最初の決着
ネオは走る。鬱蒼と茂る森の木々を避け、時速百キロ近い速さを維持し続ける。
逃げた人間達を追い、踏み潰すために。
「ひ、ひぃいぃいいぎゃぶ!」
また一人、恐怖に引き攣る人間を踏み殺す。
あの手榴弾による自爆を受け、人間達が散り散りに逃げてから数分。これで三人目の人間だ。
逃げた人間が十数人近い事を思えば、まだ全滅には程遠い数しか仕留めていない。
「グルルルゥウウウ……!」
ネオは苛立ちから唸りつつ、人間の臭いを追う。ただし正確な追跡はしていない。ある場所を目指すよう、大まかな方向に向かって進んでいる。
その方向とは島の外側、海がある方だ。
何故海を目指すのか? それは逃げた人間達を追うため。臭いから分かるのは、居場所や移動先だけではない。それらの情報を複合的に考慮すれば、相手の思惑もある程度読める。
故にネオは気付いていた。一見バラバラに逃げた人間達だが、彼等は海辺を目指していると。何故海に向かうのかまでは分からないが、そちらに向かえば人間を見付けられるのは間違いない。
新たな怒りが湧き立つネオは、人間達をそのまま見逃す気などなかった。
「ネオ! 止まってくれ!」
その怒りに染まるネオに、声を掛ける者が現れる。まさか悲鳴以外の形で自分の存在をアピールする者がいるとは予想外で、ネオは思わず足を止めた。
声がした方を振り返れば、一人の人間がいる。
ジェームズと呼ばれていた研究者の男だ。ネオに最も親しく迫り、ネオの事を知りたがっていた人間。ネオも彼の顔や態度ぐらいは覚えていていた。
ネオはとても賢い。彼が他の人間と違う雰囲気……少なくとも敵意の類を抱いていない事は、なんとなくでも察する事が出来た。いきなり踏み潰すような真似はせず、少しずつ歩み寄る。
ジェームズの方も、微笑みながらネオに近付いた。攻撃してくる素振りはない。
「大丈夫……僕は攻撃なんてしないよ」
優しく、宥めるように、ジェームズは呼び掛けてくる。
ジェームズという男にとって、恐竜との出会いは子供の頃からの夢だった。大人になって恐竜が絶滅したと理解しても、何時か会いたいと子供のように願っていた。
その願いが叶ったのに、こんな殺し合いでの別れなどしたくない。
既に大勢の人間が殺されたのに、あまりにも無邪気な想い。だからこそネオも彼に敵意があるとは思わない。少し気持ちを落ち着かせたネオは頭から近付き、ジェームズと触れ合える距離まで迫る。
ジェームズは笑い掛ける。こんな事は止めようと言いたげに。
ネオも察する。彼が、戦いを望んでいない事は。少なくとも自分を攻撃してきた連中と、ジェームズは別物だと理解した。
――――それはそれとして。
寝ている時に食いたくもない肉の臭いを嗅がされた、あの嫌な記憶は今も忘れていない。
思い出したら腹が立ってきた。
「ガゥーン」
なので殆ど躊躇いなく、ネオはジェームズを手で叩き潰す。
ジェームズにとって幸福だったのは、生粋の科学者である彼の動体視力ではネオの動きを追えない事。自分の身に何が起きたのか理解する間もなく、その命を終わらせた。彼は最期まで、ネオとの友情を信じていただろう。
ジェームズを叩き潰したネオは、こてんと首を傾げる。爆発しなかったからだ。思い返せば大半の人間は踏み潰しても爆発なんてしていない。
あの人間が特別だったのだろうか? 『科学』を知らないネオには想像も出来ず、ただ念のため、やはり口にするのは止めておこうと思う……その記憶だけで、死んだジェームズの事など綺麗サッパリ忘れ去った。
「グルゥウウゥ……」
改めてネオは海辺に向かった人間達を追う。
……ネオにとってジェームズの存在は、大した価値もなかった。
しかし彼とネオの出会いは、人間達にはプラスに働く。半端ながら見つめ合いをしていた分、時間稼ぎにはなったのだ。ジェームズの後犠牲となった人間は、怪我人や彼等を助けようとして足が遅かった者三名だけ。
ようやくネオが海岸に辿り着いた時には、生存者二十名は海辺からもいなくなっていた。
彼等は、沖に留めていた船に乗り込んでいたのだ。即ち退却である。
