七日目 五・六人目 月野視点



 七日目 五・六人目 月野視点



 時刻は朝八時。


 人数が半分以上減ったとは言え、共同生活は中止になることはなく七日目の朝を迎えた。


 布団の中に入り瞼を閉じたところで、頭の中を密室殺人の件が何度も過ぎり、まともに眠れなかった。



 ”火狩の部屋の鍵は水嶋の部屋”にあった。

 ”水嶋の部屋の鍵は火狩の部屋”にあった。


 ”両方の部屋は施錠されていた”。



 自分は推理小説が好きだ。当然、密室殺人が題材の作品も読んだ。

 密室殺人と聞けば心躍るモノだと思っていたが、小説の中ではなく現実世界で起きてしまうと、湧き上がる感情は違うものだった。


 胸に湧き上がる感情を言語化するのならば、『不気味』と言わざるを得ない。



 何が不気味だと感じてしまうのか。

 一番の理由は犯行の動機だ。



 犯行の前夜。自分達は土井殺しと木村殺しの犯人が誰なのかを話し合った。犯人には『エレベーターの利用時に館内放送が流れる』という隔離措置が設けられる前提で話し合った。


 あの場で多くの発言をしていたのは自分と日谷だ。結論は違ったとは言え、自分も日谷もそれぞれの推理を話した。


 そして、水嶋と金原の隔離が決定した。


 となれば、日谷の推理によって水嶋と金原の隔離が決まったのだから、日谷が一番恨みを買っていると考えられる。


 それなのに、死亡したのは火狩と水嶋だ。


 違和感がある。

 ”コイツは殺されても仕方がない”という発言はあまりにも失礼極まりないのだが、この状況下で殺される可能性が高いのは、二人を殺した容疑者である水嶋と金原の二人、もしくは、二人を隔離に追い込んだ日谷ではなかろうか。


 話し合いに積極的に参加していたわけでもない火狩が”殺された”理由が分からない。



 いや、火狩は”殺された”のかどうかはまだ不確定だ。自殺の可能性が残っている。


 そのことは一旦置いておき、密室殺人の犯人は火狩だと仮定しよう。


 火狩が水嶋を殺した動機は、土井殺しもしくは木村殺しに対する報復しかないだろう。

 何故金原を残したのかは分からないが、水嶋の後頭部を破壊して殺した事で、我に返ったのか罪の意識に苛まれたのか、居ても立っても居られなくなり自室に籠もって自殺。そんなところだろうか?


 あり得なくはないが、火狩という人物がそこまでするとはどうも考えにくい。

 火狩という人物も結局のところ土井と似たようなもので、指示待ち人間のニオイがする。指示待ち人間が誰からの指示もなく、あそこまでやってのけるだろうか?


 火狩が指示待ち人間だろうというのは自分の偏見であり、火狩が実に攻撃的な一面を持っていた可能性は大いにある。

 だが、自分の直感は火狩は犯人ではないと告げている。




 次に、犯人は日谷と仮定しよう。


 日谷が犯人の場合、水嶋を殺した動機は土井殺しに対する報復。コレしか無いだろう。そこに異論は無い。


 だが、何故火狩を殺すのか?


 ”火狩が日谷の犯行と気が付いたから”と言われれば納得出来る。

 だが、水嶋を殴り殺している所を見られたのなら話は別だが、決定的な瞬間を見られたわけでは無いのなら、日谷の口の上手さで火狩を言いくるめる事は十分に可能だと思う。たとえば、「犯人は、残ったもう一人かメイド達だ」と主張して信じ込ませ、「」私達は最終日まで頑張りましょう」とでも言っておけば、火狩は容易に信じるだろう。


 自分としては、敵意を向けられたほうが相手の出方が読みやすいのだが、大抵の人間は自分の味方を増やそうと躍起になるはずなので、日谷もそのはずだ。


 火狩を殺した理由が分からない。日谷が意味もなく火狩を殺すとは思えない。




 では、金原が犯人だと仮定しよう。


 水嶋を殺した動機は、協力関係の解消。端的に言えば裏切ったのだろう。


 だが、裏切るタイミングがおかしい。

 裏切るのなら、犯人探しの話し合いのタイミングで裏切るべきでは無いのか?

