奥の手

 誤解なきよう言うならば、ネオは大きく負傷していた。

 背中の鱗が幾つも剥がれ、肌が露出している。鱗が大部分の衝撃を緩和してくれたが、それでも受け止めきれず、肌には火傷と裂傷が出来ていた。だらだらと血が滴り落ち、身体を赤黒く汚す。

 致命傷には至っていない。しかしあらゆる攻撃を跳ね除けていた鱗がなくなり、地肌が剥き出しという事は、ついに攻撃が通るという事。ネオからすれば状況は酷く悪いもので、人間からすれば今こそが好機と言えよう。

 だが、両者の反応はチグハグ。

 人間達は恐れ慄いていた。多くの兵士が呆けたように立ち尽くし、一部の兵士は後退りしていく。顔には恐怖が震え、息を飲む者も一人二人ではない。退却命令が出ていない事、今まで攻勢に出ていた経験からか逃げる者こそいないが……誰もが、この場から去りたがっていた。

 対してネオは、人間達を睨む。

 一切怯まず、恐怖もせず。鱗が剥がれ、血も流れているのに、彼女の心に恐怖はない。  それどころか人間達の方に一歩一歩歩み寄っていく。目には闘志が燃え盛り、全身に力を滾らせる。

 ネオとの距離が縮むと、人間達は更に後退り。


「ひ、怯むな! 奴の鱗は失われている! 今なら打撃を与えられるぞ!」


 兵士達の恐怖を察した部隊の隊長は、大きな声で隊員を鼓舞する。

 事実、ネオは傷付いている。頑強な鱗さえなければ銃撃も通る筈……『科学的』な説得を聞いて、兵士達は士気を取り戻す。


「撃て! 撃ち続けろ!」


 隊長からの命令に応じ、銃が再び火を噴いた。ロケットランチャーは弾切れのため撃たれないが、無数の弾丸がネオ目掛けて飛んでいく。

 そしてどの弾もネオに命中。

 そう、命中はした。間違いなく。

 しかしどの弾丸も、ネオの身体に届く前に。まるでポップコーンのように粉々になり、鉛の破片が岩礁に散らばってカラカラと乾いた音を鳴らす。

 更にその光景は迸る光によって、雨の中でも人間達の目にハッキリと見えた事だろう。

 だからこそ、誰もが唖然となる。自分が何を見たのか、理解出来ないと言わんばかりに。引き金に掛けていた指が止まっていた。

 ネオは止まらない。先程と変わらない力強さで闊歩し、人間に迫る。

 そのネオに向けて飛んでくるものがあった。

 艦砲射撃の砲弾だ。今までは鱗により防いでいたが、今のネオの背中側は鱗が失われている。直撃すればいくら巨大な恐竜といえども、一般的な動物と同じように粉々に吹き飛ぶ……人間達は誰もがそう信じていた。

 だが、砲弾もまたネオには届かない。

 ネオが纏う青い電撃に触れるや、砲弾はぐしゃぐしゃに潰れたのだ。目視で認識出来る早さの出来事ではないが、バラバラに砕けた砲弾の残骸を目にすれば何が起きたかを察する事は可能だ。


「グガガギオオオオオオオオオオンッ!」


 ましてやネオが大気を震わすほどの咆哮で叫べば、誰にもネオの健全ぶりは伝わるだろう。

 人間達は、もう訳が分からない。何故鱗もないのに艦砲射撃が通じないのか、どんな理屈も思い付かない。そもそも何故ネオの身体の周りに青い雷撃が飛び交っているのか、誰にも説明出来ない。

 ネオにだって説明出来ない。彼女には科学の知識など何もないのだから。しかしもしも人間がネオの『標本』を手にし、研究を行ったなら……その特異なメカニズムを解明出来たかも知れない。

 アロサウルス・ネオの身体を覆う鱗は多くの金属が含まれている。この金属成分が豊富な鱗をと、静電気の要領で電気が生まれるのだ。この電気は大部分が金属成分の豊富な鱗、僅かながら筋肉にも、蓄積していく。

 そしてある程度溜め込んだところで、放出する。放出方法は鱗を伏せ、鱗同士が重なるようにして行う。例えるなら、鱗を電線代わりにして体表面を循環させるのだ。

 長い時間を掛けて溜め込んだ電気は強力だ。強力故に、電流として体表面を流れると強い磁場を形成する。磁場は触れた物体、特に中に含まれている金属に強く干渉し、さながらような運動を生じさせる。

