頂点捕食者

 人間ならば、その生物を一言で言い表そうとした時、半魚人以外の言葉は中々思い付かないだろう。

 全長二十五メートル。成体となったネオの大きさに匹敵する巨大は、大きくて分厚い鱗に覆われていた。鱗が青いため、全体の体色も青く見える。表皮には粘液らしきぬめりがあり、地上の乾燥から身を守っているようだ。

 頭部はサバに似た形をしていて、あまり獰猛には見えない。だが半開きの口にはびっしりと鋭い歯が並び、捕食者としての風格がある。感情のない無機質な瞳は、優れた知性を持つ者に恐怖を与えるだろう。

 そしてその身体には、四肢がある。

 太く逞しい腕が二本、巨体を支える屈強な足が二本。二足歩行をしているが、足の付いている身体は恐竜と違い、やや前傾ながら直立した姿勢だ。恐竜よりも人間に近い。腕の先には爪のように鋭い指が六本生え、攻撃性の高さを物語る。

 尾ビレは長く、地面に付いている。歩けば確実に引きずるその体勢は、一昔前の肉食恐竜の復元図か、或いは怪獣のようだ。胴体も手足の太さに見劣りしないほど屈強で、全身が極めて筋肉質なのだと傍目にも分かる。

 この筋肉がハリボテという事はあるまい。間違いなく、この生き物は強い。


「ギィイイヨボボボオオオオオオオ!」


 その強者が猛々しい雄叫びを上げ、ネオと向き合う。

 警戒心を最大限まで高めるのに、これ以上の理由は必要なかった。


「グルルルウゥウウウゥウ……!」


 ネオもまた唸りを上げ、歯を剥き出しにする。威嚇ではなく、自身の戦意を引き上げるための行動だ。

 それと、我が子に危険を知らせる合図でもある。


「キュルルルルッ!」


 ネオの発する警告を受け、子供は大急ぎで離れていく。

 半魚人のような生物は小さな子供には興味もないようで、逃げるネオの子は一瞥もしない。虚ろな眼差しで見るのはネオのみ。

 ネオも余所見をする余裕などない。相手をじっと見つめ、観察し、この睨み合いの中で少しでも情報を得ようとする。とはいえ、ネオにとって最も重要な情報は一目で分かった。

 それは強さ。

 この生物は、今まで戦ったどんな敵よりも強い。それも見た目や体躯以上に、だ。ネオの知能はそれを瞬時に理解した。

 根拠の一つは、相手の身体に刻まれた傷の多さだ。

 いずれも完治しているが、何十という数の古傷が全身の至るところにある。中には余程深かったのか、僅かにだが鱗が剥げている場所も見られた。

 傷が多いという事は、それだけ多くの戦いを経験し、そして生き延びてきた事を意味する。どんな敵と戦ってきたかは分からない。しかし経験の豊富さは、確実にこの生物の強さを裏付けているだろう。


「ギョボボボ……」


 強さは生物の態度にも現れていた。

 生物は最初こそ勢いよく吼えていたが、今では声を潜め、ネオを見ている。しかし闘志を失った訳ではない。

 相手もネオが強い事を理解し、警戒しているのだ。

 こちらの力を推し測り、警戒するだけの知能も兼ね備えている。ただでさえ強いのに、精神面にも隙はないという事だ。むしろこちらが一瞬でも気を緩めれば、この強敵は間違いなく付け入るだろう。

 そして一番の問題は、ネオはこの生物がどんな存在なのか知らない事。

 どんな攻撃をしてくるか、何が得意なのか、どれぐらいの攻撃に耐えるのか。全てが未知数であり、戦いの中で確かめねばならない。長所や相性次第では、相手の能力に気付いた時には敗北が不可避という可能性もある。

 勿論相手側もネオの事など知らない筈であり、同じ条件だろう。しかしそれは言い換えれば、有利不利は五分五分という事。負ければ死ぬかも知れない戦いが、五割の確率で不利というのはかなり致命的だ。


「グルゥルルル……」


「ギョボォオォ……」


 互いに見つめ合い、睨み合い、探る。

 コイツは、何者なのか?

