【39】最後の理由、涙の理由。
ルイスは、起床時間よりも早く起きた。
やはり緊張してよく眠れなかった。
だが、今日はキリっとしなくては。キリッと。
エステルに最高の自分を見せなくてはならない。
身支度をきっちりしていきたい。
サファイアのペンダントとピアスのセットをプレゼントで用意した。
ありきたりだが、それ以外思いつかなかった。
もしOKを貰えるならば、もう……きょ、今日からオレの色を身につけて欲しい。
そして、情熱的すぎでは……? とは思ったが、赤いバラも用意した。
花言葉が「あなたを愛します」だったからだ。
かつて、自分が言い放った「愛さないこともない」を訂正したい気持ちもあって、強い印象の花にした。
ルイスは今日行う行程を全て頭でシミュレーションしながら、美術館へと向かった。
******
「おはようございます!! ルイス先輩!」
いつもの明るい笑顔のエステルが待ち合わせ場所へやってきた。
今日の彼女も、水色混じりの寒色コーデだ。
それだけで嬉しい。
マーサ女史ありがとうございます!
「おはよう、エステル。ほら、チケット」
「わーい! ありがとうございます!」
もうすっかり、二人で出かけることに違和感がなかった。
一緒に行って当たり前、そんな空気を感じる。
「行こうか」
「はーい」
そう言って、二人で美術館へ入る。
エステルが、パンフレットをルイスに見せながら、順路案内をする。
彼女は、ほぼパンフレットを見ずに、展示されている絵画が、どういう年代に描かれ、作者が何を題材にし、どういう思いを込めて描いたのか、など説明する。
「お前は本当によく、絵画のあれこれまで覚えているな。パンフレットがなくてもソラで説明でききるんじゃないのか」
「まさか! こんなにたくさんある美術品、全て覚えるなんて無理ですよー! 興味があるものだけです!」
「いや、本当。美術館に務められるぞ」
「あー……」
「ん?」
「いや、ちょっとそれにも憧れがあったもので!」
「なるほどな。毎日、芸術品を眺めてすごしたい、と」
「よくわかってますね!」
「……わかるとも」
ルイスがそう静かに言って微笑むとエステルはすこしおとなしくなって、頬を染めた。
「ま、まあ……よく、わかりやすい、とは言われますけれども」
「お前は素直だからな」
「そ、そうでもないかもしれませんよー?」
「オレを騙しているのか?」
「そうかもしれません!」
「オレを騙してどうするんだか。さて……足が止まってしまったな、ほら、もうすぐキャバネルじゃなかったか。行こう」
「そうですね……ああ!?」
「どうした」
「あそこ! 女神の間! ポールとロープで通せんぼしてあります!! ひょっとして今日は閲覧できないのでは!? うそー!」
「……ふむ」
ルイスは緊張した。
しかし、怯むわけにはいかない。
ルイスはエステルの手をとった。
「取り敢えず、行こう」
「ええ!? きっと入れませんよ?」
*****
立ち入り禁止になっている『女神の間』の前に、係り員が1人立っている。
「ほら、貸し切りって書いてあります!」
「おう」
「せっかく来たのに」
「おう……だから入ろう」
「え、駄目ですよ!!」
「良いんだ。貸し切りにしたのはオレだから」
「……はい?」
ルイスは懐からカードを出して係り員に見せた。
係り員はニッコリして、2人のためにロープを外した。
「……ゆっくり見ようと思って貸し切りにしました。どうぞ、お嬢様」
そういうとルイスはエステルの手を引いて、中へと導いた。
「ルイス先輩……? 今日は何かお祝いでしたっけ!?」
「おう、お祝いじゃないが、今日はちょっと特別だ」
「特別?」
「ああ、ほら。あの奥なんだろ、キャバネルは」
「あ、そうです、そうです!」
エステルの手を引いたまま、女神の間に入る。
すこし歩く通路、そしてその向こうにキャバネルの絵だけが設置されている小さな広間があった。
「わあ、誰もいない……。いつもかなり人が多くて。父や護衛の方に肩車してもらったりしてたのに……すごい、こんなに間近で見れるなんて」
「そうか、いつもはそんなに混んでいるんだな」
「ええ、キャバネルは人気で外国からの観光客もいっぱい見に来るので……」
エステルが、絵に見入っている。
ルイスも実際のキャバネルの絵を見ると、図書室で見た時の、俗な感想は抱かなかった。
「……本物は、すごいな」
「でしょう!」
学校の画集では気づけなかった細かな筆使いが見て取れる。ああ、これは本当に誰かが描いたものなのだな、とその軌跡を感じる。
何度も何度も筆を走らせ、納得の行くまで塗り直し、たまに塗り固めた絵の具を削り取っては、ああ、こうじゃない、そうでもない、とまた塗って苦心する作者の思いを感じる。
そしてそれをまた、見る人間に悟られないように隠すように塗り重ね、美しい女神へと仕立てあげる。
そんな情熱が伝わってくる。
「(……まさに、女神の誕生、だな)」
ルイスは芸術にはからきし興味がなかったが、エステルに付き合っていると、自然とそういう部分を見るようになっていた。
