狡猾なサル
森の中に逃げ込んだネオは、数分もすれば落ち着きを取り戻した。受けた衝撃を癒やすため更に一時間ほど休みつつ、思考も巡らせる。
砲弾が直撃した頭は、鱗が一枚取れてしまった。僅か一枚であるが、成体となってからは初めての経験である。それほどまでに船からの攻撃は強烈だった。
実に腹立たしいが、それで癇癪を起こして突撃するほどネオは馬鹿ではない。手痛い一撃をもらった以上、多少なりと警戒はする。加えて船は海にいるため、こちらから走って接近する事も出来ない。
前回のように尻尾を飛ばす事で攻撃も出来るが、あの方法は一回使えば何ヶ月も回復を待たねばならない。おまけに前回の船よりも大きい事から、一撃で『致命傷』を与えるのは困難だろう。四隻も来ている相手に、こんな技で挑んでもこちらが消耗するだけだ。
戦うならば、『奥の手』を使うしかない。
……人間ほど複雑な思考は出来ないものの、大凡こんな考えを巡らせていたネオ。しかしその思考を即座に打ち切る異変を、彼女の嗅覚が感じ取った。
人間の臭いがする、と。
「グルゥウウゥウウ……」
二年ぶりに嗅いだ臭い。しかし忘れもしない臭い。呼び起こされる嫌な記憶に、唸り声が漏れ出す。
未だ降り続く雨。これが臭いを消している筈であり、にも拘らず臭うという事は相当近くまで接近している筈だ。
ところが人間の姿は見えない、というより出てこない。何処かに隠れていると思われるが、では一体何処なのか?
木の陰にでも潜んでいるのか?
「……クコロロロロロロロロ」
喉を鳴らしながら、ネオは一本の木に歩み寄る。
足音も敢えて鳴らす。どしんどしんと地面を揺らし、接近をこれ以上ないほどアピールした。
獲物を探す時なら、絶対にやらない歩き方。この方法は、自分の存在を示す時に使う。
怯えた相手が、木陰から出てくるのを促すための技だ。
「くっ!」
思惑通り、木陰から一人の人間が飛び出すように走り出した!
やはり近くまで来ていたか。思っていた通りの状況に、ネオは怒りを露わにする。今度こそこの島から叩き出してやろうと、大きくその手を振り上げた
瞬間、上げた手に強い衝撃が加わる。
より正しく言うならば、振り上げた手で爆発が起きたのだ。それも極めて強力な、以前受けたグレネードランチャーよりも数段強い爆発だった。
「グギャッ!?」
いきなり腕で起きた爆発に、ネオは驚き止まってしまう。その間に人間の兵士は、目指すようにある方へと後退していく。
すると待ち合せていたように、大勢の兵士が続々と木陰から出てきた。五十から百メートルほどの間で、分散した状態で待機していたらしい。
その誰もが細長い金属の塊を抱えていた。グレネードランチャーに良く似ているが、前に見たものより大きいとネオは思う。その観察眼は正しく、彼等の抱えているのは対人用グレネードランチャーではなく、対戦車用の大型ロケットランチャーだ。威力はグレネードランチャーよりも強く、更に発射速度も速い。
まるでその武器の性能を示すように、兵士達は次々とロケットランチャーを発射した!
無数の砲弾はネオを狙い、全弾が狂いなく命中。戦車の装甲さえも貫く、脅威の貫通力がネオの鱗を傷付ける。僅かながら破片が舞い、間違いなく鱗にダメージを与えた。
しかしその傷は僅かなものだ。最初は驚いた衝撃も、立て続けに受ければ慣れもする。
挙句、兵士達は今逃げようとしている。
攻撃後のロケットランチャーは、極論ただの筒だ。次弾の装填を行わない限り、重たいだけのお荷物である。だからといってネオのすぐ近く、数十メートルの範囲でちんたらやるのは自殺行為。仲間がいるのだから、さっさと後退して安全圏で装填作業をするのが合理的である。
ネオにはそんな『複雑』な作戦は分からない。しかしムカつく輩が何処かに逃げようとしている事は理解出来た。
「グ、ガグウゥルアァ!」
逃がすものか。その感情を乗せた激しい咆哮を浴びせ、ネオは跳躍しながらぐるんと一回転。
高速で振り回した尻尾を、鞭のようにしならせて振るう!
