第4話

 相原は、朝から冷や汗をかいていた。


 古臭い上司、佳月からの予定変更は覚えていた。

 夕方から内見の同行だ。


 今日の同行で、2回目の内見となる。

 1回目の同行前、嫌になるくらい内見のイロハを叩き込まれた相原は、不明な所を確認するだけと高を括っていた。

 それも朝、出社して佳月に会うまでだ。


 うすら笑いを浮かべた佳月から書類を受け取り、頭が真っ白になった。


 心理的瑕疵物件。

 その後には括弧書きで丁寧に、死因まで書いてある。

 ロフトにロープを縛り、首吊り自殺だそうだ。


 こんなすぐ、事故物件に出会うなんて考えてないって。しかもなんで自殺なんだ。

 あのヅラジジイめ、恨むぞ。

 相原は、機嫌よく自分のデスクに戻る上司の後ろ姿を目をうるませながら睨みつけた。


 朝礼が終わり、佳月は荷物を持って外出した。

 山崎は契約があるからと、書類を持って店舗へ向かい、事務室に残ったのは相原ただ1人だった。


 真剣に、書類に目を通す。


 内見の流れとしては、18時に内見希望者の内海が訪問、3人で歩いて物件まで向かう。

 内見終了後はその場で解散。契約まで進む場合は後日予約を取り直すと書いてある。


 段取り以外には、間取り、アピールポイント、設備から始まり、心理的瑕疵物件で聞かれやすいポイントなどが、画像や表、箇条書きで分かりやすくまとめてある。

 説教くさく、昔話をしたがる佳月に嫌気が差している相原だが、几帳面で重要なポイントをまとめる能力だけは尊敬していた。

 書類はめちゃくちゃ綺麗にまとめられるんだから、説教する時も内容をまとめてくれたらいいのに。


 相原が心の中で悪態をつきながら内見の準備をしていると、事務室の入口から背の低い男が顔を覗かせた。

 その人物に気づくと、相原は立ち上がり頭を下げる。


 さすがに、自分を採用してくれた社長を無視することはできない。


「お疲れ様。なにをじーっと見てるの?」

 社長は足早に近づくと、相原の見ている書類を覗き込んだ。

「内見かぁ。頑張ってるねー」

「あ、ありがとうございます」

 面接時よりも気さくに声をかけられ、相原は困惑する。

 古臭い上司の佳月さんも苦手だけど、社長の距離の詰め方も嫌なんだけど。


「あー、なるほどね。瑕疵物件だから相原クン連れて行こうって訳かぁ。でも、早くないかなぁ」

 そう言うと、社長は1人で頷いたり、首を傾げている。

「同行するの、普通より早いんですか?」

「まぁ、多少?」

 その言葉を聞いた相原の目に光が差す。

 うまく言えば、今日の同行をキャンセルできるかもしれない。


「確かに、俺にはまだ早いかなってのは思ったんですよ。普通の内見でまだコツを掴みたいというか」

 それを聞いた社長は、ひとしきり唸り、

「まぁ、佳月クンに任せよっ」

 そう言い残し去っていった。


 社長の足音が遠のいたのを確認すると、相原は深いため息をつく。

「思わせぶり過ぎだろ……」


 ふと、カバンに入れた財布を取り出し、中身を確認した。

 元々ほとんど入っていないが、今の相原にとって1番重要なものが入っていない。

「は?」

 カバンの底を確認するが、入っていない。

 ポケットに手を入れ、確認する。

 入っていない。


 顔面蒼白になりながら、相原は記憶を辿る。

 そうだ、先週の日曜日に、プライベート用の財布に入れ替えたんだ。


 相原は荷物を持つと一心不乱に駆け出した。

 裏口を開けた時、シャチ型のビニール浮き輪が書かれた箱を持っている社長とぶつかりそうになる。

「わわわっ」

 年齢に相応しくない声を出しよろける社長に一礼し、相原は再び走り出した。

「どうしたのさぁーっ?」

 走り去る相原に、社長は声を張り上げる。

「忘れ物取ってきまーす!」

 後ろを振り向くことなく返事をした相原は、バス停に停まっていたバスに乗り込んだ。

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