第8話

「やっと会えた」

 内海はロープを抱きしめる。

「私ね、引越し先、頑張って探したよ」

 その発言は恋する乙女のものだが、発言者の内海は、そのようなロマンチックさとはかけ離れた姿をしていた。

 細長い三日月のようにつり上がった口からは涎を垂らし、焦点の合わない目は血走っている。


 腰が抜けた相原は、へなへなとその場に座り込み、助けてじいちゃん、と小声で呟く。

 その間も、十字架は握りしめたままだ。


 相原のことなど気に留めず、内海はロープに向かって話しかける。

「私達の邪魔をしたあの毒親どもがね、なかなか居場所を話してくれなくて、迎えに来るのが遅れちゃった。もう少し早く居場所が分かれば、身体がある状態でお話できたのにね」


 そう言いながら、内海は慣れた手つきでロープを結ぶ。

「私もそっちに行くから」

 あっという間に、首を括る輪が出来ていた。


 内海は、ロフトに上がる梯子に足をかけ、そのまましばらく動きを止めた。

 不気味な笑い声を出しながら、ゆらゆらと首を左右に揺らす。


 相原は、言葉にできない声を漏らしながら、ゆっくりと立ち上がった。

 内海とロープを視界に入れながら、玄関に向かって後ろ向きに歩き出す。


 残り5歩程下がればドアに手がかけられる場所まで下がったところで、相原の足に何かが絡まり、バランスを崩した。

 体勢を整えることができる訳もなく、相原は尻もちをつく。

 手から十字架が滑り落ちる音が聞こえた。


 じいちゃんのお守り、どこ行った?


 眼球を動かしつつ、手探りで周辺を探すが、十字架は見つからない。

 少し右側に伸ばした相原の右手が、金属ではない何かが触れた。

 子どもの腕くらいはある太さの、やけに太いロープだ。

 思考がまとまらないまま、相原はロープを持ち上げたが、やけに重い。

 ロープの先端が重力に逆らい、相原の顔に向かって伸びていく。

 もちろん、それはロープではない。


「へ、び?」


 いつの間にか、笑い声が止まっていた。

 代わりに、相原の叫びが響き渡る。


 蛇の牙が相原に刺さる直前、相原の身体が発光した。


 光は徐々に大きくなり、室内を包み込む。

 光が消える頃には、ロープも蛇も消え、佳月と内海、そして相原だけが残った。



 佳月が目を開けると、目の前は真っ暗だった。

 目が慣れてくると、心配そうに見つめる相原の顔を確認することができた。


「佳月さん!」

 子どものように泣きじゃくる相原を、佳月は無心で見つめる。

「佳月さん、もしかして、僕の名前分かりませんか?」

 佳月は口を開くが、何も発することはない。

 しばらくパクパクと口を動かしたが、動かすのを止めた。


「ひどいよ神様」

 相原はぼそりと呟くと、ゆっくりと立ち上がる。

「連絡。とりあえず、会社に連絡しないと」

 相原は胸ポケットから、スマホを取り出す。

 画面を操作する相原の後ろから手が伸びる。

 内海のその手は、まっすぐ相原の首を狙っていた。


 床に倒れる。

 相原は必死に、首を締める手を離そうとする。

 掻きむしるように。指を離すように。

 馬乗りになっている内海の腕を掴んでも離せない。女の力とは思えない強さだ。


 もうダメかも、じいちゃん。

 抵抗をやめ、瞼を閉じようとする相原の目は、何かが内海の頭に当たるのを捉えた。


 シャチ……?


 そういや、今日どこかでシャチを見たような気がする。

 どこで見たか思い出している間に、相原の意識が途絶えた。

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