10話 エイオスの悲劇

 気づけば日も落ち始め辺りが暗くなってきていた。

 街灯のようなものが明かりを灯してはいるが基本は森の中だけあってかなり薄暗く、作業を終えて各々が帰路に着いている姿を見かける。


「なんだろう、なんだか懐かしいような気持ちになるな」


 炉は火が落ち製材所も止まり昼間の賑やかさはすっかり鳴りを潜めてはいるが、点々と家屋に明かりが点いていく様は祭りの後の残り火のようにふわっとした心地の良い静けさを感じる。

 いつだったかもうはっきりとはしないけど、まるで小さい頃に両親と一緒だった帰り道のようだ。


「こういうのをノスタルジックっていうのかな……」


 足を止めれば虫の鳴き声も聞こえこれが風流ってものか。


「……は、そのように――」

「ん?」


 なんだ? 話し声? いくら暗くなっているからって随分と小声だな。それになんであんな人気のないところに?

 見れば衝立ついたてで死角になった場所で話しているようで、どうかすれば自分の足音で聞こえなくなるぐらいの小声だが、たまたま足を止めたことでどうも話し声がかき消されず聞こえてしまったようだ。


「くれぐれも気取られるなよ。特にあの娘は勘がいい。上手くあしらわなければ怪しまれるだろう」


 抜き足……差し足……忍び足……つま先から地面に着くようにする歩行を駆使して、なんとか音を出さずに近寄ると声がさっきよりも鮮明に聞こえてくる。

 まさか小さい頃にテレビで見て真似しまくった忍者の歩き方がこんなところで役立つとは……。

 暗がりで姿はよく見えないけど声の感じからして若い男と年配の男が2人ってところか?


「長も村の者も保守的です。いくらあの娘が次期長の妹とはいえ、会議を開けば村の者たちの意思に従う他はありますまい」

「ならばよい」


 次期長の妹? クライスの……ということはアデリーのことか?

 なんだ? 何の話をしているのかはわからないけど……よくない話だってことだけはわかるぞ。


「政治を知らぬあの男でも、こういうときには役に立つ。せいぜい帝国への好感度を稼いでもらってから引き継がせてもらうとしよう」


 帝国? なんで帝国の話をこんなところで?


「時に事がなされた暁には……」

「わかっておる。この村の資源は帝国にとって貴重だ。多少無理矢理にでも資源の提供さえすれば、この村の開拓を約束し貴様の統治権も保証しよう」

「へへーっ」


 開拓? 統治権? 話の内容からして村の代表との会話って感じはしない……そうなると密約?

 はっきり言っていい印象は持てないけど……村のことに関して僕がなにかを思うって正直どうなんだ。

 聞いた限り村を滅ぼすとかそういう話はなさそうだし、言い方は悪いけど開拓ってそんなに悪いこととも思えない。

 統治権の話は少しきな臭いけど、そもそも帝国にはおっちゃんがいる……おっちゃんがいるんだからきっと……。


「では、私めはこれで……」


 あっ、話が終わったのか……年配のほうはどっかに行って若いほうは……まだ残っている。たぶん、残っているほうが帝国の人間だよな。


「高位種とうたう精霊の民も堕ちるものなのだな」


 お、おい、やめろよ。なんでそんな言い方をするんだよ?

 明らかに侮蔑の意思を感じる男の独り言に、まるで自分が言われたかのような気持ちになって動悸で胸が苦しくなる。


「取るに足らない俗物が」

「ッ……!」


 男の言葉に思わず吐き出しそうになる思いを飲み込む。

 忘れていた……いや、忘れたかった……うっかりしていたんだ、そうだったなと。

 もう男の姿は見えずどこかへと去ったようだ。


「おっちゃん……」


 色んな人がいる。気に食わない人や他者を食い物にするような人だっているんだ。

 おっちゃんがいるからなんだ? だからそこにいる人はみんないい人だって? おめでたいにも程があるだろうが、しっかりしろ!


