第6話 モノノケ従業員たち
モノノケダンスフロアは水曜日、月曜日が定休日のナイトクラブだ。開店は夜8時から12時、その間モノノケの客たちはダンスをしたり、軽食と共に談笑したり快適に過ごしている。基本、モノノケなら無料で来店できるが、人間に化けて収入を得る者達が鴨に対して金銭的支援を行っている。それ以外は、クリーピーの利益からクラブの運営をしているらしい。
「そんなに働いていつ寝てるんですか?」
地下のスタッフルームにて、鴨から次々に渡される従業員服を試着しながら茉莉は聞いた。
「さぁ、暇を見つけては2、3時間仮眠を取ってるぐらいかな。」
「死にますよ?」
「構わないさ、僕はモノノケのためならなんだってやる。それより、今度はこっちのメイド風衣装はどうかな?」
次々と積まれていく服の山を見て、茉莉はウンザリした顔をした。
「もう、シンプルな奴でいいですよ!ていうか、私高校生なのに酒類提供する店で働いてもいいんですか?」
その時、鴨は親指を立ててはにかんだ。
「モーマンタイ。うちは行政非公認の店だからバレなきゃOK!」
「そういう問題?…。」
「実はダンスフロアまでの階段も入り口も結界をかけて、常人には見えないようにしているんだ。だからひっそりと営業しているんだよ。あ、この蝶ネクタイにベストなんてどう?」
鴨は両手にウェイター風の衣装を掲げた。赤いネクタイのそのコーデは如何にも給仕というシンボルである。茉莉は取り敢えずそれを受け取って、試着した。
着替えブースから出て、姿見の前に立てば少女の茉莉も幾分かは大人びて見えた。これにしよう、茉莉はクルリとターンしてみて決断した。鴨は満足そうに拍手した。
「似合ってるよ。それにするかい?」
「はい、これがいいです。」
鴨はそう言うと、茉莉に近づいてその襟や裾を正した。無駄に整った顔が近づき、彼女はそっぽを向いた。その途端、鴨は何かに気づいたように顔を上げた。
「そういえば、茉莉ちゃん。独りって言ってたけど、他に保護者はいるの?」
「いえ、親戚とも疎遠なので。生活の方は、両親の貯金を崩してやりくりしてます。」
茉莉の返答に、鴨は少し首を捻ると閃いたかのようにハッとした。
「じゃあ、うちに住むかい?」
「はぁ!?」
男の提案に、茉莉は大声を出した。
「そ、そ、それって同居ってこ__。」
「実はこのビルの三階が空いててさぁ。僕は二階しか使わないし、勿体ないって思ってたんだよ。それに、君も頼れる人が近くにいた方がいいでしょ?あとクラブ後に女の子に夜歩きさせる訳にもいかないし。」
いつの間にか自身を保護者認定していた鴨に少し呆れる茉莉だったが、彼女としても勤務のために真夜中に出歩くのは気が引けた。それに、独りぼっちだった茉莉は少しでも誰かに傍にいてほしかった。たとえそれが、モノノケ好きの変人でも。
「うーん、悪くないですけど。」
「じゃあ決まりだね!後で三階の鍵渡すから好きに使っていいよ。あ、引っ越し準備とか必要だね。」
何かぶつぶつと呟く鴨に対し、茉莉はどこか流されている気がしてじりじりした。その時だった。
「ちょっと!マスター、昨夜カッパの奴がまたセクハラしてきたよ!慰謝料請求しといておくれ!」
色っぽい女の声がスタッフルームに響く。しかしここには茉莉達二人しかいなく、ドアの開く音はしなかった。茉莉は声の方向を見た。天井だ。見ればそこには女性が張り付いていた。いや、ただの女性ではない。その腰から先は巨大な蜘蛛の節足が付いている。天井の板が外れていることから、そこから侵入したのだろう。
「やぁ、“お糸さん”じゃないか!」
「ぎゃぁぁぁぁ!!蜘蛛!?蜘蛛じゃん!?いや女?いやいや蜘蛛!?」
人並みに虫が嫌いな茉莉はきゃんきゃん叫び、鴨の背に張り付いた。今までそれなりに気味の悪いモノノケを見たことがあるが、虫だけは例外だ。どうあがいても本能が拒否をする。
お糸と呼ばれた女郎蜘蛛は眉をしかめて、茉莉を見た。
「なんだい?この子猫ちゃんは?」
「昨日話してた新入りの四辻茉莉ちゃんだよ。覚えてない?」
「あぁ!あのビビッて逃げちまった娘だねぇ?」
お糸はぴんと来て手を叩くと、そのままズルズルと壁を器用に降りて。鴨たちの前に来た。茉莉はこっそりとモノノケを観察した。お糸は身長は大柄な男性ぐらいあり、胸がはだけた煽情的な着物の下には光沢がある闇色の蜘蛛足を持っていた。顔は色気を含んだ美顔であるが、その額には眼が左右に三つずつ浮かんでいる。
明らかな人外の風体に茉莉が震えていると、お糸は彼女を覗き込んだ。
「かわいい子じゃない、ちょこっと辛気臭い顔してるけど。」
「あんまり、怖がらせないでね。この子、モノノケが苦手なんだ。」
「そうかい、そうかい。悪かったねぇ、嬢ちゃん。アタシは女郎蜘蛛のお糸だよ。」
お糸はそう言うと、蜘蛛の表皮に包まれた手で艶めかしく髪を払った。
「そして何より、モノノケダンスフロアのパフォーマーさ!ポールダンスからスウィングまでお手の物!歌に関しちゃあ、アタシの右に出るものなし!でもお触りは厳禁よ。」
「誰が触りますか…。」
「なんか言ったかい!?」
きっとこちらを睨みつけるお糸に、茉莉は限界まで首を横に振った。その途端、お糸はハッとして鴨に向き直った。
「そういやマスター、骸田が探してたよ?新作のスープができたって。」
「そうなのかい!試食しに行かせてもらおう。」
「あの、骸田さんって?」
「クラブの厨房を担当するコックだよ。あの人の料理は絶品だよ。おいで、紹介しよう。」
そう言うと鴨はスタッフルームから出て、茉莉を厨房室前まで連れてきた。入室前に、茉莉は躊躇した。
「あの、その人もモノノケなんですか?」
「勿論!人間のスタッフは僕しかいないよ。いい人だよ?スケルトンなんだ。まぁ百聞は一見に如かず。」
鴨はドアを開け放った。そのとき、茉莉は飛び込んできた光景に唖然とした。
「あ、マスターさんだぁ!」
厨房のコンロには大鍋が置かれており、その中には額に布巾を乗せた骨格模型が煮込まれている。いや模型じゃない、微かに骨が動いている?ていうか、なんか鼻歌歌ってる!?
