憤怒の暴虐

 銃。それは人類という存在が、野生動物を圧倒するようになった一因である。

 弓矢や剣と違い、長い訓練をしなくとも『ある程度』なら女子供でも扱えるようになる習得の易しさ。何百メートルも離れた位置に、音速を超える速さで届く射程距離と速度の優位性。そして弓矢以上の、金属製の鎧さえも貫く破壊力。

 全てにおいて自然を凌駕し、対抗する事さえも許さない力。どれほど大きな獣も、ある程度立派な銃を使えば打ち倒せる。

 自然の脅威からの開放。正に文明の利器。

 その弾丸が、ネオの頭に迫っていた。

 ネオは反応すら出来ない。作業員が放ったライフル弾は、音速の二倍以上の速さだ。いくらネオが素早く動き回るといっても、これほどの速度には反応さえ間に合わない。

 射手の技量が優れていたのもあってか、弾丸は正確にネオの頭部側面へと飛んでいく。真っ直ぐに、躱す事も出来ない弾丸がネオの顔に直撃し――――

 軽い金属音を鳴らして、弾はあっさりと弾かれた。

 

「……え?」


 銃を撃った作業員は、唖然とした。

 外れたなら、彼は落ち着いて第二射を放っただろう。しかし金属の音が、跳弾を示す音が聞こえたなら、その可能性は否定されてしまう。

 止めろと言い続けるリーダーの言葉を無視して、二発目三発目も撃つ。四発目はその前に近付いてきたリーダーに銃を抑えられ、止められた。

 それでも二発分の弾がネオに撃ち込まれたが、全て金属音を鳴らす。跳ね返った弾丸はパスッと軽い音を立てて地面に撃ち込まれ、跳弾を人間達に見える形で現す。


「グルガァア! ガァアアア!」


 そして怒り狂ったネオは、銃撃に怯みもしていなかった。

 作業員が撃ったライフル弾は決して不良品ではない。クマぐらいであれば十分射殺せる、人間なら容易く即死させる凶器だ。

 この攻撃を防いだ秘密は、ネオの身体を覆う鱗にある。

 ネオ……アロサウルス・ネオの全身を包む鱗には、金属が豊富に含まれている。有機物と結合したこの鱗は極めて頑強で、人類が開発した合金にも匹敵するほどだ。有機結合による強固な結びつきが、この硬さを生み出している。

 また近世の人間達が使っていた鎧は、金属製とはいえ厚いところでも一〜二ミリ程度しかない。それでも重さ二十〜四十キロはあり、いくら当時の銃でも抜かれる可能性があっても、これ以上装甲を厚くするのは困難だった。しかしアロサウルス・ネオの鱗は、顔面などの薄いところでも厚さ五ミリを誇り、最も分厚いものでは三十二ミリもある。

 つまりネオの身体を覆うものは、金属製鎧の二〜二十二倍もの強度があるという事だ。更に鱗は隣り合う鱗と重なるように生えているため、場所によっては二枚分、六十四ミリもの厚さを誇る。これは現代兵器の中でも、戦車の装甲に匹敵する分厚さだ。

 これほどの厚みのある『鎧』を纏えるのは、勿論ネオが人間など比にならない巨大生物である事も大きいが……鱗が純粋な金属ではなく、有機物との化合物である事も要因だ。強力な有機結合で強度を高めつつ、より原子量の小さい、軽い元素を主成分としているため鱗は非常に軽量である。更に防寒着としての働きをするため、鱗内はスポンジのような網目構造をしていた。これは更なる軽さを生むだけでなく、衝撃を分散させる事で組織の破壊を避けるという役割も持つ。

 彼女の身体を覆う鎧を貫くのに、銃弾程度では力不足だ。


「グガアァガアァアッ!」


 銃撃など気にも留めず、ネオは観測拠点を完膚なきまでに破壊。一人を生き埋めにした瓦礫の前で、勝利の雄叫びを上げる。

 生き延びた作業員達は最早呆然するばかりだ。

 確かにネオはクマよりも遥かに巨大な生命体である。されどそれを差し引いても銃撃を跳ね返すなど、彼等の常識では考えもしなかった事。何が起きたのかも理解出来ず、その場に立ち尽くすばかり。

 そんな作業員達の方を、ネオはくるりと振り向く。

 二十メートル以上の距離はあったが、作業員達は気付いただろう。ネオの目に未だ怒りが込められていると。激しい闘争心を全身に滾らせ、人間達に怒りを向けていると。

 ネオは確かに銃弾を弾いた。ダメージは全くない。しかし分散された衝撃は身体に伝わり、『攻撃』の存在自体は感知している。人間達が自分に敵意を向けてきたのだと、しっかりと理解していた。

