修復される自然

 ネオの活躍により人間が島から去って、凡そ一月の時が流れた。


「ン、ファーァアアア……ングチュゥ、チュウ……」


 ネオはこの日、森の中で身体を横にして昼寝をしている。昼寝自体は珍しくもない行動なのだが、今日はもう五時間近く寝ていた。何時もであれば、長くとも三時間程度だと言うのに。

 そしてこれは今日だけの行動ではない。この一ヶ月間、ほぼ毎日長い昼寝を行っている。

 勿論ネオ自身としては寝たいから寝ているのだが……その『原因』には、一ヶ月前の人間との戦いがある。

 戦いにより傷付いたネオの身体は、この一ヶ月でほぼ全快した。鱗は完全に生え変わり、酷使した筋肉も再生している。尻尾だけは以前よりまだ二メートルほど短いが、傷口は完全に塞がり、今も少しずつ伸びている。あと二ヶ月もすれば元通りになるだろう。

 しかしこれだけの再生を果たすには、目まぐるしい細胞分裂が必要だ。事実ネオの細胞はさながら新生児が如く勢いで分裂し、元の身体を再構築している。

 それだけ急な再生となると、身体全体のエネルギー消費が激しい。つまりとても疲れる。このためどうしても、普段以上に眠たいのだ。とはいえ光合成で栄養を作れる植物と違い、動物は寝てばかりでは生きていけない。むしろ活発な細胞分裂で消費したエネルギーを迅速に補わねばならない。

 つまり食事が必要だ。


「プシュルルゥゥゥ……プシュゥゥゥ……ンプゥ」


 栄養不足を空腹という形で感じ取り、ネオは目を覚ます。まだ眠り足りないが、空腹には抗えない。

 身体を起こし、ゆっくりと背伸び。大きな欠伸を一つして、頭を左右に軽く揺さぶる。

 そうして眠気を晴らしたところで、ネオは山頂に向けてゆったりと歩き出す。周りの景色を見渡し、一歩一歩、のんびり狩りへと向かう。


「ンガーファー……ハグンッ」


 まだまだ眠たいので、見えたものは正直あまり頭に入っていないが。

 尤も仮に目覚めていても、彼女に景色の『意味』は分からない。ネオは賢いが、しかしそれはあくまでも獣としての話だからだ。また知能はあっても知識はない。

 故に人間がいた事による影響が、この島にどんな変化を及ぼしたのかもよく分からない。

 まず人間達がいなくなった後の自然は、急速に回復へと向かっている。例えば樹木の再生。人間達は基地建設やサンプル採取として多くの樹木を伐採した。短期的にはこの影響で植物の少ない『荒れ地』となったが、伐採後の土地は日光が地上まで届く。これを刺激にして多くの植物が芽吹き始めた。

 人間がいればそれら芽吹いた植物は排除されただろうが、いなければ自由に育つ。中には若木の芽もあった。それらが大木となるには何十年も掛かるが、いずれ伐採跡地は跡形もなく、木々の茂る森となるだろう。

 新種として捕獲された小動物達は、既に個体数を回復させている。元々標本用の個体採取であり、乱獲目的ではないため一種当たりの採取数は十〜二十程度と多くない。ネズミぐらいの大きさの生物であれば、その程度の『殺傷数』は全体から見ればごく僅か。精々生息地が荒らされた(ただしその破壊は本当に『必要最低限』であった事は補足しておく)程度であり、それも他の捕食者が日夜しているものと比べて大規模でもない。小さな生き物達の生息状況に、大きな変化はなかった。

 しかし全ての痕跡が回復した訳ではない。

 ディノサーペントのような、大型生物の個体数は未だ回復していない。これらの生き物は繁殖頻度が少なく、例えばディノサーペントであれば三年に一度しか産卵を行わないからだ。全てのディノサーペントが一斉に卵を産む訳ではないが、単純に考えれば彼等が元の数に戻るのは三年後と言えよう。


「グルルゥ……」


 ネオが気付いている変化は、ディノサーペントのような大型動物に最近出会わないという事ぐらい。それについても、人間の所為だとは思っていない。

 理屈が分からないネオに出来るのは、取れる獲物を喰う事だけだ。

 森から林に、林から草原に。移り変わる景色で標高を数え、ネオは山頂まで進む。

 この山頂にも人間達の手は伸び、人工物を建てようとした。されど今、その面影は殆ど残っていない。

 例えば山頂に建てられた観測施設は、この一ヶ月で殆ど風化した。硫化水素など大量の火山性ガスが噴き出す環境に晒されれば、いくら二十一世紀の最先端科学の産物でも長くは持たない。人間の管理がなければ、あっという間にボロボロの鉄くずだ。

 そして叩き潰した人間達の遺体は、この一ヶ月で跡形もなく消えた。硫化水素の満ちる大気だが、この島の生物にとってはあり触れた気体だ。山頂はかなり生き物の数が少ないものの、それは餌が少ないため。『餌』さえあればどんどん増える。

 彼等は防護服で身を包んでいたが、ネオの攻撃などで少しでも破れていれば、その隙間から小動物や細菌達が入り込むのは容易い。地熱の影響で暖かく細菌が活発な事、硫化水素などによる侵食が激しい事も相まって、ほんの一月で骨すら誇らなかった。

 今はまだ防護服の残骸が幾つか残っているが、一年も経てば腐食により見えないほど粉々になる。やがて土と混ざり、此処に人間がいた形跡は完全に消え去るだろう。


「グルルル……」


 ネオが気にせず踏み潰していくのを何度も繰り返せば、半年も掛からず消え去りそうだが。

 人間達の影響力は小さくない。しかしそれらは継続してこそ、自然に深く刻まれていく。一時的に、小さな範囲の変化であれば、いずれ自然の回復力により癒え、元通りになるのだ。

