強敵

 ネオが繰り出した突進を、ギョジンは正面から受け止めようとしていた。

 両手を前に突き出し、ネオを待ち構えていたのだ。しかもネオの巨体、そして速さを前にして一瞬も躊躇った素振りがない。

 ギョジンには相当の自信がある。

 そしてその自信が過信でない事は、ギョジンの身体にある数多の傷跡経験が物語っていた。どうやら『得意分野』のようだ。

 相手の得意な行動に突っ込む事が如何に危険かは、ネオにも分かる。しかし十分加速してしまった今、急いで止まろうとしてもギョジンの目の前で立ち往生する羽目になるだろう。もたついた足ではろくな反撃も出来まい。これが一番危険だ。

 失敗は理解した。その上でネオは、現時点での最良の判断として更に加速して突っ込む!


「ゴガァア!」


 雄叫びと共に強く大地を蹴り、ネオはギョジンに体当たりを喰らわせた!

 体当たりの際、ネオは身体を大きく仰け反るように反らせている。これは頭から激突するのを防ぐため。ただでさえ大きな頭を支えているため負担が大きい首の骨は、あまり外からの衝撃に強くない。ちょっとやそっとで折れるほど脆くもないが、万一傷付けばそれこそ命に関わる部位だ。可能な限り衝撃は避けた方が良い。

 結果として胴体からの激突となる。面積が頭よりも広い分、単位面積当たりの打撃は頭突きほど強くない。しかしそれでも体当たりの威力は壮絶だ。総重量十トン以上の物体が、自動車のような速さで激突するのだから。戦車さえも簡単にひっくり返せる。

 だが、ギョジンはこれを受け止めた。


「ギギギボォオォ……!」


 楽々、という訳ではない。それでも漏れ出る声には少なくない余裕がある。歯を食い縛る事もしていない。

 ネオの体当たりは、ギョジンを転倒させるには明らかに力不足だった。

 これには二つの理由がある。

 一つはギョジンの足。硫黄化合物が降り積もった黄色い地面を踏む足は、非常に扁平で大きい。長さは三・八メートルにも達し、これは二メートルしかない(ティラノサウルスの足でさえ六十〜七十センチ程度と思えば十分巨大だが)ネオの足幅の倍近い大きさだ。

 足幅がここまで大きいのは、ギョジンが陸足魚綱……魚から進化した生物であるため。魚というのは水生生物であり、爬虫類や哺乳類など生粋の陸上生物と違ってその身体は水中生活に特化している。当然形態も陸上歩行に最適化されておらず、常に強い重力が掛かる陸上で身体のバランスを取るための、神経などの仕組みも備わっていなかった。

 陸足魚綱の祖先は陸上へと進出する過程で、足を巨大化させた。大きな足であればバランスを崩し難く、少し神経が未発達でも問題なく歩き回れる。身体に見合わぬ大きな足は不格好だが、しかし彼等に新天地で生きていく力を与えた。

