【2】 したがって……かしこ。
その日、帰宅したあと、父親にもう一度叱られた。
「おまえ……一体どうしたんだ、あんな暴言吐く息子だとは思わなかったぞ?」
「はい、すいません」
「そんなにエステルちゃんが嫌だったのか? 打算的な話しをすると、すごいチャンスを逃したんだぞ。彼女と婚約できれば、クラーセン家の入婿になって仕事探しを省けたものを」
デコピンされた。
呆れた顔で叱る父親だが、本気では怒っていないのがわかる。
おそらく両親同士の信頼関係がしっかりしているからだろう。
他の家門だったら、恐らくもっと叱られている。
「いえ……そんなことは」
仕事……仕事か。それは別にどうでもいいな。
次男であるルイスは、生家を継ぐことはできない。兄が急死でもしないかぎりは。
一応、兄に何かあった場合の勉強はさせられているが、恐らくそれはないだろう、と感じている。
それはもっと幼い頃から聞かされていたから、既に彼自身も『将来何を仕事にしようかな〜』とぼんやり考えてはいた。
それは結構楽しかった。
だから、別にクラーセン伯爵家の領主代行仕事を失った、という事にはとくにショックは受けなかった。
仕事は自分で見つけられる自信が、若い彼にはあったからだ。
彼にとってはそんな事よりも、エステル自身だ。
庭園の散歩に出る前に挨拶をかわした。
そのとき彼女はとても可愛らしく微笑んで、綺麗なカーテシーをしたのだ。
――その最初の姿が頭から離れない。
お見合いの数日前。
ルイスはお見合いの話を聞かされただけで、ガチガチに緊張した。
現在10歳の兄の婚約は、そういえば2年前。
そう考えると自分も将来の伴侶が決まってもおかしくはないと思ったが、自分には早すぎる気もした。
それに自分は次男だから、ひょっとしたら相手は自由に選べるのでは、と思っているところもあったので、すこしがっかりもした。
恋まではいかないまでも、クラスメイトのマドンナ的存在に、少しドキドキすることはあった。
そのマドンナは、公爵家のお姫様で、他の追随を許さない美しさを誇る少女だ。
そんな理想的な女の子を一度でも見てしまうと。
彼女以上の女性などいないと思い、決まった婚約相手などきっとがっかりする相手だろうと、すごく気乗りしない気持ちで見合いにのぞんだのだ。
なのに。
彼の心は、目の前の小動物に一目で奪われてしまった。
公爵令嬢ほどの美貌でもない。流れるような金糸の髪を持っているわけでもない、おまけに顔にはひどいそばかす。
しかし、その純朴な眼差しや、小さな背丈で自分を見上げてくるその大きな瞳が非常に可愛らしかった。
型にはまる、という言葉があるが、この子が将来自分の伴侶になるのかも、と思った瞬間、非常に愛おしく思えた。
――公爵令嬢に憧れてはいたが、それはこの子に対する気持ちとは違う。
公爵令嬢への気持ちは美術品をながめてうっとりするような気持ちだったと、気がついた。
しかし、同時に酷く緊張してきた。そして出来もしない背伸びしたことを考える。
――だ、大事にしたい。仲良くしたい。それにオレは、年上だし、夫になるのだからしっかり彼女をリードしなければ。
だが現実は、そんな気持ちとは裏腹に――女の子に不慣れな、まだ小さな彼の口から出る言葉は、辛辣な暴言でしかなかった。
……オレは何を言っているんだ!?
自室で反省していると、あれは自分がパニックを起こしたのだと判断できた。
あんなパニックを起こすなど、初めてだった。
ルイスはどちらかと言うと冷静沈着なほうだ。
だから、自分でも自分にびっくりしていた。
「だからってアレはないだろ、オレ……」
とことん落ち込み続けているとドアがノックされ、5歳上の兄が部屋に入ってきた。
兄は落ち込んでいるルイスを見て吹き出して言った。
「……お前を愛することはないこともない……ってなんだよ……!」
兄は涙目で笑っている。
「父上か! 父上が喋ったな!? ちくしょう、あれだけオレを叱っておきながら裏で笑ってたな!?」
「いや、だって面白すぎるだろ。なんだ、どうした? そんなにクラーセン伯爵令嬢がブサイクだったのかー?」
「ブサイクじゃねえよ!!」
顔を真っ赤にしてそう叫ぶ。
髪が銀髪なためか、その紅さは引き立つ。
「一目惚れしたな、おまえ」
「あ!? なんだよ、それは!」
それはまだ、ルイスが知らない言葉だった。
「ククッ。一目見ただけで、恋に落ちるというやつだ」
「こ、恋!?」
恋ってあれか、よく物語ででてくるアレか!!
兄が、手を肩にぽん……と置き、ニヤニヤ顔を近づけてきた。
「……ちゃんと謝れよ? 謝り方教えてやろうか? 相手はまだ5ちゃいだろ? お前も6歳だけどな……。わかりやすく謝れば修復は可能だ……」
「……ひっ、必要ない!! 出てけよ!!」
「お前そんなデリケートだったっけ?」
「しつこい! 出ていけ!!」
自分をからかって遊ぼうとする兄を、ルイスは真っ赤な顔で追い出した。
兄はクスクス笑って、出ていった。
畜生。
「あ、謝る。そうだ。……くそ、兄貴め。『教えてやろうか?』、じゃなくて教えていけよ」
これ以上遊ばれたくない彼は、父や兄に質問できず、謝り方を一人で考えた。
とりあえず、花を添えて謝罪の手紙を送ることにした。
贈る花は、彼女の髪に良く似た色の花を選んだ。
ガーベラという花だそうだ。
そして一番重要と思えた手紙は、何度も何度も書き直した。
自室の床に白い用紙が大量に散らかるほどに。
「よし、これにしよう」
その中から選んだ手紙は、真摯(しんし)に謝ることが伝わる、秀作だった。
――だがしかし。
あまりにも書き直したがためにここで事故が起こる。
彼はデスクに広げていた本命の手紙候補たちの中に、ボツにした手紙が重なっていた事に気が付かなかった。
『したがって、謝らないこともない』
真摯(しんし)に謝ったその手紙に重なる、とんでもない内容の2枚目が添付されていた。
ボツであれ、なぜそんな言葉を走らせていたのか。
彼は手紙を書く時ですら、非常に照れてしまって、たまにパニックを起こしていたのである。
書きながら、『うがああああ! こんな恥ずかしい手紙だせるかあああ!』
と、何枚も床に叩きつけたくらいには。
最終的には、5歳児にも理解できるであろう、短く簡潔、それでいて気持ちのこもった手紙を書けていたというのに、だいなしである。
手紙がそんな状態になっているとは、残念ながら気がついておらず、よし、上手に書けた!、と少し自分が誇らしげであった。
当然ながら、その手紙に返答が来ることはなかった。
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