アロサウルス・ネオほど巨大な恐竜にとって、尻尾は一種の武器である。その殆どが動かすための筋肉で出来ており、頑強かつ極めて素早く動かす事が可能だ。ネオの場合、尻尾の先端は音速を凌駕する。
強靭な尻尾を超高速で振るえば、さながらそれは鋭利な刃物のように全てを切り裂く。巨大な樹木だろうと、生い茂る植物だろうと、勿論人間だろうと関係ない。
跳んだ先にいた二人の人間は、この尻尾から逃れられず。直撃を受けた二人は胴体の真ん中から、すっぱりと切り裂かれてしまう。
これだけでは終わらない。ネオは更なる攻撃を繰り出す。
それは跳んだ勢いを利用し、地面を蹴り飛ばす事。
全体重を乗せた着地は、小さな地震を起こすほどのエネルギーを持つ。この巨大な力で地面を蹴り飛ばせば、大量の土石が弾丸のように飛んでいくのだ。
そして大抵の人間は、弾丸を受ければ死ぬ。
「ぐぁっ!?」
「がっ」
胸に小石を受けた者、頭に小枝が刺さった者、泥が首をへし折った者……原因は様々だが、ネオが飛ばした土砂により、五人の人間が倒れた。
その倒れた人間達に、他の人間達が集まる。即死した者も一人いたが、まだ四人は息があった。仲間を助けようとしているのだ。
仲間同士の友情。人間の美徳は、ネオからすれば虫けらが群がっているようにしか思えない。纏めて踏み潰す好機だと判断し、救助する兵士達に駆け寄る。
周りにいた他の兵士が援護攻撃を行うも、もうロケットランチャーの刺激に慣れたネオは止まりもせず。猛然と、一直線に突き進む。
最短距離での突進。ネオからすればそれが最も早く、確実に敵を葬る方法だと思っていた。
だが、知性ある人間から見れば――――あまりに単純。
「発破!」
雨音に紛れ、何処からか聞こえる人間の叫び声。
合わせるように、ネオのすぐ傍にある木が爆発した!
「グギォアッ!?」
木が爆発する。あまりの異常事態に驚き、またロケットランチャー以上の大爆発を受け、ネオは足を滑らせて転倒してしまう。
勿論爆発したのは木ではない。正確には、木に設置された爆薬が炸裂したのだ。極めて強力なプラスチック爆弾であり、設置された木は粉々に吹き飛んでいる有り様。人間でも、至近距離で受ければ肉片を通り越して『血飛沫』となる。
転倒しただけで、鱗一枚剥がれていないネオは途方もない頑強さと言える。だが人間達にとって重要なのは、ネオに傷が付かなかった事ではない。
想定通り、逃げる兵士達をネオが追った事。そしてその動きが極めて単純な、最短距離での一直線だった事。
自分達は奴の動きを完璧に読めている――――その自信は、人間達の士気を高めた。
「転倒確認!」
「点火!」
ネオが転んだ瞬間を見計らい、次の攻撃が始まる。
ネオが倒れた場所の地面にも、強力な爆薬が設置されていたのだ。次々と炸裂する爆薬。生じた爆炎は、ネオの身体を完全に飲み込む。
上陸からほんの一時間では、然程多くの爆薬は設置出来ない。しかしそれでも紅蓮の炎が周辺の木々に移り、大雨でなければ燃え移ったであろう勢いで吹き出している。化学反応から生み出された炎は一千度近くあり、生物など焼き溶けてしまうのが普通だ。例え身体は砕けずとも、熱に焼かれて死ぬ。
人間達の作戦勝ちだ。
「グガ、ガアアアアアアアアア!」
そう思わせながらも、しかしネオは炎から力強く出てくる。
ネオは熱に焼かれず、未だ生きていた。
その秘密は鱗の構造だ。中がスポンジのような構造となっているため、ネオの鱗は中に多くの空気を含んでいる。この空気が断熱材の役割を果たし、一千度近い熱が身体に伝わるのを防いだのだ。
また鱗を構成する有機金属は、比熱が大きい。比熱とは、簡単に言えば物体を一度上げるのに必要なエネルギーの量。つまりこれが大きいと一度上がるのに多くのエネルギーが必要となる。一千度の熱を浴びても、その表面の温度上昇は緩やかだった。
これらは本来体温が外に逃げないようにするための特性であるが、長時間炎で炙られる事の耐性としても役立ったのである。またアロサウルス・ネオの身体は鱗の生え際の『結合面積』が小さく、外からの熱が内部に伝わらないようになっていた。
