共存モドキ
その日から、人間達は森の中をよく散策するようになった。
出会った日こそネオに対し警戒気味だったが、何度も遭遇しているうちに危険はないと考えるようになったらしい。少しずつだが、人間はネオとの距離を詰めるようになった。
美味しくなさそうなのでネオは人間に興味も持たず、好きなようにさせている。あまりにも近付き過ぎて、鬱陶しく思ったら尻尾で叩いてやったが。その時の人間達の慌てぶりは面白かったので、また近付いたら尻尾で叩いてやろうと思っているぐらいだ。尤も、人間達は賢いようで、以来近付かなくなったが。
人間達の行動は、ネオにとってはとても奇妙なものが多かった。人間が来てからまだ七日しか経っていないが、それでも数え切れないほど変な行動をしている。
「ああ、凄い……硫黄臭がかなり強いぞ」
「何を食べたらこんな臭いが……」
例えば今し方、出した糞に群がる姿もその一つ。
糞に集まる生き物というのは、この島でも珍しくない。糞には未消化物や腸内細菌の死骸など、『栄養分』が豊富に含まれているからだ。人間達の前で糞をするのはかれこれ三度目で、ネオも最初は自分の糞を食べるつもりなのかと思っていた。
しかし人間達は糞を掘り返すと、食べもせず何処かに持ち運ぶ。おまけにごく少量だ。
子供にでも与えているのだろうか? だがあんな少量では、とてもじゃないが群れを養うなど出来ないだろうに。
「やはり、僅かだが硫化水素も検出されている」
「この島の土壌は、硫化水素が多いからな。動物にも豊富に含まれていてもおかしくない」
「それが出ているのか? しかし……」
糞を触りながら、お喋りをしているのも変な行動だ。食べるなら食べる、運ぶなら運ぶ。
それと顔に付けている
「全く。相手の目の前でウンコを引っ掻き回すとは……研究者ってのは、デリカシーがない。お前もそう思わねぇか?」
勿論ネオに声を掛けてきた、屈強な人間の鳴き声の意味も分からない。
別に出した後の物をどうしようと興味もないので、ネオは特段人間達の糞漁りに干渉する気はなかった。
奇妙な行動は他にもある。
「どうだい? 僕達の事、少しは慣れてくれたかな?」
やたらとネオに話し掛けてくるのだ。
ただしこの行動をしているのは、多数いる人間の中の一人だけだが。その人間は余程ネオの事が気に入っているのか、頻繁に近付いてくる。以前尻尾で叩いてやってからは、ベタベタと触りには来なくなったが……ちょっと頭を動かせば喰える場所までは来る。多分、反省はしていない。
ネオは人間の見分けなど付かない。誰もがガスマスクをしているため、顔が見えないのも識別を困難にしている。しかしネオには優れた嗅覚があるため、臭いさえ分かれば判別可能だ。この人間は特に接近してくるため、臭いを学習する機会に恵まれた事もあり、人間の中で唯一識別出来る存在だった。
「ジェームズ博士。あまり接近するのは……」
「ははっ。いや、子供の頃から夢見ていた、恐竜との接触だからさ。つい、ね」
「……気持ちは分からないでもないですが」
ちなみにジェームズはよく他の人間に叱られている。尤も、群れを作らないアロサウルス・ネオであるネオには、『叱る』や『忠告』などの言動は概念すら持ち合わせていないが。
なんとも賑やかだなぁ、とだけネオは思う。
それはそれとして……脱糞して身体も軽くなったところだ。日課の散歩でもしようと、ネオは歩き出す。
すると人間達の何人かが、慌てた様子でネオを追い駆け始めた。
これもまた奇妙な行動の一つ。どうにも最近、人間達はネオに付き纏う。ジェームズだけは前からだが、二日ほど前から他の人間も一緒に来るようになったのだ。
島最強の捕食者であるネオは、
しかし人間の行動は、どうにもそういった生き物とは違うように思う。
そして賢いネオは薄々感じていた。人間達の目が、自分が人間に向けているのと同じものだと。つまりネオが人間を観察しているのと同じように、人間もネオを観察している。おまけにネオよりも熱心に。
「……ブシュー」
尤も、知りながらもネオは気にしないが。観察する事、される事を端から問題だとは思っていないのだ。
悠然とした歩みで、人間を引き連れながらネオは森を進む。
人間達はネオを観察しているようで、彼女の後ろを追いながら様々な動きを見せる。
「復元図の恐竜と同じ水平姿勢の歩行だ。やはりこの歩き方が一番効率的なんだろう」
「基本的な形態はアロサウルスに似ているな。その進化系か?」
「アロサウルスは一億四千万年以上昔の生き物だぞ。単なる収斂進化の可能性が高い」
「遺伝子解析をしようにも、恐竜の遺伝子なんて何処にもないからな……鳥との比較はどうだ?」
