三日目 夜の密会 金原視点



 三日目 夜の密会 金原視点



 時刻は十二時十分。


 昨夜は中々寝付けなかったせいなのか、思っていたよりもだいぶ遅い起床となった。


 少しぬるめのシャワーで無理やり目を覚まし、身支度を済ませてから食堂に向かうと月野一人だけが食堂にいた。


「おはよう、なのかな? 時間的にはこんにちは?」


 月野はチラリとコチラに視線を向けながら口を開いた。


「仕事相手じゃないんだから気にすることもないだろう」


 月野はざる蕎麦を食べていた。薬味を入れない主義なのか、ネギとワサビが小皿に残っていた。


「おはようございます、金原様。昼食は何に致しましょうか?」


 いつの間にか横に立っていたメイドに話しかけられ、僕はビクッと身体を震わせた。


 もう少し存在感を出しながら近付いて来て欲しい。心臓に悪い。


「あ、ああ、牛丼で」


 今も金に困っているものの、一時期は家賃や水道代を滞納するレベルで困っていた。

 その頃は牛丼屋で大盛り一杯を注文し、それを昼と夜に分けて食べていた。その頃の習慣のせいなのか、単に牛丼が好きなだけなのか、僕はほぼ毎日牛丼を食べている。


「かしこまりました」


 メイドが立ち去ったので、僕は自分の席に座った。


「寝起き? だいぶ眠そうだけど」


 月野が蕎麦を箸で摘みながら言った。


「寝起きだよ。なかなか寝付けなくて、ね」


「まぁ、あんなことがあったからな」


 月野はそう言ってから、蕎麦を汁に少し漬けてからズゾゾッと音を立てて啜った。


 やっぱり昨日のアレは夢じゃなかったのか。


 分かってはいたものの、その事実がズシリと腹にのしかかった。


 人が殺された。


 今思い出しても、それはテレビの向こう側の話にしか聞こえない。


「月野さんも今起きたの?」


 月野は口の中の物を呑み込んでから口を開いた。


「いや、三時頃から起きてる」


 昨日は堂々と喋っていたけれど、やはり内心参ったに違いない。

 普通に生活していて、死体に触れたり、死体を調べるような事など無いのだから。


 僕は労いの意味を込めて「やっぱり寝付けなかったよね? 嫌な役を押し付けてごめん」と言った。


 だが、返ってきた言葉は予想外のモノだった。


「いや、別に。三時頃に起きたのは事件を調べるためだから」


「え、な、なんで?」


 そこには、「何故再び調べているのか?」という意味と「何故朝の三時から?」という二つの意味が籠もっている。


 月野は僕の疑問を理解しているのかヘラヘラと笑った。


「ふと思ったんだ。凶器は別に注文する必要が無いことをね」


「え、な、え?」


 凶器を注文する必要はない?


 頭が変形するまで拳で殴ったとでも言うのか?


「例えば、椅子」


 月野は隣の席の椅子を指さした。


「この椅子。それなりに重いし、しっかりとした造りだ。思い切り頭に振り落とせば凶器になり得る」


 あ、そうか。

 言われてみれば当たり前の話だ。


「昨日はこんな当たり前のことに気が付かなかったから、うっかり何かを見逃していたかもしれないと思ってね。犯人が既に証拠を隠滅しているかもしれないが、皆で確認している最中に証拠の隠滅が出来るとも限らない。だから、少しでも早く大浴場を調べるために朝早く行ったんだ。利用時間外なら彼女達と鉢合わせることも無いしね」


 利用時間外に行った?

 立ち入り禁止じゃなかったか?


 いや、利用が出来ないだけだったか?