とはいえ流石に無傷とはいかず。鱗の一部が熱で溶け、小さな鱗で覆われている頭には僅かながら火傷を負う。身体中がじんじんと痛み、全体的に熱い。
特に熱さが危険だ。身体が巨大なアロサウルス・ネオは、熱がこもりやすい。高熱状態が長く続けば、所謂熱中症に掛かってしまう。
雨が降っているお陰で、しばらく棒立ちしていれば体温も下がるだろうが……それは人間達が攻撃してこなければの話。
「狼狽えるな! 奴の鱗は溶け始めている! 攻撃し続ければ、やがて砕ける!」
ネオ以上の知性を持つ人間達は、ネオの身体に起きた異変を見逃さない。掛け声と共に離れた位置で待機していた大勢の兵士が、続々と現れてくる。
彼等が担ぐロケットランチャーが次々と火を噴き、無数の砲弾がネオに着弾する。衝撃は最早ネオにとって大したものではないが、爆発と共に伝わる熱が鱗を更に加熱していく。雨のお陰で冷却はかなり進んでいるが、何時までも受けられるものではない。
時間は掛けられそうにない。
ならばとネオは短期決戦に挑むべく、敢えて人間達の方に駆け寄ろうとする。至近距離であれば爆発する攻撃が使えない事も、ネオはよく覚えていた。
――――しかしネオの頭には、一つ考えが抜けている。
それは「相手の立場から考える」という事。ネオが短期決戦を挑もうとする事は、ネオが賢い事を理解している人間達には予測出来ていた。そしてそのためには接近する必要がある事も読んでいる。
ロケットランチャーの直撃にも怯まず前進するネオを、どうやって近付けさせないのか。
「規定ライン突破! 着火せよ!」
それはネオが人間達から三十メートル違い距離まで迫った時、実行された。
大勢いる兵士達の中の一部が、その手に持っていた武器から『火』を吐いたのだ。
武器の名は火炎放射器。炎を浴びせるという性質上、極めて非人道的な武器であるが、草などの自然障害物の除去には役立つ。ただし今回の火炎放射器が狙うのは、足下の草ではなく周りにある木々なのだが。
火炎放射器の炎を浴びた樹木は、雨により湿っていた幹が乾くのと同時に着火。次々を火を噴き出す。一度燃えてしまえば炎は雨では中々止まらない。雨が火を消すロジックは酸素供給の停止(水が膜のように燃焼体を覆う)と、温度低下の二つだ。一旦強く燃えてしまえば、雨粒程度では瞬く間に蒸発して膜にならず、温度低下よりも燃焼時の発熱が上回る。今日は嵐で風が強く、酸素の供給が多い事も自然な消火を阻む。
おまけに人間達は火の勢いを強めるため、辺りに燃料を撒くなどの細工もしていた。炎は収まるどころかどんどん火力を増していく。隣の木々や地面の草にも燃え移り、更に広い範囲が燃え盛る。
ネオは驚いた。人間が炎を吐く事もそうだが、それで森を燃やすなどあまりにも珍妙。森は自分達の住処なのに、何故それを燃やしてしまうのか。森で暮らす生き物だからこそ、ネオには分からない。
そして燃え盛る炎の熱量を感じ、足を止めてしまう。
踏み込んでいく事は出来る。だが燃え盛る炎に囲まれながら戦うのは、体温がかなり高くなっている今のネオには厳しいものだ。途中熱さで倒れてしまえば、人間達は容赦なく攻撃してくるに違いない。
『罠』の概念を持たないネオであるが、この炎の中に突っ込むのは危険だというのは分かる。いくら人間を踏み潰すためでも、そのリスクは犯せない。
獣であるネオには知能こそあるが、プライドなんてものはない。
「グ、グ、グゥウウルルルゥ……!」
賢いネオは踵を返し、人間達の前から一時撤退する事を選んだ。
尤も、それを許してくれるほど人間は甘くない。
「火炎放射隊、前へ」
火炎放射器を持った兵士達が、武器を構えながら前進する。時折引き金を引き、木々と草を焼き払う。
火炎放射器の燃料にはガソリンなどが使われており、その火力は雨風程度では消えない。嵐の中でも問題なく機能を発揮し、次々と木々を燃やしていく。
この炎はネオを追い立てるためのもの。とはいえ人間に炎の向きを完璧にコントロール出来る訳もない。しばらくすれば火災は際限なく広がり、多くの生き物達が生きる場を追われ始めた。
最早環境破壊であるが、しかし兵士達は気にしない。