「あの船じゃ無理だ。本国に持ち帰ってからだよ、その前に血の一滴ぐらい取らないとだが」
「いくら非敵対的でも、注射なんてしたら噛み殺されるだろうな。糞から細胞を採取するしかないと思うぞ」
……話している内容は、ネオにはさっぱり分からないが。しかし尻尾で叩いて以来、あまり五月蝿いと攻撃されると学んだのか。人間達の声はひそひそ声で交わされている。これぐらいなら虫の羽音のようなものだと、ネオには無視する事も出来た。
人間の行いを意識の隅に寄せたネオは、ここ最近について思考を巡らせる。
人間が来てからの七日間、ネオの暮らしはあまり変わっていない。しかし歩く森の環境は、僅かだが変わりつつある。
今正にネオが立ち寄った海沿いの森の一部が、開けた土地に変わっていたのもそういった変化の一つだ。
人間達が木々を伐採したのである。切られた木々はいずれも人間から見れば新種であり、『採取』も兼ねてはいるが……一番の目的は活動拠点を作るため。簡易的ながら人間達は小屋を作り、生活のための空間を用意している。
明らかな環境破壊だが、これは「資源調査優先」という某国の方針による。某国政府は環境保全よりも開発・経済発展を優先しており、自然への影響が少ない方法より、長期滞在を容易とする開拓を推奨していた。大所帯の調査隊が上陸したのも、環境負荷よりも調査速度を優先した結果だ。有益な生物資源があれば保護する、という方針もあったが……新種がどう有益かなど地道に研究しなければ分からない。実際には無意味な、環境にも配慮している『フリ』をするための文言だ。結果として調査方針は、あまり先進的な環境意識に則っていなかった。
調査する科学者の多くはこの方針に不満があったが、スポンサーの意向には逆らえない。それに、利便性が上がれば調査効率が良くなるのは確か。方針を変えられず、このような方法で落ち着いてしまった。
勿論、ネオには人間達の都合などどうでも良い事であるが。
ネオは人間達が
ネオはそれをどうとも思っていない。
島の守護者と言っても、彼女はあくまでも野生動物だ。木が切られたとして、それがなんだと言うのか。そもそもネオだって若木を踏み潰したり、戦いに巻き込んで細い木をへし折ったりというのはしょっちゅうやっている。木を倒すのが『悪い事』とは認識していなかった。
ネオは森を寝床としているので、その森を切り開かれる事自体はあまり好まないが……現時点で伐採は極めて小規模。寝床からも離れているので、ネオとしては許容範囲内である。
「……ブシュウゥゥルルル……」
鼻息を吐きながら、また闊歩する。今度は森の奥に向けて歩き出す。
その時、パァンッ、と弾ける音が森に響いた。
一回だけではない。二回、三回と立て続けに聞こえてくる。四回目からは更に激しく鳴り続け、十回以上は鳴っただろうか。ようやく音が止んだ。
聞こえてきたのは銃声だった。初めて聞いた時はネオもちょっと驚いたが、今ではすっかり慣れている。そして何が起きたのか、誰か鳴らしているのかも理解していた。
この森には、人間にとって危険な生物がうじゃうじゃ暮らしている。
以前ネオが食べたディノサーペントも、そうした危険生物の一体だ。他にも巨大トカゲであるディノメントゥム、巨大陸生両生類キングマンダーなどが生息している。いずれもネオにとってはオヤツだが、人間ぐらいは簡単に食べてしまう猛獣だ。自然が支配するこの島において、人間が襲われない理由などない。
しかし人間には武器がある。
彼等の持つ銃は、この島の生物にも有効だった。人間を襲った生物の殆どは返り討ちに遭い、どれもが殺されている。人間の犠牲も何人か出ているか、島の生物の方が遥かに多く死んでいる。
これについても、ネオはどうとも思っていない。生き物同士が戦い、どちらかが死ぬ。自然界ではあちこちで起きている出来事だ。人間が思ったよりも強いというのはネオにとっても予想外だが、それだけの話。異常だのなんだのとは考えもしない。
人間が仕留めた動物を食べずに船へと持ち帰るのも、「何やってんだアレ?」と不思議に思う程度。殺した生き物を食べない事は、ライバルを殺してきたネオだってやっている。悪でも正義でもない、ただの営みだ。精々、勿体ないなぁ、お腹が空いたら横取りしようかなぁと思うだけ。
獲物となる大型動物を殺すのも、見たところ積極的ではなく、あくまでも襲われた時だけにしている様子。知的なネオはそのぐらいの『分別』は付くのだ。自分の獲物を根こそぎ奪うつもりでないのなら、わざわざ構う気はない。無論、助けるつもりもないが。
「グルル……」