 名付けるならば拒絶障壁。

 自身に触れようとするあらゆるものを跳ね返す、アロサウルス・ネオの切り札の一つだ。拒絶障壁は決して無敵の守りではなく、生物相手だと精々衝撃を緩和する程度の働きしかないが……人間が繰り出す攻撃は、いずれも金属を用いたもの。このため拒絶障壁の効力が最大限発揮され、ほぼ完全に跳ね返す事が出来ていた。

 艦砲射撃も銃弾も、鱗の剥がれた柔らかな皮膚を貫けなかったのはこのためだ。

 ……跳ね返しているので、直撃は受けていない。しかし大気の熱は幾分伝わるため、火傷までは防げない。砲弾ごと押し返しているものの、それでも爆風によりネオの地肌は火傷を負い、ダメージは未だ少しずつ蓄積している。

 だが、もう転ぶ事はない。


「クコロロロロロロロ……!」


 喉を鳴らし、睨み付ければ、人間達はまた後退り。中には森の中に逃げ出そうとする者もいる。

 逃がすものか。そう思ったネオは、更なる切り札を繰り出そうと身体に力を込めた――――

 が、標的を人間にするのは止めた。

 狙うは、海上でこちらを砲撃する軍艦だ。ネオに狙われている人間達を逃がすためか、これでもかと言うほど艦砲射撃を行っている。ミサイルも撃たれ、残りの弾の全てを使ってでも此処でネオを倒すつもりなのだろう。

 人間達の思惑などネオは知った事ではない。拒絶障壁を張った今なら、無視しようと思えば無視出来る。しかしネオはそこまで理知的な生き物ではない。

 こんなに『ちょっかい』を出されたなら、相応の仕置きをせねばなるまい。


「ゴガアアアッ!」


 怒りの感情のまま、ネオは海上の軍艦に『狙い』を定めた。

 言うまでもなく、軍艦はネオに近付いていない。

 ネオからの距離は凡そ五キロ。何をどう足掻いても、ネオの牙も腕も尻尾も届かない位置に浮かんでいる。吼えたところで近付く事はなく、またネオは泳げないのでこちらから歩み寄りも出来ない。

 だが問題はない。そもそも近付く必要なんてない。此処からでも、問題なく

 ギリギリと歯軋りをしながら軍艦を睨むネオ。無論睨んでも船は沈まない。それでもネオは歯軋りを続け……


「グガアアゴオオオオオオオオオ!」


 溜め込んだ力を解き放つように、猛々しい咆哮を上げた。さながらネオの怒りを表すかのような叫びに呼応するかの如く、ネオの身体が一層眩く輝き出す。

 瞬間、ネオから一閃の光が飛ぶ!

 それは稲妻だった。ネオは身体に纏っていた電気の一部を、軍艦に向けて飛ばしたのである。

 本来、電気を任意の場所に飛ばすというのは極めて困難だ。まず電気というのは、基本的に流れやすい場所を通る。空気よりもネオの身体の方が電気を通しやすいため、ただ放つだけではネオの体表面しか流れない。

 仮に放てても、空気中でもやはり電気は最も通りやすいコースを通っていく。空気の抵抗というのは大気組成や密度により刻々と代わり、そして均一ではない。適当に放ったところで、雷のようにジグザグに飛んでいってしまう。大気の状態から予測しようにも、風一つなくとも大気分子は自由に動き回っているのだ。スーパーコンピューターでも予測なんて出来っこない。当然ネオにも分からない。

 この問題を解決する術を、アロサウルス・ネオは持ち合わせている。

 咆哮を上げる前にしていた歯軋りがその仕込みだ。音が外からでも聞こえるぐらい強く噛み締め、顎を左右に揺らす。この動きにより歯が削れ、『粉』が口の中に溜まっていく。

 この粉を咆哮と共に吐き出す。

 アロサウルス・ネオの歯には鱗同様豊富な金属が含まれており、それを削って溜め込んだ粉にも金属成分が多く含まれている。つまり電気を非常に通しやすい。

 叫ぶのと共に粉は真っ直ぐ標的目掛けて飛んでいく。細く削った歯の欠片は非常に軽く、空気中を数秒程度滞空。身体から放たれた電気はこの漂う粉を伝わっていき、一直線に標的へと向かう。

 そしてネオの声は、遥か数キロ離れた船まで問題なく届く。粉もまた空気の振動と共に、数キロと飛ぶ。五キロ先だろうと、直線ならば射程圏内。

 ネオが放った電撃は秒速数百キロもの速さで飛び、軍艦を直撃した! 電撃が命中した部分の装甲は熱く熱せられて膨張。しかし周りにも金属があるため自由に膨らむ事は出来ない。まるで盛り上がるように外側へと向かい……

 爆発するかの如く勢いで、弾け飛ぶ!