 とはいえ自然自体は不変でもなんでもない。人間がもたらすものに比べれば緩やかでも、変化自体は常に起きているものだ。この島が波の侵食で、徐々に小さくなっていったのもそうした変化の一つである。

 そして今この山頂では、もう一つの変化も起きている。


「……グコ?」


 ネオの足下を、ちょろりと移動する何かがいた。

 それは体長二メートルほどのヘビ、のような見た目をしていたが……よく見れば細長い貝殻を背負っている。身体は軟体質で、頭は目玉が飛び出していないカタツムリのようなもの。

 更にぬるりとした粘液を大量に分泌し、硫黄化合物の降り積もった地面を滑るように移動していた。滑る速さはかなりのもので、時速二十キロは出しているだろう。身体の側面には『ヒダ』が無数にあり、波立つように動かす事で推進力を生んでいた。

 この生き物の名はヘビツムリ。地下空洞に生息する生物の一種である。陸生貝類であるが、カタツムリとは別系統の種から進化した存在だ。カタツムリが属する有肺類のような『肺』を持たず、酸素結合能力の高い粘液を通した皮膚呼吸で息をする。

 ヘビツムリ自体はさして珍しくもない。地下空洞生物の中でも個体数が多く、頻繁に地上にも姿を表す。ネオからすると獲物には出来ない(小さ過ぎる)生き物だが、ディノサーペントなどには丁度いい大きさだ。これらも島の生態系に深く関わっている。

 ただ、普段は足の踏み場もないぐらいの大発生はしないのだが。


「グ、ゥウウウウ」


 ネオは気付いた。今日の山頂は、比喩でなくヘビツムリで覆われていると。

 果たして何千、いや、何万匹いるだろうか。しかもどれも死んでおらず、生きているものだからにゅるにゅると動き回る。大きさこそ二メートルもあるが、まるで腐肉に蛆が湧いたかの如く様相だ。

 一歩踏み出せば確実に踏み潰す。それほどの数を前にして、流石のネオも少し怯む。ヘビツムリには毒などなく、食性も土中の有機物であるため凶暴な牙もない。純粋な『気持ち悪さ』でネオは慄いたのだ。

 島最強のネオをも怯ませる光景を作り出したヘビツムリ。尤も、その天下はほんの数秒で終わりだ。第一印象で気持ち悪いと思ったネオだが、すぐにそれが「食べ物でいっぱい」という事を意味すると気付いたがために。


「ンガァー」


 試しに口を大きく開けながら頭を下げ、土ごとヘビツムリを喰らおうとする。

 ヘビツムリは貝類であるが、運動能力の高さを活かすため一般的な貝よりは大きな脳を持つ。目も発達しており、ネオという敵が迫ってくる事はなんとなくだが理解出来ていた。危険を感じた個体から慌ただしく逃げ出す。

 しかしいくらヘビツムリの運動性が良くても、ネオの方が圧倒的に『強い』。土ごと喰らう勢いもあって、四匹のヘビツムリがネオの口に入る。

 その土ごと、ネオはヘビツムリを貪り食う。

 土ごと食べるなんて、と人間ならばあまりの悪食ぶりに驚くかも知れない。しかし生物の世界において、土の付いたものを食べる事を躊躇う種などいない。もっと言うとアロサウルス・ネオは基本的に咀嚼もしないので、味とかもあまりよく分からないタイプの生物である。また此処に堆積している土は硫黄化合物だらけの、割と有害な土壌なのだが、アロサウルス・ネオ含めたこの島の生物は耐性があるので問題ない。


「ンッグゥ……ガフゥー」


 三大欲求とも呼ばれる食欲を潤し、ネオは幸福な息を吐く。

 無論小さなヘビツムリ四匹を食べたところで、ネオの腹はまだまだ満たされない。しかし今此処には、無数のヘビツムリがいる。逃げていったのは全体のごく一部。何歩か進めばまた数匹食べる事が出来るだろう。

 自分より小さな生き物を襲うのは効率が悪い。それは事実であるが、見方を変えれば効率の悪さを補うぐらい多ければ問題はない。


「ングアー」


 また口を開け、土ごとヘビツムリを喰う。最近捕れないディノサーペント代わりと言わんばかりに、バクバクとヘビツムリを平らげていく。

 一度に数匹食べるのを十も繰り返せば、数十ものヘビツムリが腹に収まる。いくら二メートル程度の(ネオから見れば)小さな生き物とはいえ、これだけ集まれば数百キロ相当の肉だ。カロリーだけで言えば、今日を生きていくには十分な量である。

 しかしこれでもネオの腹はまだまだ満たされない。何しろ彼女達の食欲は、自分に匹敵する大きさの獲物さえ平らげてしまうほどなのだから。


「ング、グキロロロロォー」


 食べて、食べて、食べまくる。本能の赴くままの行動は、極めて動物的で、だからこそ子供のような喜びに満ちていた。

 ……そう。ネオは獣だ。だからヘビツムリの大量発生も、餌がたくさんあって嬉しいな程度にしか思わない。

 もっと知的に考えれば、これは異変である。恐らく地下深く、この島に広がる空洞世界で起きたもの。ヘビツムリはその恩恵を受けて普段以上の大繁殖を遂げたか、或いは生息地の危険から逃げ出したか……

 いずれにせよ、長期的に考えれば不安を予感させる現象だ。しかしどれだけ賢くとも、獣であるネオに長期的な視点はない。今が良ければ、それで良いのだ。

 島に迫る異変の兆候を、島の守護者が認知する事はなかった。

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