能力と妖力(2)

 既に日は落ち、辺りは薄暗い影に飲み込まれつつあった。

 普段なら小さな妖がちらほら見える住宅街にも、今はなんの気配もない。


 それが妖怪二匹による原因であることは、火を見るよりも明らかだった。


「うう―――」

「こっちじゃないんだな、じゃあこっちか」

「ぐっ―――ちが―――」

「ええ、もう道ないよ。おかしいな、どっかで間違えたのかな」


 伊佐薙を背に乗せた那肋よりも前を歩いていたユキは、とうとう行く手を失って顔をしかめていた。

 道は十字路に差し掛かっていたが、伊佐薙は今進んできた道以外の三通りのどれもが違うというのだ。


「まさかこっから空飛ぶとかじゃないよね、那肋じゃあるまいし」

「―――なあ、おい。確かお前の苗字って平坂、だったよな」


 首を回して伊佐薙の方を見る那肋に対して、伊佐薙は身を捻りながら「うぅん―――」と答えた。


「どっちだよ―――」

「今のは肯定のほうじゃない? で、その平坂がどうしたのさ」

「いや、平坂という苗字ならさっきあったな、と思っただけだ。ほら、今今通り過ぎたところの、その家」


 那肋の言葉に従って、二匹は今来た道を後ろ歩きで進んだ。


「ここか」

「ああ、ここだ」


 二匹は正面に現れた生け垣に囲まれた昔ながらの一軒家の敷地に入り、玄関の前で立ち止まると、二匹はその表札に顔を近づけた。


「ほら、平坂って書いてあるだろう? 平坂ってこういう字を書いて平坂、だよな」

「なんだよ、本当じゃんか。早く言ってよそういうのは―――伊佐薙、ここで良いのかな?」


 ユキが目を向けると、伊佐薙は油の刺さっていない機械のようにぎこちなく首を縦に振った。

 

「よし、じゃあ―――そうだな。話したいこともあるし、少しお邪魔しようか。ほら、那肋」

「うむ」


 ユキは流れるように那肋から伊佐薙を受け取り、背におぶった。その些細な移動でさえも、伊佐薙にとっては叫び出したくなるほどの激痛だった。

 伊佐薙が歯を食いしばっていると、その隣では那肋が目を閉じてその場に座り込んでいた。


 何をしているのだろう―――ぼやける視界の中伊佐薙が那肋を見ていると、その那肋の影が段々と小さくなっているような気がした。

 見間違いか―――? 伊佐薙は何度か瞬きをしてみるが、その度に那肋の姿は小さくなっていく。


 挙げ句の果てには那肋はチワワくらいの大きさに縮み―――というより、外見もそのままチワワそのものになっていた。可愛らしい外見に、独特の毛色が異色を放っている。


「毎度思うけどさ、なんで現世の犬に化けるときはそんな可愛い路線になるわけ? 別に大型犬でよくない? ってかなにそれ」

「チワワ、とかいう海外の犬種らしい。一時期どこまで縮まれるかを試していたことがあってな、限界がこれくらいの大きさだったのだ。しかしこの大きさで邪狼の姿、というのも違和感の塊だろう? それでこのくらいの大きさの犬種を探した結果が―――これだった訳だ。」

「それ、可愛い路線に擬態してる理由になってないよね―――別に良いけどさ」


 ユキは少し手間取りながらもインターホンに手を伸ばした。


 その場面を目だけで追っていた伊佐薙は、内心気が気じゃなかった。

 嘘だろ、この人ら―――!? このままおばあと会おうってのか―――!?

