六日目 三・四人目 金原視点
六日目 三・四人目 金原視点
時刻は朝の九時頃。
部屋は空調が効いているというのに、さっきから嫌な汗が次々と吹き出してくる。受話器を握る手に浮かぶ汗をシャツで拭い、聞き間違いで無いことを確認するためにもう一度訊ねた。
「それは本当なんですよね?」
『はい、本当です。金原様のおっしゃる通り、我々は共同生活実験の最中もその後も、金原様や他のお客様の事につきましては、警察にも、マスコミにも、世間にも、一切口外致しません。
最終日に皆様にあらためて御説明致しますが、皆様も共同生活実験につきましては他言無用でお願いします』
電話の相手はメイド。
質問した内容は「共同生活中に警察に連絡しないとは言っていたが、共同生活終了後はどうなのか?」だ。
「人が死んでいるのに?」
容疑者扱いされている手前、その方が助かるのだが、メイドの回答に対する疑問が、意図せず漏れてしまう。
『はい。我々も”今回の件”が表沙汰になりますと、少々問題がございます。ですので、我々の立場からは一切情報を流すようなことは致しません。
仮に参加者の誰かが通報されたとしても、七日館の場所、参加者の皆様や我々主催者側の本名、その他個人団体を特定する情報を把握する事は困難、いえ、不可能です。
どんなネタにも飛びつく三流記者はともかく、警察や大手のマスコミが取り扱うことはありませんので、金原様は安心して残りの共同生活をお過ごしください』
手際が良いと言うか何と言うか。
メイドは随分と慣れているような気がする。
「この実験は初めて行われたんですか?」
『申し訳ありません。その質問にはお答えすることが出来ません』
これはただの勘だけれど、その反応から察するに初めてでは無さそうだ。それがどうしたと言われればそれまでだけど。
「この共同生活実験というのは、殺人鬼を観察する実験だったりするんですか?」
『金原様、それは語弊があります。我々は「外界との繋がりを絶たれた若者達がどのような行動を取るのか」という実験をしているのであって、参加された皆様に殺人を強要しているわけではありません』
確かに、映画やゲームであるような、殺人を強要したり肯定するような発言がメイドからされた覚えは無い。あくまで、無干渉の立場を貫いている、と僕は思う。月野と日谷がどう思っているのかは知らない。
『ですので、今回の金原様の隔離につきましても、金原様の意思にお任せします』
「どういうこと?」
『金原様がエレベーターをご利用になった際には、皆様に御説明した通り館内放送を流させていただきます。
ですが、我々としてはそれ以上のことは致しません。部屋を出ることも、別の階に移動することも、我々が禁止しているわけではありません』
「うぅん。そうかもしれないけど、それで皆が納得しますかね?」
『それは金原様次第です。ただ、我々が自室にいることを強要していると解釈されると、実験に悪影響がありますので』
「まぁ、考えておきます」
自分が隔離対象者となった段階で、残りの時間は部屋に籠もってゲームをしていようと思っていたので、部屋を出ても良いと言われても特に何も思わなかった。
『他に何かご不明な点やご要望はありますか?』
特に無いのだが、こういう時は一つぐらい聞いておくのがマナーだと、就職活動の最中に教えてもらった気がする。
「物凄く今更なんですけど、報酬の五十万円というのは、そこから色々な経費だとか何かで減ったりするんですか?」
『いえ。金原様にお渡しする金額はキッチリ五十万円です』
「そ、そうなんですね」
『他には何かありますか?』
五秒ぐらい考えてみたが、特に何も思い浮かばなかった。
「いえ、もう無いです」
『何かありましたら、何時でもお気軽にご相談ください』
「はい、どうも」
ガチャ、ツーツーツー。
隔離対象者に選ばれてしまったものの、警察に連絡されることが無いのならとりあえず問題は無い。この共同生活実験が終われば、五十万円を片手に元の生活に戻れるのだから。
