第6話

「この物件の向かい側にパン屋さんがありまして。私、たまに買いに行っているんです。仕事場に近いし、美味しいですよ」


 佳月が先頭を歩き、相原と内海が並んで歩く。

 今朝の怯える様子はどこへやら、相原は流暢に話を進める。

 物件周辺の環境に関する情報は、相原に渡した書類に書いてあったものばかりだ。

 相原の口から問題発言が出る前に、話の主導権を手元に戻したい佳月だが、2人の会話が弾んでしまい、入り込む隙がない。


 まさかここまでひどいとは思わなかった。

 遅刻に加え、問題発言まで。内見が終わったら説教せねば。

 佳月は、笑顔の裏に憤りを隠しながら、内見先まで歩いた。


「こちらになります。人気の角部屋ですね」

 内見先の物件まで到着し、佳月は鍵を開ける。


 梅雨時期、更には角部屋で窓も多いということもあり、18時を過ぎても室内は内見に支障がない程度の明るさだった。

 カバンに忍ばせている懐中電灯の出番はなさそうだ。


 玄関には、使い捨てのスリッパが3足並んでいる。

 昼間、佳月が軽く掃除をし、準備をしたものだ。

「スリッパをご用意しておりますので、良ければご利用ください」

 佳月はそう言って、スリッパを履く。

 内海はゆっくりと靴を脱ぎ、スリッパに足を通す。

 内海が履き終わったことを確認すると、佳月は玄関に1番近いキッチンに近づいた。


「キッチンはIHで――」

 佳月が説明を始めた途端、玄関のドアが大きな音を立て、勢いよく閉まった。

 佳月は玄関に立つ相原を睨みつけるが、相原は泣きそうな顔をしながら首を横に振る。


「失礼しました。風ですかね?」

 まずいぞ。ただでさえ契約に結びつく可能性が低いのに。こんなアクシデントを起こすなんて。

 佳月は空笑いを浮かべながら内海の様子を確認する。

 佳月の予想とは裏腹に、内海は無表情だった。

 おかしいのは表情だけではない。内海の雰囲気もガラリと変わっていた。


 来店時から物件に向かうまでは、間違いなく柔らかい雰囲気だった。

 だが、今は張り詰め、近寄り難い。


 やはり、瑕疵物件ということを見逃していたのだろうか。

 でも店舗で、瑕疵物件ということには触れたんだが。

 くそ、急にドアが閉まるもんだから怖がってるんじゃないか……?


 思考が堂々巡りになり、佳月は一旦考えるのをやめた。

 契約に繋げるのは諦め、手早く内見を終わらせよう。


 浴室、トイレと、入り口に近い部分から案内する。

 築年数が浅いこともあり、設備は充実している。

 設備についても説明を入れるが、内海は何も言わず、相原は不安気に辺りを見回しながら最後尾を付いてくるだけだ。


 客に変な気を起こす気が無くなったのは助かるが、1番重要なのは内見の勉強だ。ちゃんと勉強出来てるのか相原は。

 帰ってから叱る内容を考えながら、奥へと進む。


 2部屋あるうちの1つ。

 前住人が首を吊った、ロフトがある部屋だ。


 3人の視線が1点に集中する。

「か、佳月さん……」

 相原の声が震えている。

「いや、俺じゃない」

 佳月も、驚きを隠せなかった。


 ロフトには金属製の手すりがついており、そこから、ロープが垂れ下がっていた。

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