 伊佐薙は無理矢理身体をよじった。


「なに、どうしたの」

「妖―――でしょ、二人―――とも」


 捻る出すようなその言葉を前に、二匹は顔を見合わせた。

 そして一拍おいて、二匹で「あー」と声を合わせた。


「僕らを見たら家族がびっくりしちゃうよーって話か」

「見え―――ない、です。うちの―――おばあは」

「―――ああ、霊感的な話ね。それなら多分大丈夫、僕とか那肋に関しては、どんだけ霊感がない人間でも絶対に見えると思うよ。さっきの鬼神達もね」そう言ってユキは自分と那肋を交互に指さした。


「妖力が増せば増すほど、見える層が広がるのだ。そして一定以上の妖力を持った妖は、どんな人間にも、どんな生物にも見えるようになる。

 それ故に厄介なことも多いのだがな」那肋はそう言って乾いた笑いを浮かべた。


 そうだったのか―――これは今まで全ての妖が見えていた伊佐薙には知り得ないことだった。

 しかしそれなら尚更ダメだ、こんな雪鬼と邪狼―――は今チワワになっているから良いとして、とにかくユキに関してはまずい。


 伊佐薙の焦りを察したのか、ユキは黙って伊佐薙の方を見ながら片手で自分の額を指さした。


「ほら、僕も角と耳をしまったから。これで僕は若干色素の薄いだけの人間さ。これでいいだろう? 白髪は許してよね、これを変えるのは難儀なんだ」


 伊佐薙ははっとした。

 ああ、そうか。ユキもあの鬼神らにならぶ程の妖怪なら、一八のように人間に擬態することもできるんだ。

 伊佐薙は安心して、小さく首を縦に振った。


「じゃ、そういうことだから。押すね」


 ユキがインターホンを押すと、昔ながらのベル音が家全体に広がった。


「はいはい、もう九時だよ伊佐薙―――って、これはまぁ―――えぇ―――」


 インターホンの音に反応してドタドタと玄関を開けたのは、常に優しい表情を浮かべている伊佐薙の祖母だった。若干曲がった背中に、上着のちゃんちゃんこが張り付いている。


 おばあは一人と二匹を視界に入れると、全員を順番に視界に収めた。

 その後で流れるようにユキと伊佐薙を交互に見て、目を見開いて口をパクパクさせていた。


「い、伊佐薙が―――二人になっとるがね―――」おばあはその場で尻餅をついてしまっていた。

「あっ、そうか。しまった」


 ユキも伊佐薙も那肋も、あの激戦を経てを忘れていた。


     『俺たち』

 そうだ、『僕ら』ってそっくりなんだった―――!

     『こいつら』


 それが今、ユキは角も耳もしまっている。その姿は髪を白く染めた伊佐薙以外の何者にも見えなかった。


「えーっと、落ち着いて。僕はユキで、お宅の伊佐薙くんは僕が背負っている方なんだけど―――」

「ああ、そう、それで―――これはどういうことなのかしら―――」

「ふん、あのな―――」


 ユキは『しょうがないなぁ』とでも言いたげに喋り出そうとした那肋を、全力で睨んだ。


 止めろバカ! 今お前が喋り出したら、この老婆は驚きの連続で失神するだろうが!


 その眼力に那肋は身体をすぼめ、発言を取り消すかのように低い声で小さく「ワン―――」とだけ呟いた。


「とにかく、僕は伊佐薙じゃなくて、この背中でぐったりしてるのが伊佐薙なの。それで今、伊佐薙は大変な状況なの。今すぐ伊佐薙の部屋を案内して、彼を寝かせてあげて」

「ああ、はい、そうしましょうかね―――伊佐薙の部屋はこっちだよ―――全く、何が何だか―――」


 そう言って二匹を案内していたおばあは、未だに頭の整理が付いていないようで、時々手すりなどを掴んでふらついていた。




「って感じの流れで、伊佐薙をここまで連れてきたってわけ。分かってくれたかな」


 ユキと那肋は伊佐薙を自分のベッドで横たわらせた後で、和室にておばあにこうなるまでの過程を説明していたのだった。


 和室の中央は大きな机に陣取られており、その机の真ん中にある大皿には多種多様なお菓子が盛られていた。


 ユキと那肋は机を取り囲むように置かれた座布団に腰掛けていた。二匹は隣同士に座り、座布団の上でストンと座り込んで全く動かない那肋はまるでチワワの剥製のようだった。

 

