黄泉ツアー(3)

 居間を飛び出し、早歩きで階段を上る。

 向かう先は無論、自分の部屋だった。


 俺は、確かめなきゃいけない。向き合わなきゃいけない。

 そのためにも―――まずは記憶の断片を見つける―――!


 勢いよく扉を開くと、先ほどまで那肋を覆っていた日光が、角度を変えて伊佐薙の目に飛び込んだ。

 あまりのまぶしさに、つい目を細める。


 目が慣れるに従って、視界には慣れ親しんだ部屋が色濃く映り込んだ。

 

 幼いとき、いたずらに落書きをして怒られた木のベッド。ボールをぶつけて割ってしまい、片方だけを取り替えた年代違いの窓ガラス。目を覆いたくなるほどに整頓されていない本棚に、逆に綺麗すぎる勉強机。

 そのどれもに、思い出が色濃く残っていた。


 伊佐薙はゆっくり本棚に向かうと、しゃがんでいくつかの書類を雑に取り出した。

 適当に部屋を荒らしているようにもみえるその行為は、伊佐薙にとっては理路整然たるものだった。


 いつの日からか封印した、俺の"憧れノート"―――


 今はもう端々が解れかけているノートが数冊、伊佐薙の目の前に転がり出た。

 表紙には大きく"憧れノート"と題名が付けられており、その下には少し小さめに日付と自分の名前が記されている。


 覚えてるもんだな―――たしか、恥ずかしくって教科書の間に隠したんだっけ。


 そのノートを一冊一冊手に取り、机に向かいながら時系列通りに並べていく。

 それらを机上に並べてみると、部屋の雰囲気が当時の空気で満たされたように青く、それでいて柔らかく変化したような気がした。


 俺がこのノートを書いてたのっていつ頃だっけ。


 伊佐薙が最初期のノートと最新のノートの表紙を見比べると、そこには約四年のギャップがあった。

 伊佐薙は年数を遡り、自身の年齢と当てはめる。


 指折りで数えてみると、幼稚園の年長から小学校の中学年にかけてが、このノートの執筆期間だった。


 なるほど、そこら辺で恥ずかしくなりだしたんだな、俺は。

 過去の自分の思想の転換期を思い出し、伊佐薙は少し照れ笑いを浮かべた。


 その時、伊佐薙ははっとし、小さく首を振った。

 違う違う、感傷に浸りに来た訳じゃないんだ、俺は。

 伊佐薙は手始めに一番古いノートから手に取り、軽く中身に目を通した。


 憧れノート。これは俺にとって、夢の集合体のようなものだった。


 近場で起きた小さな事件や、ニュースで見た大きな事件。俺の身の回りに起きた、俺にしか関係のないような小さなトラブルまで。

 多岐にわたる事件や事故を書き記し、それらを自分なりに解決した―――ような妄想を書き殴るだけのノート。それが、憧れノートだった。


 思えば、俺はずっとヒーローに憧れていたのだろうと思う。

 初めはテレビで見る特撮に憧れ、次第に事件をまるっと解決してしまう探偵に憧れ、挙げ句の果てには女児が好むような可愛らしい二人組ヒロインにまで、羨望の眼差しを向けていたような気がする。

 

 それが顕著に表れた憧れノートには、非現実的な解決法ばかりが記されていた。

 

 悪い人と出くわした時には、ベルトで変身し犯人に跳び蹴りをかまし、大勢の人を救う。

 山で暴走した獣に襲われたときは、魔法でその獣を自分の仲間にしてしまう。

 "助けて"という声が聞こえたなら、その人を一切傷つけることなく、完璧に、それでいてカッコよく救い出す。


 そんな見る人が見れば黒歴史ともいえる内容が、バカ真面目に書き連ねられていた。

 

 そして各事件の末尾には必ず、この一説が書かれている。

 

