踏まれた竜の尾

 ネオと人間の出会いから、半年の月日が流れた。

 その間人間がずっと島にいたかと言うと、そうではない。彼等は最初は一ヶ月ほど島にいたが、やがて船を動かし島から出ていった。そしてそれから四ヶ月半ほど経った先日、また戻ってきたのである。

 人間としては、最初の調査後一旦『本国』に戻り報告。更なる研究のため戻ってきた、というごく普通の行動だ。いや、半年以内で戻ってきたのは、かなり急いだ方だろう。

 しかしそんな事情を知らないネオからすれば、随分久しぶりに戻ってきたと思う。構成員の顔ぶれも、一部を除いて覚えてもいない。そもそも見分けも付いていないが。

 ただ、前はここまで『面倒』ではなかったと思っていた。


「さぁて。食べてくれるかなー」


 例えば(数少ない覚えている人間の一人である)ジェームズがやっている餌付けも、その面倒な行いの一つである。

 地面に寝そべっているネオの前には、山盛りの肉が積まれた大皿が置かれていた。

 肉の種類は牛。量は牛一頭を解体して得られる分に等しい、約三百キロだ。ジェームズ含めた十人もの人間が、せっせと此処まで運んできたのである。

 人間にとっては自身の何倍もの重さだが、ネオからすれば一口でぺろりと平らげられる量。牛なんて食べた事もないネオだが、普段からオオトカゲやら大蛇やらタコ型モンスターを食べている身だ。牛の肉を食べられないなんて事はない。

 だが。


「……フシュー」


 鼻息を吐くだけで、ネオは舌さえ伸ばさない。

 食べない理由は、単純に食欲が湧かないから。

 アロサウルス・ネオは幼少期を除き、自分で仕留めた獲物しか食べない。理由は鮮度の悪い肉を食べ、食中毒など病気になるのを避けるためである。

 確かに、アロサウルス・ネオの消化器官は人間ほど軟弱ではなく、幼少期のネオが母の亡骸を食べて育ったように栄養にも出来る。今のネオでも、余程空腹なら死肉だろうが腐肉だろうが食べただろう。病気の危険があっても、明日飢え死にするよりはマシだ。しかしそこまで切羽詰まっていない今、リスクを犯す必要はない。

 ネオはこの理屈を理解している訳ではない。しかしこの島で暮らしていた祖先達の中で、転がっている死肉を嫌うものが高い確率で生き延びてきた。その形質をネオも受け継いでおり、なんとなく仕留めた獲物以外食べたくないのである。腹ペコでないなら尚更だ。むしろ空腹でもないのに知らない肉の臭いが鼻を刺激してちょっと苛立つ。


「うーん、やはり食べないか……」


 人間達が困り顔になっても、ネオにとっては知った事ではない。


「グルゥ……フンッ」


 苛立った鼻息を吐いて、そっぽを向く。

 『拒絶』の意思を見ると、人間達は集まって話し出す。この声は、特段気にならない。普段から飛び回る虫の羽音のようなものだ。


「こちらから与えたものを食べないとなると、やはり生き餌しか食べないのかも」


「飼育は困難かも知れません。加工された牛肉ならまだしも、生きた牛となると……」


「恐竜の飼育なのに予算ケチるとか、世知辛いねぇ……」


「お偉いさんは、生き物の希少さなんて理解してねーよ。金になるかどうかだろ」


 この独特な言葉鳴き声にも慣れたものだ。未だネオには意味は全く分からないし、これからも理解するつもりはないが。


「しかし与えた餌を食べないと、捕獲自体が困難でしょう。現時点では誘導さえも出来ませんし」


 例え彼等がネオの『捕獲』について話していたとしても、彼女には雑音にしか聞こえない。


「麻酔銃を使おうにも適量が分からん。もしも現代の爬虫類よりも極端に弱ければ、すぐに死んでしまうかも知れん」


「なら、最初から標本にする方針にした方が……」


「いやいや、それは駄目だろう。生きた状態でどれだけデータが得られるか、死んでからどれだけ失われるか、分からないとは言わせないよ!」


「だがスポンサーと本国がかなり苛ついてる。奴等にゃ六千六百万年続く世界最後のロマンより、世界中で採れる石ころの方が魅力的なようだ」


 悪態混じりの言葉を皮切りに、議論が白熱する。

 『捕獲』という言葉は、科学者にとって研究用に捕まえるという意味だ。人間たちはネオという「世界最後の生き残り」と思しき恐竜を、研究のため(可能であれば)生きたまま捕まえようとしている。

 それは当然の考えだ。大変希少な生物だとしても、研究しなければどれだけの価値があるかは分からない。例え『標本』にするとしても、野生動物に食い荒らされた死骸より、飼育小屋の中で無傷のまま倒れている方が得られる情報は多い。

 ネオの島での『役割』についても、捕獲・観察しなければ分からない。そして研究を進めるには、やはり捕獲が必要である。

 とはいえそういった思いがあるのは、彼等が研究者であるため。もっと直接的な利益を求める立場の人々にとっては、恐竜一匹の生け捕りに時間を費やす事など好ましくない。しかも本来この島は、資源調査の名目で訪れている。の研究をするにしても、標本にしてしまえば良いとさえ考えていた。