ネオは船が海に行くためのものだと、ほんの少しだけ理解していた。船が人間を乗せて海の向こうに行くところを、人間達の一回目の調査が終わった時に目にしているからだ。その船に人間達が乗り込むという事は、彼等は島から離れようとしている事を意味する。
つまり、逃げ出すつもりだ。
「ゴゥルルルルルル……!」
それがネオの怒りを刺激する。
ネオは人間を島から追い出したいのではない。ムカつく輩を叩き潰してやろうと考えているのだ。そんな相手が無事に逃げ出すなんて、それ自体が不愉快。
怒りを露わにしながらネオは森から飛び出し、人間達の船目掛けて駆け寄る。
二十メートル超えの巨体で、木々のない岩礁地帯を走れば、どんな節穴だろうとネオには気付く。ネオを見るや人間達は手持ちの武器でがむしゃらに撃ち、ネオの足止めを試みた。
飛んでくる無数の弾丸、それとグレネードランチャーがネオに襲い掛かる。どれも人間ぐらいなら粉々に吹き飛ばす猛攻だが、ネオにとっては最早慣れた一撃。しかも攻撃に参加したのは、ほんの数名しかいない。あまりにも犠牲者が多く、船の操舵に人手を取られて攻撃する余裕もないのだ。
ネオは驚きも怯みもせず、速度も殆ど落とさない。
人間達が乗り込み終わり、船は動き出すも既に手遅れ。ネオの足であれば十分間に合う距離だ。少し岸から離れても、助走を付ければ多少の距離は飛べる。アロサウルス・ネオは泳げないが、高々十数メートルの距離なら足が付くため溺れる心配もない。
止まらないネオに人間達は悲鳴を上げ始める。攻撃は激しさを増すが、手許の狂いから雑にもなっていく。受ける攻撃は然程増えず、故にネオの足止めにはならない――――
筈だった。
「グギュ!?」
ところが精度を欠いた人間達の攻撃は、ネオの体勢を崩す。
正確には、ネオの足下に着弾したグレネードランチャーの爆発で、足場である岩礁が損傷。ネオの体重を支えられず崩れたのだ。
攻撃に怯まないのは、それが予測している衝撃であるため。不意に足下が崩れてしまうと、ネオといえども簡単には立て直せない。
転倒は避けたものの、片膝を付くような体勢になってしまった。あまりの巨体故に、一度崩れた体躯を元の姿勢に戻すのは簡単ではない。ゆっくり膝に力を込め、両手で地面を押し返し、一気に背筋を揺らして重心移動。そこまでしてどうにか立ち上がる。
だが時間が掛かり過ぎる。加えて一度立ち止まったため、最高速へと至るには走り出してしばし加速の時間が必要だ。
その間にも人間達の船は離岸。沖に向かって進み出す。
「ギ……グギオオオオオオオオオンッ!」
吼えて威嚇してみるが、それで船が止まる訳もなく。むしろ怯えたネズミが逃げ出すように、慌ただしく離れていく。
このままでは逃げられてしまう。ネオはまた走り出そうとして、しかし顔面に無数のグレネードランチャーを受けて視界が遮られる。沖から離れた事で人間達は冷静さを取り戻し、攻撃の精度が戻ったのだ。
爆発の衝撃は鱗で防げても、黒煙による視界妨害はどうにもならない。頭を左右に激しく振って払うしかなく、それでも人間は攻撃し続けるため何度も前が見えなくなる。
ようやく攻撃が止んだ時、船は沖から遠く離れていた。
「グガ、ガギ、ギ……!」
逃げていく船を前にして、ネオは歯軋りをするほど悔しがる。追えない事はない距離だが、水の中ではどうしても地上ほど速くは動けない。追い付く頃には、かなり沖まで出てしまう。
あまりにも遠ければネオの身体はそのまま沈み、溺れ死ぬだろう。身体構造上泳ぐのか不向きなアロサウルス・ネオは、本能的に深い水場を嫌う。ネオもいくら腹が立つといっても、深場に進む『嫌悪感』は拭えない。
人間達はネオが波打ち際で足踏みしているところを見て、安堵したのか。攻撃の手が止み、船は逃げる事に専念し始める。この辺りの水深が具体的にどうなっているか、ネオは知らないが……直感的に、船がいる場所では全身が沈んでしまうぐらいの深さはあるだろうと思う。あそこまで行かれてはもう追えない。
では、ネオは人間達を見逃すのか?