 ネオの心は決して広い訳ではない。自分勝手で、短絡的で、衝動に素直な……野生動物のそれなのだから。

 自分を攻撃するような輩は、例え虫けら同然の存在だろうが許さない。


「グゴアアアアアッ!」


 軽い跳躍と共に、二十メートルの距離を一気に詰めつつ、ネオは大きく片腕を振り上げる。作業員達は固まったまま。身動きも取れない。

 振り下ろしたネオの剛腕が、人間の一人を叩き潰すのを、誰もがただ眺めるだけだった。

 ……ちなみに叩き潰された人間は、ネオを攻撃した者ではなかった。ネオは銃の性質など知らないので、誰が撃ったか、なんて考えもない。攻撃されたと思ったから『人間』に反撃しただけ。

 あまりにも無慈悲で、考えなしの反撃。これには流石の人間達もゾッとし、誰もが身の危険を感じる。


「う、撃て! 撃てぇ!」


 リーダー格の男が先程の意見を翻し、攻撃指示を出すのも致し方ない。最早ネオは人間の『敵』なのだから。我に返った他の作業員と共に、銃を撃ちまくる。

 しかし放たれた弾丸は全て鱗が弾き返す。頭も胴体も関係ない。腹も小さな鱗がびっしりと生えているため、こちらも弾丸が肉を貫く事は出来ない。

 それでも撃たれている攻撃されているという事実だけはネオに伝わる。仲間一人殺しても人間は止まらず、それどころか更に激しく抵抗してきた――――ネオにはそう思えた。

 一人殺した時点でネオ的には大分溜飲が下がっていたのだが、度重なる攻撃で怒りのボルテージは急上昇。『幸運』にも生き延びていた六人の人間にも激しい敵意を抱く。


「ゴルルゥウウッ!」


 素早く繰り出す次の一撃は、大きな頭での攻撃。つまるところ頭突きであるが、自動車よりも巨大な頭部を高速で振るっているのだ。


「ぐぶっ」


「ごっ!?」


 頭の薙ぎ払いは集まっていた四人を纏めて跳ね飛ばす。人間達は短い呻きを上げ、三人は即死。一人は辛うじて生きていた……が、三十メートル以上吹き飛ばされ、地面に落ちた衝撃で死ぬ。

 更に頭を振るった際、ついでに尻尾で背後の人間達を叩き潰す。頭突きから逃れていた二人も、この攻撃は避けられず。縦幅の広い尾は身体を、さながらハエ叩きのように殴打。打撃の衝撃で人間二人の身体はぐしゃりと潰れ、肉塊となって吹き飛ぶ。当然、痛みを感じる間もなくあの世行きだ。

 一秒と経たず、六人の人間が命を落とした。しかしネオの怒りはまだ収まらない。

 一旦怒りが爆発したら、途端に全てが憎たらしくなる。自分の寝床を荒らした事も、食べたくもない肉の臭いを嗅がされた事も、ぎゃーぎゃーと五月蝿い事も……今や全てが気に食わない。

 アロサウルス・ネオはとても賢い。昔の事を何時までも『根に持つ』ぐらいには。


「グガアアギガアアアアアアアアアッ!」


 島中に轟くほどの大声量による咆哮。

 慈悲など持たないネオからの最終通告は、しかし島にいる人間達は受け取れず。

 無論通告のつもりなどないネオは、人間がどう思ったかなどどうでも良い。自身を突き動かす衝動のまま、麓に向かって走り出す!

 アロサウルス・ネオは健脚だ。生きた獲物を追い、戦い、喰らうためには俊敏な身のこなしが欠かせない。

 その最後の生き残り、進化の『最先端』に立つネオの最大速度は時速百三十キロに到達する。勿論これは平地での最大速度であり、山道を駆け下りるとなればもう少し減速しなければならない。

 だが、ここでアロサウルス・ネオの強さが活きる。

 彼女達は例え険しい山道であっても、大きく減速せずに走る事が可能なのだ。ネオも最高速度は落としたが、それでも時速百キロ近い速さで山道を駆け抜けていく。下るほどに木々が生い茂り、地面が大木の根や岩などで隆起が激しくなったが、ここでも速度は百キロを維持したままだ。


「グルルルゥウウウウウッ! グウゥアウウウウウ!」


 ネオは怒りこそ露わにしているが、山下りに辛さはない。平地ほどではないとしても、楽々と麓まで駆け抜けていく。

 この素早い動きの秘密は、全身の特徴にある。

 まず足。アロサウルス・ネオの足は、身体の大きさに比べてかなり幅広になっている。指もよく発達し、類人猿の『手』を彷彿とするほどだ。この発達した足で岩場や地面をしっかりと踏み、指で細かな凹凸を掴む事で身体を安定させる。

 それと長い尻尾。尻尾は六十一個の骨で出来ているが、これらの骨は小さく退化し、一つ一つの骨は軟骨により結合している。つまり尻尾は殆ど筋肉の集まりであり、極めて柔軟に動かす事が可能。また尻尾は幅広で太く、体長の半分近い長さもあって全体重のうち小さくない量を占めていた。つまり動かせば、重心が移動するという事。これによりあらゆる方向に曲がる尻尾で重心をずらす事で、不安定な足場でも転倒を防ぐ。