 二人揃って隔離対象者に選ばれてからでは、何の意味も為さないのでは?


 それに、日谷の時と同様に、火狩を殺した理由も分からない。

 土井殺しの時と違って、欲に駆られて殺したわけではないことは、火狩の服装が極端に乱れていなかったことが証明している。


 水嶋を裏切り、撲殺しているところを火狩に見られたから?

 あり得ないというわけではないが、そうなると、火狩は日谷の言いつけを破って一人で外出していたことになる。


 金原が犯人という説は考えにくいが、だからこその不気味さというか、得体のしれないナニかを感じてしまう。




 日谷や金原が犯人である可能性を考えておいてアレだが、犯人が火狩ではない場合、大きな問題が一つ残る。

 言うまでもないが、二人は密室で殺されたことだ。


 ”鍵を使わずに外側から鍵を掛ける方法は無い”。厳密に言えば、思いつかない。


 施錠状態で扉を閉めようとしても駄目。

 釣り糸のような細い物を使って閉めようとしても駄目。

 自分の部屋の鍵を代わりに挿しても駄目。



 このような場合の密室トリックとして、パッと思い付くだけでも『そもそも完全な密室ではなかった』『鍵を使って閉めた後、何らかの方法で鍵を部屋の中に入れた』『鍵を使わずに施錠する方法があった』『部屋の中に誰かがいて、内側から施錠した』といったモノが考えられる。




『そもそも完全な密室ではなかった』可能性。


 扉が施錠されていたかどうかは自分も確認したし、メイドが『隠し通路は無い』と証言した。

 自分の部屋に戻ってから、そこら中の壁や床を触って確認したが、隠し通路になりそうなモノは見つからなかったので、メイドの説明に嘘は無いだろう。




『鍵を使って閉めた後、何らかの方法で鍵を部屋の中に入れた』可能性。


 扉と床の間に出来る隙間を、鍵は通ることが出来ない。窓はそもそも存在しない。

 仮に、鍵が扉の隙間を通ったとしても、火狩は部屋の扉からL字に曲がった先にあるバスルームの中に座って鍵を持っていた。

 水嶋は二メートル程先に倒れていただけだが、鍵を”しっかりと”握り締めていた。

 隙間から鍵を入れ、さらに二人の手元に鍵を忍ばせることは出来るのだろうか?




『鍵を使わずに施錠する方法があった』可能性。


 自分の部屋の鍵で他人の部屋を施錠することは出来ない。そして、マスターキーはメイドが常に持っており、盗む事は困難。

 釣り糸程の細さであれば扉の隙間を通り抜けられるものの、釣り糸のようなモノで施錠レバーを回すことは出来なかった。

 釣り糸以外の別の物を使用した可能性は十分にあるが、昨夜の遅れた夕食の後に全員の注文履歴を確認した際に、怪しい注文をした人物はいなかった。




『部屋の中に誰かがいて、内側から施錠した』可能性。


 その可能性は極めて低い。

 何故なら、客室には人が隠れるようなスペースは殆ど無い。強いて言えばベッドの下ぐらいだが、火狩の部屋でも水嶋の部屋でも、特に異常が無かったことは確認済みだ。




 自分達の中に犯人がいるのだろうか?


 メイド側が犯人だった場合、手の打ちようは殆ど無い。

 監視カメラで常に何処で何をしているのかを把握されているだけでなく、マスターキーによってどんな扉も開けられるのだから、自室に立て籠もることも出来ない。

 扉の前にあらゆる家具を置いて無理やり扉を封じるという作戦が残っているが、この部屋を出ない限り、元の生活に戻る事は出来ない。このまま部屋で餓死するまで粘るのなら話は別だが、あまりにも非現実的だ。



 自分達の中に犯人がいるのならまだ助かる見込みはあるものの、メイド側が犯人だった場合は全員助からない可能性が高い。




 そんな事をベッドの上で考えていると、二日目の夜に聞いた爆音が鼓膜を刺激した。


 ピンポンパンポーン。


 館内放送!?