 どちらにせよ、そんなこと考えたこともなかった。


「まぁ、あんなことがあった直後に大浴場を利用するような奴がいるとは思えないが」と、笑いながら月野は付け足した。


「そ、それで、何かあったの?」


 僕が恐る恐る訊ねると、月野は僕を値踏みするように睨んだ。


「一つ約束して欲しいんだけど、今から話す内容と自分がこっそり調べていたってことをペラペラと他の人に話して欲しくない」


「そ、それは何で?」


「確証が得られるまではあまり話を広げたくない。」


 そう言われると、気になることがある。


「別に周りに話すつもりは無いけど、それなら僕にも話さない方が良いんじゃない?」


 月野は僕の返答にヘラヘラと笑った。


「金原さんになら話しても良い。そう思っただけさ」


「な、何で?」


 月野は大きく深呼吸をしてから真顔で言った。


「勘」


 え? 何だって?


 僕の聞き間違いか?


「か、勘?」


「そう。勘。根拠は無い」


 どうやら聞き間違いでは無かったらしい。


 何故、僕なんだ?


「え、えぇ? 何それ」


 月野はクククと喉を鳴らしながら笑った。


「自分一人で抱え込んだ方がリスクは少ないが、ある程度同じラインで物事を見ることが出来る人間がいた方が動きやすいのも事実。他の人と比べたら金原さんの方が良いと思った。ただそれだけ」


「そうなの? 僕なんかよりも日谷さんの方がしっかりしてそうだけど」


 僕の言葉に月野は眉をひそめた。


「へぇ。日谷がしっかりしているように、ねぇ。そう見える?」


「え、うん」



 月野は突然黙り込んでしまった。

 僕は何かおかしな事を言っただろうか?



「お待たせしました、金原様」


「うわっ!?」


 いつの間にか横に立っていたメイドが僕の前に牛丼を置いた。

 昨日と同じように、生卵と麦茶も一緒に置かれていた。


「あ、すみません。ありがとうございます」


 メイドは一礼するとすぐに何処かに行ってしまった。


「気が変わった。夕食の後、電話をするからそうしたら自分の部屋に来て欲しい。自分の事が信用出来ないと言うのであれば来なくても良い」


 月野は最後の一口をズゾッと啜ってから言った。


「え、それは」


 月野が食堂の入口に視線を向けた。僕もそちらに視線を向けると、具合の悪そうな火狩がトボトボと歩いてきていた。


 続きは夕食後、ということなのだろう。


 僕は無言で月野に頷くと、月野は満足そうにニヤリと笑い、火狩とすれ違うようにして食堂から出て行った。




「おはよう、火狩さん。大丈夫?」


 近くで見ると、火狩の顔はだいぶ青くなっていた。


「んん、おはよう。あんまり大丈夫じゃないかも」


「そっか。まぁ」


「あんなことがあったからね」と言うつもりだったが、思い出させるのも悪いと思って言えなかった。


 寝付けなかっただとか、頭が痛いだとか、お互いに身体の不調を報告し合った気がする。何故うろ覚えなのかというと、彼女からハッキリとした返事が来なかったため、自分でも何を話したか印象に残らなかったからだ。


 火狩は終始呆然としていて、生返事ばかりが返ってきたので途中から話しかけるのを止めた。


 そっとしておいた方が良いと思ったからだ。


 僕は残り僅かとなった牛丼をかき込むと「お大事に」と言って席を立った。


「金原さんも、ね」


 彼女の声は今にも消え入りそうなほどに弱々しかった。


 大丈夫だろうか?


 だが、僕には元気付けられるような言葉は思い付かない。




 時刻は十九時半。


 突然、電子音が部屋に鳴り響いた。


 電話だ!


 僕は急いで受話器を手に取った。


「もしもし」


『月野だ。昼間の話は覚えてる? 来る気があるなら部屋に来て。部屋に来るならゲームキッズとマジックウォーズを忘れずに。鍵は開いてるからそのまま入って』


 ガチャッ。ツー、ツー、ツー。


 月野の言葉に返事を挟む間も無く、一方的に電話は切られてしまった。


 ゲーム機を持って来いというのはどういう意味なのだろう?


