第2話 鼻から……
黒い……と言って思い出すのはあの事件。
銀行を退職し派遣としてあちこちで働いていた頃の話。
ずっと銀行事務だったので、派遣では『銀行事務以外』の仕事を紹介してもらっていた。
福祉機器イベントのお手伝い事務の仕事。福祉機器もイベントも初めての経験で、もの凄く楽しい仕事だった。
イベントは大成功で終わり、一緒に働いていた4人で打ち上げに行ったのだ。
お店はちょっとお洒落な感じのイタリア料理店。
次から次へと美味しいお料理が出て、話も盛り上がり、私はお酒が苦手であったが、他の3人は飲める方でワインを美味しくいただいていた。
今でこそ、自分は軽い『アルコールアレルギー』である事が判明しているが、あの当時はただの『お酒が苦手』と思い込んでいた。
苦手……と言うか、飲むと即時に気分が悪くなり、リバースや下痢、頭痛が起こる。
当時はお酒を美味しく飲める人、気持ちよく酔える人が羨ましかった思いがある。
「飲めない」=「子供」「訓練が足りない」「飲めば慣れる」と言われていた時代だ。
もちろんその時一緒にいた3人は私に無理にお酒を勧める事もなく、ジュースを頼んでくれた。
けれど、ワインを美味しそうに呑む3人がとても羨ましく思えたのだ。
『アルコールアレルギー』は、身体がアルコールを分解出来ない(少量しか、もしくは時間がかかる)わけで、決してお酒の味が『苦手』なわけではなかった。
蟹アレルギーの人が蟹の味が嫌いなわけではないのと一緒。
猫アレルギーの人が猫嫌いなわけではないのと一緒だ。
ビールは黒ビールが好き。
日本酒は辛口が好き。
ワインは白が好き。
ただ、ひと口程度が限界。味は好きなのに。
けれど、あまりにその打ち上げが楽しかったのと、皆が美味しそうにワインを呑むのを見て、ほんの少しだけ飲もうかなと、思ってしまったのだ。
ひと口なら良かった。ひと口で止めておけば良かった。
なのに、その時に飲んだワインが美味しくて、ワイングラス(小さめ)をグイグイっと一気に一杯飲んでしまった。
はい、直ぐに回ったー。身体中をアルコールが。
ぎ、ぎもち悪い………、吐く、やばい、吐きそう。お腹も痛い、下りそう。
兎に角トイレに行こうと思った。この楽しい席、テーブルでリバースしたらいち大事。
立ち上がりトイレへ向かうが、ワインたった一杯でも酔った者にとっては物凄く長い道のり。
『ダメ、ここで吐いてはダメ!』
自分に言い聞かせて一歩一歩足を進めた。気持ち悪さだけでなく、確実に物体が胃から食道へ上がってくる。
食道から喉へ。まずい、喉から口の中へ。
トイレの中へ駆け込んだ時は、手で押さえた口の中ぱんぱんに上がってきた物が、便器へ顔を突っ込んだ瞬間に溢れ出た。
ただ、あまりに強く手で口を押さえたので、最初は鼻からリバース、そして手を離した後は、鼻と口からリバースした。
……鼻から吐いたのは初めてだった。眉間が痛い。
ジョボボボボ………………………
胃の中が空っぽになるまで便器に顔を突っ込んで吐いた。
出る物も無くなり、とりあえず口を濯ごうと個室を出て洗面台へ。
洗面台の鏡に映っていたのは、鼻から太い鼻毛を出した私の顔。
私の鼻から、太さ五ミリくらいの真っ黒な鼻毛……いえ、パスタが出ていた。
さっき食べたイカ墨を練り込んだ真っ黒なパスタが鼻から、鼻毛のように出ていた。
「ぶっふぉっ、ぶははは」
気持ち悪さが吹っ飛ぶ間抜けな顔。ふっとい鼻毛を出した女。
楽しくお酒も飲めない上に、鼻から黒いパスタを出す自分、可笑しさが込み上げつつも、悲しくなった事件だった。
あと、誰にも見られなくて良かった。直ぐに鼻毛、いえ、パスタは抜きとった。
3話『タクシーの運転手さんを刺した』に続く
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