「グガガコロロロロ……!」


 命中を目視で確認したネオは、喉を鳴らして笑う。忌々しい船に一発入れてやった事が嬉しくて堪らない。

 しかし船はまだ浮かんでいる。現代の船のダメージコントロール技術は優秀で、側面に穴が空いたぐらいなら問題なく耐えられるのだ。それに攻撃を当てたのはまだ一隻だけ。あと二隻無傷の船がある。

 こんなものでは、ネオの怒りは収まらない。


「ガアアアアアアアアアアア!」


 再度の咆哮、そして雷撃。

 海面スレスレを走るように雷撃は飛び、再び軍艦の一隻に命中する。偶々であるがそれは先程爆発した大穴の中に吸い込まれるように入り、内部で跳ね回る。

 艦砲射撃さえも押し出す磁力。ネオが放つ電撃はその一部であるが、それでも雷を大きく上回る出力を有していた。不運にも直撃を受けた人間は駆け抜ける電気に焼かれて即死し、近くにいた者も感電して意識を失う。

 そして電気が通る事で生み出す熱は、船の設備も焼いていく。

 一部の配線が焼け溶けてショートする。必要な電気が届かなくなり、艦の機能に不具合が発生。更に飛び散る火花があちこちに引火、火災が発生して新たな事故を引き起こす。

 厄災が連鎖する。乗組員達は仲間の救出をしながら、なんとか復旧しようと試みる。もうネオに攻撃なんてしている余裕はない。近くの船に救護を求め、避難準備も進める。

 生憎、ネオはそれを待つほど気長ではないが。


「ゴガガガオオオオオオオ!」


 三度目の雷撃。

 今度は穴には入らない。だが他の装甲に命中し、駆け回る過程で何かの配線を焼いた。不運にも加熱された装甲は、今度は内側に向けて膨張。当然内部に向けて弾け、溶けた鉄が艦内のあちこちを貫く。

 新たな火災は、ついに船の燃料ボイラーに到達。大量に積まれた燃料に僅かでも燃え移れば、瞬く間に火は勢いを強め――――爆発。

 連鎖する爆発が通路を駆け抜け、船中を紅蓮の炎で満たす。当然、中にいた乗組員も巻き込む。仲間を助けていた者、戦いを続けようとした者、撤退を呼びかける者、恐るべき生命に恐怖する者……何もかも関係ない。炎は全てを焼き尽くし、船の全てを燃やし尽くす。

 最後に、船に積まれた武器などの火薬に引火。とびきり巨大な爆発が生じた。加熱された空気が船全体を膨らませ、ついに耐えきれず

 爆沈だった。まるで魚雷や爆雷を何十発も受けたかのように、跡形もなく吹き飛ぶ。

 ついにネオの攻撃は、人間達の軍艦を破壊したのだ。


「グガッ!?」


 この結果に、攻撃した当事者であるネオは驚く。電撃自体は初めて使った技ではないが、基本的にはただ感電させ、その熱量で敵を焼くだけの技である。こんな爆発が起きるなんて、全くの予想外だった。

 しかしネオ以上に固まっていたのが、人間達の方である。

 たかが恐竜風情が、本気を出した人間に勝てる訳がない。

 全員がハッキリとそう思っていた訳ではない。されど内心、深いところでは確信していた。事実これまで人類が遭遇した如何なる生物も、今の人類が持つ『火力』には敵わない。陸上最大の動物であるアフリカゾウでさえ、軍隊どころか密猟者が使う銃で乱獲出来る程度の強さしかないのだから。何より人間の強みである射程を活かせば、どんな動物も手も足も出ない。

 なのにネオは、人間の猛攻を全て耐え抜いた。挙句遠く離れた軍艦さえも破壊する。それは今の人類にとって、受け入れ難い異常事態。


「ひ、ひ、ひぃいぃぃいいいぃぃい!」


 最も心の弱い兵士が一人、恐怖に耐えられずこの場から逃げ出した。


「ひぃ、た、助けてぇ!」


「ま、待て! 持ち場を離れるな!」


「うわあああああ!」


 一人が逃げ出すと、また一人、また一人森に向かって逃げてしまう。隊長が引き止めるが、最早軍人としての気概が残っていない彼等は言う事を聞かない。

 残る兵士達は銃を持ち直し、戦う意思を見せるが……その決意はすぐに挫けてしまう。

 二隻の軍艦が回頭し、島から離れるような動きを見せたからだ。

 軍艦達の名誉のために言うなら、彼等は決して島にいる兵士を見捨ててはいない。ただ五キロの距離で一隻破壊された事から、安全を確保するためもう少し離れようとしているだけ。またその旨は通信で上陸部隊に伝えようとしている。