 疑問に思ったが、言われたとおりにゲーム機を持って部屋を出た。


 ホールには相変わらず人の気配が無い。他の皆は部屋にいるのだろうか。それとも何処か別の階?

 そんな事を考えながら、そそくさと月野の部屋の前に行き、扉をノックをした。


 返事が無い。

 それとも聞こえないだけだろうか?


 もう一度ノックをしてから、僕は恐る恐る部屋に入った。




「うわッ!?」


 部屋に入ると眼の前に透明な壁があった。それがアクリル板で出来た衝立(ついたて)であることに気が付くのは、透明な壁の奥で笑っている月野に指摘されてからだった。


「な、何なのコレ」


 改めて確認する。

 部屋の扉を開けると、三つのアクリル板の衝立がコの字に立ち塞がるように置かれており、残された僅かな空間に丸椅子がポツンと置かれていた。

 アクリル板の衝立によって、僕は月野の元へは向かえないし、月野も部屋から出ることは出来なくなっている。

 僕を扉の前から動けないようにするための囲いのようだ。


 一体何の意味があるのだろうか?


「説明するから、その前に鍵を閉めて」


「あ、うん」


 僕は言われるがままに後ろ手で鍵を閉めた。


「アクリル板で囲いを作らせて貰った。理由は簡単だ。お互いにすぐさま襲い掛かれないようにという保険のためだ」


「な、なるほど?」


「もしも自分が君を襲うことがあっても、すぐに部屋から出れば良い。扉の前にいるのは君だ。自分がおかしな仕草をした時点で部屋を出れば良い。

 逆のことも言える。君のことを疑っているわけではないが、もし君が自分を襲おうとしたら、そのアクリル板を退かすための僅かな隙で自分は武器を用意させてもらう」


「ぶ、武器!?」


 思わず声を荒げてしまった。


 そんな僕に月野は落ち着けと言わんばかりに、両手に何も持っていないことを強調した。


「注文出来る範囲で用意した物だ。爆弾でも無ければ銃でも無い。だが、それを教える気はない」


 今すぐ部屋を出た方が良いのではないか?


 入口に近いのは僕だけれど、用意周到な月野の裏をかいて此処から逃げられるのかどうかは怪しい。


「出て行くなら出て行けば良い。別にそれで恨んだりはしない」


 月野の感情が読めない。


 僕が帰ると思っているのか、残って欲しいと思っているのか。笑っているようにも期待しているようにも何も考えていないようにも見える。機械的な無の表情だった。



 僕は大きく深呼吸をし、覚悟を決めた。



「いや、話を聞いていくよ。八日目まで何をすれば良いのか、何に気を付ければ良いのか。何にも分からないから」


「そうか」


 月野は僕を見てニヤリと笑った。


「あぁ、その丸椅子使って良いから。立たせっぱなしも悪いと思ってね」


 月野はアクリル板の向こうから、僕の足元にある丸椅子を指さした。


「ど、どうも」


 あまり座り心地の良い椅子とは言えないが、無いよりはマシだ。

 僕が椅子に座ると月野は軽く咳払いをした。


「まず最初に、昨日の件を振り返ろう。認識している前提条件に食い違いが無いか確認するためにもね」


「分かった」


 だが、昨日の事件を説明しろと言われても、昨日からずっと受け身でいた僕には説明するための材料が無い。

 僕の内心を読んだかのように月野はニヤニヤと笑うと「簡単なことから質問していこう」と言った。


「彼女が襲われた時間は?」


 良かった。それなら覚えている。


「八時半頃だよね。大音量で放送が鳴ったのもそのぐらいだったと思うし」


 月野は溜め息をついた。


「ハズレ。正解は夜の七時から八時半の間だ。いや、実際は八時頃かそれよりも早いと思う」


「え、僕の答えも合ってるんじゃないの?」


 僕の反論に月野はハッキリと「違う」と応えた。


「”八時半過ぎにメイドに通報があった”のであって、それより前に殺されたと考えるのが妥当だ。もし八時半に殺されたのなら、第一発見者である火狩と日谷が犯人の可能性が高い。仮に二人が無実だった場合でも、二人が犯人とすれ違っている可能性が高い」


