新たな血筋

 産卵から三週間後、ネオの産んだ卵が微かに揺れた。


「グル?」


 飲まず食わず、夢中で卵を見ていたネオはその微かな変化に気付く。とはいえこれが初産であるネオには、卵に起きた出来事が何を意味するかも分からないが。

 ネオがぼんやり見ている間も、卵は何度も揺れ動く。揺れ方は徐々に激しさを増していき、ついには卵にヒビが入り始める。

 可愛い卵が壊れ始めている。その事実を認識出来るぐらいの知能はあるネオだが、認識出来たところでどうにも出来ない。


「ゥグルルル……クルル……」


 如何なる敵にも果敢に戦ったネオだが、こればかりは手の打ちようがない。わたふたしながら眺めるのが精いっぱいだ。

 そうこうしている間も、卵のヒビはどんどん広がっていく。ついにはヒビ割れ部分が盛り上がり……突き破って、『中身』が飛び出す。


「ピキャァァー!」


 甲高い産声を上げ、顔を出したのは小さなアロサウルス・ネオ。

 ついにネオの子供が生まれたのだ。

 尤も初めての産卵であるネオにとって、これは初めての赤子でもある。いきなり出てきた『生き物』に、ネオは驚いて後退りしてしまう。

 ネオが少し離れている間にも、卵から出ようと子供は必死に藻掻く。ネオはただそれを見つめるばかり。

 親であるネオの手伝いは一切ない。けれどもそれは幼い時のネオも同じ。アロサウルス・ネオは生まれる前から、独り立ちが可能なぐらいの身体を持っているのはネオ自身が証明している。

 ネオの助けがなくとも、生まれる事ぐらいは出来るのだ。五十センチ近い身体を不器用ながら動かし、自ら開けた穴を通って卵から這い出す。


「ピキャァァ。キャピャピャー」


 生まれた子は、甲高い声で鳴く。

 訳が分からず戸惑っていたネオだが、この甲高い声を聞くと気持ちが落ち着いてきた。それと共に、目の前の小さな命に対し興味も湧く。

 そっと顔を近付けて、臭いを嗅ぐ。今まで卵内にいた子の身体にはべっとりと透明な粘液が付いていたが、強い臭みは感じない。むしろやや発酵したフルーツに似た、甘い香りが漂ってくる。純粋な肉食動物であるアロサウルス・ネオは果物など食べないが、嫌いな臭いではない。

 軽く鼻で小突いてもみた。突かれたネオの子供はあっさり尻餅を撞く。痛がる素振りはなかったが、何をされたのかは分からないようでキョトンとしている。

 そうした仕草の一つ一つが、ネオには可愛いように思えた。

 産卵後のアロサウルス・ネオは卵だけでなく、小さな生き物も愛らしく見えてくるのだ。これもまた生まれた幼体を育てるための本能。攻撃性を抑え、か弱い幼体を保護するよう立ち振る舞う、血を繋いでいくために必要な衝動である。

 このような本能があるのは、母親となったネオだけではない。子供の方も、母親から『世話』が受けられるよう振る舞う。


「キャピ。ピキュキュキキー」


 生まれた子はネオの顔に近付き、擦り寄ってきたのだ。

 アロサウルス・ネオの幼体は、自分より何倍も大きなものを『親』と思う性質がある。姿形などはあまり気にせず、大きくてうごきがあれば傍に寄り添う。巨大な親の傍にいれば天敵に襲われる心配はなく、世話も受けられる。

 ちなみにこの習性は、誕生から一時間以内に『親』を見付けられなければ消失。後は一体で生きていこうとする。ネオのように誕生時点で親が死んでいても、餌さえあれば生きていく事は可能だ。勿論、親の保護がない分生存率は極めて低いが。

 近付き、じゃれ付く我が子の行動をネオは好ましく感じた。傍にいてくれて嬉しさも覚える。出来れば、ずっと一緒にいたい。

 しかし何時までも子と戯れていられるほど、自然界は甘くない。例え生態系の頂点だろうとやるべき事――――食事なしでは、子育てを満足には行えない。


「グ? グゥロロロロロ……」


 急激に感じた空腹感に、ネオは低い声で思わず唸る。

 アロサウルス・ネオの幼体は誕生時、卵の中にある粘液を纏った状態で生まれる。

 この粘液に含まれる成分には、成体の『卵保護状態』を解除する働きがあるのだ。生まれた後の世話は、ただ見守るだけでは不十分。我が子の食べる分まで狩りをしなければならない。

