第5話

「ダメだ、電話に出ない」

 佳月は、スマホの画面に表示された赤いボタンをタップし、通話を終了させた。スマホを机に置き、頭を抱える。

「少なくとも、私は見てないわ。店舗の方には来てないはず」

 山崎も、不安そうな顔で佳月を見つめる。

「別に大きな音がした訳でもないし、変な事件じゃないはずだけど……」

「まったく、どこ行ったんだ」


「佳月クンと山崎クン、揃ってどうしたのさ?」

 小柄な男が、事務室から顔を覗かせた。片手には、膨らむ前のビニール浮き輪とポンプを持っている。

「社長、お疲れ様です」

 普段の佳月であれば、まずビニール浮き輪について言及するところだが、緊急事態の今、そんな余裕はなかった。

「内見前に暗い顔しちゃダメだよ? 相原クンの見本にならないからね」

「それが……」

 相原と連絡が取れないことを伝えようとしたその時、勢いよくドアが開いた。それと同時に、店舗のチャイムが鳴る。

「あ、お客様だ」

 山崎は、急ぎ足で店舗へ向かう。

「相原……」

 佳月は、息を切らす相原を睨みつけた後深呼吸をし、店舗へと向かった。


 息を切らしながら事務室に入ろうとする相原を、社長が止める。

「とりあえず、水飲んでから店舗においで。佳月クンには私からも言っておくから」



 佳月が店舗に着いた時、応対スペースには小柄な女性が座っていた。

 すれ違い様に、山崎は耳打ちをする。

「内見の方です」

 小さく頷いて、佳月は女性に向かって歩いていく。その顔には、先程の怒りも心配そうな表情も見られない。


「お待たせ致しました。内海様でお間違いないでしょうか」

「はい、内海です。よろしくお願いします」

 内海は小さく頭を下げた。


 内海は、幼さのある明るい声とは裏腹に、内海は大人びた服装をしていた。

 シンプルなブラウスに花柄のフレアスカートを履いた姿は、背伸びをしているようにも思える。


 内見の確認をしていると、事務室から相原が出てきた。佳月の横に立つタイミングで、内海に紹介をする。

「本日ですが、私ともう1人、こちらの相原が担当致します」

「相原です。よろしくお願いいたします」

 数分前に息を切らして戻ってきた男とは思えないな。

 微笑みを浮かべ頭を下げる相原を見ながら、佳月は苦笑した。


 案内も終わり、目的の物件へと向かうことになった。

「あ、その、お手洗い借りていいですか?」

「ええ、こちら――」

「入口横のドアがお手洗いになります。白いドアのところですね」

 相原は、佳月の案内に割り込んだ。佳月は面食らってしまうが、相原は全く気づいていない。


 内海がトイレの中に入るのを確認し、佳月は小声で、

「色々言いたいことはあるが、そこまで出てこなくていい。今日はあくまでも同行だ」

「わかりました。それにしても佳月さん。あのお客さん可愛くないですか」

「相原、お前」

 相原の浮ついた返答に、佳月は殴り掛かりたくなるのを止めるのが精一杯だった。

「ストーカーになった日には、この業界にはいられないからな。絶対いられなくしてやるからな。覚悟しとけよ」

「ストーカーはしませんよ。連絡先交換出来ないかなぁ」

 相原の浮ついた顔に、佳月は絶句することしか出来なかった。

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