再襲来

 人間の襲来から二年後。ついに、その時は訪れた。


「ングピュゥゥルルルル……………ピュルルルゥゥ……」


 この日もネオは昼間にも拘らず眠っていた。二年前よりも一回り大きくなった身体を地面に横たわらせ、無防備に目を閉じている。

 しかし何時もよりその眠りは浅い。何故ならこの日の天気は雨で、朝からかなりの大雨がネオの身体を濡らしているからだ。

 ネオ達アロサウルス・ネオは変温動物である。二十メートル超えという巨体はただ動くだけで膨大な熱を生み、皮膚の表面積が体重に比べると小さい(表面先はサイズの二乗に比例するのに対して体重はサイズの三乗に比例して増える)ため、逃げる体温も少なく保温には役立つが……それでも恒温動物に比べると体温維持能力は低い。

 この体温維持能力の低さは、言い換えればエネルギー消費の少なさである。つまりあまり食べなくて良いという性質に繋がるため、一概に『劣っている』とは言えない。しかし雨など身体が濡れる時は体温が低下しやすく、あまり度が過ぎると命に関わる。

 そのためアロサウルス・ネオは、身体が濡れていると熟睡出来ない性質を身に付けていた。眠らなければ筋肉を伸縮させ、熱を生み出せる。生きるため仕方ない性質とはいえ、ネオにとっては眠りが浅く居心地が悪い。


「……プシュー、ゥウウグルルルル……」


 十分な眠りが取れず、しかしこれ以上眠る気にもなれず。

 頭を揺らし、ゆっくりと身体を起こすネオ。小刻みに身体を揺らして水滴を落とし、荒々しく鼻息を吐く。

 昼寝をしたい程度には腹が満たされているのに、雨の所為で寝付けない。苛立ちが募り、それが頭を冴えさせて余計に眠れない。

 何より、ネオは感じていた。

 何か、不愉快な『気配』が近付いていると。

 ……言うまでもなく、アロサウルス・ネオに超能力染みた力はない。彼女達は神聖な超越的存在などではなく、あくまでも運良く絶滅を免れた古代種の末裔でしかないのだ。その身を動かすのは科学的に説明が付く事柄でしかない。

 ネオは科学を知らない故に、自分の感覚の正体を説明出来ない。だがもしも知っていれば、こう話しただろう。

 アロサウルス・ネオの身体を覆う鱗は、多量の金属を含む。

 この鱗が雨などで濡れた場合、身体の動きなどで鱗同士が触れ合うと自然と『通電』が起きる。通電といっても静電気未満の弱い電流だが。

 この通電の原因、即ち発電が起こる要因は二つある。一つは鱗同士の摩擦によるもの。

 そしてもう一つは、電磁波を浴びた時だ。

 自然界にあり触れている程度の電磁波なら、ネオは何も感じなかっただろう。しかし今日、ネオの身体に浴びせられた電磁波はかなり強力な、自然界では見られない強さのものだった。この電磁波を受けた鱗が電流を生み、ピリピリとした不快な刺激をネオに感じさせていたのである。


「グル、ウゥウウウ……」


 不快なものは、叩き潰してやりたい。何が原因かは分からないがそう考えたクォーツは、電気が強く流れる方角……海岸を目指して歩き出す。

 海に近付くほど、木々を揺らす風が強くなる。

 正しくはネオが寝ていた島の内陸では、島中に生えている木々が防風林の役割を果たし、風を和らげていた。海沿いに近付くほど木々に阻まれていない、ありのままの風が吹き付ける事となる。暴風雨、というほどの激しさではないが……かなりの強風だ。ネズミなどの小動物であれば、吹き飛ばされてしまいかねない。

 しかしネオは違う。二年前より五百キロも増加した体重は、この程度の風ではビクともしない。弾丸のように叩き付けてくる雨も、頑丈な鱗の前には霧雨同然だ。

 嵐など、ネオにとっては恐れるに足りない。

 ――――だが海沿いに近付くほど、不快な感覚は『危機感』に変わりつつあった。


「……クコロロロロ……」


 ついに木々の隙間から海が見えるところまで来た。そこでネオは一旦足を止める。

 そして慎重に、ゆっくり木陰から顔を出す。

 森の外に広がる海は、大荒れだった。

 激しく打ち付ける波により、海底の泥が巻き上げられたのか。水は茶色く濁り、岩礁に叩き付けている。荒れる水の流れに耐えられなかったのか、岩の隙間に魚などの死骸が打ち上げられていた。尤もその死骸は引き潮に巻き込まれ、すぐに海へと還っていくが。