「僕に、なにが……僕の、できることは……」


 今は考えがまとまらない……クライスのところに行こう。だいぶ待たせてしまったかな。

 すっかり暗くなった道を歩きながら、目的の場所と思われる明かりへと進んでいく。



「遅かったな」

「あっ……」


 見張り台の上から不意に声が聞こえ見上げると、高台からクライスがこちらを眺めていた。


「何かあったのか? 元気がなさそうだが」

「そう? 気のせいじゃないかな?」

「そうか……」


 さっきのことをクライスに伝えるべきか……いや、あまりにも不明瞭で独断すぎる。

 証拠もなければ誰かすらも把握できてないことを言うのはうかつ……それじゃ無駄に不和を生むだけだ。

 とにかく今は時が来るまで様子見、状況が変わってから今回のことを伝えないと対処だってわからない。


「で、見せたいものってなんだよ?」

「ああ、そこから登ってここまで来てくれ」


 見れば梯子がある。ここから登れそうだな。


「疲れは取れたか?」

「まあね、銭湯でゆっくり浸かったおかげでな」

「ふっ、そうか」


 他愛のない話を交わしていくとクライスの表情が神妙になった気がする……。


「なあ、ケイヤ」

「なんだよ?」

「お前は、どうしてこの世界に来たんだ?」

「どうしてって……」


 どう言ったものか考えながら少しの間を置いてから話を切り出す。


「実は俺、一度死んだんだ病気で……で、気づいたら変な場所に居て、そこで怖いおっさんに異世界でやり直してこいとか言われてここに来たんだ……っていう説明で納得できるのか?」

「にわかには信じがたいが、嘘ではないということだけはわかる」

「またマナスか?」

「まあ、そういうところだ」


 やや茶化し気味に返す僕の返答にクライスも笑みを見せる。とりあえず今の説明でいくらかは納得してくれたようだ。


「……30年前のことだ」

「ん?」


 高台に手を置きながらクライスが静かに語り始める。


「1人の男がこの村へとやってきた。名を「スグル」と名乗ったその青年は奇妙な格好をし、強大なマナスを持ち合わせていた」

「それって……」

「〝エイオス〟……すなわち〝転移人〟だ」


 僕たちが来る前にやってきた〝転移人〟……青年という表現から僕と同じぐらいと想像してよさそうだ。


「私たちはスグルから話を聞き歓迎した。変わったマナスではあったが、決して悪意のあるマナスだとは感じなかったからだ。スグルは精霊魔法とも帝国の魔法とも違う力を使い、私たちに様々な恩恵を与えてくれた。自動販売機もゲーム機も銭湯も、村にある機材のすべてはスグルが残していったものだ」

「なかなかユニークだったな」

「ふっ」


 やっぱりあれはそういうものだったのね。


「スグルのもたらした恩恵に私たちは感謝し、スグルもまたこの村を気に入ってくれたようで、特に私の姉とは仲が良かった」

「へー、姉さんがいるんだ?」

「ああ……」


 クライスの顔にかすかにかげりが見えた気がした。


「スグルが村に住み着くようになって数年が経ったときのことだ。この村に帝国の人間が攻めてきた」

「なっ……!」

「今では皇帝も変わって昔のような力による侵略行為も減り、村と帝国との関係も幾分は回復したが、当時の帝国は独裁による支配を目的に近隣に対し侵略行為を繰り返していたのだ」


 なんてこった……まさにイメージ通りの帝国じゃないか。それじゃおっちゃんみたいなのが増えたのも最近だったりするのか?