 人間達の中でも、様々な思惑が行き交っている。人間という『群れ』は一枚岩ではないのだ。


「……グゥゥ」


 尤もネオにそんな細かな情勢など分からない。彼女は所詮、孤島に暮らす獣である。それよりも重要なのは、人間達が大きな声を出している事だ。

 流石に、こうも騒がれると五月蝿い。尻尾で薙ぎ払っても良いが、立ち位置からして適当に振っても当たらないだろう。かと言って身体の向きを変えるのは面倒。手で叩くのも届かない。

 どうせ動かないと叩き潰せないのなら、こっちが場所を移動するのも変わらない。ネオは起き上がると、この場から立ち去る。

 出来れば鬱陶しい人間達がいない場所で、またごろごろと寝ていたい。

 そう思うネオであるが、しかし今やこれは中々難しい。

 何故なら今回やってきた人間は、前回よりも数が多い。具体的には、今回は研究者と護衛、そして作業員含めて百人もの人材が来ている。船も二隻訪れ、海岸に停まっていた。ネオは算数すら習っていないので正確な数は分からないが、とてもたくさんなのは理解している。

 そのたくさんの人間は、島のあちこちを調べている。

 海岸近くの木々はかなり多くが伐採された。オオトカゲやディノサーペントなど、大きな動物達もかなりの数が殺され、今や人間をすっかり恐れている。あちこちで植物が採られ、木も倒されていた。更に観察拠点などの建物も次々に建てられていく。

 いずれも人間視点では研究調査の一環であり、安全を確保するための作業なのだが……ネオには、住処を荒らされているように感じられた。ちょっと木を倒されてもどうとも思わないが、日に日に『ちょっと』ではなくなっている。

 おまけに島中に分散し、あちこちで目にする始末。ムカついて、面倒だからと離れても、人間達は何処にでもいる。それがますます苛立つ。


「……フンッ」


 鼻息を荒くしたネオは、山頂へと向かう事にした。

 硫化水素に満ちたあの場所であれば、人間達も立ち寄らない。それは今日までの暮らしで、ネオが学んできた事だ。

 そもそも今まで寝心地が良いから麓の森で過ごしていただけで、そこに暮らす生き物なんてオヤツ程度のもの。山頂の獲物こそがネオの主食だ。高濃度の硫化水素も、ネオにとっては害とならない。いっそしばらく山頂で暮らすのも悪くないだろう。

 そうと決まれば、早速山頂へと向かう。標高が高くなるほど人間達の姿は疎らとなり、思惑通り静かな場所で一眠り出来るとネオは期待を膨らませる。

 ……少なくとも、数日前までならその通りだったろう。


「グルルルゥ……」


 山頂に辿り着いて、ネオはホッと一息吐く。此処なら人間はいない筈だ。

 しかし地下空洞から上がってきた、危険な生物がいるかも知れない。いくら人間を避けるためとはいえ、より危険な生物の存在を忘れて命が危険になっては元も子もない。

 ネオは大きく息を吸い込み、臭いを集める。あちこちから噴き出す硫黄化合物の臭いが鼻をくすぐる。果たして今は地下空洞生物が出ているか、近くまで迫っているか……


「グルゥ?」


 そう考えての行動だが、ネオはこれにより『知らない』臭いを感知した。

 奇妙な臭いだった。生物的でない、けれども嗅ぎ覚えがない。無機質で、どうにも味気ない臭気。

 これは一体なんだろうか?

 考えても答えは出そうにない。ならば直接見てみようと、ネオは臭いを辿ってみる。そうすれば答えは存外早く得られた。

 無数にある亀裂の一つの上に、『小屋』が組まれていたのだ。

 小屋と言っても柱が剥き出しで壁もない、極めて簡素な作りのもの。掘っ立て小屋とも呼べない代物である。

 これは人間達が建てた観測用の小屋だ。山頂に無数の亀裂があると知った人間達は、その亀裂の一つに調査用の施設を建てたのである。土壌成分からこの山頂地帯に貴重な資源が多くあると判明し、それを得るために人間は開発を始めていた。

 亀裂から地下空洞生物が出れば壊されてしまいそうだが、彼等がこの山頂に拠点開発をしたのは昨日から。地下空洞生物は早々頻繁に現れるものではなく、彼等の建てた拠点も今のところは無事だった。


「サンプル採取はあとどれぐらい掛かりそうだ?」


「明日にはなんとかなりそうです」


 そして、作業中の人間の姿まである。

 人間達は全身を覆う白い『防護服』とガスマスクにより、硫化水素の大気を克服していたのだ。数は五人。鉄パイプや布をせっせと運び、観測小屋をどんどん立派なものへと作り替えていく。