否である。
ネオはまだ許していない。そして諦めてもいない。むしろ人間が勝ち誇っていると思うと、ますます怒りが込み上がる。
とはいえ命を賭ける気もない。巨大生物相手に死闘を繰り広げているなら兎も角、人間達を殺し尽くすために溺れるなんてあまりにも間抜けだと、言葉こそないがネオも思うほどだ。彼女はそこまで無謀ではない。
遠く離れてしまったのなら、こちらも『遠距離攻撃』をするまでだ。全滅までは出来ずとも、嫌がらせぐらいはしてやりたい。
「……ググゥウゥウウウウウ」
腹の底から響かせる唸り声。そしてネオは身体のある部分に力を込めていく。
その部分とは尻尾だ。
全体がほぼ筋肉で出来ているそれに、渾身の力を込める。更に大きな弧を描くように、先端を島の内陸側に向けるよう曲げた。
首や胴体まで力を入れる必要はないが、全力だからこそそこまで器用に力の『分割』は出来ない。尻尾ほどではないが、全身の筋肉が膨張。体型が一回り太くなったかのような錯覚を覚えるほどの力を、全身に滾らせていく。
これほどの力を込めても、なおもネオは動かない。
ただただ力を溜め込む。やがて筋繊維が限界を迎え、尻尾のあちこちでブチブチと音が鳴り出す。皮が弾け、千切れた
いよいよ『限界』に到達した瞬間、ネオは尻尾の鱗を逆立たせる。
同時に尾の力を開放。さながらバネが戻るように筋繊維が勢いよく伸びる! その速度たるや、音速の二十倍もの超高速。そして音速以上の速さで動く物体は、動くだけで周りの空気を圧縮する。
尻尾の動きと共に撃ち出されるのは、所謂衝撃波と呼ばれるものだ!
この衝撃波は極めて強力で、直撃させれば金属の装甲さえ粉砕するだろう……とはいえ流石に何百メートルも届くものではない。精々十メートルが限度だ。今や岩礁から二百メートルは離れている人間達の船には、強めの風程度の影響しかないだろう。
ネオとて風で叩き斬ろうとは思っていない。そもそも衝撃波の発生は本命ではない。彼女が狙っていたのは、尻尾の動きによりある物を飛ばす事。
それは尻尾の先だ。
先端から三メートル近い部分を、まるでダーツのように飛ばしたのである。アロサウルス・ネオは島の頂点捕食者であるが、生まれた頃から無敵ではない。幼い頃は凶暴な捕食者に襲われる事もあり、それらから逃げるため、トカゲのように尻尾を切る事が出来る。成体になってもこの機構は残るため、大きく育ったネオでも尻尾を自由に切り離せるのだ。
「うわっ!?」
「な、なんだぁ!?」
猛烈な勢いで投げ飛ばされた尻尾は、狙い通り人間達の船まで到達。猛烈な勢いと、逆立たせた鱗によって、船の側面装甲に突き刺さる。
装甲が穴だらけになった事自体、船にとって大きな問題だ。しかしこれで終わりにはならない。
尻尾は激しく左右に揺れ動き、何度も何度も船の装甲に『自身』を叩き付けるからだ。この動きはトカゲの尻尾と同じく、尻尾の中に残った神経系が、切断時の刺激に反応して起こるもの。ただしアロサウルス・ネオの尻尾は、ほんの少しだけトカゲよりも高度だ。
具体的には、触れている面に対し叩き付けるように動く。
これは敵の気をより引くための嫌がらせだ。勿論尻尾はただ反射行動で動いているだけで、自我などは持ち合わせていないが。だからこそ船に対しても、装甲がある側に何度も叩き付ける。
三メートルもある巨大な尾に叩かれ、船の装甲がどんどん破損していく。不味い、と思った人間達が棒などをもちいて引き剥がそうとするが、尻尾はその刺激にも反応してのたうつように暴れるばかり。
ついには装甲に大穴を開けてしまう。
ただし奮闘もこれまで。尻尾の動きは、尻尾内に残っている糖をエネルギーにして行っている。つまり糖を使い果たせばやがて動かなくなる。装甲に食い込むのに役立っていた鱗も、逆立たせるためのエネルギーが尽きれば力を失う。