 そして大きな足は、巨体を安定させるのにも役立った。

 どっしりと踏み締め、構える姿は人間の相撲取りが如く重量感。例えほぼ互角の体重の陸上先駆者爬虫類が相手だとしても、足腰の強さは遥かに上回る。

 更にもう一つの理由は、引きずっている尾だ。

 ビーバーのように平たい尾は、第三の足として大地を掴んでいる。足が二本の動物と、足が三本の動物。どちらがより大地を強く踏み締められるかは、言うまでもない。


「グゥウゥ……!」


 これで倒せる、とまでは思っていなかったネオだが、ここまで簡単に突進を止められるのも予想外。次の行動をどうすれば良いか迷い、結果身体の動きが鈍る。

 その隙をギョジンは見逃さない。


「ギョボオオオッ!」


 ギョジンは両腕を伸ばし、ネオを抱き締めてくる。

 ギョジンの動きに気付き一旦逃げようとするネオだが、考え込んでいて硬直していた身体はすぐには動けず。抵抗虚しくギョジンに抱き締められてしまう。

 無論、ギョジンは愛の抱擁をした訳ではない。

 ギョジンは全身に力を込め、足が地面に埋もれるほど強く踏み込む。屈強な筋肉に覆われた肉体を大きく捻り、そのままネオの身体を


「グ、ガゥウ……!」


 これは不味いと、ネオは身体を激しく揺さぶる。並の拘束であれば振り解き、例え人間が用意した金属製の鎖だろうと引き千切るパワーがネオにはあるが……ネオと同等の強さを持つギョジンの体幹は揺らがず。


「ギョオオオオオ!」


 最大級の力を乗せて、ギョジンはネオを投げ飛ばす!

 総重量十トンオーバーもあるネオの巨体が、宙に浮かぶ。

 投げ飛ばされるなど、ネオにとっては初体験。今まで感じた事のない浮遊感に、一瞬頭が真っ白になってしまう。ハッと我に返った時には、もう地面は間近に迫っていた。

 横転し、転がるネオ。巨体、即ち大きな体重を持つからこそ、ただ転がるだけでもダメージは小さくない。鱗は剥がれなくても、内臓が激しく揺さぶられ、全身から不快感が込み上がってくる。


「グガ、グウゥウウウウッ!」


 それを堪えてネオは頭を大きく振るう。巨大な頭はただ動かすだけで重心をずらし、体勢を変えてくれる。

 ネオの身体も頭を振った勢いで微かに浮かんだ。ネオはこの僅かな変化を利用し、地面に足を付ける。どうにか大きな一回転だけで、再び立ち上がる事が出来た。


「グルウゥウウゥウウ……!」


 立ち上がったネオはギョジンを睨む。

 対するギョジンは、ゆっくりと、擦り足でネオに迫っていた。闘争心は相変わらず衰えていないが、警戒して不用意な接近は避けたらしい。

 起き上がったネオを前にすると、ついにギョジンは足を止める。ネオもすぐには駆けず、ギョジンの周囲をゆっくりと練り歩く。思考し、隙を窺い、案を考える。

 ネオの聡明な知能で一つ理解したのは、体当たりは好ましくないという事。

 無闇に突っ込んだところで、先のように抱きかかえられてしまう。勿論接触時にダメージは与えられるが、投げられたネオの消耗の方が大きい。繰り返せば、先にダウンするのはネオの方だ。

 ならば他の攻撃手段を使うべきである。


「グガアアアア!」


 方針を決めたネオは、不意を突くようにまたも駆け出す!

 突進してくるネオを前にして、ギョジンは両腕を大きく広げた。突進などの攻撃を受けるための構えだろう。足も軽く広げ、地面を踏み締めてどんな攻撃にも備えている。

 万全の構えをしているギョジンに、どれほど強烈な突撃を正面からお見舞いしても受け止められるに違いない。元より、ネオも愚直な体当たりをするつもりはない。これはギョジンの動きを止めるための『誘い』。

 ネオはギョジンの手が届く直前に、大きく真横に跳ぶ! 巨体を駆け回らせるパワーは、ネオの身体を一瞬で数メートルと横に動かす。


「ギボ……!」


 人間であれば見失いかねない速さの動きは、それでもギョジンの目は追う。ネオの動き自体は問題なく見えているようだ。

 しかし踏み締めた足は動かず。

 ギョジンのような巨大な足は確かに衝撃などには強く、屈強な身体には欠かせない。されど多くの動物の足が、そこまで大きくないのには理由がある。

 それは機動力の低さだ。

 扁平で大きな足は、素早く動き回るのには適していない。例えばウマやシカなど素早く走り回る動物は、進化の過程で蹄や爪先だけで立つようになった。安定性は(勿論ある程度は確保しているが)欠いたが、それを上回る機動力で敵から逃げる。肉食動物もチーターやイヌなどの足は、骨格上は爪先立ちをしているのだ。素早く、俊敏に動き回るには、地面との接地面は少ない方が適している。

 おまけにギョジンは尻尾も地面に付けている状態だ。重たい尾を引きずり回せば、当然それだけ動きも鈍くなる。

 パワーはあれどもスピードはない。ならばその弱点を突く。


「グガウゥ!」


 ギョジンよりも速く動き、側面に回るやネオは大きく開いた口でギョジンの腕に噛み付いた!