 天は分厚い雲に覆われ、まだ昼間だというのに日没を思わせるほどに暗い。雨と風の勢いは強く、当分嵐は止みそうになかった。

 元々泳げないネオにとって、荒れ狂う嵐の海は非常に『嫌』だ。近付かなけれは安全と頭では分かっていても、本能的な嫌悪感は消えてくれない。不快感がどんどん込み上がる中、それでもネオは海を見つめる。

 そこに、何かがいると確信していた。

 ネオの予感は正しい。彼女が見つめていた先の海に、何かが浮かんでいた。

 それは『船』だった。

 人間達の船だ。形は以前島に来たものと少し異なり、大きさも上回っていたが、ネオでも確信出来るぐらい間違いなく船の形態をしている。しかも数は前よりも多い、四隻も浮かんでいた。

 賢いネオはすぐに理解した。また人間達がこの島を訪れたのだと。まだ何キロも離れた位置にいるが、少しずつ見た目の大きさが増している。つまりこの島に近付いているのだ。

 あれだけコテンパンにしてやったのに、また性懲りもなくやってきたのか。


「グガゴォオオオオオオオオン!」


 ネオは木々の間から飛び出し、そして渾身の力で吼える。

 今すぐ出ていけ――――人間の言葉に直せば、大凡こんな気持ちを込めた叫びだ。勿論島を守ろうなんて気概は微塵もなく、「お前嫌い!」ぐらいの、極めて短絡的な感情から来るものだが。

 二年前よりも大きくなった身体は、咆哮もまた強大化している。近くで聞けば鼓膜が破れるだけでは済まず、呆気なく失神にまで至るだろう。

 嵐の中だろうが、島から遠く離れていようが、ネオの雄叫びは響き渡る。人間達の船にもその声は届いたに違いない。

 そして人間達はネオに回答する。

 巨大な船……に載せられた艦砲による精密射撃を、ネオに向けて放つという形で。

 搭載された艦砲の砲弾は、秒速の二倍以上の速さで射出。ネオ目掛けて飛んでいく。狙いは正確で、ネオの身体を捉えている。

 そしていくらネオの動体視力が優れていても、艦砲射撃を視認するほどではない。


「ギャッ!?」


 砲弾はネオの頭部を直撃。ネオからすれば、船の上で何か光ったと思った直後、強い衝撃が身体を駆け抜けたように感じられた。

 艦砲射撃の威力は凄まじい。強固な艦船の装甲を容易く貫く威力であり、直撃すれば人間など跡形も残らない。

 ネオの頭、正確にはその頭を覆う鱗はこの攻撃に耐えたが……それでも衝撃を受け止めきれず、ネオは転倒してしまう。グレネードランチャーや手榴弾など比にならない威力の打撃だ。ネオにとって生まれて初めて感じた衝撃であり、混乱から身動きも取れなくなってしまう。

 しかし何時までも戸惑ってはいられない。

 駆逐艦からの艦砲射撃は未だ続いているのだ。他三隻の駆逐艦も攻撃を開始。海岸に次々と砲弾が命中し、岩礁を破壊するほどの爆発を起こす。


「ギ、グギキイィィ……!?」


 この猛攻にはネオもたじたじになってしまう。慌てて起き上がるや、彼女は森に向けて走り出す。一旦身を隠す事にしたのだ。

 しばらくは船からの攻撃は続いたが、ネオが森の中に入ると砲撃は止んだ。しかし船はどんどん陸に接近してくる。

 やがて四隻の船は島から少し離れた位置に停止。大きなボートが次々と下ろされ、そこに乗った大勢の人間達が続々と島にやってきた。

 やってきた人間の数は、凡そ五百人。

 前回の六倍以上の規模だ。そして今回、訪れた者達は全員が軍人。研究者の姿は何処にもない。ボードに積み込まれた機材も、全てが銃などの武器であり、科学的な調査に必要なものは一つとしてなかった。

 何しろ今回の人間達は、島の調査に来たのではない。

 島にいるネオを『駆除』するため、軍隊だけが派遣されたのだ。島の生態系も、環境も、唯一生き延びた恐竜も……彼等は気に留めない。たかが無人島一つの安全を確保するために、ネオを殺すつもりだった。


「隊長。総員、到着しました」


「分かった。作戦開始まで待機。武器の整備を怠るなよ」


「了解」


 兵士達は上からの指示に従い、淡々と作戦準備を進めていく。誰もがネオを殺す事に躊躇いなどない。

 勿論、この軍事作戦は人類の総意などではない。

 むしろネオの存在を知る大半の人間は、ネオの駆除作戦に反対していた。特に科学者の反発は極めて大きい。確かに前回の作戦で何十という数の人命が失われたが、そうだとしても生存を願うほど、恐竜という存在は希少なのだから。