 おばあは机を挟んで二匹と相対しており、ユキの話を頻繁に頷きながら聞いていた。


 ユキはある程度説明したところで、おばあに出されたお茶を一口飲みながら、自分がした話を思い返していた。


 即興で話しちゃったけど、変なところとかなかったかな―――複雑な表情でお茶を啜っていると、おばあが二匹に向かって少しずつ話し始めた。


「そうかい―――要するにあんたらは伊佐薙の友達で、一緒に山で遊んでいたときに伊佐薙が派手に転んだ、と。それでわざわざここまで運んできてくれたということで間違いないね」

「うん、そう。ほんと、転んだときはびっくりしちゃったよーね、那肋」

「あ―――ワン」那肋は再び焦りながら口をつぐんだ。


「そうかそうか―――いやはや、それにしてもよく似ているものだ。髪色がこうも違うのに、時々伊佐薙と話しているんじゃないかと錯覚しちゃうね」

「ははは、そうかな、ははは―――」


 会話の最中、那肋はしばしばユキを上目遣いで見つめていた。


 なんだよ、なにか伝えたそうな目して―――その瞬間、ユキは自分の口を抑えた。


 そうか、今この老婆には自分は人間に見えているんだ。それなら僕くらいの年齢の男子が敬語の一つも使わないのは奇妙だろう。那肋はずっとそれを伝えようとしていたのか―――

 

 ユキは一つ咳払いをして、おばあに作り笑いを浮かべた。


「ま、まあ、怪我とかも多分大丈夫だとは思うんです―――一応心配だから、もう少し僕らもここにいさせてもらえないかなーなんて―――お願いしてみたりして―――」本当は三人で話がしたいからなんだけどね―――その本心はこっそり飲み込んだ。


「それは構わんよ。でも不思議なもんだねえ、こんなに似ている子がここらにいたなんて―――あれだろう、これはあの―――なんちゃらげんがーだ。そうに違いないねえ」

「げんがー? は多分そうかな? 分からない、ですけど―――泊めてくれるのはありがたい―――です」


 ユキは既に居心地の悪さを感じていた。

 上手くやれてるのかな、僕―――? 普段人間とはほぼ話さないからかな―――空気感ってのが分からない。


「それで、あんた。ご飯は食べたのかい。そうだ、今日泊まっていくなら親御さんにも連絡を入れなきゃあいけないね」

「あ、ご飯は―――食べてきました。山で遊ぶ前に、伊佐薙君と一緒に。それと、連絡とかはこっちでするんで大丈夫です」ユキは慌てて手を振った。

「そうかい、じゃあそっちのワンちゃんのご飯は?」

「あー―――大丈夫です、はい」


 ユキが答えに悩んでいる間にも、おばあは立ち上がって那肋の側に座り直して、那肋の頭をなではじめた。


「この子はあんたのとこの子かい」

「いや、別にそういうわけでは―――僕らが仲良くしている犬、って感じかな」

「じゃあ野犬ってことかい―――? 野犬でチワワとは、誰かの捨て犬だったりするのかねえ―――可哀想に」


 ユキはおばあ越しに那肋を再び睨んだ。だから和犬とかにしておけと何度も―――! その燃えるような視線を感じた那肋は、すっとぼけるように明後日の方向を見ながら「くうーん」とわざとらしく鳴いてみせた。


「よしよし―――いい子だ。そういえばあんたら」

「はい―――?」ユキは気持ちよさそうにしている那肋を冷めた目で見ながら答える。


「人間かい?」

「いや―――え―――?」


 血の気が引いた。瞳孔が開くのが分かる。妖二匹はその衝撃に、無反応を貫き通せなかった。

 ユキは瞼を震わせ、那肋は機微に全身の毛を逆立てる。


 この老婆、なんだ急に。心臓を掴まれた気がしたユキは、できる限り平静を装って答えた。


「も、もちろんですよ、なんでそんなこと聞く―――んですか」既に息は荒くなっている。その自覚もあった。


 おばあは数秒ユキの目を見つめると、一息ついて「そうかい」とだけ呟き、那肋を撫でる手を止めて近くの座布団に座り直した。


「いやね、あの子はどうやら最近―――そう、高校に入った時期くらいから、面倒事に巻き込まれているらしくてね。あの子を含め、うちの家族も色々と大変だったのさ」

「色々と―――というのは」ユキはなんだか嫌な予感がしていた。


「―――あの子の両親。元々ここに住んでたんだよ。今はその面影すらないだろう? 今から半年くらい前のことだ」おばあは目を閉じた。


「伊佐薙がね、ドタドタとこの家に逃げ込んできたことがあったんだ。休日の昼間のことだったから、その時家には私含め、あの子の両親もいた。あの子は真っ青な顔で帰ってきたと思ったら、そのままただいまも言わないで自分の部屋に走っていったんだよ。