殺人犯だと疑われながら過ごす日々に五十万円の価値があるのだろうか? と頭を過ぎることもあったけれど、たったの一週間で数カ月分の金が手に入るのならと割り切ることが、僕には出来た。
水嶋には出来ないのかもしれないけれど。
僕と違ってプライドが高そうだし。
メイドは部屋を出ても構わないとは言っていたけれど、結局朝食と昼食は自室に運んで貰い、残りの時間はゲームと昼寝に費やした。
時刻は十七時半頃。
夕食に関しては、隔離対象者も食堂に行かなければならないという話なので、一応シャワーと着替えを済ませ、いつでも部屋を出れるようにしておいた。
「早く行くと何か言われちゃうかなぁ」
食堂に行くにはエレベーターを利用しなければならない。だが、エレベーターを利用すると館内放送が流れるらしい。
館内放送で思い出したが、水嶋がエレベーターを利用したという館内放送は一度も流れていない。
てっきり遊技場にパチスロを打ちに行くと思っていたけれど、彼も僕のように律儀に部屋に籠って隔離生活を送っているようだ。
その時、自室の扉がバンバンと叩かれた。壁は防音だが、扉を直接叩いた音は部屋の中に響く。
あまりにも突然の事だったので、心臓がドキッと跳ねた。
「誰だろう?」
鍵を開けてゆっくりと扉を開くと、そこには何を考えているのか分からない笑みを浮かべた月野と、安堵したようにも腹を立てているようにも見える複雑な顔をした日谷が立っていた。
「金原は無事なようだな」
「その言い方はやめて」
「事実を言っただけじゃないか」
月野と日谷が何か言い合っているが、話の流れが掴めない。
「えっと、ごめん。何かあったの?」
「あぁ、”ナニか”あったんだ」
月野はニヤニヤと笑った。
「火狩さんと連絡が取れないの。電話にも出ないし、部屋には鍵が掛かっているし」
日谷はそう言いながら月野を睨みつけた。
「それで、僕の部屋に来たのは何で?」
まさか僕の部屋にいるとでも思ったのだろうか?
いや、いくらなんでもそれは無いだろう。
「日谷は水嶋が火狩に何かしたんだと思い込んで、水嶋に電話を掛けたが繋がらなかった。そして、直接問いただそうと向かった水嶋の部屋にもしっかりと鍵が掛かっていた。だから、残るお前はどうなんだと確認に来たわけだ」
月野が気怠そうに説明したが、日谷は再び月野を睨みつけた。
「アナタには一度説明したのだから、事実は正確に述べて頂戴。
まず、私は火狩さんに『そろそろ一緒に食堂に行こう』と伝えるために電話をした。でも繋がらなかった。不審に思って火狩さんの部屋に行ったけれど、鍵は掛かってるし、扉を叩いても返事が無かった。
水嶋の仕業かもしれないと思った私は、一旦自室に戻って水嶋に電話を掛けた。これも繋がらなかった。だから、水嶋の部屋に向かったけれど、此方も鍵が掛かっていた。
さすがに変だと思った私は、次に月野を呼びに行った。彼は部屋にいたわ。
そして最後に、アナタの所に来たの」
なるほど。
”二人の探偵”が気が付いていないとは思っていないけれど、頭の中に浮かんだ一つの答えを思わず漏らす。
「二人共寝てるだけとかじゃないの?」
「あり得なくはないけど、電話の着信音だって鳴っているはずだし、私が扉を叩いた音、部屋の中でそれなりに響いたでしょ?」
「え、うん。まぁ」
館内放送程では無いが、音楽を聴いていたり爆睡していなければ、聞きそびれることは無さそうな音量で響いていた。
「仮眠ぐらいなら起きるんじゃないかしら。それでも起きないとなったら、ナニかあったかもしれない。とにかく一緒に来て頂戴」
「良いの?」
”部屋を出ても良いのか?”という意味と、”一緒に行動しても良いのか?”という意味で言ったつもりだったが、日谷は即答した。
「良いのよ。隠れて何かしないように見張る意味もあるのだから」
日谷からは相変わらず容疑者の一人と思われているらしい。
まぁ、だからといって何とも思わないけれど。