 あぁ、そうか。

 八時半に殺されたのなら、脱衣所なりエレベーターで火狩と日谷と出くわす可能性がある。言われてみればその通りだ。


「それに、決め手はあの放送だ」


「放送?」


 何かおかしな所があっただろうか?


「放送の内容を正確に覚えているか?」


「正確かは分からないけど、大浴場で死体が発見されたから皆集まれって内容だったような」


 月野は「それだ」と、僕のことを指さしながら言った。


「あの放送では『大浴場で死体が発見された』と明言している。救命措置に意味が無かったとまでは言わないが、少なくとも、メイド達は放送を流した時点で彼女が死んでいたと分かっていた可能性が高い」


「そ、そうかなぁ?」


 そんなことがあるだろうか?

 考えすぎではないか?


「自分が死亡時刻を訊いた時にメイドが言った言葉を覚えているか?」


 何だっけ?

 分からない、だったような。


 僕が曖昧な表情を浮かべていると、月野は言った。


「『死亡時刻は存じています』『お答えすることは出来ません』とメイドは言った。救命措置を行っている最中に死んだ場合に、死亡時刻を断言出来ると思うか? AEDだの心肺蘇生だのをしていたら正確な時刻は曖昧になるはずだ。だが、メイドは死亡時刻は分かっていると断言した。救命措置を行う前から死んでいたという事であれば、メイドが断言した事に説明がつく」


 ふと頭を過ぎったことを僕は口にしてみた。


「うぅん。てっきり、メイドは土井さんが殴られた時間のことを死亡時刻って言ったのかと思ってた。そこからピクリとも動かないのを何処かで見ていたのなら、即死したと思うだろうし」


 月野は少し驚いた表情を見せた後にニヤリと笑った。


「なるほどね。言われてみればそうかもしれない。まぁ、気絶していただけの時間もあったかもしれないが、頭があそこまで変形する威力だ。即死したと仮定するのならば、殴られた時刻を死亡時刻と言っても特別おかしな点は無い。

 メイドに『死亡している』と何を持って判断したのかを聞いてみる必要があるな。教えてくれるとは思えないが」


 月野は、昨夜日谷が皆に教えた通信機能の無い携帯電話を何やら操作し始めた。指の動きを見るに、おそらくメモをしているのだろう。


「ありがとう。自分の考えからは生まれない考えを知りたかったというのも、情報を共有しようと思った理由だからね」


 まさか、お礼を言われることになるなんて。


 僕は照れ隠しに頭を掻きながら「いやぁ、たまたまだよ。僕は難しいことを考えられないからさ」と答えた。


「その”たまたま”を引き出せるかどうかが重要なんだよ。まぁ、その話は今は良いか」


 月野はコホンと咳払いをした。


「要するに、土井は八時頃かそれよりも前に大浴場へと向かい、そこで何者かに襲われた。ここまでは良いか?」


「うん」


「分かっていない問題はいくつかある。例えば」


「凶器とか?」


 僕は月野が話している最中にうっかり口を挟んでしまった。月野はニヤリと笑うだけで不満は言わなかった。


「そう。一つ目は凶器」


「え?」


 他に何か問題があっただろうか?


 強いて言えば避妊具の包装袋が残されていた事ぐらいか?


