致命的な傷跡

17

 翌朝。島に晴れ間が戻った。

 昨日のうちに全ての水分を出し切ったと言わんばかりに、今日の空には雲一つない。燦々と輝く南国の太陽が、小さな島を照らす。

 普段木陰の下で寝ているネオにとって、その眩しさは少し辛い。日差しを遮る物が何一つない、岩礁地帯ならば尚更に。


「……………ングフワアアァァ……フゥ」


 朝日を瞼に受けたネオは、何時もよりかなり早い時間帯に目を覚ました。

 人間との戦いから、まだ一日も経っていない。

 しかしネオの身体には、既に再生の兆しが見える。血を吹いていた傷は全て塞がり、分厚いかさぶたが出来ていた。鱗も小さなものが生えていて、棘のようなものがちらほらと見受けられる。

 鱗がここまで短期間で生えてくる理由は、『予備』があるため。元々アロサウルス・ネオの身体には、今生えている鱗の下に次の鱗が控えている。この控えの鱗は体表の鱗が失われると、組織の炎症と共に押し出され、ごく短期間で身体を覆う。これにより防御能力の低い時期を短くし、次の狩りをすぐに行えるようにしているのだ。

 とはいえまだ地肌はいくらか剥き出し。剥がれなかった鱗も、大部分が焦げ付いている有り様だ。完全な回復を遂げるには、半年近い時間が必要だろう。

 勿論時間だけでなくエネルギー、つまり食べ物も必要だ。早起きしたネオだが、目覚めと同時に強く感じる空腹が二度寝を妨げる。

 眠り続けるのが自由であるように、起きるのもまた野生では自由。空腹を満たしたいと思ったネオは起き上がり、餌場である山頂へと向かう事にした。

 勿論海岸から山頂へと向かえば、道中の森を通る。


「クコロロロ……」


 ネオはたった一晩で変わり果てた森を、歩きながら眺めた。

 人間達が放った火は既に消えている。燃えやすい木が粗方燃え尽き、雨も強まった事で夜中のうちに鎮火した。

 それでも被害は甚大だ。島の三割以上の木々が焼け落ち、あちこちに黒い塊……炭と灰が転がっている。一晩降った雨で炎は消え、炭化した木々はもう残り火もない。

 命の消えた大地であるが、ネオはあまり気にしない。むしろ炭を踏んだ時のザクザクとした感触が、ちょっと面白いとすら思っていた。足取りは軽やかになり、るんるんしながら進んでいく。


「ゴグ?」


 そのご機嫌な足先に、何かがぶつかった。ちらりと、ネオは足下に目を向けてみる。

 そこには黒焦げた塊があった。

 人間の亡骸だ。ネオを恐れて森に逃げ込んだものの、自分達の放った火によって焼け死んでしまったらしい。尤も、岩礁地帯をちんたら逃げていたら、ネオは容赦なく叩き潰していたので、森に逃げ込むのは(自分達で火を付けた事を除けば)間違いではないが。

 憎たらしい人間の死体を見付けたネオだが、特に関心も持たない。獣である彼女は元々死者にどうこう思わないのもあるが、何より真っ黒焦げの塊を人間と思えるほど賢くもなかった。精々、変な形の石があるぐらいにしか感じていない。


「グキャキャッ、キャッ」


 踏み付ければこれもザクッとした踏み心地があり、ちょっと楽しかった。


「ぎゃああああああああ!」


 ご機嫌な気持ちが薄れたのは、驚くほど大きな悲鳴を耳にした時。

 いきなりの大声にまず驚き、そしてその声が人間のものと気付いて怒りが込み上がる。

 しかし声があまりに情けないので、すぐに怒りは霧散したが。


「クコ、ココロロ」


 興味本位。人間で例えると大凡そんな気持ちで、ネオは声が聞こえた方に向かう事とした。

 幸いと言うべきか、ネオが驚くほどの大声だ。どんな状況に置かれたにしろ、人間が出す声の大きさなどネオに比べれば小さなもの。つまりネオが人間の声を五月蝿いと感じるには、かなり近い位置にいなければならない。

 それこそ黒焦げた木の裏のような、すぐ近くだ。ネオの鼻は人間の位置を正確に把握し、目星を付けた場所を覗き込む。

 予想通り、そこには人間がいた。

 巨大なトカゲに下半身を咥えられた、という前置きはすべきだろうが。

 ディノメントゥム――――この島に生息する爬虫類の一種だ。体長は五メートルに達し、コモドオオトカゲに似たガッチリとした体躯だが、進化上然程近縁ではない。頭部が非常に大きく、トカゲと言うよりは肉食恐竜を彷彿とさせるだろう。開いた口の中には鋭い歯が何本も生え、どんな硬い肉も簡単に切り裂く。正にディノメントゥム恐ろしい顎の名に相応しい見た目だ。


「ぐひぃい!? ぎああぁああ!」


 そのディノメントゥムの牙は人間の腹や足に深く食い込んでいた。血が多量に溢れ出し、服が赤黒く染まっている。人間は目に涙を浮かべて叫ぶばかりで、ネオの存在には気付いていないようだ。

 どうやら火事を生き延びたものの、ディノメントゥムに捕まってしまったらしい。

 人間の手には銃が握られ、人間はそれを使ってディノメントゥムを攻撃している。しかしその攻撃方法は、銃を鈍器として使うというもの。渾身の力で叩き付けたため銃身が曲がり、もう真っ直ぐ弾は飛ばないだろうが、そんな事など気にも留めず人間は銃でディノメントゥムを殴る。

