次世代

 ネオの身体に異変が起きたのは、人間達の襲来から半年の月日が流れた頃だった。


「グル、ウゥ?」


 キョトンとしながら、ネオは顔を上げる。

 この半年で、人間達の攻撃により負った傷は完全に癒えた。鱗は生え揃い、かさぶたも剥がれている。傷跡こそ身体の至るところ、顔などにも残っているが、獣であるネオはそんな事には頓着しない。

 また幸運にもこの半年間、ネオは食べ物に困らなかった。地下空洞生物がわんさか現れていたからだ。いや、厳密に言えば地下空洞生物の出現は地下の異変に起因するものであり、ある種の必然であって幸運ではないが……

 なんにせよ身体は治り、腹も満たされた。今も地下空洞生物の一種(巨大な海洋性両生類。体長二十二メートルにもなる、陸生サンショウウオとでも言うべき生物)を食べ、満腹になっている。

 人間達を蹴散らし、取り戻した島の平和。

 これを本能のまま満喫していた時に、ふと不思議な感覚に見舞われたのだ。


「……? グルゥ……?」


 周囲で何か異変でも起きているのか。そんな気持ちから辺りを見回すが、しかし目に映るのは……人間達が起こした火災も届かなかった事もあり……何時も通りの山頂の風景。木一本生えていない黄ばんだ大地に、獣が隠れる場所などない。

 何より、危険な感覚ではない。

 そもそも不思議という表現をしたのは、ネオにとって今までに感じた事のない感覚であるため。空腹感でも苛立ちでも怒りでもない、幸せでも焦りでも痛みでもない。危機感や不快感でもなかった。

 強いて言うなら、何かに促される感覚。

 人間ならば、自分が何を感じているのか考えるだろう。しかしネオは獣だ。獣は自分の抱いた衝動が何かなど考えない。飢えれば喰らい、眠たくなれば眠り、疲れたなら休む。今抱いている感覚に対しても同じだ。


「……………グゥウゥ」


 ネオは起き上がり、歩き出す。何時もなら森へと持ち帰る獲物さえも放置して。

 山を下りたネオは火災が及ばなかった、木々が生い茂る場所へと向かう。

 自然豊かな場所では、減ってしまったとはいえまだまだ多くの生き物がいる。しかしネオはそれらを一瞥する事もせず、そわそわしながら歩き回る。今更森の生物に遅れを取るなどあり得ないのに、まるで夜中に巣から出てきたネズミのように、周囲の様子を注意深く窺ってしまう。

 そして普段なら興味も持たない、ある植物に目を奪われた。

 ヤシシダ、と人間達に名付けられた植物だ。ヤシのように太い幹と先端から生える大きな葉を持つシダ植物の一種で、この島では珍しくもない樹木である。

 このヤシシダを見たネオは、無性に倒したくなった。何十年も生きてきた木を倒す事の罪悪感は、ケダモノであるネオにはない。


「グルグゥウゥ」


 大きな両手でヤシシダを押せば、巨木はメキメキと音を鳴らして倒れる。

 倒れたヤシシダを咥えたネオは、軽く口を閉じた状態で頭を横に動かす。そうすればさながら握った手をスライドして枝から葉を落とすように、ヤシシダの大きな葉は千切れてネオの口の中で束になった。