「まぁ他の問題は後から話そう。まずは凶器について。凶器は昨夜皆で探した時も、自分が早朝に探した時も、”大浴場の男湯にも女湯にも受付にも、怪しい物は残ってなかった”。コレは変わりない事実だ」


「う、うん」


 正直なところ、月野や日谷の後ろについて何となく見ていただけの自分では断言出来ないのだが、おかしなモノがあったり、怪しい行動を取っている人はいなかったような気がする。


 少なくとも、僕は気が付かなかった。


「となると、犯人は凶器を持ち去ったと考えられる」


「まぁ、そうなるよね。現場に無いってことは」


「持ち去ったということは、言い方を変えれば凶器は持ち去る事が出来る物ということになる」


 同じ事を言っていないか?


「えっと、ごめん。どういう意味?」


「そのままの意味だが。重すぎず、大きすぎない物ということだ」


「あぁ、なるほど。でも、そもそもの話になるけど、危険な物は注文出来ないんだよね?」


 月野は「そうなんだよな」と呟いてから溜め息をした。


「まぁ、な。重くて殴る事に適した物は注文出来ない。思い付いた物を注文しようと色々試してみたが、出来なかった」


 ん? でもこの部屋に来た時に確か月野は言ったよな。


 武器を用意させてもらったと。


「でも、さっき何か武器を用意し」


「それが何かは秘密だ」


 僕の疑問に、月野は言葉を被せた。

 本当に用意したのだろうか?


 もしも用意したのなら、今後月野が誰かを襲うことが可能になるということなのではないか?


 この疑問は一旦飲み込もう。何と言うか、藪蛇(やぶへび)な気がする。


「まぁ、僕はそういう物騒な物はいらないけど」


「そうだな。お前には似合わない」


「それ、良い意味で言ってる?」


「あぁ、そのつもりだが」


 月野はヘラヘラと笑っている。

 冗談なのだろう。僕は笑えないが。


「冗談はさておき、凶器は注文したのか備品を利用したのかは分からないままだ。分かっていることは、注文履歴を確認した限りでは、水嶋と土井の二人以外は凶器になりそうな物は注文していないこと。備品は現場に残されている物に関しては痕跡は無いことだな」


 凶器を注文したのなら、水嶋。


 備品を利用したのなら、持ち去る事が可能な物。


「うーん。持ち去ることが出来るかどうかを抜きにしても、大浴場に殴って人を殺せるような物なんてあったっけ?」


 月野は腕を組んでウンウンと唸った。


「脱衣所の長椅子、は重すぎるな。持ち上げることが出来ないわけではないが、それなりの重量だからな。持ち去ったらさすがに分かるだろう。

 それなりの重さで硬い物というと消火器か? だが、”消火器には傷も汚れも特に無かったから犯行に使われたとは考えにくい”」


「んんん。犯人は凶器を持ち込んだのかなぁ」


「確証は無いが、その可能性が高い」


 月野は一旦深呼吸をしてから続けて言った。


「金原は凶器を注文した奴が犯人だと思うか?」


 何を当たり前のことを言っているのだろう。

 他に誰が注文するというのだろう。


「そうじゃないの? 普通は」


 だが、月野は間髪入れずに「絶対か?」と返した。


 そこまで念押しされると即答出来ない。

 しかし、他の可能性は思い付かない。


「絶対か? と聞かれると困るな」


 月野は満足そうに笑った。


「犯人が凶器を持参した。もしくは七日館の備品で殴った。可能性はこの二つだけじゃない。”土井が凶器を注文し、注文した凶器で誰かを襲おうとしたが、逆に犯人に奪われて殺された”という可能性がある」


 そ、そんな!?


 僕の思いはそのまま言葉になっていた。


「可能性の話だ。そうと決まったわけじゃない。ただ、土井が凶器を注文したという線で話を進めれば、今回の事件の不可解な点を説明出来る」


「不可解な点? そんなの」


「殺された事自体が不可解なのでは?」と、思わず口にしそうになったが既の所で呑み込んだ。


 月野が言いたいのは、きっとそういうことではない。


 この事件の不可解な点。何だろう。


 しかも、その不可解な点は土井が凶器を注文すると解決する?