 ――――ネオが相対する生物に名はない。人間が発見しておらず、からだ。

 仮に、この生物をギョジンと呼ぶ。

 ギョジンは地下空洞内で進化・繁栄してきた魚類、陸足魚綱に属する生物の一種だ。地下空洞に閉じ込められた魚が一億年以上の歳月を掛けて進化し、陸上への完全な適応を果たしたもの。地下空洞にだけ生息する、独自のグループである。

 そしてギョジンは地下空洞に生息する生物の中で、生態系の頂点に君臨する生物種である。頂点といっても唯一無二ではなく、他の捕食者に対し天敵と言えるほど力の差がないという意味に過ぎないが……

 しかし数多の生命体が暮らす地下空洞において、最強格の力があるのは間違いない。

 ネオはこれまでの生涯で、数多の地下空洞生物を捕食してきた。だがそれらは頂点に君臨する種ではない。どれだけ大きな生き物でも、全て頂点者の獲物だ。

 これまで出会ったどの地下空洞生物よりも、ギョジンは一段も二段も上回る強さを持つ。ギョジンの生態的地位などネオは知らないが、感じ取った力からその事実は理解していた。

 知的に判断するなら、退くのが得策だろう。クマとオオカミが好んで争わないように、頂点者捕食者同士で争うのは危険ばかりが大きい。獲物にするのなら、もっと弱い奴を狙うのが合理的である。


「グルルルル……!」


 だが、ネオは退かない。

 退。何故ならアロサウルス・ネオはこの島で唯一の頂点捕食者にして、種族最後の個体である。即ちこの島にはネオ一体が生きるだけの獲物しかいない。

 ギョジンがこの島に居着けば、それは頂点捕食者が二体になるのと同じ事。獲物は不足し、飢えにより死ぬ可能性がある。ましてや今は子育ての最中。ただでさえたくさんの獲物が必要なのだ。自分が、自分の血縁がこの先も島で生き延びるためには、自分以外の捕食者はいてはならない。

 ――――自分と同じぐらい強そうな生物は、殺せ。

 それがアロサウルス・ネオの本能。島に唯一君臨する頂点捕食者として、進化し続けてきた事で身に着けた衝動だ。ネオの身体にも備わっていて、目の前の『強そうな生物』に対しても働く。


「ゴガギィイガアアアアアアアアア!」


 渾身の雄叫びは、ネオなりの警告。地下空洞に逃げ帰るなら今しかないという最後通告だ。


「ギッボオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 ギョジンの答えは、お返しの咆哮をするというものだったが。

 ギョジンもまた退く気はないらしい。それがギョジンの習性なのか、或いは相手の強さが気にならないほど空腹なのか。ネオには分からず、そして興味もない。

 どちらにしても、向こうが逃げないならやる事は変わらない。


「グゥウウルルルル……!」


「ギィイィボボボボ……!」


 睨み合い、唸り合い、徐々に距離を詰めていく二体の獣。激しい闘争心を纏い、一歩ずつ、ゆっくりとだが着実に距離を詰め……

 届く、と思った瞬間、両者は『第一撃』を放つ!

 攻撃は同時だった。ギョジンが腕を振るうのに合わせるかの如く、ネオもまた腕を振るう。これまでの狩りと日常生活で養われた筋肉が、腕という巨大な質量を動かし、硬質化した爪で敵を切り裂く――――基本の原理はネオもギョジンも変わらない。

 互角の理屈で繰り出された攻撃は、威力もまた互角。互いの掌で相手の腕を殴り付けると、その反動で両者の腕は弾き返される!