止んだ銃声の方角を一瞥するだけ。わたわたする人間達を置いて、自分だけの散歩を行う。
人間達が来てから、まだ七日。
全てを理解したと言うには、あまりにも日が浅い。しかし少なくともこの間、ネオからすれば人間の行動に『問題』は感じていない。
だから今は気にしない。ネオにとって問題というのは、起きてから確認すれば良い事なのだから。
「グル、ルゥ……」
ネオなりに色々考えながら歩いていると、微かに空腹を覚えた。
自身とほぼ同じ体躯の生物であるオクタリアン。あの身体は既に平らげている。アロサウルス・ネオは胃や腸は非常に力が強く、食べたものを『圧縮』可能だ。ぎゅうぎゅうに押し潰した塊にして、胃の中に備蓄している。
このため一度に大量の獲物を摂取出来、長期間何も食べなくても生きていける。とはいえアロサウルス・ネオは巨大で、そして身体能力に優れる生物。変温動物ながら消費エネルギーはかなり多く、オクタリアンを食べても一週間もすれば飢えを覚えてしまう。
実際には、一月ぐらいは何も食べなくても平気だが……本能に忠実であるが故に、ネオは小腹が空いた頃には何か食べたくなる。野生の本能に突き動かされたネオは、獲物を探すべく軽く辺りを見回す。
真っ先に目に入った
散々仲間が食い殺されているのに、この暢気な生き物達は平然とこちらに近付いてくる。群れているからか、はたまた間抜けなのか。どうにもこの生き物は危機感に欠けているようだとネオは思う。
食べようとすれば、簡単に食べられるだろう。
確かに美味しくなさそうだと今も思っているが、賢いネオは「味見ぐらいはしようかなぁ」とも考える。軽く口を開き、さて手近な場所にいる人間でも一口で……
「……………フシュー」
そこまで考えてネオは、しかし人間を襲うのは止めた。
ネオから見て、人間はあまりにも小さい。食べ応えがなさそうで、一々襲うのも面倒になったのだ。
それに思い返すと、人間達はネオの糞も集めている。糞は雑菌の宝庫。微生物の存在などネオは知らないが、本能的に糞を嫌う性質は持ち合わせていた。賢いからこそ、ネオは人間が糞で汚れているように思える。
腹ペコなら兎も角、そうでもないのにわざわざ汚いものを口にしたいか? 知能がなければ躊躇わないだろうが、知恵があるネオは人間と同じく嫌悪を覚えた。
「グルル〜」
やはり獲物は、山頂から出てくる地下空洞生物に限る。そう思ったネオは、近くの人間ではなく山の頂へと向かう。
人間達が追ってくるのを気にしないように、置いていく事もネオは気にしない。時速八キロというネオの歩行速度は、人間にとっては小走り程度の速さ。しかもネオにとっては慣れた山道も、人間にとってはかなり険しい。人間達とネオの距離はどんどん開く。
ついに人間達の姿は見えなくなったが、ネオは構わず山を登る。軽快な足取りで森を越え、岩場を越えて、山頂に辿り着いた。
「フゴ、フゴゥ」
鼻を鳴らして臭いを嗅げば、硫黄化合物の刺激臭がネオの鼻をくすぐる。
人間の臭いはしない。高濃度の硫化水素が漂う山頂に、生身の人間は立ち入る事が出来ない。今だって人間の活動圏は海岸近くの、最も硫化水素濃度の低い領域だ。
ネオにとって、その方が都合が良い。人間達にうろちょろされると、流石に集中力が切れてしまう。昼寝中や散歩中なら構わないが、狩りの最中にそれをやられたら……踏み潰していただろう。
今なら誰にも邪魔されず、狩りが出来る。
そして幸運な事に、山頂には既に強い『獣臭』が漂っていた。どうやら地上に出てきたばかりの奴がいるらしい。昨日のオクタリアンとは異なるが、何度か喰った事のある生き物の臭いだ。
「グルルルルル……」
気を引き締め、ネオは臭いを追う。人間の事など、頭の片隅に寄せて。
――――このように、ネオと人間の出会いは比較的友好なものだった。
ネオが人間に対しあまり興味を持たなかった事、人間がネオの生活の邪魔をしなかった事が共存に成功した理由である。ネオはこの島の守護者のような立場だが、そんな意識は微塵もない。島の環境が変化しようが、人間が自分の事を知ろうが、自分の暮らしが脅かされなければ良いのである。
今後も人間の態度が変わらなければ、ネオとは長く共存出来ただろう。
……しかし人間は、己の立場を弁えていた訳ではない。ただこの島の環境を知らず、勝手が分からず、故に大人しかっただけ。本質的に傲慢で身勝手なこの種族は、やがて本性を現す。
この島が、ネオという生物が、どんな存在なのか未解明なうちに……
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