 そういえば、月野は凶器の問題を「一つ目」と言っていたような。

 つまり、少なくとも二つ目があるということだ。


 しばらく考えてはみたものの、僕には思いつかなかった。ギブアップの意味を込めて両手を上げると、月野はすぐに話を再開した。


「土井が、火狩や日谷と約束したはずの八時半より前に大浴場に来ていた理由さ」


「ん? なんで土井さんが凶器を注文していると早く来たことの説明に繋がるの?」


「そんなの簡単さ。殺したい奴を呼んだんだ。必ず二人きりになれる時間にね」


「必ず二人きりになれる時間?」


「火狩、土井、日谷の三人が、八時半から一緒に大浴場に行こうという約束をしていたのなら、普通に考えて一時間以上早く行くような事は無い」


「まぁ、五分とか十分ぐらいなら分かるけど、さすがに一時間早くは行かないかな」


「そうだろう? だから土井が部屋の扉をノックしてこう言ったんだ。『思っていたよりも早く準備出来たから、約束の時間を早めよう。○○さんは先に行っちゃった』とね。そうすれば相手は誘いに乗るだろう」


「んなッ」


 思いつきもしなかった。

 反論の余地は無い。


「そんな事が」


 僕が呆気に取られていると、月野は「オイオイ」と言った。


「鵜呑みにするなよ。この話は土井が凶器を注文して、土井が火狩か日谷のどちらかを殺そうとし、逆に凶器を奪って土井を殺した奴がいる、という話だからな。仮にこの通りだったとしても、避妊具の包装袋が残されていた理由が分からない」


 そうだ。明らかに不自然な問題がまだ残っていた。


「土井が殺したというのなら、避妊具が残されていた理由は分かる。容疑者を男だと思わせるために残したと考えられるからだ。”現場に中身が残っていなかったのは、残したくても残せなかったから”だろう。”女じゃ使用後の中身を用意出来ない”からな。

 だが、土井にいきなり襲われた人間が凶器を奪って土井を殺したのだとしたら、包装袋を残す理由が分からない。土井が事細やかにこれから行う予定の偽装工作について説明したのなら別だが、何の準備もしていない人間が咄嗟の判断で土井の荷物を漁って避妊具を見つけ出し、偽装工作のために包装袋を現場に残そうだなんて思いつくはずがない」


 月野は大きく深呼吸をしてから「要するに、『土井が凶器を用意したが逆に殺された説』は凶器の出処と不自然な時間に現場に向かった理由を説明出来るが、残された避妊具の説明が出来ない」


 ゴクリと唾を呑んだ。


 月野の語る推理は概ね口を挟む隙が無い。


 彼の語る推理が限りなく真実なのではないかと錯覚する程に。




 その時、僕の中で一つの仮説が浮かび上がった。


「さっきの話を根本から否定するつもりはないんだけど、犯人は水嶋、じゃないの?」


「ほぉ。何故そう思った?」


 月野は興味津々といった表情で僕に続きを促した。


「えっと、一番怪しいと思ったのは注文履歴を隠しているから、かな。凶器か避妊具のどちらか、もしくは両方を注文していたのかもしれない」


「あぁ、そうだ。その可能性は高い」


 月野に修正されなかった事により、僕の中の仮説は光を帯びて次々と形作られていった。


「あと、夕食の途中で抜け出したまま戻って来ていないのも怪しい。あの時間に準備をしたり、女湯に隠れることが出来たかもしれない」


「うんうん」


「あの放送があったというのに、随分遅れて来たのも怪しい。土井さんを殺した後にその身体を」


 僕はそこまで言ってから一度咳払いをした。


「土井さんを襲ったのなら色々汚れるはずだ。それに、殴った時に返り血を浴びていたかもしれない。どちらにせよ、ニオイや汚れで疑われないように身体や服を洗いたくなるはずだ。使った”ゴム”を捨てる必要もあるし。それで遅れて来たんだ」