 銃弾で頭を撃てば、ディノメントゥムの頭蓋骨ぐらいなら貫き、殺せただろう。だが銃身で叩いても怯まない。噛み付き、食い殺す狩りをするディノメントゥムの頭は攻撃を受けやすい。このため頭蓋骨も皮膚も分厚く、打撃の衝撃をほぼ無効化してしまうのだ。体格差も考慮すれば、人間の打撃など殆ど通じていないだろう。

 そもそも攻撃を受ける事自体に慣れているので、ちょっとやそっとの痛みではディノメントゥムは怯みもしない。この人間の抵抗は、ハッキリ言って無駄な足掻きだ。

 では、何故この人間は銃を撃たないのか。

 答えは簡単。もうその銃に弾が残っていないからである。

 銃に込められた弾丸は、決して無限ではない。撃てば消費し、いずれなくなる。島上陸時に大量の物資を搬入したが、それでも有限だ。

 そして人間達はネオとの戦いで、大量の弾薬を消費した。ロケットランチャーも残弾なしの状態である。島に運んだ弾丸はもう殆ど残っていない。追加の補給を得ようにも、この島に来た船は三隻全てがネオの攻撃により海に沈んでしまった。

 弾がなければ、どんな武器も鈍器にしかならない。この人間も逃げ回る中で撃ち尽くし、どうにもならなくなってこの無様な抵抗を繰り出しているのだ。


「グルゥウゥ」


「ギ、キュゥゥゥ……」


 軽くネオが唸ると、ディノメントゥムはネオの存在を認知。怯えたように身を縮めた。

 しかしネオに襲う気がないと分かると、人間を咥えたまま後退していく。

 ネオとしては、人間に興味はない。そいつらは自分の邪魔などしないのだから。無論助けるつもりもない。散々自分を攻撃してきた奴をどうして助けるというのか。

 そしてディノメントゥムを食べるつもりもない。普段なら食べるのだが、人間を食べた奴だ。腹の中には他にも人間がいるかも知れない。人間が爆発自爆する事を知っているネオは、今このディノメントゥムを食べようとは思わなかった。


「ガルルルゥ。グルゥ」


 ネオは人間を一瞥した後、その場を後にした。

 耳を澄まして歩いてみれば、あちこちから人間の悲鳴が聞こえてくる。夜を乗り越えた者達も、太陽が昇って活発になった島の生物に襲われているらしい。

 ネオが手を下さずとも、数日以内に人間達はいなくなるだろう。

 そしてネオは自分で手を下したい訳ではない。人間が他の生き物によって片付けられるのなら構わない。

 それよりも、今は腹ペコだ。


「グゥウルルルル……」


 人間達の悲鳴を頭の片隅に寄せて、ネオは改めて山頂へと向かう。

 何がなんでも山頂に行きたい訳ではない。あくまでも獲物を求めての行動だ。他に手頃な獲物がいれば、ネオとしてはそれを食べるだけ。

 しかしそれらの大型動物達の姿は、あまり見られない。先程のディノメントゥムを除くと、一〜三メートル程度の(ネオからすれば)小動物が主に人間を襲っている。それら小動物にしても、普段より数はかなり少ない。

 動物達の数が少ないのは、言うまでもなく人間が森を焼いた影響だ。火事は島の三割程度に広がり、それだけ多くの動物達も焼き殺している。いくらディノサーペントなどが強力な生物でも、大火災の炎に耐えられるほど強靭な身体ではない。燃える炎を抜けられる、ネオがおかしいのだ。

 どの種も絶滅には至っていないが、個体数は大きく減った。ましてや燃えたばかりの森の中。そこまで進出する個体はごく僅かしかいない。


「だ、だす、げ、げぶ」


 その僅かな個体も、何時爆発するか分からない人間を食べている。だから食べようとは思えなかった。

 ……今回の襲撃は、前回と違い人間達の狼藉の影響が色濃く残っている。

 特に大きな被害が森の焼失だ。草花と違い、一本の大木が育つには何十年もの年月が掛かる。焼けた土地の全てを再び緑が覆うまで、百年二百年は必要だろう。

 また、燃えたのは木だけではない。腐葉土が降り積もった土も燃えてしまった。土壌の再生にも長い年月が掛かる。しかも土の中には休眠していた種子があったのに、火事によりそれらも焼けてしまった。新たな種子が運ばれてくるまで、大地から緑が芽吹く事はない。

 森が完全に回復するまで、何百年も掛かるだろう。森を形作る植物は、島の生態系を支える根幹だ。森が減っていればそれだけ生き物の数が減る。即ち生物の個体数が人間上陸前の水準に戻るまで、何百年も掛かる事を意味する。

 それは、ネオを活かしている環境の崩壊も意味していた。

 すぐに影響は出ないだろう。だが、遠からぬうちにネオの食欲を島は支えられなくなる。地下空洞生物という別の食料源はあるが、こちらは必ずしも安定的に現れる訳ではない。今のこの島の生態系では、飢えたネオを何週間も生かす事は難しい。『不運』に見舞われればネオはたちまち飢え死にする。そして百年二百年もあれば一度や二度は不運が起きるだろう。

 島が小さくなる度に個体数を減らし、今では一頭だけになってしまったアロサウルス・ネオ。銃も艦砲もミサイルも通じなかった太古の生命は、環境変化環境破壊により途絶えようとしている。長い目で見れば、先の戦いに勝利したのは人間達の方なのだ。

 とはいえ、知性はあっても科学を知らぬネオは、自分が危機にあるとは微塵も気付いていない。ましてやその身体は、本能のまま生きている。


「グルルルゥゥ〜」


 何も知らないネオは、上機嫌な唸り声を上げながら焼けた島を闊歩するのだった。

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