「あ、あれ、骨が動いて…。」
「スケルトンだからね。骸田さん、スープの味はどう?」
鴨が呼びかけると、骸田と呼ばれたそれはスプーンを取り出し、自身を煮込む煮汁を飲んだ。
「今度はトマトスープだよ。オレの出汁とコンソメがよく効いてる。」
「へぇ、美味しそう!」
「いや、いやいや衛生観念は!?」
カラカラ喋る頭蓋骨と暢気に笑う店長という異様な光景に、茉莉はどこから突っ込めばいいのか分からなかった。そのとき、骸田が茉莉の存在に気づいた。
「あれぇ?その人間のお嬢さんは?」
「あぁ、こちらは新入りのスタッフになる茉莉ちゃん。ほら、茉莉ちゃん、ご挨拶。」
鴨に急かされ、茉莉はぐつぐつ煮える鍋の前に出た。骨の前で挨拶など、前代未聞だ。
「四辻茉莉です。よろしくお願いします…。」
「オレは骸田だよ!宜しくねぇ。」
鍋から骨の手を出され、茉莉はそろそろと握った。その途端、ガシャンと音を立てて骨が崩れ去った。茉莉は固まり、真っ白になった。
「っぎゃぁぁぁぁぁ!!」
「あ、悪い悪い。最近、安い接着剤に変えたから取れやすいんだ。」
茉莉は散らばった骨を見て、後ずさりした。その途端、何者かが横を突き抜けてきた。
「もぉぉぉ!骸田さんったら、またキッチンを汚して!」
甲高い幼女の声がしたと思ったら、目の前にマスクをつけた小柄な清掃員が立っていた。清掃員は箒と塵取りを用いて、骸田の骨を回収し始めた。
「この人は?」
「清掃係のアッカちゃんだ。」
「ん?マスターじゃん!」
アッカと呼ばれた清掃員は手を止めるとこちらを振り返った。顔は綿マスクで覆われているが、ツインテールをしたその童顔は人間とそう大差ない。
「この子、人間じゃないんですか?」
「はは、違うよ。アッカちゃんは“垢嘗”っていうモノノケだよ。」
「あかなめ?」
「お姉ちゃん、垢嘗を知らないの?」
アッカは首を傾げると、クスクス笑って自身のマスクを下げた。
「見せてあげる!アッカはね、こうやって垢を舐めとるのが大好きなんだ!」
その時、アッカの口元から巨大な舌が飛び出した。触手の如きそれは、厨房のシンクにまで伸び、その表面をれろっと舐め始めた。
「うへぇー。」
茉莉はどこか気分が悪くなり、口を押えた。
「え、衛生観念は…。」
「大丈夫!アッカの舐めた後は綺麗になるから!」
あどけない顔で親指を立てるアッカに、茉莉は苦笑した。正直、彼女はついていけなくなった。今までモノノケとここまで深く関わることがなかったからだ。やけに鮮明な夢を見たように、人は非現実と応対すると疲弊するものだ。茉莉は何だか立ち眩みがして、ふらついた。鴨は慌てて、彼女を支えた。
「おっと、大丈夫?」
「へ、平気です。今は…。」
「これから先、やっていけるかい?」
鴨からの問いに、茉莉は姿勢を正した。いくら怖くても彼女はモノノケダンスフロアで働く決心は曲げるつもりはない。もう決めたのだ。このモノノケダンスフロアで居場所を作り、今まで遠ざけてきたモノノケを理解してみせると。
「問題ないです!まだまだひよっこですが、立派なスタッフになってみせます!」
「そう、良かった。」
鴨は満足そうに笑みをこぼした。そのとき、茉莉はある質問が浮かんだ。
「ところで、私の前に働いてた人はどうして辞めちゃったんですか?」
「あぁ、小林君か。」
「食中毒になったの!」
「え?」
溌剌と答えるアッカに、茉莉は呆気に取られた。すると骸田が続いた。
「豆腐小僧に消費期限切れの豆腐を貰って、入院しちゃったんだ。」
前任者の衝撃の退職理由に、茉莉は固まった。先ほどの鴨の問いに対して、ほんの少し首を振りたい気分になったのだった。
「えぇ...」
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