 噛んでしまえばこちらのもの。顎の力で拘束し、一気に引っ張る。上手くいけば引き倒して体勢上の有利を確保出来るだけでなく、腕の脱臼による戦闘能力の喪失も狙える一石二鳥の策――――

 と、思惑通りに進めば良かった。だが現実のギョジンは、ネオの想定を超える。

 ギョジンの腕に噛み付いたのに、牙がのだ。

 原因はギョジンの鱗、それと全身を包む粘液にある。鱗は凹凸の少ない滑らかなものであり、また硬さはあるがネオの鱗よりも柔軟だ。そのため牙のような鋭いものを当てても、凹んで受け流してしまう。身体を包む粘液も牙を滑らせてしまう一因だ。


「グ、グギゥ……!」


 上手く噛めない。無理だと思ったネオは即座に攻撃を切り替え、口を離すや身体の側面での体当たりを行う。

 横から突き飛ばす形の攻撃もギョジンは受け止め、転倒には至らず。しかし相手も体勢を立て直すためか、片足を上げる動きもしたので迂闊な攻撃は出来ない。これで距離を取るだけの時間を稼げる、筈だった。

 ところがギョジンは、まるでネオの考えを読んだように動く。

 鈍い筈の旋回運動を、ネオのような軽やかさで行い、今そこにいるネオと向き合ったのだ。これほどの速さで方向転換する事は、大きな足と尻尾が邪魔をしてギョジンには出来ない。しかし現にギョジンは、猛烈な速さでぐるんと振り向く。

 本来ならばあり得ない動きを前にして、ネオは困惑。現実の展開に頭の回転が追い付かない。


「ギィイボオオ!」


「グギィウッ!?」


 振り向いたギョジンが繰り出した拳への反応が間に合わず、ネオは頭に重たい一撃を受けてしまった。

 咄嗟に反撃として腕で殴り返し、当てる事は出来たが……直撃した、といえるほどの手応えがない。明らかに当たり方が良くない。

 ここで攻防を繰り返しても不利だと判断。両手を前に出し、ネオはギョジンを突き飛ばす。ギョジンはどっしり構えていたので殆ど動かなかったが、ネオの身体には反作用という形で『突き飛ばす』運動エネルギーが掛かる。これを利用し、飛び退くようにネオはギョジンとの距離を開ける。


「グギギギィウゥウウウ……!」


 安全を確保したネオは、思う存分苛立つ。歯を食い縛り、怒りを露わにする。

 同時に、頭の中は冷静に状況を解析する。

 ギョジンが驚くほどの速さで旋回した時、驚きから判断出来なかったが……ネオの優れた視力は、しかと見ていた。

 ギョジンは確かにネオの攻撃の勢いを利用し、素早く身体を動かした。だがいくらネオの攻撃が強力とはいえ、構えていればギョジンの身体はほぼ揺らがない程度でしかない。そのままでは身体を高速で動かすなど不可能だ。

 事実ギョジンは二本の足で立っていない。身体を動かす際に、まるで演舞でも舞うかのように片足立ちで動いていたのである。

 一見して軽やかな身のこなしは、同時に危険のある体勢とも言える。いくら大きな足とはいえ、尻尾による支えもなく、一本だけではネオの体当たりを止められないだろう。つまりギョジンは、ネオが迷わず攻撃してくれば転ぶというリスクを冒していた。

