第5話 独りぼっちの決意
クリーピーの店内は至って普通の純喫茶だった。テーブルが三つと、観葉植物が置かれたカウンター。カウンターの裏にあるキッチンは銀で統一されており、洒落た調理道具が置かれていた。
茉莉はキョロキョロと店内を見回すと、鴨はカウンターの椅子を引いて、手招きした。
「座って、茉莉ちゃん。」
ちゃん付けに慣れていない茉莉は、肩を震わせると大人しく席に着いた。すると鴨はキッチンに立ってお湯を沸かし始めた。
「お代はサービスするよ。コーヒーかココア、どっちがいい?」
「コーヒーで。」
この男に子供扱いされるのは何だか癪に障る。そう思って茉莉は咄嗟に答えたが、本当は大の甘党であり、苦いものは大嫌いであった。
鴨は注文を承ると、コーヒー豆を挽きはじめた。茉莉は頬杖をついてそれを眺めると、ふと口を開いた。
「鴨さんって、一体何者なんですか?」
「何者、かぁ。」
鴨は顎に手を当てて考え込んだ。
「夜はモノノケダンスフロアのオーナー、昼は喫茶店のマスターかな?あ、喫茶店は趣味でやってるんだ。」
「説明不足ですよ!第一、モノノケダンスフロアって何ですか?化け物のダンスクラブなんか作って何がしたいんですか?」
「…そうだね、僕はモノノケが好きなんだよ。」
「好きって、変わった人。」
「ハハ、そう言われるのも無理ないね。はい、コーヒー。」
鴨は笑うと、いつの間にか出来上がったコーヒーを茉莉の前に置いた。湯気が立つそれは、好事家の心を射止めるには十分なほど香ばしい匂いがする。茉莉は「いただきます。」と恐る恐る飲んだ。
「どう?その豆、コロンビアから取り寄せたんだ。」
「苦い、兎に角苦い。」
べっと舌を出す茉莉に、鴨は苦笑してシュガースティックとクリームを渡した。
「次からココアにするね。」
「別に、いいです。それより、さっきのモノノケが好きって…。」
「うん、僕はモノノケが好きさ。とてもね。だからこそ、彼らを独りぼっちにさせないためにダンスクラブを経営してるんだ。」
「独りぼっち?」
茉莉は首を傾げた。鴨はコーヒーカップを磨き始めた。
「茉莉ちゃんはさ、モノノケ達の“最期”は知ってる?」
「最期?」
「古来からモノノケという存在はいたんだ。彼らは人間の恨みつらみ、思念や思想から生まれた存在だ。モノノケ達が生きるには、人にその姿や存在を認識してもらわなくちゃいけない。そうだな、江戸から明治、昭和初期ぐらいにはモノノケは繁栄していたよ。でも、時代が進む度に彼らを知る人・信じる人が減ってしまった。人の記憶から消えたモノノケは最後、姿形もなくこの世から抹消されてしまう。」
「消えちゃうんだ…。」
茉莉はコーヒーの水面を見つめた。今までは疎くて仕方なかったモノノケだが、彼らも儚い生涯を背負っていると考えるといたたまれなくなった。
「おまけにモノノケが見える人は限られている。マイノリティって奴だね。これから先、モノノケを信じる人も見える人も減り続けるだろう。そうすればモノノケ達は仲間を減らし、独りぼっちになってしまう。中には人間に化けて暮らす奴もいるけど、真の姿は隠さないといけない。だからこそ、だ。」
途端、オーブンから音が鳴った。鴨はミトンを付けて、そこから鉄板を取り出した。その上にあったのはこんがり焼けたピンク色のシフォンケーキだった。
「美味しそう。」
「待っててね、粉糖かけるから。」
鴨は網と砂糖袋を取り出し、ケーキに雪を降らせた。そして一切れ切り出すと、茉莉の前に置いた。
「クリーピーの名物、ストロベリーシフォンケーキだ。召し上がれ。」
「い、いただきます。」
茉莉は渡されたフォークでケーキを掬い、咀嚼した。ほんのりとしたイチゴ味が口に溶ける。
「美味しい!!」
「ふふ、自信作だからね。」
鴨は綻ぶと、少女を見て話を続けた。
「だからこそ、僕はモノノケ達が自分らしくいられて、気軽に交流できるダンスクラブを作ったのさ。」
茉莉はフォークの手を止めると、青年を見つめた。
「何で、ダンスクラブなんですか?」
鴨の言い分は分かる。彼はモノノケを愛しているから、彼らを孤立させないようにしているのだろう。でも、他にも方法はあったんじゃないか?ほら、料理クラブとか。
鴨はキョトンとすると、次には格好つけて茉莉を指さした。
