第16話 おかえり

ァァパァ…、、パァパァァ…


真っ暗な闇の中、声が聞こえてきた。

知らぬ間に閉ざされていた目を開けてみる。


空からは濃い雪雲が白い雪を落とし、視界の隅で娘のアミが小さい手にチョコレートを持って僕の頬っぺたを撫でていた。


『ちょっと大丈夫ぅ? どこに行っちゃったんだろうと思って心配したんだよー? こんなに雪降ってきてるのに寝そべって何してんの何かあったのぉ?』


アミの隣で目を大きく見開きながら覗き込む奥さんも見えた。


いつの間にか仰向けに寝そべっている自分にも動揺しながら、

「んんっと、大丈夫だと思うよ大丈夫…、いや全然大丈夫だよちょっと気分転換にさ…。』


そう言いながら上半身を起こしてみたが、いったいここで何をしていたのかまったく覚えがなかった。


…まぁ、転んでちょっと頭打ったのかなわかんないけど…

と、記憶にない状況を軽く受け流す。


『ほんとにぃ? ちょっとやめてよビックリするじゃな~い、まっ大丈夫ならいんだけどっ、ちょっとこれからまた吹雪くみたいだしさぁ、ここ草だらけのジャングルだし虫いたらヤダから早く湖見に行こお?

ほらアミィ、パパ大丈夫だって、風邪引くよ、ほら立って。』


僕の横で座りこんでいたアミはママの手を取り立ち上がる。

そしてちょうどそのとき空から大粒の雪が落ち始めてきた。


「随分また降り始めたねぇ」と、予報の記憶もない僕は平常をアピールするように二人に呼びかけ立ち上がる。


…イテッ… 立ち上がった拍子で腰や膝に痛みが走った。


…ああ、どうやらやっぱり転んだようだな…

そう思いながら痛みを我慢し、歩き始めた二人の隣にくっついた。


その後は湖を足早に見終をえ、午後は家族でショッピングモールに向かった。


三人でゲームセンターで遊んだり、アミの好きなアニメキャラが出る映画を観たり、カフェでイチゴパフェスペシャルを食べたりして休日の時間を満喫したあと、予報通りの吹雪の中隣町にある自宅マンションに車でゆっくり帰った。


『あれアミぃー? そういえばチョコどこやったのー?全部食べちゃったぁ?』


帰宅後、居間で部屋着に着替えていると、隣にいるパンツいっちょ姿のアミにチョコの行方を伺う奥さんの声が近づいてきた。


するとアミは、

〖おはなあげたー!はっぱ、うれしって!〗と元気よく答えた。


〖ナニお花にあげちゃったのー?どこでぇぇ?』

そう奥さんが聞き返すと、アミは〖パパねんねのとこ〗と答え、僕はそんなアミに少し笑ってしまった。


詳しく聞くとどうやら今朝僕が倒れていたあの場所で、ママに促されて立ち上がったときに近くの花か何かにあげちゃったみたいだ。


今頃降り積もった雪の下に埋もれているだろなぁと想像する。

ゴミの放置にはなるけど、子供のすることだ仕方ないと奥さんと目を合わせ苦笑した。

むしろ、彼女が見たもの、自分にはもう忘れてしまった子供だけに見える世界みたいなものを、限りある今だけは尊重してあげようと思った。


着替えが終わったあと、奥さんは休む間もなく夕食の準備とエプロン姿でキッチンに。

その隣でアミは椅子を身長代わりに、座りながらママの包丁さばきをずっと眺め、時折作りかけの材料に手を出し食べようとして『ダーメっ』とママに指を甘噛みされキャッキャと喜ぶ毎度の光景が繰り広げられた。


…あぁ、良い時間だなぁ、

僕はほんとに運が良い。仕事はしたいことが出来て順調で、趣味も真面目に取り組めて楽しむことができる、特にお金の心配もない。

そしてなによりも奥さんは僕にもったいないくらいの素敵な人間性で、僕にとっては可愛く綺麗な女性だ。そんな彼女に僕はずっと惚れ続けてて、彼女との間に出来たアミがいる。

