歴史的遭遇

「フシュー……ピュルルルー……」


 オクタリアン戦から二日後。ネオは森の中で惰眠を貪っていた。

 アロサウルス・ネオは昼行性、つまり太陽が出ている時間に活動する生物だ。本来なら日の出と共に起き、日没と共に眠るライフスタイルを持つ。

 しかしそれはあくまで種族としての特徴であり、絶対的なものではない。昼行性である人間が様々な理由で夜中にも活動するように、ネオも理由があれば夜にも動く。例えば昨日の場合、満月で地上がそこそこ明るく、夜の海辺を散歩するという『遊び』をしていたからとか。

 オクタリアンとの戦いで負った傷は浅いものの、傷の回復にいくらか体力を使っている。十分な睡眠が取れなければ、身体が昼間でも休息を求めるのは必然だ。太陽が頭の真上まで来ているかどうなど関係ない。

 とはいえ獣であるネオには学校も仕事もない。夜更かしして昼まで寝ていても、怒るような誰かもいないのだ。加えてオクタリアンという大物を食べ、身体には十分なエネルギーが満ちている。数日間は何も食べなくても十分生きていけるだろう。焦る必要はなく、自由に、気ままに、ぐーすか眠り続ける。

 今もネオは鼻提灯を膨らませて爆睡中。このまま夕方まで眠り、暗くなった事に気付いてまた一眠りしただろう。


「……グルゥ?」


 そのつもりだったが、ふと目が覚めた。

 彼女の眠りを妨げたのは、聞き慣れない音。唸るような轟音が、微かにだが鼓膜を揺する。

 二十五年間この島で暮らしていたが、こんな音は聞いた事がない。尤も、それだけなら「また地面からなんか出てきたかなー」というだけの事。ネオは様々な地下空洞生物と出会ってきたが、未だ時折初見の生物がいるほど、この島の地下生態系は豊かなのだ。

 ネオはこの島の守護者という立場だが、その役割を果たす気は毛頭ない。地下空洞生物が地上に現れても、満腹ならわざわざ襲うつもりはなかった。ライバルがいると餌が減るので気が向けば殺すか、腹が減った時には探しに行くが、積極的に動こうとはしない。

 しかし今回の音は、山頂である島の中央からではなく海の方から聞こえてくる。


「……………グルルルル」


 さて、どうしようか。寝そべったまま、ネオは考える。

 海から奇妙な音がするのは初めての経験だ。アロサウルス・ネオは優れた知能を持ち、好奇心もかなり強い。初めての情報には本能的に惹かれてしまう。

 面倒臭さと眠気と好奇心。頭の中を渦巻く本能的衝動のせめぎ合いの結果、勝ち残ったのは好奇心だった。


「グ、フゥー」


 大きな腕で身体を支えつつ、ネオは起き上がった。一度起きればもう眠気も面倒臭さもない。海辺に向けて、ゆったりと歩き出す。

 寝ていた場所から海までの距離は、凡そ一キロ。ネオの歩行速度は時速八キロほどであり、また暮らし慣れた山道をすすむのに苦労もない。ほんの十分も歩けば、目的地である海辺が見える。

 ネオが暮らすこの暮らす島は、海底からそびえる巨大な山の一部である。大部分が森に覆われ、堆積した腐葉土により割と土が多い。しかし言い換えれば植物がなければ、剥き出しの大地を露わにする。

 海辺に広がるのも、殆どが山の本体である岩礁地帯だ。雨風で岩が削られて出来た砂は波に運ばれて流れ出てしまうため、砂浜は殆ど存在しない。黒い岩だらけの土地には苔と、その苔を土台にして生える草が疎らに生えるだけ。

 植物が少ないため、それらを食べる生き物も少ない。数ミリ程度の虫が、時折飛んでいるぐらいだ。これもまた自然の一部であり、潮溜まりに生息する希少種などにとっては大切な環境なのだが……ネオにとっては獲物も遊び道具もないつまらない場所だ。故に普段ネオは海辺には近寄らず、あまり来ないから細かな地形なども覚えていない。

 しかし昨日まで『あんなもの』はなかったという事だけは、断言出来る。

 それは、巨大な物だった。

 全長はように見える。かなり遠くにあるので目測であるが、間違いなくネオよりも大きい。ヘビのように細長いものではなく、ある程度の『幅』がある大柄な物体だ。


「グル、グルルルル……」


 海に出たネオであるが、一旦森の奥に引っ込んだ。

 ネオはこの島の頂点捕食者であり、これまで負け知らずの身。しかしその強さに矜持や驕りはない。自分より強そうなものがいれば、一旦様子を見る冷静さがある。

 木々の隙間から、じぃっと遠くにあるものを見つめる。

 最初の印象通り、それは百メートル以上ある巨大な物だった。だがよく見れば、生物ではなさそうだ。少なくとも今までネオが見てきた、どんな生物とも似ていない。背ビレのような、角のような、よく分からないゴチャゴチャしたものがたくさん生えている。材質がツルツルしていて、けれども岩のように硬そうだとネオは思った。仮に生き物だとしても、亀や甲虫の類だろうか。