 そして大きな脳は、空間把握能力に長けている。目から入り込んだ立体的な空間情報を、瞬く間に解析・無意識に理解する事が可能だ。また顔の側面にある目は自分の足下の地形をある程度見る事が出来るため、自分がこれから踏む地面がどんな形か、大まかにだが把握している。

 足・尻尾・脳。三つの優れた身体機能が、彼女をほんの数分で山の麓近くまで運んだ。ある程度麓まで下りた、硫化水素の少ない環境には防護服を着ていない人間達の姿がある。植物などを調べている科学者と、護衛であるハンター二人の三人組だ。


「ん? ネオ――――」


 麓にいる人間は知らない。山頂の人間達が、ネオに『狼藉』を働いた事なんて。だからこそ彼等は迫るネオに最初、警戒心も抱かず。

 その一秒か二秒後、猛烈な勢いで迫るネオの姿にようやく危険を覚えたが――――その時にはもう遅い。

 ネオは肉薄した人間三人に対し、力強く腕を振るう! 強化コンクリートさえも破壊した剛腕に薙ぎ払われた人間達は、ぐしゃりとその身体が『横』に潰れる。高速道路を爆走するトラックと激突したかのような衝撃は、彼等に痛みを与える間もなく迅速に生命を奪った。更に亡骸は飛ばされて、近くの巨木と衝突。壁に投げ付けられたトマトのように、赤黒い飛沫を撒き散らす。

 更に三人。人間に憎しみを向けている怪物ならば、その様相に笑い声でも上げただろう。しかしネオは怒り狂っているだけで、憎しみなんて抱いていない。

 故に、笑い声一つ挟まず、死んだ人間には一瞥もくれず。

 ただ怒りのままに突き進む。


「な、なんだこの地響き」


「ガアアアアアアアゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」


 出会い頭に見付けた人間三人組に、最大声量の怒りの雄叫びをプレゼント。驚きのあまり意識の止まった三人を顎で薙ぎ払う。


「ね、ネオ? なんだ、何が」


 新しい拠点を森の中に建てていた人間は、その拠点ごと生き埋めにしてやった。十近い悲鳴が聞こえてきたが、ネオからすれば五月蝿い雑音だ。さっさと黙らせようと、瓦礫の上から踏み潰す。


「ひっ!? ね、ネオ!?」


 出会った人間の中には、野生の勘が残っているのかすぐに危機感を覚え、逃げ出す者もいた。

 懸命な判断だ。人間の走る速さが一般人なら最高で時速十数キロに対し、アロサウルス・ネオの最高速度が時速百キロ以上である事に目を瞑れば。木陰に隠れようとしても、俊敏さで振り抜こうとしても、全ての作戦をネオの身体能力は上回る。怒りの剛腕は人間の小賢しい策を容易く粉砕した。

 人間達の阿鼻叫喚が、島中に響き渡る。ネオの怒りを幾つも積み上げてきた結果を、彼等は今一身になって受けていた。

 とはいえこれは自然界を冒涜した事への裁きでも報いでもない。一体の獣が、感情のまま暴れているだけ。人間達がこれに立ち向かおうとするのは、生命として当然の反応であり、自然な権利である。


「ね、ネオが! ネオが人間を襲って……」


 ネオが何人もの人間達を襲う中、ついに一人の人間が仲間への通信を可能とする。

 それは十人もの大所帯で、ネオの体躯でも一瞬で全滅させられないほど広く拡散していた(麓の森を伐採して資源調査を行っていた)者達の一人。ネオには通信なんて科学的概念はなく、何やら一人でぶつくさ言っている程度にしか思わない。

 通信機ごとその人間を文字通り叩き潰せば、ネオとしては満足だ。彼が何をしていたかなど考えもしないし、分かりようもない。

 だが通信機と彼は既に役目を果たした。

 ネオの情報は電波に乗って、島中の研究者達、そして護衛任務を行っているハンター……に伝えられる。

 少なくない動揺が彼等の中に走る。人間達としては、ネオと悪くない関係を築けていたと思っていた。しかし同時に、彼等は人間や自然に夢を見ない。人間の想いが自然に届くとは限らず、人間の善意が必ずしも実るとは思わず、人間と全ての自然が共生するとも考えない。

 多くの人員と連絡が取れなくなった事を以て、人間達はネオが攻撃性を露わにしたと判断。軍人達は『駆除』へと方針を転換し、研究者も一部を除き賛成する。

 これよりネオと人間達の全面的な争いが始まる。出足こそ人間達が大きく遅れを取ったが、犠牲者は未だ二十人程度。八十人近い人員が生存しており、未だ戦闘能力は高い状態だ。戦闘は行える。

 ネオ対人間。

 これは正義と悪の戦いでも、自然と人工の争いでもない。一つの島で起きた生存競争であり、より『強い』方が生き残るというシンプルなもの。真の自然において、生き残るのは正義でも悪でも生命でも人工でもなく、その環境における適者である。

 しかし一つ言える事があるとすれば。

 一億五千万年の時を経て進化した『恐竜』は、人間達の想像を超える力を持っているという点ぐらいなものだろう――――

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