これ以上ない理想的な現実と言っていい。

こんな幸せな瞬間が続くように僕はこれからも努力し続けていかなきゃ…


両手の指を頭の後ろで組みながら、彼女らの後ろ姿を見ているだけで染々と胸に幸福がやってきた。


そうして彼女らの背中に浸っていると、アミはオマケとばかり振り返って僕に向かって叫んだ。


〖パパーっ!まあああぼーうどふ? ぼどふぅ?〗


その言い方に奥さんがすかさずツッコミを入れる、すると

〖どーふっ!まあああぼー…うどーふっ!!〗


どうやら夕食は奥さんお手製、僕の大好物【麻婆豆腐】のようだ。



世界一の夕食も終え、僕の当番である食器洗を終えた。


僕は太りやすい体質のため、普段夕食はお米を食べないようにはしているが今夜は特別。


麻婆豆腐をかけて米3合をたいらげ、これ以上ない満腹感で身体に少し重さを覚えた。


ソファーに座るアミにその大きくなったお腹を見せてあげると、ポンポン面白そうに小さな手の平で叩いてくる。

そして〖きちゃないきちゃない〗と僕のおへそを指でツンツンしながら言ったとき、その言葉で僕はお風呂に入ろうと思い立った。

丁度さっき奥さんが浴槽に湯を準備してくれたのでタイミングが良かった。


服を脱ぎながらお風呂場に向かうと、察したのかアミも入る入るとせっつきはじめたので、

「よーし!一緒に入ろうぜ~」とアミをこしょばしながら服を脱がせてお風呂場に入った。

アミと二人で身体を洗い合って、同時に浴槽にざっぶーん。一通り二人でハシャギ終わると、湯舟の中で何気に僕は今日のことをアミに聞いてみた。


「今日アミはお花か何かにチョコレートあげたんでしょ? 喜んでたみたいなこと言ってたけど、アミはお花さんとかのお喋りが聞こえるの?」


するとアミは〖うん!〗と答える。


 「へ~、すごいね~、で、なんて言ってたの雑草さん?」


〖イタッ!てー!!〗とアミは言ったあと、〖だいすきだよおおおーってー!!〗と答えた。


一瞬訳がわからずハテナマークが浮かぶ。

アミが雑草を踏んだのかな?…、ちょっとわからん…。


ただそのとき頭の中で何かが動き始めたような、忘れていた事が目の前をすごい速さで通り抜けたような不思議な感覚を覚えた。


そしてアミは続けて、

〖ぼくが、、、わるいってーー!!〗と思い出しながら言葉を続けた。


そのアミの言葉で今度は先ほどよりゆっくりとある光景がおでこら辺を通り抜ける。

なんだろうなんだこの掴めそうな感覚はと考えながらフと湯舟に浸かった下半身に目を向けると、今朝転んで強打したのであろう膝に薄っすら青黒く内出血している箇所が見えた。


その瞬間、目の前の湯面に記憶が明確にゆっくりやがて早送りで流れ出し、その映像に口が開いたまま呆然とした。


そして目の前が通常の湯面に戻るとバッとアミの手首を握り確認する。


「アミっ!声が聞こえたんだねっ?!

 イタッて! チョコレート!…、置いてきた…、いや、食べさせてあげたんだねっ?!」


するとアミは〖うん!! うれしーってぇっ!!〗と満面の笑みで答える。


「ありがとーアミィィィ!」と、アミをいつも以上の力で強く抱きしめながら立ち上がり、抱えながらお風呂場を出て奥さんを呼んだ。


何事かと慌ててやって来る彼女に僕は、

「ごめん!!アミの拭き拭きお願いしてい!

ちょっと急用思い出して今から外出なきゃいけないんだ!!」


慌てふためく僕に奥さんはビックリした表情を見せながらも、その急ぎっぷりを察して『うん、いいよわかった』と不思議そうな顔をして答えた。


「ありがとう!!……、愛してるよほんとに、心から…」


アミを抱えたままのビショビショの裸姿でそう伝えながら、僕は奥さんをめいいっぱい強く抱きしめた。


そのとき目には湯船よりも熱いものが溜まった。

それは全てを把握したことによって、悲しみと切なさが込み上げさせた、こぼれ落ちそうなしずくだった。

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