「私たちは侵略に対して抵抗した。だが、帝国軍の数の前には及ばなかった……」


 苦い表情を浮かべるクライス、思い出すのもきつい辛い記憶なのが伝わってくる……。

 だけど村はこの通り平和そのもので、いくら30年経ったからといってとても侵略されたようには見えない。


「まさか……」

「ああ、思っている通りだ……あの時の事は忘れようがない……」


 クライスが掴む手すりから軋む音が聞こえてくる。


「スグルは、村を守るために力を使った。その結果が……これだ……」

「おっ?」


 クライスが天井からぶら下がる紐のようなものを引っ張ると、見張り台から照明が現れ村の反対側を照らしていく。


「っ……! こ、これは……!」


 村の反対側つまり森のほうを照らされると、そこには直線上に大きく地面が抉れた巨大なクレーターが照らし出されていた……。


「〝エイオスの悲劇〟……後方から村へ挟撃を仕掛けていた帝国軍300人が一瞬のうちに〝消滅〟させられ、30年経ってもなお傷跡を森に残し、草木の一切生えない焦土と化してしまった悲劇」

「こんな、こんなことが……」


 これが本来僕が持つかもしれなかった力だっていうのか……?


「スグルは自分の内にある膨大すぎる力を制御しきれなかった……結果としては、帝国軍の半数を一瞬で消し飛ばしたことで軍はそのまま撤退、それから村の侵略が行われることは二度となかった」


 侵略者に同情する気はないけど訳も分からず部隊の半数が一瞬でやられたなんて聞いたら、そりゃもう恐怖で侵略しようという気なんか起きんわな。


「それだけなら、スグルの力に困惑しながらも私たちは受け入れ続けることができただろう……だが、スグルの放った力は村の者も巻き込んでしまった……」

「そんなっ……!」


 めまいにも似たぐらつきに体中から力が抜けて背中が壁へともたれかかっていく。

 なんだよ……なんだよそれ……そんな最悪な結果にどうして……。


「10名の死者と24名の重傷者を出したものの、幸い治療も死者のほとんどの蘇生も成功した……ただ1人、私の姉を除いて……」

「ッ……」


 言葉が出ない……なんて返せばいい? 気の毒だった……? 違う! 辛かったな? そうじゃない!

 クライスの悲しみと痛みを考えればなにか声をかけてやりたい……けどわからない……。

 僕にはクライスがどれだけの悲しみと痛みを感じているのか理解なんてできない! そんな僕がどんな言葉をかければいいっていうんだ……。


「お前のマナスの声がよく聞こえる……」

「クライス……?」

「力を使った後……今にも泣き出しそうで、助けを乞う子供のようになっていたスグルの顔を、今でも忘れられない……ケイヤ、今のお前を見ると思い出してしまうほどにな」


 クライスから手を差し伸ばされ僕はその手を取ってから彼の隣に立つ。


「……体は大人だったとしても、スグルは子供だったのだ。力を持ちすぎた、あまりにも危うすぎる子供……だからこそ私たちが……私が、導くことができればという後悔をするときがある……」

「クライス?」


 憎悪と憤怒が入り混じったと感じさせる尋常でない感情を乗せて顔を歪ませていくクライス。

 手すりの上に乗せて握られた彼の拳からは血が滲み出し、手すりを伝って流れていくのが見えた。


「お、おい!」

「私が……私がスグルに力の使い方を少しでも教授してやれれば……私がもっと強ければ、スグルに姉さんを殺させるような、こんな悲劇を起こさせる事もなかったのだ!」

「クライス……」


 違う……違うぜ……クライス、それは間違った考え方だ……。


「私が……私が姉さんを殺したようなもの――」

「違うッ!」

「っ……ケイヤ?」


 込み上げてくる想いが溢れ出してくる。


「そうであるはずがない! なあ、そうだろう?」


 その考えは、自分を傷つける考え方だよ、クライス。


「傷つけたくて傷つけたわけじゃない……だからってそれを無条件で赦せなんて話じゃない。なんて言えばいいのか上手く言えないけど……過去を水に流せとか、誰が悪いとかああすればよかったとか……そういう話じゃないはずだよな、クライス?」

「ケイヤ……」

「アンタ言ってくれたよな、剣を教えてくれるって……それって姉を助けられなかった罪滅ぼしから来ているものなのか? 違うよな」


 罪滅ぼしからくる想いは自己満足にすぎず、その想いや意識は自罰的という形でしか自分に向かない。

 けど……。


「ここに連れてきたのは俺が知る必要があると思ったからなんだろ? 俺にスグルと同じ過ちを繰り返してほしくないって、今度はと俺を助けたいと思ったから、違うかよ?」


 クライスの想いは失敗から学ぼうとする他者を想う優しさだ。それを自罰的な想いで塗り潰させたくない!