 危険な行いであるが、結果的にネオは攻撃していない。賭けに出た、という言い方も出来るだろうが……もっと正確な表現がある。

 読まれていた。

 ギョジンはネオがどんな動きをするのか、予測していたのだ。それはここまでの戦いから、ネオがどんな動きをするか考えての事だろう。魚類であるギョジンだが、頂点捕食者として君臨するだけの『知能』もあるという事だ。

 しかしいくら知能に優れても、ほんの数回の攻防で動きが読めるほどネオも単純ではない。それでも多少のリスクを冒せる程度には確信し、行動を起こしている。

 何がギョジンに確信を抱かせたのか。ネオが思うに、一つしかない。

 戦闘経験だ。これまでの戦いの経験値から、ネオのような相手との戦いを思い起こし、そして『揺さぶり』を掛けたのだ。


「グ、ギ、ギギィィィ……!」


 歯軋り。ネオは無意識に、噛み締めた顎を揺らして不快な音を鳴らす。

 ネオは、ギョジンと自分は互角だと思っていた。

 少なくとも身体能力については、間違っていないと今も確信している。相手は力で勝り、自分は速さで勝る。得意分野の違いがあるだけで、やりようによっては勝ち目があるだろう。その負けている攻撃力についても、決して相手に通用しないほどではない。

 だが戦闘経験については、見積もりを誤った。

 ギョジンの戦闘経験は自分よりも上だと、ネオは気付いたのだ。しかもただ経験が多いだけではない。恐らくギョジンは、と何度も戦っている。地下空洞から現れる、格下の獲物ばかり食べてきた自分と違って。

 ――――ネオの予想は的中していた。

 ギョジンは確かに恐るべき捕食者である。しかし大きな足と引きずる尻尾が仇となり、逃げ回る獲物を追うのは苦手だった。獲物が怯えて逃げ出せば、どうやっても追い付けない。

 故にギョジンは、自身と同じぐらい大きな、同じぐらいの強さの生物ばかりを襲う。鈍重な代わりにパワーとスタミナ、防御に優れた肉体で、同格の相手を打ちのめし、逃げられない傷を負わせてから食う……

 勿論こんな無茶な戦い方を生き残る個体は稀だ。しかしギョジンは非常に多くの卵を生む。それこそ祖先である海に棲む魚のように、何百万にもなる産卵数だ。激戦を勝ち抜いた僅かな個体だけが次世代を残す方法でも、種を存続させる事が出来た。

 ネオの眼前にいるギョジンも、この無茶を切り抜けてきたモノだ。自身と同格の、ネオと同じぐらい強い獲物とも何度も戦い、生き延びたからこそ此処にいる。

 まともに考えれば勝ち目などない。機を見て逃げ出すしかない。


「グルルルルルルル……!」


 だがネオは退かない。プライドなどというくだらない感情はなくとも、ライバルを殺せという本能はあるのだ。逃げるという選択はない。

 ギョジンからすれば、正にそれが獲物。縄張りを荒らす存在として、同格の相手が許容出来ない形で入り込む事で確実に戦闘へと持ち込む。ギョジン達が使う狩りの方法の一つであり、退かないネオはギョジンからすれば格好の獲物だ。

 経験に勝る強敵。退かぬ敵こそが獲物という習性。ギョジンが持つどの性質もネオにとって不利に働く。

 ただ一つ、ネオが明確にギョジンよりも勝る事があるとすれば……その精神性。


「グガアアアアアアゴオオオオオオオ!」


 怯えず、迷わず、躊躇わず。

 敗北を何一つ考えない、飢えの苦しみと合わさる底なしの闘争心だけは、ギョジンさえも未経験。不利を察していないかのようなネオの咆哮に、ギョジンが僅かに身動ぎする。

 その動きを見て、ネオは再び攻勢へと打って出る。

 ただし突撃ではなく、自らの身体に走らせた『雷撃』によるものであったが――――

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