『ぼくも、こんなヒーローになる。つよくてカッコイイ、すごい人になる』


 そう言って一人、暗い部屋の中で腕を掲げていた少年がいた。

 その面影をすぐ隣に感じながら、伊佐薙は神妙な笑みを浮かべた。


 こんな言葉が、あの時の全てだったんだもんな。

 伊佐薙は当時の自分を思い返し、少し胸を痛めた。


 なぜ俺が、自分の夢をこのノートに書き殴ったのか。血気盛んなはずのよわいでなぜ、わざわざ一人、薄暗い部屋で文字を書くという手段をとったのか。


 伊佐薙は目を閉じ、引いた椅子の背もたれに手を重ねた。

 そうすることでなんだか、過去の小さな自分の背中を、この手でさすってやれているような気がした。


 誰にも、言えなかったんだもんな。

 お前は多重面相のせいで、人と関わることに絶望した。だから自分の夢を、こんな形で残した。

 分かっているのは俺だけでいいと、自分の手で、自分の中に閉じ込めたんだ。


 伊佐薙はふと目を開け、再び目の前の憧れノートを見つめた。


 それがもし、俺だけの夢じゃなかったのだとしたら。俺の夢を、俺以外の誰かが、知っていてくれたのだとしたら。

 伊佐薙は迷うことなく、一冊の憧れノートを手に取った。


 父さんのあの言葉―――きっと、きっとそうだ。

 

 伊佐薙はそのノートに顔を近づけ、血眼になって内容を読み返した。

 一枚めくる度、自分の記憶が鮮明になっていく。

 

 そうだ、覚えてる。この事件も、この揉め事だって―――

 間違いない。あと少し、あと少しで、そのページに届く。


 そう確信してページをめくる指はふと、空を切った。

 

 あれ―――? 伊佐薙の期待とは裏腹に、ノートは最後のページを迎えた。

 おかしい、このノートだったはず―――だって、あの事件はこの年の―――


 その後何度見返しても、俺は望むページをそのノートの中に見つけることができなかった。

 何かの勘違いかと思って、他のノートも一通り目は通した。


 しかし当然、見当たらない。俺は少し焦り始めていた。


 やっと、あの夢の意味が分かるかと思ったのに。ようやく掴んだ、糸口だったのに―――


「何をしている」

「―――!?」


 無我夢中な伊佐薙を呼び止めたのは、呆れ顔を浮かべていた那肋だった。

 扉を小さく開け、ひょっこりと顔を出している。

 伊佐薙は肩を上げ、全身で驚いていた。


「あ、いや―――」伊佐薙はロボットのようにぎこちなく、那肋の方向へ身体を傾ける。

「おばあが心配していたぞ。急に飛び出したかと思えば―――」


 言いかけたところで、那肋はようやく伊佐薙の表情に気が付いた。


 なんだ―――その物悲しそうな表情は―――


「ご、ごめん、ちょっと気になることがあってさ。でももう大丈夫、俺も下に降りるよ」

「あぁ―――」


 伊佐薙は少し目元をこすると、那肋から憧れノートを隠すような体勢で、勉強机に手をついた。

 那肋は一瞬その動きに違和感は感じたものの、特に追求することなく扉から首を引っ込めた。


「邪魔したのなら、すまなかったな」

「いや、別にそんな―――」

「私は一階にいる。今日は好きにするといい、身体もまだ休まっていないだろうしな」


 そう言うと、那肋は可愛らしい足音を立てて一階へと降りていった。

 

 好きに―――か。

 伊佐薙は一瞬ノートに目線を戻したが、どうしてか、再度捜索を続ける気にはなれなかったのだった。 




 "ごちそうさま"の後の目配せが、作戦会議の合図だった。


 は晩御飯を二人と二匹で食べ終え、おばあと伊佐薙が食器を片付けようとしているときに、ユキの目から伊佐薙に送られたのだった。


 伊佐薙。この後部屋で―――


 その目線は、しきりに伊佐薙と二階を行き来していた。


 分かった―――黄泉ツアーね。

 伊佐薙は小さく頷く。


 ユキはそんな彼の様子を見ながら、今後の予定を脳内に思い描いた。


 ユキは夕方辺りに平坂家に戻ってきていた。

 それまで護衛を那肋一人に任せていたのは、ユキが下見も兼ねて黄泉へと出向いていたからだった。

 

