茉莉の心を埋め尽くそうとしている。
「よくも、よくもぉぉぉぉ!!」
茉莉はか弱い拳を雪次郎に向けた。しかし、それはいとも簡単に受け止められ、次の瞬間には首を掴まれていた。
「っく!」
「さあ、人間のガキ!いまここで死ね!」
ギリギリと首に力が入る。茉莉の呼吸は段々と細くなっていった。もう駄目だ、意識がもたない。その時だった。
「ワン!!」
「な、なんだ!?」
途端に犬の声がし、雪次郎の腕から茉莉は解放された。二、三回と咳き込んで顔を上げると、雪次郎に柴犬が嚙みついていた。柴犬の顔は見えないが、その頭部は潰されており赤い雫がポタポタと地面に滴っていた。それだけで茉莉には、犬の正体が分かった。
「茶々丸!!」
茉莉は愛犬の名を叫んだ。茶々丸は微かに反応してこちらを振り向こうとした。しかし、雪次郎が腕を振り払って茶々丸を投げ放った。
「こんのクソ犬がぁ!」
「クゥン!」
地面に投げつけられる茶々丸を見て、茉莉は嘆いた。その時、頭上から黒い巨大な羽が落ちてきた。
「見つけたぜ、マスター!嬢ちゃんだ。」
「助けにきたよ、茉莉ちゃん!」
上空から現れたのはカラス天狗とそれに乗る鴨だった。鴨は茉莉の動きを待つ間でもなく、彼女に接近するとその身を抱き上げた。
「モノノケビルまで戻ってくれ、カラス天狗。」
「待って、マスター!まだ茶々丸が!」
茉莉は鴨の腕の中でもがいた。離れていく地面を見れば、未だ茶々丸が雪次郎達と交戦中であった。愛する家族が自分の為に戻ってきてくれた。茉莉はそう思うだけで、茶々丸を抱きしめたくて仕方なくなった。しかし、鴨は首を振った。
「ダメだ!危険だよ。それに、君は怪我をしているんだよ。」
茉莉はそこで、自身の額から血が流れていることに気づいた。過保護な鴨の意見を曲げることは難しい。茉莉は大人しく、ビルまで運ばれていった。
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