 あまりの爆音に驚いたが、冷静に考えると館内放送が流れる心当たりがある。

 金原がエレベーターを利用したのだろう。その予想は的中していたようで「金原様が一階へ移動します」と流れた。



 金原と話がしたい。

 金原が犯人なのか否か。素直に白状しなかったとしても、会話の中で真偽を掴みたい。


 そう思ってベッドから飛び起きたのだが、寝汗で下着が湿っていたため、軽くシャワーを浴びてから一階の食堂に向かうことにした。 




 シャワーを軽く浴び、服を着替えてから部屋を出ようとすると、数歩先にある扉からコンコンコンとノックの音が響いた。


 ノック? 誰だ?


 あの爆音館内放送がシャワー中に聞こえないということは無いだろう。金原が一階に行ったまま放送が流れていないということは、ノックをした人物は日谷かメイドしかいないはずだ。


「日谷か? メイドか? 名乗らないのなら開けるつもりは無い」


『メイドです。主催者の、マスターの申し付けにより、特例で参りました』



 メイド? マスターの申し付け? 特例?



 気になる事は沢山あったが、まだ鍵は開けない。

 鍵を掛けたところで、相手はマスターキーを持っているのだから意味は無いのだが。


「色々気になる事はあるが、何故電話や館内放送を使わない。直接伝えないといけない理由でも?」


『”急を要する事案”ですので』


 ”急を要する事案”だから直接来た?


 何か違和感を感じるが、話を先に進めよう。


「”急を要する事案”とは何だ?」


『金原様が日谷様を襲い、逃亡しました。日谷様は”まだ”死んではいませんが、すぐに助けなければならない状態です』


 思わず鍵を開けたくなったが、既のところで手を止めた。


「金原が? まさか」



 信じ難い。

 金原が日谷を”襲った”というのも信じ難いが、日谷が”襲われた”というのも信じ難い。


 あの、自信家で、感情的で、それでいて論理的で、自分と同じくらい疑り深いあの日谷が、金原に襲われた?


 日谷が余程油断していたのか、自分の人を見る目が節穴だったのか。どちらかとしか言いようが無い。


 まさか、金原がマスターキーを持っている?

 そんなハズはない、と断言出来ないのが歯がゆかった。



 日谷が襲われたという事実も気になるが、うっかり確認し忘れてしまいそうな事が残っている。


「何故それを自分に伝える? 今までは誰かが殺されようとも、誰かが発見するまで無言を貫いていたというのに」


『マスターは「共同生活というのは最低でも三人いないと成り立たない」というお考えですので、日谷様が死亡した場合、共同生活が成立しなくなります』


 二人での生活だって共同生活だろう。と思ったが、そこを指摘したところで大して状況が変わるとも思えない。


「急がないといけないのなら、わざわざ自分に声を掛けなくとも、メイドのアンタ達が助ければ良いだろ?」


『マスターは「今にも絶命しそうな人間がいる時に、共同生活参加者はどうするのか見たい」とも仰っていました。ですから、”特例”で、参加者である月野様に、日谷様を助けるか否かを判断させるために、我々がこうしてお迎えに来たのです』


「今に始まった事じゃないが、随分と悪趣味だな」


「知り合って一週間程度の、共同生活が終わったら二度と会わないような人間を助ける義理など無い」と、断っても良かった。


 別に日谷の事を助けなくても金は貰えるだろうし、顔が整っているからといって日谷に対して何らかの感情が湧いているわけでもない。


 だが、根幹は直感だったとはいえ、自信のあった推理を外し、惨劇をこれ以上起こさないために自分が提案した隔離措置を行っても殺人が続いているという現状に、一矢報いたくなったのも嘘ではない。



 主催者側の掌で転がされるか。

 殺人鬼の掌で転がされるか。



「分かった。行こう」


 扉の鍵を開け、部屋の外に出た。




 メイドは九十度の角度でお辞儀をし、頭のてっぺんを此方に向けたまま、日谷の部屋に向かって手を伸ばしていた。


「日谷は部屋の中にいるのか? 鍵は?」


「日谷様は部屋の中にいらっしゃいます。鍵は開いています」


 死にかかっていると言われたら、歩いて行くわけにもいかない。日谷の部屋へと向かって走った。

 てっきり、あらゆる処置を丸投げされたのかと思っていたが、自分の後ろからメイドが着いて来る足音がするので、そういうわけではないらしい。



 走りながら、ふと思う。

 火狩と水嶋を殺した時には施錠したのに、日谷の部屋を施錠しなかったのは何故なのか?