 それにいくら栄養状態が良い時に産卵したといっても、三週間も飲まず食わずでいるのだ。飢えはかなり限界に近い。

 空腹感に突き動かされ、ネオは狩り場である山頂目指して歩き出す。


「ピキューィ!」


 そのネオの後ろを、子供は小走りで追う。生まれて間もない、拙い足取りだが、せっせとネオから離れないよう頑張っている。

 子供が一緒に来る事を、ネオはとてもうれしく思った。歩みも可愛く思え、何時までも見ていたい。

 勿論離れてしまうと子供の姿が見えなくなってしまう。だからネオは何度も足を止め、そうしなければ置いてきぼりにしてしまう我が子との距離を一定に保つ。ある程度近付いたらまた歩き、子供が疲れて立ち止まったら自分も立ち止まる。決して、我が子を独りぼっちにはさせない。

 彼女達の間に愛はなく、ただ本能のまま行動している。

 しかしそれでも二体の振る舞いは、誰の目に見ても明らかなぐらい親子のそれだった。

 ……………

 ………

 …

 歩き始めて、早二日が経った。

 何時ものネオなら山頂から寝床まで、往復しても丸一日も掛からない。しかし若く幼い、生まれたての我が子の歩みに合わせれば、当然そんなスムーズには進まない。

 普段の何倍もの時間を掛けて、ようやくネオは山頂に辿り着いた。


「グルルル、ゥグルルルルル……」


 ネオの口から漏れ出すは、空腹感から生じる苛立ちの唸り。鼻を頻繁に鳴らし、周囲の臭いから獲物の痕跡を探ろうとしていた。


「ピキュィー。ピキュイィィー」


 そしてお腹を空かせているのは我が子も同じ。甲高い声で何度も何度も鳴く。

 幼体が出す高い声は『要求音』と呼ばれるもの。アロサウルス・ネオの成体はこの甲高い声を何度も聞くと、段々攻撃性が高まっていく。これにより積極的な狩りが促され、獲物を多く得られる。そして親子の腹が満たされる、という仕組みだ。

 合理的なのは、この攻撃性は声を聞くほどに高まる事。

 何度も何度も聞くと、成体の攻撃性は天井知らずで高まっていく。声を聞く度、脳から興奮を促すノルアドレナリンなどのホルモンが分泌されるからだ。あまりにも執拗に聞くと普段以上の凶暴性が発揮され、普段なら襲わないような、つまり小さな動物も殺そうとする。それらは成体にとっては非効率な獲物だが、幼体からすれば十分大きな獲物だ。アロサウルス・ネオは子育て中であれば子への給餌を優先するため、仕留めた小動物は子に与えられる。

 こうして子の腹は満たされ、安全に育つ事が出来るのだ。勿論親が大きな、地下空洞生物を仕留めても、子に分け与えられるため問題はない。しかし大きな獲物は何時捕れるか分からない。生まれたばかりで身体に蓄えがない幼体には、そんなものを待つ余裕はない。小さな生き物でも、狩ってほしいのが子供の立場だ。

 そして親にとっても、この仕組みは役立つ。

 自然界は厳しい。どんなに優れた捕食者でも、必ずしも十分な獲物が得られるとは限らない。小さく、獲物の少ない島となれば尚更だ。もっと言えば、子育て中かどうかも関係ない。

 何時までも獲物が取れない日々。子供が空腹の時は、親も大概腹ペコだ。このままでは餓死するという時でも、幼体は構わず鳴き続ける。聞けば聞くほど、攻撃性はどんどん高まっていき――――

 限界を超えた瞬間、アロサウルス・ネオは

 可愛いと思う気持ちが、攻撃性に負けるのだ。人間からすれば残虐極まりない行動に見えるかも知れない。されど冷静に、合理的に考えれれば、この行動は『正解』と言える。

 親も子も酷く飢えている時、どちらかが死ねばもう片方の生存率が上がるからだ。親が死ねばその身体を子が食べる事が出来、子が死ねば親は非効率な狩りをしなくて済む。

 そして子供よりも、親が生き残る方が種としては得だ。何故なら母親が生き残れば、また新しい子を産む事が出来る。しかも島最強の捕食者であるアロサウルス・ネオの成体は、ちょっとやそっとの事では死なない。対して小さな幼体は、多くの天敵に命を狙われる。母の守りがなければ、生存率はお世辞にも高くない。ネオは生き残れたが、それは運が良かっただけ。