 私たちは心配したさ。だってあの子がそんな変な行動を起こすことなんて、生まれてこの方一度も見たことがなかったからね」


 能力のせい、か―――那肋とユキは頭の中で"多重面相"という言葉を思い浮かべていた。


「それで私と母親があの子の部屋に行ったとき、あの子はすぐに普通に戻った。大丈夫だ、なんともないよ。はやく帰ってきたかっただけだから―――って。その笑顔に嘘はなかったさ―――


 だがね、あのという言葉。あれだけは多分、嘘だった。


 外に何かあるんじゃないかと見に行った父親がね、その日そのまま行方不明になったんだ。少し外を見てくる、とだけ残して部屋着で家を出たというのに、いつまで経っても帰って来やしない。私たちは心配に思って、警察にも相談した。


 だけど次の日の夜、意外にも早く父親は庭で見つかった。干からびた蛙のように、カラカラになった死体の姿でね」


 不審死―――ユキはようやく目を開けた老婆の目を、まともに見られなかった。


 間違いなく、妖の仕業だ。しかもそこまで人間の身体に干渉できるとなれば、低級の中でもまあまあ強めの妖だったのだろう。

 しかしいくら伊佐薙を捕らえたいからといって、その周囲にいる人間を攻撃するとは―――ユキはやるせなさに唇を噛みしめていた。


 そして同時に、ユキは違和感も覚えていた。妖力を抑えながらここらの捜査を進めて、もう一ヶ月にはなるはずだ。

 その間にユキが手応えのある妖に出会ったのは、決まって山の中だけだった。


 この家は山からもある程度離れてる―――それなのにこんな被害が? もしや父親は山に向かったのだろうか。

 ユキは頭を悩ませていた。


「それからすぐに、母親がこの家を出た。やってられない、こんな所にいられない、って。半ば自暴自棄のようなものだったね。それに対して私も、伊佐薙も―――文句を言える状況じゃなかった。

 伊佐薙だって、きっと苦しかっただろうに、それを表情一つ出さなかった。強い子だよ、本当に。


 そして今、あの子はそんな妖による被害を、一身に受けているんじゃないかと思ってるんだよ、私は。現に、一週間の半分はこうして夜遅くに帰ってきて、その度に服を汚したり汗だくで帰ってくる。


 なんともないよ、ちょっと探検してるだけさ、なんて―――屈託のない笑顔であの子はそう言うけどね―――私は心がざわついてしょうがないんだよ。

 伊佐薙が父親のようになったら、どうしようって―――今日だってそうだった。本当に、心配だった―――」


 おばあは、正座したまま机に肘をつき、両手で顔を覆った。すすり泣くその姿を前に、ユキと那肋はなにも言うことも、することもできなかった。


 自分たちは彼らを傷つけた、妖側の存在だ。しかも伊佐薙が狙われていた原因は、全て僕らにある。

 そんな立場で彼女を慰めることなど、ユキには口が裂けてもできなかった。

 

「正体に関しては、正直に言わなくてもいい。だけど、あんたらはあの子を守ってくれたんだろう? あの子を、助けてくれたんだろう? それなら私はあんたらに、感謝しなくちゃいけないね―――あの子を、助けてくれて―――本当に、ありがとうね―――」


 ユキはその感謝を受け取れず、ただ和室のいぐさを眺めることしかできずにいた。


 多少気になるところはあるけど、きっと全部全部、僕のせいだ。僕が鬼神らとぶつかった。だから鬼神連中は僕に懸賞金のようなものをかけた。

 そこらの妖が伊佐薙を襲っていたのだって、それが原因だ。


 だけど今ここでその事実を吐露したところで、彼らが救われるわけではないんだろうな。

 結局いなくなった父親が帰ってくるわけでも、母親の恐怖が取れるわけでもない。伊佐薙の気持ちを楽にしてやれる訳でも、この老婆を安心させてやれる訳でもない。


 それなら僕は今、どうすればいいんだろう―――今ここで彼らにぶん殴られればいいのだろうか。

 いや、それは尚更無駄なことだ。なんの解決にもならない。

 