「……私は、スグルを助けてやりたかった。だが姉を目の前で失った私は、スグルに憎しみという殺意を向けた……そうしてあいつは村を去り、その後の消息はわからない……」

「スグルは……恨んでないと思うよ……」

「ケイヤ……」


 助けてやれなかった自分に罪を課して、スグルが恨んでいるんじゃないかと思うことで罪を償おうと思った、か……。


「わかるとは、言わない……けど、どうしようもなくなって誰かを傷つけて、それを赦されたいと思って自分に罪を作り上げて、自分を罰したくなったことは、ある……」


 大切な人を傷つけた自己嫌悪から自分を追い詰めたこともある……本当はそこまで複雑な話じゃないはずなのに……。

 たった一言……たった一言を言える勇気さえあればよかったことなんだ。


「でもそんなこと……相手は望んでないと思う。罪の意識を持って自分を罰してほしいだなんて、そんなことを望むだなんて、僕には思えない」

「だが私は……」

「本当に悪かったって思ってるんならさ、いつかスグルに会った時に言ってやればいいんだ」

「何と言えば?」


 そう……たった一言、たった一言の大切な言葉……。


「「助けてやれなくて、〝ごめんな〟」って、そう言ってやればいい」

「っ……そうか、それだけで、よかったのか……」


 目を瞑ってからクライスは空を仰ぎながら大きく息を吐いていく、まるで奥底に溜め込んだものを夜空へと溶け出させるように。


「……アデリーは、私の実の妹ではなく、姉の娘でな」


 険しい表情が柔和になったかと思ったらしれっとすごいこと言い始めたぞ?


「え……ということは、姪?」

「そうだ」


 そうなるとクライスは叔父になるのか。


「〝エイオスの悲劇〟が起きてスグルが村を去ったすぐあとに、他に怪我人がいないかクレーター周りを探していると、そこで赤ん坊を見つけたのだ」

「それがアデリー?」


 小さく頷いて返すクライス。


「村の者に聞いても誰も知らない赤ん坊は、姉がしていた首飾りを握っていて、マナスもよく似ていた……私はこの赤ん坊を姉の忘れ形見として引き取り、妹として育てることにした」

「そんないきさつがあったなんて……」

「それだけじゃない……」

「というと?」


 やや複雑な表情を浮かべるクライス。言うのを迷っているというより言いにくいといった雰囲気だ。


「おそらくアデリーは、姉とスグルの子だ」

「え、えぇッ!」


 確かにクライスの姉さんと仲が良かったって言ってたけど、まさかそんな。


「だからといってどうというわけじゃない、アデリーは私の大切な家族で妹ということに変わりはない」

「へへっ、だな」


 そうそう、そういうのが聞きたかったんだよ。


「いずれは伝えなくてはならないことだが、その前にお前に聞いてほしいと思ってな」

「ある種の〝共犯〟ってやつだな、わかるぜ」

「お前たちは時々よくわからない言い回しをするな」


 呆れながらもいい笑みを見せてくれるクライスに、こちらも思わず笑みがこぼれる。


「……剣の稽古は明日からつけてやる。言っておくが手を抜く気はないぞ、覚悟しておけ」

「おー、こわいこわい。そんじゃそろそろ馬小屋に戻って休ませてもらおうかな」

「ああ、そうしろ」


 軽く伸びをしてから梯子に足をかけていく。


「ケイヤ」

「ん?」

「……ありがとう」

「こちらこそ、な」


 めっちゃ照れて恥ずかしいのでそそくさと梯子を降り、そのまま何事もなく馬小屋へと戻っていった。

 そのあと、ラスクに肩揉みやらのマッサージを受けてもみくちゃにされたのは、また別の話――。

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