「僕の嗜好さ!」
「単純…。」
「手厳しいね。ダンスはいいよ?自己表現とストレス発散の極限値だ。」
「なに言ってるか分かりません。」
茉莉はシフォンケーキを再び口に入れた。鴨は彼女の冷めた様子に、苦笑すると何かを思い出したかのように口を開いた。
「そういえばさ、君はなんで廃ビルの屋上にいたの?」
「っつ…。」
突発的な質問に、茉莉はむせた。慌てて水を差しだす鴨からそれを受け取ると、一気飲みした。鴨は慌てて、ぶんぶんと手を振った。
「ごめんね!無理して話さなくても…。」
「…死のうとしてたんです。」
茉莉はカウンターの木目を見つめた。ざわつく心を抑えるために。彼女は今更隠す
理由もないと悟ったのだ。それに、今は胸のわだかまりを誰かに打ち明けたかった。モノノケに苦しめられた人生を誰かに知ってもらいたかったのだ。
彼女はそのまま続けた。
「私、小さい頃からモノノケが見えてて。それでお父さんやお母さん以外の人からは、頭がおかしい子だってずっと扱われてきたんです。」
視界が曇る。少女の双眼からは雫が零れだしてきた。
「友達もいなくて、親戚にも避けられて。でも、両親だけは味方だったんです。ペットの柴犬の茶々丸も。私は家族さえいれば、寂しさなんてどうでもよかったんです!でも…。」
ついに茉莉は顔を覆った。
「でも、お父さんもお母さんも去年、事故で死んじゃったんです。茶々丸もこの前、私の目の前で車に轢かれて…。それから、ずっと夜も眠れなくて。もしかしたら、モノノケさえ見えなければ、独りじゃなかったのかなって思ったら、死にたくてしょうがなくなって…。」
そこまで言うと、茉莉は視界に白いものを捉えた。顔を上げれば、鴨がタオルを彼女の頬に当てていた。涙を拭ってくれているようだ。
「鴨さん…。」
「でも茉莉ちゃん、君はいま生きてるじゃないか。」
「…なんで、あのとき私を助けたんですか?」
茉莉は目を伏せた。あの夜、鴨は自分の手を取ってくれた。一体、何故。
「君が、助けてほしいって顔をしていたからさ。」
鴨は素直に答えた。
「昨夜、僕はモノノケを探していたんだ。僕は彼らを捕まえては、モノノケ達が人間を傷つけないように、彼らを使い魔にして無害化するように命令しているんだよ。暫く夜の街を闊歩していたら、廃ビルの辺りに人魂を見つけた。それを追いかけたら、君がいたんだ。凄く、凄く寂しそうだった。全てを諦めたかのように見えて、でもどこか救いを求めていそうだった。だから、僕は君をダンスに誘ったのさ。それに、丁度ダンスクラブの新入りを探していたしね。」
茉莉はそこまで聞いて、俯いた。鴨は思ったよりも、茉莉の本心を理解していた。彼女の孤独のSOSを受け取ってくれていたようだ。その途端、どこか目の前の男に対して、疑念の曇り空が晴れていく気分になった。
鴨は少女の表情が和らぐのを見て、彼女に手を差し伸べた。
「モノノケダンスフロアのモットーは『独りぼっちにさせない』だ。茉莉ちゃん、働いてみないかい?モノノケだらけのダンスクラブで。悪い奴らじゃないよ。皆、君を歓迎してくれてる。君を独りになんかさせない。それに、モノノケに対する考え方も変わるかもしれないよ?」
茉莉はその掌を見つめた。ふと、昨夜の光景がちらつく。死から夜空への旅を誘ったその手。彼女は、この男なら自分を変えてくれるかもしれない、独りぼっちじゃないモノノケとの未来へ導いてくれるかもしれないと確信した。その時、茉莉は自ら青年の手を取った。刹那に躊躇し、そして柔く握った。
「分かりました。私、やってみます。もう独りぼっちなんかイヤですから。」
隈に覆われた瞳の奥に、彼女は焔を燃やした。鴨は満足そうに笑うと、両手を大きく広げた。
「さあて、そうと決まればやることは沢山だ。手始めに君にはカクテルの作り方、あと掃除も軽食の調理法や接客も教授しないとね。」
「はぁ!?そんなにやるんですか!?」
「当たり前だよ、さぁ来て。先ずは君にピッタリの従業員服を選ばないと!」
鴨はそう言うと、茉莉の手をぐいぐい引っ張った。大人しく連れられる彼女は、その繋がれた手にほんのりと紅潮したのだった。
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