 月野はパチパチと拍手をした。


 授業中に上手に発表が出来た小学生のような気持ちになったが、この歳になっても案外悪くないのだと実感した。


「そう。犯人を水嶋だと仮定すると、話はトントン拍子で進む。凶器、避妊具、アリバイといった謎を全て説明出来る。何故包装袋を残したのか? という点に関しての説明は難しいが、犯人が男ということならばそこは大して問題じゃない。動機まで説明出来る非常に優れた説だ」


「じゃ、じゃあ」


 水嶋が犯人なのか!? と言おうとした僕に向かって、月野は口元に人差し指を当てて「シィイ」と音を立てた。


「不可解な点が二つ残ることを除けば、その推理はパーフェクトだ」


「不可解な点が、二つ?」


 そう呟きながら僕は思考を巡らせた。


 何だろう。

 不可解な点とは。


 馬鹿か僕は。さっきその話をしていたじゃないか。


 二つ目は分からなかったが、一つは分かった。


「土井さんが、早く大浴場に行った理由?」


「それだ。それが分からない。『犯人水嶋説』は土井が約束の時間よりも早く来たことについて説明が出来ない。言っちゃ悪いが、水嶋が土井を口説いたとしても、土井が一人でノコノコ行くとは思えない。必ず火狩か日谷に相談するだろう。そうすればあの二人のことだ。止めるに違いない」


「う、うぅん」


 確かに、犯人水嶋説の場合は彼女が約束の時間よりも早く行った理由が分からない。


 三人で大浴場に行こうと約束をしていたのなら、土井はその約束を独断で破るような人には到底見えない。


「それに、水嶋が犯人だった場合はもう一つ問題があ

る」


「もう一つ」


 それが分からない。

 一体何だと言うのか?


「何故犯行現場を大浴場にしたのか、だ」


「それが、不可解な点の二つ目?」


 大浴場であることに特別深い意味があるとも思えない。

 だが、月野にとってはそうではないらしい。


「土井が誰かを殺そうとしていたのなら話は簡単だ。三人で大浴場に行こうと約束をする。だが、殺したい奴には上手いこと言って自分と一緒に大浴場に行くように唆す。そうすれば殺したい奴と二人きりになれるからな。

 だが、水嶋が犯人の場合はどうなる? いつ誰が来るかも分からない場所で待ち伏せるか? 普通は『アイツが何時頃に来るはずだ』という根拠があって初めて待ち伏せするはずだ。

 自分が水嶋と同じことをしなければならないのなら、相手の部屋にどうにかして入り込む方法を考えるな。そうすれば、邪魔が入ることは絶対に無いし、死体の発見まで相当な時間を稼げる」


 言われてみればその通りだ。

 大浴場だと誰も来なかったり、逆に複数人で来る可能性だってある。


 不確定要素が多い大浴場で殺そうという発想にはならない、ような気がする。


「た、確かに」


「まぁ、犯人が『目撃されようが知ったこっちゃない。全員殺す』と腹を括ってたら分からないけどな」


 水嶋が犯人だと決まったわけでは無いが、そんな危険な思想の持ち主かもしれないという可能性に背筋がゾッとした。




「さて、犯人が誰なのかを特定することは出来なかったが、要注意人物は分かっただろう? 火狩、水嶋、日谷の三人だ」


 火狩と日谷は襲いかかってきた土井を返り討ちにした場合。


 水嶋は一人の男として襲った場合。


 そういうことだろう。


「う、うん」


 僕はゴクリと音を立てながら唾を飲んだ。


「さて、そこでお願いしたい事がある」


「お、お願い? 僕に?」


 何だろう? 怪しい奴を尾行しろとか?