三人で火狩の部屋の前に向かった。
ガチャガチャ。ガチャガチャ。
「確かに鍵が掛かっているな」
月野が何度もドアノブを回したが、扉は鍵が掛かっており開かなかった。
ドンドンドン。ドンドンドン。
月野は扉を叩いてからドアに片耳をくっつけた。
「さすがに扉越しじゃ何も分からないな」
ドアノブを回したり扉を叩いたりといったような同じ事を水嶋の部屋でもやったが、鍵は確かに掛かっていたし、部屋の中からは物音一つしなかった。
エレベーターの入口上の時計に視線を送った月野は「五時五十分。そろそろ夕食の時間になるな。メイドに話した方が良いだろう」と呟いた。
「そうね。このまま食堂に行ったところで、連れて来いって言われて、また此処に来ることになるだろうし」
日谷は「私が電話してくるから」と言うと、一人で自室へと向かって行った。
「お前はどう思う?」
日谷が部屋に入ったのを目で追ってから、月野は訊ねてきた。
「どう思うって?」
「火狩と水嶋が部屋に籠もってる理由だ」
「難しく考えなくても寝てるんじゃないの? というか、そもそもの話、何で部屋の中にいる前提なの? 何処か別の階に行ってるんじゃない?」
僕の口から出た言葉が余程予想外だったのか、月野は目を丸くして「ほぉ」と呟いた。
「中々鋭い事を言うじゃないか。その可能性は自分も最初に日谷に伝えた。そうしたら『火狩さんには部屋を出る時に必ず電話するように言ってある』の一点張りだ。火狩が必ず言うことを聞くと思っている辺りが何とも日谷らしいよな。まぁ、別の階にいるのならメイドが教えてくれるだろう。
それと、火狩に関しては別の階に行ったという可能性があるが、水嶋がエレベーターを利用した館内放送が流れていない以上、水嶋は自室にいるはずだ」
水嶋が部屋を出ていない事について、僕は自力で気付いていたのに、言われるまですっかり忘れていた。
「まさか、お前が二人を。なぁんてな」
月野は嫌らしい笑みを浮かべている。
さすがに冗談が過ぎている。
「そんなわけないでしょ。昨日の今日で犯行に及ぶだなんて」
「おやおや。”犯行に及んだ”とまでは言ったつもりは無いんだが」
「月野さんらしくない、たちの悪い冗談だね」
「あぁ、すまない。別にお前のことを疑っちゃいないさ」
「つまり、犯人は日谷さんだってこと?」
僕はそれ程おかしな事を言った自覚は無かったのだけれど、月野は値踏みするかのように僕の顔をジッと睨んだ。
「犯人? 金原は妙な事を言うな。二人が無事じゃないと知っているみたいじゃないか」
「そ、そういうつもりじゃないけど」
実際そんなつもりは無い。
だが、月野の悪い冗談を聞いたせいで、二人の身に何かがあったと思い込んでいただけだ。
いや、本当にそれだけか?
「まぁ、直感なのか。それとも願望なのか。どっちなのかは分からないが、自分もそんな気がしてならないから、人の事は言えないけどな」
月野はニヤリと嘘っぽい笑みを浮かべた。
「願望?」
月野の意味深な言葉がどういう意味か聞こうとしたタイミングで、日谷が走って戻って来た。
「メイドがすぐ来るみたい。夕食の時間が近いから、扉を開けてくれるって」
その言葉に、どういうわけか月野が眉をひそめていた。
火狩の部屋の前で待つこと十秒ぐらい経ったところでエレベーターの扉が開き、二人のメイドが降りてきた。
一人は火狩の部屋の扉の前まで歩み、もう一人は僕達の背後に立った。
「それでは、火狩様の部屋の扉を開けさせていただくので、少し離れてください」
全員が三歩程後ろに下がったのを確認してから、メイドは首元から鍵を取り出して、火狩の部屋の扉に挿し込んだ。
ガチャリ。
鍵の開く音がした。
メイドが首元に鍵をしまってから「鍵を開けさせていただきました。部屋の中の確認をどうぞ」と言った。
日谷が部屋に飛び込んだので、僕も月野の後ろに着いていく形で部屋の中へと入った。
ジャーと水の流れる音がする。
シャワーの音だろうか?