 束ねた葉は地面に落とし、足先で軽く蹴飛ばして散らす。鼻先などで突き、葉が円形に並ぶよう位置を整える。

 ……葉の量が少なくて、葉が数十枚地面に散らばるだけのような状態にしかならない。

 ネオの『本能』はこれでは満足出来なかった。もっとたくさんの葉を。何故そう思うのかネオ自身にも分からないが、しかし衝動に逆らう気もない。

 湧き立つ気持ちのままに、ネオは次々とヤシシダを倒し、葉を削ぎ取り、一ヶ所に集めていく。

 何十分もこれをやると、周りにあったヤシシダは粗方倒され、ヤシシダの葉が積み上がった小山が出来た。

 本能のままに作り上げたものを見て、一旦ネオは満足する。しかし山盛りの葉を見たら、新たな衝動が込み上がってきた。

 この葉の上に座りたい。


「グゥ、グルゥルル……」


 なんだか分からないが、無性に座りたい。

 湧き出す想いのままにネオは山盛りの葉の上に座り込んだ。特にお尻の嵌り方に、ちょっとしたこだわりが生まれている。腰を左右に揺らして、丁度いい嵌り方を探す。

 意外と良い場所が見付からず、五分ほどもぞもぞ動かしていたが……やがて心地良い場所を発見。そこで落ち着き、息を吐く。


「……クフゥー……」


 そうしたら身体を伏せて、目を閉じてしまう。狩りに行こう、遊びに行こうという気にはならない。

 ネオはこの日、まだ昼間だと言うのにそのまま深い眠りに就くのだった。

 ……………

 ………

 …

 それからしばらく、ネオは自分が作った葉の上で過ごした。

 何か強い意志があった訳ではない。ただ空腹感もなく、やたらと眠く、そして山の上に座るのが心地良かったから退かなかった。

 自分の身体の中で、何かが起きていると気付かぬままに。

 しかし変化は着実に進んでいる。いずれ限界を迎え、それはネオに変化を生み出す。


「……………クルルルル」


 目覚めたネオは、下腹部に『重たさ』を感じた。便意に似た感覚だったが、少し違うような気もする。

 なんだか分からないが、出したい感覚がある。恥も外聞もないネオは、この重さを溜め込むつもりはない。

 腹に力を込めるようにして、身体の中の遺物を押し出そうとしてみる。やってみると、案外簡単に『何か』は腹から出て、身体の中を通っていく。

 通る場所が、糞とは違うように感じた。おまけにかなり大きい。便秘の時ぐらい気合いを入れなければ、中々出てくれそうにない。


「グゥゥゥゥウゥウ……ンゥ」


 ちょっと強めに力んでみれば、ぼとんっ、と何かが出た。草を動かすがさりという音も聞こえ、そこそこ大きなものが出たと分かる。

 一体何が出たのか。優れた知能故に興味が湧いたネオは、少し身体を起こし、出てきたものを見ようとした。

 そこにあったのは白くて丸い卵だった。

 ネオはキョトンとした。なんでこんなところに卵があるのだろう? そもそもこれはなんの卵だ? ネオに人間のような賢さはないが、考えてみたところ答えに辿り着く。

 これは自分の卵だ。

 ――――本来、この小さな島でアロサウルス・ネオが今に至るまで種を存続する事は出来ない。

 それは食べ物がないから、ではない。有性生殖を行う生物はある一定の個体数がいないと、餌の有無に拘らず種が維持出来ないからだ。理由としては「異性と出会えない」「性別が偏りやすい(数千体もいれば確率論上雌雄は大体一対一になるが数体では雌ばかり雄ばかりになる可能性もある。コイントスの試行回数が少ないと裏表のどちらかに結果が偏りが出やすいのと一緒だ)」「生殖可能な年齢の個体が少なくなる」などの問題が生じやすくなるため。他にも遺伝病のリスクや、多様性の少なさ故に環境変化に耐えられず全滅というのもあり得る。

 昆虫のように多産であれば、存続可能な個体数は比較的少なくなる傾向がある。人間の手厚い保護を受ければ、ほんの十体程度から個体数を回復させた例もある。しかし一般的に、陸上脊椎動物は野生環境下での存続には五百〜一千体程度が必要とされる事が多い。アロサウルス・ネオのような恐竜も例外ではなく、かつてこの島にいた恐竜達の一部も、個体数がある程度少なくなると急速に衰退・絶滅していった。

 だが、アロサウルス・ネオはこの問題を克服した。

 を身に着けたのだ。爬虫類の単為生殖というのは、少数ながら例は存在している。恐竜の直系である鳥類にも、ごく一部の種で(主に飼育下での確認だが)見られている現象だ。恐竜であるアロサウルス・ネオも性質的には可能だった。