 子供がずっと飢えている環境では、子を殺してしまう方が、長い目で見ればより多くの子孫を残せるのだ。

 ネオの身体にも、この合理的な本能は宿っている。


「フシュウゥゥゥ……フシュゥゥ……」


 とはいえ今はその時ではない。鼻息を荒くし、我が子への苛立ちを覚えつつも、ネオは周囲を見回す。

 山頂は何時も通りの景色だった。地下から噴出した硫黄化合物が降り積もって出来た、一面黄色の平地。小動物なら兎も角、ネオのような大型動物が身を隠せる場所はない。

 見る限り、獲物となる生き物はいないようだ。

 ……そう、明らかに獲物は見当たらない。しかしネオの感覚は、強烈な気配を感じていた。それも今まで感じた事がない、異様に強い気配である。

 いや、『気配』などという曖昧なものはネオが暮らす科学的な世界には存在しない。生体が発する電磁波や熱、それから臭いなど、ハッキリとは意識に上らない微かな情報の集まりを違和感として覚えたのだ。

 勿論意識に上らないという事は、それは誤差レベルの、データ上は極めて小さな値である。所謂気の所為という可能性もゼロではない。


「……グコココロロロ……」


 賢いネオはその可能性を認識出来る。注意深く辺りを探ったが、これといって怪しいものは確認出来ず、ネオも自分の予感が正しいか怪しく思う。

 警戒し続ける、というのも疲れる事だ。筋肉を緊張させ続け、周囲の『分析』を絶え間なく行わねばならない。つまり筋肉を収縮させ、神経細胞を活性化させ続ける。こうした行いにはエネルギーを使う。つまり警戒するほど、腹が減るという事だ。

 食べ物が限られている自然界では、常に警戒し続けるのも不適応な行いなのだ。しばらく周囲を探ってみたネオだが、怪しい生き物が見当たらない以上何時までも警戒する訳にもいかない。


「……………ブシュゥー」


 荒々しい鼻息を吐くのと共に、ネオは警戒を緩めた

 ――――瞬間、大地が

 それは山頂のあちこちにある亀裂の一つが、大きく広がった事で生じた。広がりはネオの背後で生じ、彼女の視界には入っていない。

 そしてまるで爆発するような音を鳴らし、『それ』が大地から飛び出す!

 地中で機を窺っていたのだ。ネオが警戒を緩める瞬間が来るまで。ネオはその思惑通りに気を緩め、『それ』は背後からネオに襲い掛かる。

 生まれたばかりであるネオの子は、この襲撃に気付いてもいない。大きな音に驚き、無意識にぴょんっと跳ねてしまうだけ。

 この小さな子供の母親であるネオは――――落ち着いていた。

 ぴくりと身体が震える。しかしそれは驚いたからではない。ネオにとってこの状況は想定通り。何しろ隙を晒して、相手の攻撃を誘発したのだから。歴戦の猛者であるネオにとって、奇襲を狙う敵との戦いも経験済みだ。

 思った通り仕掛けてきた相手には、相応の歓迎が必要だろう。

 例えば、尻尾によるビンタのような。


「グゴアアッ!」


 振り向かずに振るった尻尾は、タイミング良く『それ』に命中。確かな手応えを感じ、更に強く尻尾を振るう!

 尻尾で打ち付けた『それ』にとって、ネオの攻撃は予想外だったのだろう。尾で感じる重さに反して、押し出すのは容易い。大きく吹き飛ばし、巨大なものが大地を転がる音が響き渡る。

 本気で振るえば音速を凌駕する一撃だ。自身に匹敵する巨大生物相手にも、当たりどころが良ければ一発で致命的な打撃を与えられる。そこまでいかずとも、これまでの生涯でネオが食ってきた数多の生物達相手なら、骨折や脳震盪などを引き起こす。一発でもまともに当てれば、こちらの有利が決定的となる。

 しかし、今回の相手は違うらしい。


「ギィヨッボオオオオオオ!」


 激しい雄叫びを上げながら、『それ』は立ち上がったのだ。大地を踏み締める音がしたと思ったら、もう横転し続ける音は聞こえてこない。

 あまりにも軽い身のこなし。直撃を受けたにも拘らず、大きなダメージとはなっていないらしい。

 こんな相手は初めてだ。そんな気持ちを抱きながら、ネオはいよいよ『それ』の方へと振り向く。今から仕留める獲物がどんな存在かを知るために。

 そして対峙する。

 地下深くから現れた、恐るべきと――――

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