 黄泉と現世―――行き来できる通り道がどの時間、どの場所に発生するかは、誰にも予測することができない。

 路地裏の更に奥、高架下の暗闇、黒猫の背を追った先。

 通り道は現世のありとあらゆる場所に、突拍子もなく現れる。


 そして通り道は一度現れるとしばらくその場に停滞し、少しずつ入り口を狭め、次第に消えていく。


 ユキは既にこの町にできていた通り道をいくつか見つけていた。


 数日以内に通れそうなのが三つ―――その内の一つは多分、あいつらが通ってきた道だ。

 正直、一番安定してるのはそこだけど―――


 思い立った瞬間、ユキは誰にも気付かれないように首を振った。


 ダメだダメだ、もしあいつらともう一度―――それこそ、黄泉でなんて出くわしたら―――

 最悪のシナリオを払いのけ、ユキは安全策を選んだ。


 目線の先にいる伊佐薙はおばあの隣に立ち、屈託のない笑顔で皿洗いを手伝っている。

 素の自分で大好きな人と接することができる幸せを噛みしめている、そんな表情だった。


 大丈夫、他の通り道にもメリットはあった。

 どの道も一日―――いや、二日は持つはず。それに伊佐薙の回復力は思ってた以上だ―――よし。


 ユキは考えがまとまったことを自覚すると、一息ついて覚悟を決め、それを周囲に感じさせないように、スッと立ち上がった。

 表情筋を緩め、できる限りの柔らかい表情を心がける。


「二人とも、僕に手伝えること、あるかな?」

「え、いいよ、座ってなよ」

「そうよそうよ、客人なんだから」

 