 だが、某国上層部は違った。

 彼等が求めていたのは資源の方だ。前回の調査は不完全に終わったが、それでもこの島に豊富な資源がある事が判明した。その埋蔵量は何万トンにもなり、輸出すれば巨万の富を築き上げられるだろう。

 勿論世界唯一の生き残りの恐竜であれば、観光資源として使える。それはそれで膨大な金を生むだろう――――そういった意見もゼロではなかった。しかしその恐竜は、数十名程度とはいえ銃を持った部隊を壊滅させた化け物だ。人間を意識して殺し回るほどの知能もある。そして餌付けさえ出来ていない。こんな生き物を飼える保証はない。飼えたとしても、飼育に膨大な維持費が掛かるのは明白である。

 大体、あと何年生きるかも分からないではないか。貴重な生物を捕獲したものの、飼育環境が合わずに死なせるなんて珍しくもない。何億ドルも費やして捕獲したのに、一月で死なれたら大損だ。

 『貴重な生物』なんてものより、端金になる鉄屑の方が遥かに有益だ――――自分達の生活を支える生態系や環境の有り難み、将来有益な商品となり得る遺伝子資源の価値を理解せず、短絡的な利益を求めたのだ。

 不味い事に、前回の調査結果は某国により改竄されていた。被害者の多くは島で未知の感染症、または事故により死亡したと報告されたのだ。獰猛で危険な野生動物があまりに多く、遺体の回収が出来なかったと。そして事にされた。

 今回の作戦は、その遺体回収と今後の安全確保のために行うと、他国や民衆には説明されている。怪しいところがなかった訳ではない。しかしこの調査計画を支援する国々からすれば、調査がお釈迦になる方が問題だ。関心の差はあれど、世の政治家の大半は無人島の生物多様に興味などなく、軍隊がどんな活動をしようと構わないと思っていたのである。市民も一部の極端な反権力や環境活動家を除き、新たな資源に心を踊らせる始末。

 結果、某国はネオの駆除作戦を決行出来たのだ。


「隊長。本国から作戦決行の許可が下りました」


「分かった。総員、整列!」


 隊長と呼ばれた人間の号令を受け、上陸した五百人の兵士達が集まる。

 まるで制御された機械のように、兵士達は司令の前に素早く並んだ。隊列は僅かなズレもないもので、この姿を見るだけで彼等がどれだけの訓練を積んできたかが窺い知れる。

 事実、此処に集められた兵士は某国軍隊の中でも選りすぐりの精鋭だ。

 しかも彼等はただの優秀な兵士ではない。前回の調査隊が持ち帰った情報を元に、緻密な作戦、効果的な武器、そしてこれを扱うための訓練を一年以上続けてきた。対人間ではなく対恐竜、いや、対ネオに特化した精鋭部隊である。

 更に彼等は極めて士気も高い。

 何故なら彼等は敵討ちに燃えていた。前回の調査で踏み潰された兵士は、某国軍隊所属の身。同じ組織の仲間というだけでなく、友人や肉親を殺された者も少なくない。

 尊い人命を奪った悪竜の征伐。上層部とは違う理由で、彼等はネオを倒すべきだと思っていた。

 ……ネオが人間並の知性と言語を持っていたなら、土足で踏み込んで住処を荒らしたのはお前達が始めた事だと言うだろう。しかし人間の身勝手さと『被害者精神』は古来より変わらない。自分から勝手に立ち入って、勝手に死んでいながら、危ないからとその危険を排除する。それが命だろうと、誰かの住処だろうと関係ない。

 全てを自分の管理下に置かねば気が済まず、管理出来ないものは滅ぼす。そうして人間は繁栄してきたのだ。これまでも、そしてこれからも。

 例えそれが自分達の生活基盤を壊す行いだとしても、今更止められない。


「……作戦許可が出た。これより駆除作戦が始まる。確かに奴は一度、我々の仲間を退けた! その力は認めよう! だが一度だけだ! 人間の叡智を以て、二度目はないと示せ! 作戦開始だ!」


 隊長からの号令を受け、五百人の兵士が一斉に敬礼。そしてほぼ同時に、彼等はネオが逃げ込んだ森に向けて駆け出す。

 ――――必ず殺す。

 数多の生物種を滅ぼしてきた、第六の大量絶滅を引き起こしている元凶の魔手が、ネオに捕まえようとしていた。

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