元より彼等は
炎は広がり続け、島の中心である山頂に向けて進んでいく。
この炎から逃げる道は二つ。
一つは木々がない海に向かう事。もう一つはまだ火が広がっていない、横方向へと逃げる事。
「グガゥウウウ!」
ネオはまず、横に逃げようとした。海に向かえば自然と森から出てしまう。それはネオにとって、自分の得意な土地から出る事に他ならない。
わざわざ自分にとって不利な場所に行く必要はない。ネオにもそのぐらいは分かるのだ。しかしネオに分かる事は、人間達も理解していた。
「撃てぇ! この先に行かせるな!」
横方向に逃げようとすると、必ず人間達が現れて邪魔をするのだ。
一度や二度ではない。何度も何度も、どれだけやってもネオの行く先を塞ぐ。ただ行く先を塞ぐだけなら踏み付けていくだけなのだが、ネオと出会う頃には火炎放射器で辺りを焼き、火事を起こしている。燃え盛る炎の熱を前に突破出来ず、引き返すしかない。
何故行く先々に人間がいて、火事が起きているのか。いくらたくさんの人間が島に上陸しているとはいえ、こうも行動を読まれている事が理解出来ず、ネオの頭はかなり混乱しつつある。
……人間から言わせれば、ネオの動きは『通信機』などを使って把握しているだけ。情報は司令にも伝わり、前回の調査で作成した島の地図で俯瞰的に見ている。勿論これも簡単ではないが、司令という立場は戦略的思考の得意な人員に任命されるもの。人間達は各々の得意分野を活かし、部下に指示を出し、ネオの行く手を着実に封じていた。
加えて、ネオはまだ気付いていない。
人間達が作る火災は、意図的に一つの道が出来るように展開されている事に。広がる先こそコントロールしていないが、火災を起こしたポイントは全て意図的だ。タイミングに狂いはなく、作る道にもミスはない。
この日のために、此処にいる五百の兵士達は一年以上の訓練を積んできたのだ。ネオが獣らしく走り回る限り、彼等の作戦は破綻しない。
そして人間ほどの知恵を持たぬネオに、人間達が自分を誘導しているなんて分かる訳もなく。
「グギウゥウ……!」
ひたすら走った挙句に、ネオはついに森から出てしまう。
目の前に広がる、荒れ狂う海。
見ていて不快になる景色が、視界いっぱいに広がる。こんな場所に出るつもりなんてなかったのに。森の中の人間達を皆殺しにしてから、悠々とこちらに来るつもりだったのに。
ネオの思惑は破綻した。対して人間達の作戦は、ここからが本番を迎える。
遥か彼方から飛んでくる、艦砲射撃という形で。
「グ、グゥウゥ……!」
海の彼方に船が見えたネオは、咄嗟にその場で身体を強張らせる。そうしなければ艦砲により生じた爆風で、ネオはまた転ばされていただろう。
踏ん張ったお陰で一発目はどうにか耐えた。しかし人間達は加減というものを知らない。
艦砲一発で倒せないならと言わんばかりに、無数の砲弾が次々とネオを襲う! 砲撃による爆発があちこちで起き、ネオの姿を覆い隠してしまう。
熱さは、少し前に喰らった爆薬ほどではない。
だが威力は段違いだ。余波ならなんて事はないが、直撃はネオにとっても危険だ。薄い鱗なら、剥がれてしまいかねない。おまけに衝撃があまりに強く、素早く動き回る事も困難という状態に陥ってしまう。
かなり危機的状況だ。もしもパニックに陥ってしまえば、逃げ出す事も儘ならない。
されどネオは冷静だ。痛みは戦いで慣れている。人間達の攻撃も二年前に見た。知らない攻撃でなければ、混乱せずに済む。
ネオは少しずつ歩き、この場からの離脱を試みる。再び森に戻るため、火事が起きていない場所へと逃げ込むために。
しかし残念ながら、人間には全てお見通しで。
ネオが逃げ込もうとした先の森から、またも人間の兵士が姿を表す。
ネオはようやく気付いた。自分は此処に追い込まれたのだと。人間達はここで自分を殺す気なのだと。
それでもネオはまだ知らない。
人間の『科学力』と『叡智』は、まだまだこれでも一端に過ぎないのだと……
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