最後尾の自分が聞こえているのだから、先頭の日谷の耳にも当然聞こえているだろう。
日谷がバスルームの方に向かった瞬間、
「火狩さんッッッ!!」
と叫んだ。その叫びだけで、何があったのか薄っすらと想像出来てしまう自分に、嫌気が差した。
あまり気乗りしなかったが、二人の後に着いていきバスルームを覗いた。
バスルームの中で火狩は、服を着たまま、シャワーを頭から浴び、前傾姿勢であぐらをかいて床に座り込んでいた。
ロープのようなモノが首に巻かれており、ロープのようなモノのそれぞれの末端は、蛇口の頑丈そうな部分に縛り付けられていた。
上半身の自重の殆どが首に掛かっているせいなのか、火狩の首にはロープのようなモノが強く食い込んでいた。
まるで、座りながら行う首吊り自殺のようだった。
「ッッッ」
一瞬だけ怯んだように見えたが、日谷はすぐにシャワーを止め、火狩の身体を起こして首元のロープのようなモノを緩めてから外し、火狩を優しく床に寝かせようとした。
その時、火狩の手元から鍵が出てきた。
火狩を寝かせようとした場所に鍵が落ちたため、日谷はその鍵を脇に退けた。
寝かせ終わるとすぐに脈や呼吸の確認をし、心肺蘇生を始めた。
「メイド呼んでッ! あとAED!」
「お、おう」
日谷の剣幕にさすがの月野も驚いたのか、月野は日谷の代わりにメイドの元へと向かい、色々と説明をしていた。
僕は何も出来ず、その場に突っ立っていた。
土井の時のように色々と処置を行ったが、火狩が息を吹き返すことは無かった。
「何で。どうして」
日谷は鼻を啜りながら、開いたままだった火狩の目を手でそっと閉じた。
「火狩が死んでいたとなると、水嶋はどうなんだ?」
月野の言葉に、日谷はハッとしたように潤んだ目をカッと開いた。
「すぐに行きましょう。部屋に籠っていれば逃げ切れるとでも思っているんだわ」
日谷が涙を拭いながら立ち上がろうとしたその時、日谷が脇に退かした鍵を見て月野が声を上げた。
「お、おい。何で火狩が持ってんだよ」
月野は慌てて鍵を拾い上げ、プレートをジッと睨んだ。
「部屋の鍵がどうしたのよ」
「良いから見てみろよ」
月野は、鍵についたプレートを僕と日谷さんに見えるように突き出した。
”水嶋”
「え?」
「な、何で?」
火狩の手元にあった鍵のプレートには”水嶋”と書かれていた。
何故?
此処は火狩の部屋だし、倒れているのも火狩だ。
それなのに、どうして水嶋の部屋の鍵が?
「とにかく、水嶋の部屋に行くぞ」
月野が鍵を握りしめて走って部屋の外に出たので、僕と日谷は慌てて追いかけた。メイドが一人現場に残り、先程部屋の外に待機していたもう一人のメイドが僕達の後から着いてきた。
ガチャガチャ。ガチャガチャ。
水嶋の部屋の扉には確かに鍵が掛かっていた。
「コレで開いたら、火狩が水嶋の部屋の鍵を持っていたということになるぞ」
月野が扉に”水嶋”と書かれたプレートの付いた鍵を挿し込むと、ガチャリと音がした。
「あ、開いた」
そうなるだろうと思ってはいたけれど、目の前で本当に扉が開いてしまったことに対して、僕らは互いに顔を見合わせた。
月野が扉を開けた瞬間、強烈な悪臭が鼻を突いた。
金属とアンモニアの臭い。
この臭いを、僕は知っている。
この共同生活の中で、何度か嗅いだ臭いだ。
扉を開けて二メートル程先に、後頭部がグチャグチャに潰れた水嶋が玄関側に足を向けた向きでうつ伏せに倒れていた。
後頭部の他に気になったのは、握りこぶしをつくった右手を伸ばしていることぐらいだった。
日谷と月野が水嶋に向かって歩み寄ったが、僕の足は床と接着してしまったかのように動かなかった。
それは恐怖からなのか。悪臭からなのか。現実逃避なのか。分からない。僕は部屋の外から中を覗く形になった。
「お、おい。見ろよ」
月野と日谷の背中の隙間から、月野が指差している方向に視線を送ると、水嶋の握りこぶしに到達した。
さっきは気が付かなかったが、握りこぶしから板状のモノがはみ出ている。
日谷の方が近かったのだが日谷が躊躇したので、代わりに月野が握りこぶしからはみ出ていた板状のモノを抜き取った。
「まぁ、そうだろうな」
月野はプレートをチラリと見ると、すぐに日谷に見せた。
「な、何で火狩さんの部屋の鍵を、水嶋が握りしめているのよ」
やっぱり、水嶋が握っているのは部屋の鍵だったのか。
「どういうこと? 火狩さんの部屋も水嶋の部屋も確かに鍵が掛かっていた。なのに二人共殺されている。こんなの、まるで」
日谷の言葉が詰まった。
日谷は軽く咳払いをし、片手で頭を押さえながら続きを口にした。
「「密室殺人」」
月野が日谷に合わせて同じ言葉を口にした。
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