 ネオは知らない。これが、事を。

 背ビレと思っていたものは、船のセンサー類。かなり大型の船だが、旅客船などではない。非常に丈夫で、荒れ狂う波にも耐える……過酷な自然を切り抜けるための科学調査船だ。

 人間達の調査が、西暦二〇二九年になってついにこの島まで及んだのである。

 そもそも何故この島は今まで人に発見されなかったのか。その理由は島の周りで渦巻く海流と気候が常に荒れているため。熱水噴出孔が多量にあるこのは、膨大な地熱により温められている。接している海水もその熱により暖かく、周辺の海流との温度差が生じる。この温度差が海流の動きを生み、荒れ狂う波を作り出しているのだ。

 また水温が高いため多量の水蒸気が生じ、常に何処かで雨が振っている。それも台風並みの大雨で、最先端の船でも転覆の危険がある危険な天候だ。おまけにその雨で島の地面に溶け込んだ、硫化水素などの有害物質が海に流れ出す。海流のお陰で外まで汚染は広がらないが、言い換えれば狭い範囲での毒性は深刻である。近海に生息する魚類や貝類はごく僅か。おまけに食味も良くない、どころか硫黄化合物を豊富に含むため、食用には適さない。

 島に辿り着くのは困難かつ、近海に経済的メリットなし。積極的にこの辺りを探検をするような物好きは、殆どいなかった。

 しかし人工衛星が発明され、空から星を見渡せるようになった事で、島の存在自体は確認されていた。科学技術の発展により、人の船は自然の猛風にも打ち勝てるようになった。調査期間中に必要な、水や食糧も確保出来る技術力を手にした。

 そして昨今の資源高騰や世界的な情勢不安もあり、資源開拓の必要性が高まった。

 このため未調査地域であるこの島及び周辺海域の研究が、国際的な支援と某国主導の下に始まったのである。実のところ二年前から海自体は調査が始まっている状況だ。島自体は遠巻きに観察されるだけだったが、既に簡易な研究は進んでいたのである。


「グルゥ……」


 そんな人間達の情勢など全く知らないネオは、未知の存在にどう接しようかと考える。

 ハッキリ言うと、怖い。

 なんだか分からないものは、やっぱり怖いのだ。しかし生き物ではなさそうなので、攻撃される事は恐らくないだろう。

 それに見た事もないものには、やはり好奇心が疼く。

 考えた末に、ネオは船に近付いてみる事にした。森の中に隠れながら、少しずつ距離を詰めていく。

 近付くと、恐怖は薄れてきた。どう見ても生物ではない。自然物にしては綺麗過ぎる形だが、見た目は鉱物に近いと分かる。万が一生物だとしても、ろくすっぽ動いていない状態だ。恐らく死んでいる。

 危なくないと思うと、ネオの歩み寄りはより堂々としたものになる。好奇心の赴くまま、力強く歩いて接近。

 あと少しで森から出る、といったところまで来たネオだったが、再びその姿を森の奥に隠す。

 船の傍に、見た事のない生き物がいたからだ。

 船と違い、間違いなく生き物だ。皮膚の質感、動き方などから分かる。二本足で立ち、何十という数が群れている……

 それが、ネオが初めて出会った『人間』達だった。

 人間達は島を調査するための準備をしていた。船から荷物を下ろし、地図を広げながら話し合っている。周囲の警戒をする者や、機械を弄る者もいた。岩礁地帯の中でも比較的平らな場所を選んだようだが、足場の悪さに四苦八苦しているのがネオにも窺えた。


「グル、グゥルルル……」


 ネオは海沿い五十メートルほど離れた位置の木陰に身を隠しつつ、注意深く観察する。この島にサルがいれば、その仲間と予想ぐらいは出来たかも知れない。しかしこの島にサルはいない。フクロネズミの祖先のような、激しい海流を乗り越えた『幸運な個体』がいなかったからだ。

 どんな生き物かも分からない。おまけに人間は群れている。賢いネオは、小さな生物でも群れればそれなりに強いと知っているのだ。油断は禁物。警戒するに越した事はない。

 越した事はないが……とはいえ群れの力を知る人間でもアリの大群を恐れないように、ネオも過度に群れを警戒してはいない。高々二メートルもない『小動物』が数十群れたところで、自分の脅威になると本心から思う訳もなく。