「グギィアッ!」


「ギャバァ!」


 しかし弾かれた反動を利用し、二体は次の攻撃を繰り出す。

 今度の攻撃は異なるもの。ギョジンは打撃の反動を利用して身体を勢いよく捻り、同じ腕を振るう。今まで以上の速さで繰り出した攻撃は、その分威力も増大しているだろう。

 対するネオが振るうのは、腕ではなく尾。

 反動を利用して、身体をぐるんと一回転。長く強靭な尾による攻撃を試みたのだ。

 尾による攻撃は、ギョジンにはない発想だった。ギョジンの尾は一昔前の恐竜復元図のように、地面を引きずっている。このため尾を振り回すといった、素早い攻撃は出来なかった。

 予想外の攻撃にギョジンは目を見開く。されど歴戦の猛者であるギョジンは怯まず。構わず攻撃を続ける。

 最初に相手を傷付けたのは、ギョジンの腕。

 身体を捻るだけの動き故に、ギョジンの腕の方がネオの尻尾よりも早い。強烈な腕の一撃が、回転途中のネオの胴体に叩き込まれる。


「グ……!」


 その威力たるや、ネオが僅かに呻くほど。

 打撃は鱗が受け止めた。それでも衝撃が、ネオの身体に伝わってくる。今まで巨大な生物と幾度も戦い、殴られた事は一度や二度ではない。だがこんなにも強烈な打撃は、以前戦った人間の艦砲射撃以来だ。

 初めて受けた攻撃だったなら、怯んで身体の動きは止まってしまっただろう。

 しかしネオは止まらない。人間との死闘が、痛め付けられた経験が彼女の身体を動かし続ける。


「ゴガアアアアッ!」


 渾身の力を込めた尻尾の一撃は、ギョジンの胴体横を直撃。ネオと同等の大きさの体躯を、大きく突き飛ばす!


「ゥギウゥ……!」


 突き飛ばされるほどの打撃に、ギョジンが苦しげに呻く。倒れはしなかったが、大きくその身体をよろめかせた。

 与えた打撃のダメージは、間違いなくネオの方が大きい。

 ただ一発有利を取っただけとはいえ、生きるか死ぬかの戦いでは大きなアドバンテージと言えるだろう。そして賢いネオは、このぐらいの事は理解出来る知能を持っていた。

 なのに、ネオはむしろ警戒心を強める。


「……………グルルルルルルルル」


 唸りながらネオが視線を向けたのは、先程ギョジンに殴られた部分。

 艦砲射撃さえも防いだネオ自慢の鱗が、僅かにだが。言うまでもなく、ギョジンの腕は艦砲射撃のような火薬など積んでいないにも拘らず。

 これはギョジンの拳に『技術』があるため。

 ギョジンは拳を叩き付ける際、その手を大きく広げた、平手の状態で打ち込んでいた。これは広い面積に打撃を与えるだけでなく、広げた掌で空気を掴むためのもの。そのまま平手打ちをすれば、掴んだ空気はネオの鱗で強く圧縮される。

 物体は圧縮されると温度が上がる。その物質の持つ熱エネルギーが、小さな範囲に凝縮されるからだ。ギョジンがその手に掴んだ空気も例外でなく、叩き付ける事で圧縮・高熱化。瞬間的な圧縮で生み出される温度は凄まじく、ネオの鱗さえも溶解させてしまう。

 名付けるならば、プラズマブローとでも言うべき技だ。影響範囲こそ狭いが、単純な熱量ならば艦砲射撃や爆薬さえも上回る強烈な打撃である。しかもこれが『通常攻撃』である。おまけにギョジンの手は断熱性が極めて高く、ネオの鱗以上に熱を通さない。プラズマブローを放っても、ギョジンは火傷一つ負わないのだ。

 鱗が溶けてしまえば、防御力が下がってしまう。長期戦になるほど受けるダメージが増え、尻尾の一撃分のアドバンテージなどあっという間に失われる。ネオにはこの技の理屈は理解出来ないが、非常に危険な攻撃なのは察せられた。


「ギョォオォボボボボ……」


 ただしギョジン側も、警戒心を強めてネオを睨んでいる。受けたダメージ自体はギョジンの方が大きい。立て続けに攻撃されれば、そのまま押し潰されると理解しているのだ。

 先の攻撃は、総合的に考えれば互角と言えよう。

 ならばまだ逃げ出す必要はない。ここまでは軽い確認、実力を推し量るための様子見でしかない。

 本当の勝負はここから。


「グガアアゴオアアアアアアアッ!」


 勇ましく吼えながらネオは突進。

 迎え討つギョジンと激突し、衝撃音を第二のゴング代わりに鳴らした。

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