エステルはずっと絵を眺めている。
同じ絵の一体、どこをどう見て、そんなに長く眺めていられるのだろう。
ルイスよりも、もっと深く何かを読みとり、この絵に閉じ込められた作者の思いと対話しているのかもしれない。
そんなエステルから、そっとルイスは離れて、通路の隅に用意しておいたバラを取り出した。
しばらく女神の絵を存分に見させてやりたかったのに、がさ、という音を立ててしまった。
「ルイス先輩、どうしたのですか? え、そのバラの花束はどこから……」
顔が驚いている。
たしかに唐突だから無理もないな、とルイスは思った。
だが、唐突でもなんでもいい。
伝えなければ。
「もう少しあとで、声をかけようと思ったのに邪魔をしてしまった、すまない、エステル」
ルイスはバラ越しに、静かにエステルを見つめている。
アイスブルーの瞳が、女神の間のライトにあたって、まるで宝石のように美しく、エステルは思わず見惚れてしまう。
「……い、いえ、そんな事は。それより、どうしたんですか?」
「夏に君に昔のことを、何故オレがああいう事を言ってしまったのか、いくつか理由を述べて謝罪したが、覚えてるだろうか」
「あ……はい、ちゃんと覚えております」
可愛かったから、とか言われたのを思い出して、エステルはちょっと顔が熱くなった。
「実はまだ、伝えてない最後の理由があって」
「それ、以外……?」
ルイスは小さく息を吸い込んだ。
「エステル=クラーセン伯爵令嬢」
「……え、は、はい」
エステルはいきなりフルネームで呼ばれて、ドキリとする。
「オレは……ルイス=ヴィンケルは、あなたが好きです」
うろたえず伝えたいと思っていたルイスの頬はすこしだけ、赤く染まった。
「……」
エステルは固まった。
自分が何を言われているのか、現実味がなかった。
「オレは、あの時、君を一目で好きになってしまったんだ。これが、あの時に言えなかった最後の理由です」
「……え」
エステルが、自分の胸元をギュ、と握った。
「君が学院に入学してきた時にも、まだ君が忘れられず、オレは相変わらず君が好きで……迷惑にならないよう、君が困っている時だけ助けようと思っていたんだが……つい、君の傍にいたくて」
エステルの瞳が段々と潤んできた。
「ずいぶんと、つきまとってしまった。申し訳なかった。でも、それだけ……エステル、君をいつも忘れられないくらい、好きだった」
ルイスは、自分が持ってる赤いバラに目を落とした。
「赤いバラの花言葉は『あなたを愛する』だそうだ。愛することはないことも……ない、なんて微妙な言葉を、撤回させてほしい」
「ルイス先輩……」
エステルの目から涙が溢れた。
「エステル……」
ルイスはいったん、バラを下げて、ハンカチをエステルの瞳にあてた。
「そして……オレの釣書を君の家に送らせて、欲しい」
ルイスは落ち着いて伝えたが、その実、心臓が弾けそうだった。
しかし、真剣な表情でエステルを見据えて……考えてきた言葉を真摯に伝えることができたと思った。
だが、エステルが泣いてしまったのは想定外だ。
「エステル、なんで泣いてるんだ? たしかに動揺する話かとは思うが、オレにはその君の涙の理由がわからない」
「……」
「……エステル?」
「わたし……わたし……」
ハンカチを当てていない方の目から、大粒の涙が、溢れた。
「私、誕生日のあとに、ルイス先輩のことをいつの間にか好きになったと、自分の気持ちに気がついてしまって」
「――」
エステルの返答に、ルイスも瞳が潤んだ。
自分を好き、という言葉にルイスの胸に安堵と喜びが広がったが、同時に、自分のことでエステルを悩ませていたことに、胸が痛んだ。
「でも、ルイス先輩は、きっと私のこと妹みたいに思ってるんだと……。そして先程先輩が言っていたみたいに、昔のことで私に気を使ってくれているだけだと……」
「オレのふるまいや言動は、君を悩ませてばかりのようだ、すまない。でも……ありがとう」
エステルも、ハンカチをだして、ルイスの目元に当てた。
「いえ……。悩んだぶんだけ、今とても……うれしいです」
「オレは夢を見ているんだろうか」
「……夢だと、私、困ります」
「「……」」
一瞬、二人で無言になったあと、しばらくしてお互い表情がゆるみ、微笑みあった。
そしてエステルは、バラの花束を受け取った。
「……ステキな香りです。ありがとうございます」
「こちらこそ。エステル」
バラの香りを楽しむエステルに、ルイスは自分の色のアクセサリーを贈った。
エステルは、え、まだプレゼントがあるんですか?、と驚いたが、ずっと身につけます、と喜んで受け取り、その場で身につけた。
なんだか、照れくさくて、会話もそのあと減ったが、お互い別れたくなくて、すこし美術館にいる時間を延長した。
二人はどちらともなく、手を繋ぎ、涙が落ち着くまで『女神の誕生』を眺めるのだった。
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