 だが傍から見れば、その動きは逃げているような動きそのもの。おまけに通信は、ネオが放つ電磁波に阻害されて届かない。返事があるまで待っている訳にもいかず、軍艦達は例え汚名を着せられてでも安全を確保するしかなかった。

 しかし軍艦の乗組員達は失念している。

 『逃げる』事を許すかどうかは、ネオが決める事なのだと。


「ゴガガガアアアアアアアアアアア!」


 怒りの咆哮が周囲に轟く。その前にネオは歯軋りしており、声と共に濃密な金属を多く含む粉が軍艦目掛けて飛んでいく。

 そして撒かれた粉に見合うだけの雷撃が、軍艦の一隻を襲う。

 最初の一隻は三発撃ち込まなければ倒せなかった。賢いネオは、それが威力が足りないからだと理解出来る。つまり威力を高めれば、軍艦を一撃で破壊する事も理論上は可能。

 今回ネオが放ったのは、渾身の力を込めた雷撃。今まで一直線に飛んでいた雷が、あまりの強力さ故に直近で粉が吹き飛び、僅かに蛇行するほどの破壊力を秘めたものだ。

 それでも船に直撃した雷撃は、その装甲を紙のように貫く。

 更にその奥の壁を粉砕。中の配電盤も配管も、次々と焼き切っていく。溢れ出すガスに引火し、爆発的燃焼が広がり――――しかしそんな『瑣末事』を無視するように一直線に突き進んだ雷撃が、反対側に穴を開ける。

 その一撃の正確な威力を測れる者はいない。直後、損傷のあまりの酷さから船は爆散。乗組員は一人残らず絶命したのだから。だがそれでも、たった一つの事実だけは人間達の目に焼き付く。

 どうせ対艦ミサイルを受ければ沈むからと回避を重視し、装甲が薄めである現代の戦闘艦駆逐艦とはいえ、それを一撃で破壊する威力。これは最早現代兵器の威力に比類する。

 この生物は獣なんかではない。人知を超えた、恐るべき怪物……『恐竜』なのだと。


「た、た、たす、助けてぇ!」


「ひいいいぃいいいい!?」


 最早人間達に戦う気力など残されていない。兵士達は散り散りになりながら森に逃げ込み、残り一隻となった軍艦は今度こそ逃走を始める。


「ガァアアアアアアアアアア!」


 ……その残り一隻の軍艦もネオは後方から電撃をお見舞いし、見事撃ち抜き粉砕。

 荒れ狂う海に浮かぶ船は全て沈んだ。生き残りは、もう島にいる人間だけとなってしまった。

 後は逃げ惑う人間達を、一人一人潰していけば良い。そうすればネオの念願がついに叶う。そうすれば完全勝利である。


「グ、グゥウウルル……」


 ところがネオは人間達が逃げ込んだ森に向かうどころか、その場で膝を付いて蹲ってしまう。

 体力が尽きたのだ。

 拒絶障壁の展開には、膨大な電力が必要だ。電力を生むには常に鱗を擦り合わせなければならず、それも高出力で生むには何回もやらなければならない。つまりネオは今まで高速で震えており、非常に体力を消耗していたのである。

 加えて、今まで受けてきた人間達の攻撃により負った傷もある。鱗が何枚も剥がされ、地肌が剥き出しになるほどの怪我だ。人間で例えれば生爪を剥がされたようなもの。今まで怒りと闘争心で誤魔化していたが、その我慢ももう限界を迎えていた。要するに全身のあちこちが凄く痛い。

 今から人間達を追う気にはならない。今は体力の回復、それと傷を癒やす必要がある。自分にここまでの傷を負わせた奴等を逃がすのは癪だが、野生動物であるネオにプライドなんてものはない。怪我をしたなら、そちらの回復を優先する。

 そもそも、である。

 


「グルウウフシュゥゥゥ……」


 荒々しい鼻息を吐いた後、ネオは岩礁の上に寝そべる。

 今のこの島で一番安全な場所を、守護者たるネオはどっしりと独占するのだった。

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