 僕にそんなことが出来るだろうか。


 いや、月野のことだ。僕に出来ないことを頼むとも思えない。


「此処から先、再び皆で意見を出し合うことがあるだろう。その時は、よっぽど常識外れな事を言っていない限りは日谷の味方をして欲しい」


「え?」


 一度で意味を理解することが出来ず、頭の中で反復したがそれでも理解出来なかった。


 何故? 僕と月野は協力関係なのではないか?


「買い被りでないことを祈るが、日谷も凡そ自分と同じ結論に至っていると思う。そうすると、自ずと次の行動が日谷と被る」


「え、それは良いことなんじゃないの?」


「百パーセント悪いとまでは言わないが、自分と日谷で場を支配するのは好ましくない。君や他の奴らがあらゆる判断を自分や日谷に任せるようになる。そうなると犯人を炙り出せなくなる」


「ど、どういうこと?」


「自ら嘘を付く必要が無くなるからだ」


「んんん?」


「場の流れに任せて自分の主張をしなくなる恐れがある。今回の事件は物的証拠が見つからない以上、言質から暴いて認めさせるしか無いからな」


 分かるような分からないような。


 とにかく、犯人がボロを出さなくなるということだろうか?


「わ、分かった。日谷さんの味方をすれば良いんだよね?」


「念の為もう一度言うが、常識の範囲内の提案をした時だからな。日谷がトチ狂って『男は皆殺し!』だとか主張したらちゃんと反対してくれよ」


「日谷さんがそんな事言うはず無いよ」


「あぁ、まぁ。可能性の話だ」


 月野は僕から目線を逸らして何処か宙を見ながら言った。




「ありがとう。色々勉強になったよ」


 話が終わったと思った僕は椅子から立ち上がり部屋を後にしようとしたが、月野が慌てて手を振って呼び止めた。


「待て待て。コレを忘れているだろう。対戦しよう」


 月野はそう言いながらゲームキッズを見せてきた。どうやら月野も注文したらしい。


「ああ、対戦機能もあったね。でも通信ケーブルが」


「通信ケーブルならある」


 月野はアクリルの衝立のすぐ近くまで椅子とゲーム機を持って歩いてくると、通信ケーブルを衝立の上からコチラに寄越した。

 そして、向かい合うように座った。


 衝立を退かせば良いのにと思ったが、コレはお互いの安全のためなのだろう。

 僕はあえて言わないことにした。


「何章まで進めてる?」


「えっと、十三章」


「自分は十二章。まぁ、そんなに戦力差は無いだろうからハンデ無しのガチンコでやるか」


 僕はゲーム機を取り出して、電源を入れながら月野に渡された通信ケーブルを本体に接続した。



 懐かしい。

 小学生の頃は友人の家や公園で対戦に明け暮れたものだ。



 その後。


 アクリルの衝立越しに、ゲームの思い出話に花を咲かせながら充電が切れるまで通信対戦をした。


「キリも良いし終わるか」


 月野は椅子から立ち上がるとベッドの側にあるゲームキッズの充電器を取りながら言った。


「そうだね。それにしても楽しかったよ。ヴァルの谷のあんなハメ技初めて知った」


「そうか? 自分の小学校だと皆知ってたけどな。まぁ、インターネットが普及してない頃だから地域差があるのかな」


 月野は大きく伸びをしながら言った。


「また今度やろうよ」


 僕が再戦を申し込むと、月野は意外そうな顔をした。そして、しばらく何かを考えるように目を逸らした後に「あぁ、また今度」と呟いた。




 月野の部屋を後にした僕は、自分の部屋に戻るとゲームキッズを充電器に繋いでベッドに寝転がった。



 意味深な発言を繰り返し、この参加者の中で格別に頭の冴えている月野であっても、僕と変わらない普通の人間だということがゲームを通じて知る事ができ、僕はとても嬉しかった。


 あぁ。


 殺人事件なんて起きなければ、楽しい共同生活になったかもしれないのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る