 段々好奇心が抑えきれず、ついつい森から身体が出てしまう。


「な、なんだありゃあっ!?」


 顔が出てくれば、流石に人間達もネオに気付く。

 人間達は一斉に顔を上げ、そして驚いた人間の指差しに従いネオの方を見た。ここまで統一感のある動きはネオにとって見慣れぬもので、なんとなく、生理的に気味が悪い。

 しかしそれ以上に、興味を惹く。このヘンテコな生き物は、一体なんなのだろうか。

 ネオはついに森から出て、岩礁地帯に姿を現す。森から出た事で、いよいよ人間達とネオの距離はほんの三十メートルまで迫った。まだまだ遠い、と言いたいところだが、ネオは二十メートル超えの巨体。ネオが軽く走れば、瞬く間に詰められる。

 そして森から出れば、身を隠せるものなどない。人間達はネオの姿をばっちりと視認し、誰もが驚愕していた。


「っ!」


 そして数人の人間が、その手に持つ武器を構えた。

 銃だ。それもクマのような大型動物も仕留められる、大型のライフル銃やショットガンである。

 接近すれば殺すという意思表示。だがネオは銃なんて知らない。精々威嚇行動ぐらいにしか思わなかったので、更に距離を詰めていく。

 このままでは攻撃が始まるなんて、露ほども考えずに。

 しかしその銃撃を止めたのは、銃を構えている人間達の仲間である、他の人間だった。


「ま、待て! 撃つな!」


「正気か!? ありゃどう見ても肉食恐竜だろ! このままじゃ食われるぞ!」


「世界で最後の一頭かも知れない恐竜だぞ!? もし殺したら、君は世界中から批難される覚悟はあるのか!?」


 ぎゃーぎゃーと言い争う人間達。彼等は複雑な言葉を使っているが、言語という概念すらないネオには喧しい鳴き声にしか思えない。

 人間達が揉めている間に、ネオは人間から二十メートルほどの距離まで迫った。人間にとってはかなりの距離も、ネオにとっては力強く一歩踏み出せば詰められる長さ。

 何時でもパクリと喰らえる距離で、ネオは人間達をじぃっと見つめる。

 ……最初にネオが人間に対し抱いた印象は「美味しくなさそう」だった。

 それは人間達の皮膚、とネオが思っている服がいたからだ。彼等が着ていたのは一般的な作業着や登山服などで、決して華美なものではない。しかし生物の皮膚として見れば、ある程度ゆとりのある衣服というのは弛んでいるも同然だ。

 皮が弛んでいる生物というのは、ネオが知る限り痩せ細った個体だ。噛み応えはボソボソ、染み出す血や肉汁には旨味がない。骨と皮ばかりで腹も満たされず、たくさん食べると消化にも良くないのかちょっとお腹が弛くなってしまう。

 それに、どうにも見た目が毒々しい。

 人間達の服は、遭難した時見付けやすいよう蛍光色があちこちに施されていた。服自体もオレンジの生地を多く使い、森の中でも目立つようにしている。そういった工夫が、ネオの目には毒性生物に見えたのだ。

 食べてもリスクしかないだろう。何より、今はお腹が空いていない。試しに味見しようという気にもならず。


「グルルルルル……」


 考えた末に、食べるのは止めた。ならばぶん回して遊び道具にするか、という考えも過ったか、そういう気分でもない。

 そして人間程度の大きさの生物であれば、ネオはライバルだと認識しない。食べ物の大きさが違う筈だからだ。自分が獲物としている大きな動物には、恐らく手出しはしないだろう。

 ライバルでもなく、食べ物にもならない。

 危険性も餌としての価値もないと思い、またぎゃーぎゃー五月蝿くて近くにいると落ち着かない。興味を失ったネオはこの場から離れる事にした。


「か、帰って、いく……」


「さ、撮影だ! 早く写真を!」


 後ろを向くと、また人間達が騒ぎ出す。やはり言葉の意味は分からない。

 しかしネオはなんとなく理解していた。

 あの人間達は、この島で暮らすのだろうと。単純に、ネオは海を越えていく事が想像出来ないのでそう思っていたが……この予感は正しい。人間達は定住こそする気はないが、しばらくこの島で暮らすつもりだった。研究調査という名目で。

 ネオは気にしない。人間がどんな生き物か知らないために。

 数多の生物種を絶滅させた、強欲と知的探求心がこの島に向いた時に何が起きるのか。世界で唯一と思われた自分の身に、どんな『災い』が降り掛かるのか。

 今の彼女には、想像さえも出来なかった。

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