 単為生殖が行えれば、適した繁殖相手がいなくても世代を繋いでいける。個体数がどれだけ減っても、雄が絶滅しても、ただ一体若い雌がいれば良い。アロサウルス・ネオが今まで生き残れたのは、この能力のお陰と言えよう。

 ……尤も、餌不足で生存可能な数自体がどんどん減っては、どれだけ繁殖力に優れていても無意味だが。

 ともあれアロサウルス・ネオは単独での繁殖が可能で、交尾などは必要ない。ある程度の身体的成長を遂げた後、栄養状態が良ければ自然と卵巣内の卵が発育する。

 成体となり、たくさんの獲物を食べたネオの身体は、繁殖の準備が整ったという事だ。ネオ自身の意識とは無関係に。


「グル、クコルルルル……」


 初めて目にする自分の卵に、流石のネオもちょっと困惑。噛んだり踏んだりで『倒せる』相手ならやる事は簡単だが、自分の卵をそうする訳にもいかない。

 一体、どうすれば良いんだろう。

 ネオは考えた。しかし地球で一番賢い動物・人間でもをどうすべきかなど、そう簡単には考え付かない。人間以下の知能であるネオに、早々答えが浮かぶ訳もなく。

 ……ただ、この丸い卵が嫌いではない。むしろ少し気に入っている。

 正に本能だった。アロサウルス・ネオは小さくて白くて丸い物体を好む。人間が赤ん坊を可愛いと思うように、白くて丸い卵に可愛らしさを見出す。

 そこに『何故』という問い掛けは意味を成さない。「何故赤ちゃんは可愛いのか」を説明するのと同じぐらい無意味だ。、という動機付けでしかない。

 そして動機がなんであれ子育てをすれば、子供は安全に大人となり、子孫を繋いでいける。生き物の生態というのは、結果的に繁栄に寄与すればなんだって良いのだ。


「グゥ。ココロロロロ……」


 よくよく見れば結構可愛いかも。そんな気持ちを抱いたネオは、とりあえず卵の傍に居座る事にする。

 アロサウルス・ネオ最初の『子育て』は、卵の傍に居座る事。

 鳥のように温める事はしない。圧倒的巨体を有するアロサウルス・ネオが小さな卵の上に乗っかれば、どんなに慎重に立ち振る舞っても簡単に割れてしまう。だったら下手に手を出さない方がマシだ。

 またこの島は年中とても暖かで、親がわざわざ温めなくとも卵が冷える心配はない。夜であれば少々冷え込むが、アロサウルス・ネオの卵が持つ耐寒性であれば問題なく耐えれる水準だ。

 それよりも警戒すべきは、卵を狙う天敵の方だろう。獰猛な捕食者が多くいるこの島で、大きくて栄養満点の卵が単身で生き残るのは難しい。しかし母親……島最強の捕食者であるアロサウルス・ネオが傍にいれば、普通の生き物はまず近寄らない。

 故に見える位置、眼前に卵が転がっているのが最良の近さだ。そして卵の可愛さにメロメロとなったネオは、本能のまま卵を視界に収めておく。


「グウゥ〜」


 自分の産んだ卵を、愛らしいと思いながら見つめるネオ。

 どれだけ見ても飽きなどこない。卵に飽きるという脳構造をしていた個体は、子育てを途中で放棄した結果とうの昔に死に絶えた。ネオは、卵が孵化するまで飽きなかったモノの末裔である。

 そして卵が孵化するまでの間、アロサウルス・ネオは空腹感を覚えない。

 食事のために卵の傍から離れたり、空腹に耐えかねて卵を食べたり、等の事故を防ぐための性質だ。理性のない野生動物に、我が子だから食べない、なんて考えはない。本能的に食べない仕組みを持っている方が、確実に子孫を残せるのである。

 卵が孵化するまで、あと三週間。

 地下空洞生物をたらふく食べた今のネオにとって、じっと動かなければ、そのぐらいの時間を飲まず食わずで耐える事はさして難しくなかった。

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