 おばあと伊佐薙はそれが当たり前かのように目を丸くしていた。


 ほんと、優しい人間達だよ。

 ユキはそんな二人を見て、溢れるように笑った。


「いいのいいの。一宿一飯の恩義ってやつ、返させてよ」




 薄暗い部屋で一人と二匹は寄り集まり、小さな三角形を描いていた。

 伊佐薙と那肋はベッドに、ユキは椅子に腰掛けている。立ち位置はほぼ昨日と変わらなかった。


 そして机の上は既に、きれいさっぱり整頓されていた。


「おばあにはもう寝るって伝えてきたよ。おばあの寝室は一階だし、流石に大丈夫だと思う」伊佐薙がコソコソと声量を抑え、二匹にそう伝える。

「ありがとう―――でも伊佐薙、これって―――」

「いいんだよ、これで」


 伊佐薙の目はキラキラと輝いており、あぐらを搔いている身体はゆらゆらと揺れていた。

 誰がどう見ても分かるほどの、ワクワクとした素振り。二匹は少し呆れていた。


「いや―――」ユキが言いづらそうに口を開く。

「俺、やってみたかったんだよねえ、こういう修学旅行みたいなの。多重面相抜きでさ」

「うーん―――」


 腕を組み、天を仰ぐ。そんなユキを見て彼が同情に揺れそうになっているのを察したのか、那肋が大きく息を吐いた。


「―――心配いらん、私が見ておく。こんな茶番は終いだ」

「えぇ、でも那肋、大きくなっても人に見えちゃうじゃん。やっぱりこのままの方がいいよ」伊佐薙は必死で呼び止める。


「―――忘れたか、私の妖術を」

「―――げ」

「まったく、あからさまに嫌な顔をしおって―――そういうことだ、後は二人で話せ。私から伝えられることは特にないしな」

「え、待ってよ! いいじゃんこういうのもー!」


 伊佐薙の声を抑えながらの精一杯な呼びかけも聞かず、那肋はその場からすんと姿を消した。

 伊佐薙は「ちぇ」と悪態をつくと、すぐにリモコンで部屋の電気を付けた。


「伊佐薙さえ良ければ、僕はさっきみたいなのでも別に―――」

「別にいいですー、那肋君が協力的じゃないのでー、俺は拗ねてしまったのでー」

「―――ごめんて」


 那肋め―――

 ユキは心の中で一瞬那肋を叱り、すぐに軌道を戻した。


「それで、黄泉に行くことについてなんだけどさ」

「うんうん、黄泉ツアーね」

「よみつあ―――? まぁそう、それについてなんだけどね」


 伊佐薙は既に拗ねモードから通常モードに戻っていた。


「僕の希望を言うと、正直―――明日か明後日にでも行きたいと思ってる。そこで、伊佐薙の調子を聞きたいんだ」

「俺かぁ―――」

「うん、でも無理だったら遠慮せず言ってね。また僕が見つけてこればいい話なんだから―――」


 伊佐薙は軽く腕を回し、首を前後左右に動かし、足をバタバタさせてみる。

 所々に違和感はあれど、痛みという痛みは消えていた。


「―――うん、大丈夫だと思う。なんなら明日とかでも」

「ほんと!? なら良かった―――じゃあ、明日にしようか」


 しめた―――! ユキは伊佐薙の回復力に、心底感謝していた。

 これで一つ、不安材料も減った。安全に必要物品が手に入る―――!


「で、いつ行くの? 黄泉だし―――やっぱり夜?」

「―――あぁ、いや、それは普通に昼間で大丈夫だよ。それに夜外出するとなったら、それこそおばあが心配するでしょ」 

 ユキは慌てて平静を装った。


「確かに、それもそっか。明日は金曜か―――じゃあ、おばあには学校行くって言おうかな。今日は体調不良ってことで休んじゃったし」

「がっこう―――?」ユキはまたもや首をかしげている。

「あぁそっか、ユキの世界にはないのか、学校」


 伊佐薙はそう言いながら、過去に聞いたことのある歌を思い出していた。

 おばけにゃ学校も試験もないんだっけ―――あれ、ほんとなんだな。

 

「とにかく、言い訳は大丈夫そうだから、昼間に行こう」

「うん―――ほんとごめんね、何度も無理させて」

「え?」


 案外ケロッとしている伊佐薙に反して、ユキはなにやら申し訳なさそうに斜め下を見つめていた。


「ほら、仮面外したらさ―――また―――」


 ユキの言葉を受け、改めて思い出す。

 経験したことのない激痛―――それは今でも鮮明に身体が覚えている。少し意識するだけで、伊佐薙の腕には鳥肌が立っていた。


 しかしそんな恐怖と同時に、伊佐薙の心には好奇心に似た熱情が湧いていた。

 普通に生きていたら絶対に行けない、黄泉という場所。そこで売られているという、いわくつきの品々。

 そんなもの、興味が湧かないはずがない。


 ―――それに、これは俺の夢を叶える為の旅路なんだ。

 伊佐薙は自分の拳を握りしめ、それを見つめながらゆっくり開いた。


 あの鬼の力だって、いつかは使いこなさなきゃいけない。その為にも、仮面を付けている時間は全て、特訓の一つだと思わなきゃいけないんだ。


 そうだ。この旅で、掴んでみせる。俺にしかできない、人の救い方ってやつを―――!


 意を決した伊佐薙を見ていたユキは、その表情に目を奪われていた。

 そして同時に、少し胸の奥が痛んだような気がした。


「大丈夫だよ、俺は。それに、ユキには感謝してんだから、そんな顔しないでよ」


 花が綻ぶように笑うその顔には、父親を失った恨みを一切感じさせないが含まれていた。

 それがユキにとっては奇妙な違和感となり、どこかで若干の恐怖へと姿を変えているのだった。 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る