最終的に尻尾は海に落ち、そのまま沈んでいった。
船に大穴は開けたが、人類の最先端技術の詰まったそれは簡単には沈みそうにない。島の周りには嵐があるため、かなり致命的な損傷だろうが……ネオにそれを理解するだけの知識はなく。
「グギギゥウゥゥゥ……」
大変不満な結果に終わり、ネオは苛立ちを隠さない荒々しい鼻息を吐く。
ただしそれはほんの一時の事だ。すぐに怒りは冷める。
結果として、鬱陶しい人間を島から追い出す事が出来た。反撃してきた輩の大半は踏み潰し、逃げた奴等もそこそこ困らせている。戦果としては悪くない。
総合的には大勝利と言える結果だ。獣とはいえ聡明なネオは、「まぁいっか」と思うぐらいには満足していた。
また、戦いは終わったがやるべき事はいくらでもある。
「ガグルゥゥゥ……」
例えば切り離した尻尾だ。切った尻尾の断面は筋収縮により止血しているため、然程血は流れていない。
また尻尾はいずれ再生する。事実既に断面では活発な細胞分裂が始まっており、三ヶ月もすれば尻尾は元通りになるだろう。だがこれは、言い換えればこの三ヶ月間細胞分裂のため大量のエネルギーを使うという事。無から尻尾は生まれないのだから。
それに戦い自体に多くのエネルギーを費やしている。高々一日戦っただけ、と言えるのは人間のような『小動物』だからだ。総重量十トンの質量を、時速百キロで動かし続けるには膨大なエネルギーがいる。また運動をすれば筋繊維が傷付き、この回復にタンパク質などの物資も消費していく。
そして人間達からの激しい攻撃を受け、ネオは少なくないダメージを負った。確かに肉体に大きな傷はなかったが、大部分の鱗が損傷ないし焦げている。それらのダメージは鱗の付け根にある細胞に刺激として伝わり、新陳代謝を促進。鱗の生え変わりを促す。当然鱗の生成にはエネルギーと物質が必要だ。
このままでは身体の中のエネルギーと物資が普段よりも早く底を突く。つまり餓死してしまう。要するに消費を補うため、何時もよりたくさんの獲物を食べなければならない。
……殺した人間達を食べれば消費エネルギーは十分賄えただろうが、手榴弾で自爆した人間の事がネオの頭にはある。『手榴弾』を理解していない彼女にとって、人間とはいきなり爆発するかも知れない生き物。まかり間違っても口に入れるべきではない。そもそも怒りに任せて叩き潰していたので、どれもネオが口に出来る状態ではないが。
「グルルゥゥ……」
本能的に覚える空腹感。面倒な獲物探しをしなければならないと感じ、ちょっと良くなっていた気分がまた沈む。
しかしくよくよしていても腹は膨れない。
そう。本能としてはあくまでも生きるための衝動であり、今回であれば食べるための動機付けでしかない。しかし『生命』は全てが本能でコントロールされている訳ではない。聡明な知能があれば尚更に。
高い知能を持つネオは、高ぶった闘争心から
もしもまた人間を見たら今度こそ叩き潰してやろう。徹底的に、完膚なきまでに。一匹たりとも逃がしはせず、船だってぐちゃぐちゃに潰してやる。
――――獣としては些か執念深い感情は、彼女の優れた知能の証。そして知能はあっても理性がない彼女は、激しい敵意を抱きながらるんるんと山へと向かう。
自身の想いを叶えるためにも、今は食事が必要なのだから。
……ネオは知らない。
人間という生き物が、自分以上の執念深さを持っている事を。一度目を付けたものは、何がなんでも手に入れようとする事を。犠牲が出れば尚更退かない、退けない種である事を。
再戦の日は、ネオが思う以上に近い。
そしてこれがネオの望む形、望む結末になるかは、ネオには知る由もない事だった。
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