32、天使のような死神

 それは6階層を進んでいる時の事――、


「ッ、なんだ? なんか嫌な予感がするぞ?」

「金ちゃん、その感覚は正しいぞ。そいつもしっかりと磨くようにするんだな」

「あ、ああ……」


 EランクモンスターだけではなくDランクモンスターも危なげなく斃せるようになってきた金多であったが、ぞわりとした感覚に思わず足を止めていた。


 まるで冷たい氷を背中に入れられたような。

 このまま進めば冷たい手が心臓に触れてくるような。

 そうした感覚は探索者にとってこの上なく大事なものなのだ。


 すると陽香が、「ちょっと金ちゃんには荷が重いかも知れないから、最初はオレが行こう。リリィと姫織は金ちゃんにもしものことがないように護っていてやってくれ」

「りょーかいっ♪ パパは死なないわ。だってあたしが護るもの」

「旦那様には指一本ふれさせません。指? 破廉恥です!」

「お前の想像力の方が破廉恥だよ!」


 クールプリンセスの中の人は中学生。

 と、いつも通りに和気藹々としていると見せかけて、その緊張感は揺るぎもせず。


 ――くっ、こう言うのを見ると、やっぱり俺はまだまだだと思わされるな。


 おちゃらけているように見えて締めるところは締める。心構えの話である。セ●クスでも膣●レの話でもないのである。念のため。


「来たぞッ! オラァッ!」


 と、陽香が反応を示した。


 :姉御、ヤンキー出てます

 :オラァたすかる

 :オラぁたすかるだべ

 :意味が違うw


 金多が悪寒を感じていたと言うのにコメント欄が余裕なのは、画面の向こうであるからだけではないだろう。


 Aランク探検者朝比奈陽香。

 彼女の鍛え抜かれたステータス、動体視力は、目にも留まらぬ速さで動くその死神を、逃すことなく捉えていた。


 ヒュカッ!


 まるで空気を切り裂くような、否、事実空気は切り裂かれていたのである。その死神の鎌爪によって。だがそれを掻い潜って陽香はその首根っこを押さえつけていた。


「ギギィイイッ!」


 怖気を催すような金切り声。その主とは、


「ッ、ヴォーパルバニー……」


 通称〈首刈り兎〉。

 見た目はただの兎に見えるが――いや、ただの兎にしてはその後ろ脚は長かろう――、脚の爪が鋭利な鎌状となって、その強靱な脚力で目にも留まらぬスピードで相手の首を刈るのである。


 捕まえて仕舞えば普通の兎と力も頑強さも変わりはないのだが、捕まらず、目にも留まらぬ速さで首を刈ってくる。その危険性によってCランクに分類されている極悪なモンスターである。


 陽香が手に力を込めればヴォーパルバニーの首の骨が折れて黒い煙へと変わっていた。そこにはCランクの魔石が残されていた。


「こんな風に出て来るのかよ……」金多は恐怖を禁じ得ない。

「金ちゃん、こいつが何処からどんな風に出て来たか見えたか?」

「いや……」

「そこの草叢から飛び出してきて、そこを蹴って逆から首を狙ってきた。つまり茂みが動いたからそっちに咄嗟に反応すれば、後ろから一気に首を刈られてお陀仏ってことだな」

「マジかよ……」


 ぞっとした。


「でもま、その嫌な感じを覚えたって言うのはまずは上出来だ。正しい勘って言うのはテキトウなもんじゃあなくって、経験に基づく予測、経験則ってものだからな。金ちゃんはちゃんと経験を積んできたってことだ。間違った勘は命取りだけど、探検者はその感覚を大事しないとだめだぜ」

「ああ……」

「ふふん、そうよ、パパはちゃんと経験を積んできたのよ。あたしと逢う前はピカピカの童――」「それ以上言うんじゃねぇッ!」「だったけど、今は3(ピーッ)」


 :絶妙な被せ方でしたな

 :おい探索者協会? 狙っただろ?

 :一回目はパパに救われ、二回目は外さないとw

 :いつもはピストル音の筈だったから、狙いましたなw


「クソがッ!」


 金多に味方はいないのですか?


 ――いません。そっち方面では。


「まあシモいのは元より、リリィによって鍛えられたのは確かだな」

「フフンっ」


 陽香の言葉にリリィがない胸を張る。


 ――まあ、否定は出来ないけど、否定は出来ないけどぉッ!


 納得も出来ない金多なのである。


「ま、だけどこれがCランクモンスターだ。今のは敏捷特化だったから特にではあるだろうけど、そうじゃなくってもまだCは金ちゃんには速かったな」

「そんな、パパはもうちゃんとCまで!」

「しつこいぞリリィ。後古くないか?」

「お姉ちゃんだって知ってるクセ  痛い痛い痛い。DV反対」


 :姉御の逆鱗

 :年のことは言っちゃ駄目だ!

 :だけど別に二十二歳は若いだろ

 :そう思っていた時期が私にもありました

 :ティーンから見ればすでにオバ……ナンデモアリマセン


「最後のやつ覚えたからな?」


 :ひぃいっ!


 コメント欄と言葉を同じくしてしまう金多である。

 と、こうして再びワチャワチャとしているようだったが、彼女たちの警戒は解けてはいないのだ。


「……うーん、まだいるな。確かにここはヴォーパルバニーも出て来るけど、ここまでじゃあなかった筈だ」

「ッ、まだいるのかよ……」

「ああ、ま、オレらがいれば大丈夫だろ。姫織もヴォーパルバニーくらいなら大丈夫だろ?」

「はい、問題ありません」

「よし、ならば来る奴らはオレらが斃すから、金ちゃんは見て、感覚を研ぎ澄ませろよ。来るぞ」

「パパは護るから安心して」

「あぁ……」――やっぱり強くなっても俺はまだまだだ。だけど、


 ――パパ、ちょっとそれは狡いと思うなー。格好良くて可愛くて、きゅんってしちゃうじゃない♪


 リリィはペロリと唇を舐めながら下腹部に小さなお手々を当て、


 ッ!


 飛び出してきたヴォーパルバニー以上の苛烈さで、彼女たち三人は殲滅にかかるのであった。



   ◇◇◇



 リンドウはその配信を支部長室にて見ていた。画面の中では何匹ものヴォーパルバニーを次々と屠ってゆく彼女たち。それを瞬きもせずに見ている金多が。


 :ちょっと、パパの顔をもっとアップで

 :切り抜き班出動しております

 :良くやったわ、私にも回して欲しいわ!

 :私にも!

 とある支部の女しゃちょー:私にも!


 リンドウはカタカタとコメントを打ち込んでから、


 ――ふぅん、ヴォーパルバニーね。確かに6階層でも出て来るけど、この数は……。これはダンジョンの意思? 或いは――、それとも、――、


 リンドウは画面で嬉々としてヴォーパルバニーを仕留めながらもチラチラと金多へと視線を向けているリリィを見る。

 彼女の黒洞の眸は淡い桃色を帯びているように見え、チロリと妖しい舌舐めずりも。


 ――これはどちらなのかしらね? ダーティナイトの時のことがあったから、ちょっと心配ね。貴女には、希望になってもらいたいと言うのに……。


 心中でそう呟くと、リンドウはカチカチと、切り抜き班が切り抜いたパパの横顔を、金多くんフォルダへといそいそと仕舞うのである。

 画面では、ようやくヴォーパルバニーが出なくなり、胸を撫で下ろす金多たちが映っていたのであった。

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