 その時、ユキの背中を小さな鼻がコツンと小突いた。

 那肋は妖術を使っている。ユキは直感で分かった。

 きっとおばあから二匹の存在を隠しているのだろう。那肋はおばあを気にすることなく話し始めた。


「今、お前ができることは―――ただその感謝を受け取ることだ。ただ、それだけだ」

「―――その感謝の行き先が、諸悪の根源だったとしても?」

「ああ。そうだとしても、だ」

「そんなこと―――!」

 

 ユキはふり返って那肋を睨む。しかしそこにいた那肋は、どこまでもまっすぐな目をしていた。


「お前がなにかしてやれるのは、今じゃない。"これから"だ。だから今はただ、黙ってこの老婆の心の支えになってやれ。

 実際、私とユキがいなかったら、今頃伊佐薙は冤罪で丸焦げになっていただろうし、助けたというのもあながち嘘でもなかろう。都合の良い解釈をすれば、の話だがな」

「そんなの―――そんなのって―――」


 那肋は無理に笑っていた。その顔が更に、ユキの心を抉る。

 ユキは膝の前で握りしめた拳を眺めた。

 

 ほんの数秒、ユキは黙り込み、顔を上げた。

 この振る舞いが、少しでも僕の贖罪になるのなら―――それがきっと、正解だ―――


 ユキは那肋に背を向け、老婆の背中に手を当てた。それと同時に、那肋は術を解いた。


 それは雪鬼ならではの冷たい手だったが、老婆にとっては蒲公英のようにほのかに温かい手だった。


「勿論ですよ。僕らは彼の、友達ですから」


 その言葉に、おばあは更に涙を強めた。その涙が止むまで、ユキと那肋はおばあから片時も離れず、ただ側で見守っていたのだった。




「ごめん、遅くなった。調子はどうかな」


 ユキの声に反応した伊佐薙は、ほんの少しだけ枕から頭を離した。薄暗い部屋で伊佐薙の頭がゆらりと揺れる。


「大分、マシになってきたよ―――今は全身レベルマックスの筋肉痛ってくらいかな」

「そうか、なら良かった。マシになってきてるってことは、その苦しみが戦闘によるものじゃないってことだからね。多分骨とかが折れてるわけではないんだろう―――と思う。まだ分かんないけどね」


 ユキと那肋が部屋に入ってうろちょろしていると、伊佐薙は勉強机の備え付けの椅子にユキを座らせた。那肋はチワワとは思えない跳躍力でベッドまで飛び上がり、ちょこんと座った。


 伊佐薙が枕元のスイッチで部屋の電気を付けると、ユキはキャスターを転がして座ったままの姿勢で伊佐薙の近くに寄った。


「それで―――早速で悪いんだけど―――なんというか、本当に、本当に悪かった」


 ユキは頭を搔きながら、都合が悪そうに頭を下げた。こうして謝るのは慣れていないが、それでも自分にできる最大限の謝罪を言葉に乗せたつもりだった。


「ああ―――もしかして、おばあから話でも聞いた? 俺の両親のこととか」

「うん、聞いた。一通り」


 ユキが部屋の隅を見ていると、伊佐薙は右手に力を込めて起き上がり、顔を歪めながら身体を起こした。那肋が止めにかかろうとしていたが、それを伊佐薙は自分で「こっちの方が話しやすいから」と止めた。


「父さんのこと、そりゃあ辛かったよ。母さんが俺を置いて出て行ったのも、相当辛かった。

 でもなにより一番辛かったのは、そんな彼らにも、おばあにも、一度たりとも自分の本音を告げられないことだったよ。なんか薄情だよね、俺」


 そう話す伊佐薙は、どこか自虐的な笑いを浮かべていたのだった。

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