 急いでいたから施錠しなかったのか?

 何を急ぐ必要があるのだろうか。


 それとも、”日谷の部屋は施錠出来なかった”のだろうか?


 答えが思い付く前に、日谷の部屋へと足を踏み入れた。




 バスルームの扉が開いていたので中を覗くと、浴槽いっぱいに真っ赤な液体が溜まっており、上半身は完全に真っ赤な液体の中に沈んでいて、膝より先が浴槽からはみ出すように水面から出ていた。


 真っ赤な液体、上半身は完全に水面下。


 浴槽に溜まっている真っ赤な液体が全て血液な訳が無い。となれば、水の張った浴槽に出血状態の日谷をぶち込んだと考えるのが普通だろう。

 水面から出ている下半身には、衣類を纏っている様子が無い。

 殺されてから脱がされたのか? 入浴中に襲われたのか?



 考え事は後にして、まずは日谷の呼吸の確保が最優先。次いで、どのような傷を負っているのかの確認が必要だろう。そのためにも、身体を浴槽から出す必要がある。

 真っ赤な液体に腕を突っ込むと、思わず声を出したくなる程に冷たい。足の出ている場所から反対方向に頭があるということは容易に想像出来るのだが、水が真っ赤に染まっているせいで、沈んでいる日谷の身体を目視することは出来ない。


 少しだけ抵抗はあったものの、さすがに人の命と比べる程では無いので、顔を水面に近付けて、両腕を肩まで水の中に入れ、日谷の身体を持ち上げるための場所、ピンポイントで言えば脇を手探りで探した。


 大量の長い毛のような物が指先に絡みついた。ということは、今は頭の辺りだろう。そこから足の方向へと手を動かすと、一直線の僅かな凹みがあり、指で押すと固い。この感触に該当するのは背骨だろうから、今触っているのは背中から腰にかけてだろう。


 頭がこの辺りで、腰がこの辺りということは、脇はこの辺りか?


 口元に真っ赤な液体が付着したが、四の五の言ってられる状況ではない。


 日谷の脇と思われる箇所を掴み、身体を水の中から引きずり出そうとしたその時ーーー。



 ゴッ



 何の音か分からなかった。


 何の音か分からなかったため、作業を再開しようと力を入れたが、どういうわけか膝が笑いだした。



 おかしい、と思った時には遅かった。



 こめかみの辺りや首筋から感じ取れる脈が明らかに正常ではない。

 頭まで濡らした覚えはないのに、額や首筋に液体が次々と流れる感触。


 ついには、両の足で自分の身体を支えられなくなり、日谷の身体に重なるように、真っ赤な液体へと倒れ込む。


 水面から顔を出すために身体を起こそうとしても、腕にも足にも力が入らない。



 ここで気が付いた。


 そうか。

 ”や”られた。


 ジンワリと後頭部が痛むが、きっと痛覚が麻痺しているだけで、致命傷を喰らったに違いない。何故なら、あまりにも冷たい水の中に落ちたはずなのに、後頭部だけは燃えるように熱く感じるからだ。


 本で読んだのかインターネットで見たのか覚えていないが、溺死は相当苦しむことになると聞いたことがある。


 死ぬ間際に、他人事のようにそんなことを考える自分に思わず笑ってしまった。




 やがて、経験したことの無い息苦しさに襲われた。


 死にたくないという感情よりも、苦しさから解放されたいという想いの方が遥かに強かった。


 唯一の救いは、呼吸が出来ないだけでなく、”後頭部に受けた致命傷”が先に苦しみから解放してくれるのではないか、といったところだろう。




 意識が薄れていく一方、どういうわけか思考回路は研ぎ澄まされていた。走馬灯が過ぎる代わりの集中力なのだろうか? 真相は分からないし、どうでも良い。



 金原がエレベーターを利用した館内放送は一度しか流れていない。だから、金原は今も一階にいるのだから犯人ではない。


 そして、”犯人はメイドではない証拠を、自分は数分前に知っていた”。


 それなのに、その証拠について深く考えなかったせいで、取り返しのつかないことになってしまった。


 ”犯人はメイドじゃない”。

 ”後ろに立っている、自分を殴った人物はメイドじゃない”。


 犯人はーーー。


 犯人の顔と名前を思い浮かべながら、意識が途切れた。

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