 人間達が言っていたように、この調子でいけば明日にはより立派な……簡易的ながら地下資源の採取が行えるようになるだろう。


「…………………………」


「ん? ああ、ネオの奴が来たのか」


「アイツ、此処も縄張りにしてるらしいですからね。なんのために来てるかは、まだ分かってないみたいですが」


「ま、気にするな。今のところ邪魔された事はないしな」


 ネオがじぃっと見つめても、人間達は気にもしない。彼等はネオが人間を襲わないと思っているのだ。事実、今までネオはちょっと追い払う時以外、人間に危害を加えた事はない。

 だが、それも今日までだ。


「……グゥウウルルルルル……」


 唸るネオ。その声を聞いた人間達は一瞬身体を竦めたが、へらへら笑っている。何も、怒られるような事はしていないと言わんばかりに。

 実際人間に言わせれば、これはただの資源調査。悪事どころか、人が生きていくために必要な行為だろう。

 銅や鉄だけでなく、ニッケルなど重要な金属も多く含む地帯。そこに手を付けないのは、資源の枯渇が不安視され、価格高騰に悩む人間社会からすれば愚策だ。昨今は自然保護が叫ばれているが、しかしそれは自然破壊が自分達の首を締めると理解したがための行動。人間一人住んでいない孤島の自然なんて、なくなっても人間社会は何も困らない……そう考えるのが未だ多数派だ。

 事実、これは『悪』ではない。種の繁栄を求め、邁進するのは生物としての性である。その結果他の種が滅びても、それ自体は四十億年近く続く生命史で、幾度となく繰り返された有り触れた事だ。

 そしてネオもまた、地球に生きる一個の生命に過ぎない。人間を罰してやろう、島の環境を守ろうなんて露ほども思わない。

 だが単純に苛付く。餌場を荒らされるのは、今までの中で最も激しく。今までずっと溜め込んできた分に、ずどんと積み重なる。結果ネオの許容範囲をあっという間に超えてしまった。

 端的に言うなら――――この瞬間、ネオの堪忍袋の緒が切れたのだ。


「グ、ルルルルルル……!」


「あ、あれ? なんだ、なんか随分怒って……」


 人間の一人が、ネオの怒りに気付く。だがもう遅い。ネオにとっては、此処に邪魔なものを作り上げた事自体が気に入らない。

 だからネオは真っ直ぐ建設途中の建物に近付いて、


「グゴアアッ!」


 一片の躊躇いもなく、巨大な腕を振り下ろした!

 人間の身体よりも遥かに大きく、太い腕は筋肉の集まりだ。寝そべる自分の身体を持ち上げ、起き上がる手伝いをする事さえも造作もない。

 まるで重機が如くパワー。この強大な力の前では、人間達が建てた強化コンクリート製の観察拠点さえも土塊の塊と大差ない。

 剛腕による一撃を受け、観察拠点の壁は呆気なく砕け散る。大穴が開いて中身……研究施設と、建設作業中の人間三人の姿が見えたが、ネオにとってそんなものは端からどうでも良い。

 更にもう一発、腕を振るう。


「わ、わあぁあ!?」


「ぎゃああっ!」


 砕けた壁の破片が、室内にいた人間達に襲い掛かる。防護服を着込んでいる彼等の動きは、決して素早いものではない。瓦礫を華麗に躱すなんて真似は出来ず、ぶつかった衝撃で転んでしまう。

 ネオはそれでも建物への攻撃を止めない。ネオの目的はこの邪魔な建物をぶち壊し、此処から消し去る事。その過程で中の人間がどうなろうと知った事ではない。

 何度も何度も腕を振り下ろし、観察拠点を破壊していく。転んだ人間達はのろのろと逃げようとして、どうにか二人は逃げ出せたが……一人は間に合わず。降り積もる瓦礫の下敷きになってしまう。

 彼等が建材として使う強化コンクリートは、硬くて軽量な代物だ。多少であれば人間の上に乗っても致命的ではない。しかしあくまでも多少である。また硫化水素漂うこの場でガスマスクが少しでも破損すれば、直ちに死に至る。

 このままでは人命が失われる。急ぎ救助活動をしなければならないが、ネオが暴れている中ではのんびり瓦礫を運び出すなど出来ない。


「っ……!」


 作業員の一人が自衛用のライフル銃を構えるのは、仲間を守るためには致し方ない行動だった。

 ネオは銃がどんな武器かあまりよく分かっていない。使うところを目にした事はあっても、飛び出す弾丸は見えていないのだ。構えて、音が鳴ると、遠くの相手がなんか傷付いている。

 それがどれほどの威力なのか知らない。知らないがために迷わない。

 止まらないネオ。その横顔に銃口を向けた人間の指先、引き金に掛けた指に力がこもる。


「! ま、待て! それは……」


 作業員達のリーダー格らしき男が、その動きを止めようとする。ネオは希少な恐竜。それをここで、研究者達に言わずに殺しのは不味いと思ったのだ。

 最初から外にいた作業員三人と建物から逃げ延びた作業員一人の合計四人も、リーダーの言葉に同意したのか銃口は下げたまま。

 されどそれは人命第一の考えにそぐわない。仲間想いである、銃を構えたままの作業員一人の心に響く言葉ではなく――――

 引き金は引かれ、科学の破裂音が辺りに響いた。

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