9話 異世界での銭湯

「馬だ、見事に馬だな……」


 なんだかんだで初めて見る馬に関心はある。

 クライスが言うには人に慣れたとても大人しい馬らしく、一緒に生活する上では問題はないとのこと……だからっていきなり馬小屋をあてがわれるとは。


「かわいいですね」


 馬の頬をさすっていくラスクはなんだかんだで上機嫌の様子だ。

 意外とこういうアウトドアというか自然的な生活が合っているのだろうか?


「こ、ここでクロマメさんとこれから夜を共にするんですね――はぁ、はぁ……い、いけない……わたし、興奮してきました……」


 いったい何を想像してるんだよ……ていうか小声のつもりなんだろうけど聞こえてるって。

 心なしか馬もドン引きしているように見えるし。


「どうー? 2人ともいい感じでやれそう」

「アデリー」


 声のしたほうへと視線を向けると小屋の入り口にアデリーが立っていた。

 なにか持ってるようだけどなんだろう?


「うん! お馬さんたちもおとなしくてかわいいですし、思ったよりも暖かいんですね」

「でしょぅ? 馬たちが寒がらないように造ってあるの、だから寝床としては悪くないはずだよ」

「ちょっと臭うけどな」

「うふふ、きっとすぐに慣れると思うよ」


 住めば都と言ったものか耐えられないほどじゃないからいいけど。


「ところでそれは?」

「着替え、持ってきたの。ずっとその格好じゃ2人とも困ると思って」


 衣服に入ったカゴをアデリーが地面に置いていく。


「こっちがカヤちゃんので、こっちがケイヤの。一応サイズは勘で合わせてあるけど、合わないようだったら言ってね」

「そこまでしてもらって、本当に助かるよ」

「ありがとう、アデリーさん」

「いいのいいの。それと小屋から出て右手側のほうに行くと銭湯もあるの、共用だけどよかったら利用してね」

「へー、そんなものまで」


 銭湯か。そういえば汗とかでかなり汚れてしまってるからな、入ってさっぱりとするか。


「言っとくけど混浴じゃないからね?」

「何も言ってねぇし、聞いてねぇよ」

「うふ、それじゃぁねぇー」


 ひらひらと手を振りながら去っていくアデリー。


「混浴じゃないんですね……」

「ちょっと残念そうにしてるんじゃない! 他のやつに見られてもいいのかよ、ったく」

「そ、それって、他の人にわたしの裸を見られるのはイヤという意味ですか? わたしのを見るのは俺だけでいいって意味で……キャッ」

「否定もしないけど相手にもしないからな! 先に行ってるぞ」


 自分の着替えが入ったカゴを拾い上げ、すたすたと小屋から出ていく。


「あ、待ってください、わたしも一緒に行きますー」


 ぱたぱたとかけ寄ってくる音が聞こえたのを確認してから馬小屋を後にした。




「それにしても銭湯まであるなんてすごいですよね」

「ホントにな」


 まあ、自販機にゲーム機と見たからそこまでの驚きはないが少々面食らいはする。


「実はわたし、銭湯に行くの初めてなんです。クロマメさんはどうですか?」


 さっきから妙にうきうきしているように見えたのはそれか。しかし銭湯ね……。


「小さい頃に両親と行ったっきりかな。どーも他人と裸の付き合いをするというのが苦手で」

「へー、思っていたよりも恥ずかしがり屋なんですね」

「そういうのじゃないっての。なににやにやしてんだよ……」


 ていうか思ったよりもってどういうことだ?

 え、なに、もしかして僕ってそういう風に見られていたってこと?

 おっかしいな。僕としては昼行灯ひるあんどんだけど決める時は決めるイカした感じのを演じていたつもりだったんだけど……。


「あーあ、混浴だったらクロマメさんの背中を流してあげたのに、残念です……」

「本当に残念そうにするんじゃない、ていうかまだ言うか」

「だってぇ」


 わがままを咎められた子供のようにラスクが口を尖らせている。

 背中を流してくれるっていうのは純粋な労いの気持ちから出てるのはわかるんだけどさ。

 いかんせんお互いもう十分な年齢なわけでして、軽はずみな対応は社会的な死を意味するのだよ。


「まあ、あれだ。背中を流すのはさすがにだけど、肩を揉んでもらったりぐらいはしてもらおうかな」

「いいですね! それじゃ銭湯から上がったら揉んであげます!」

「あ、ああ、お手柔らかにな。って、着いたみたいだな」


 思ったよりも張り切る様子に思わず押されながら、気づけば目的の場所に到着したようだ。


「すごく、銭湯だな」

「ですね」


 入り口にはのれんが垂れ下がっており「ゆ」と平仮名で書かれている。

 いや、平仮名の「ゆ」に見えるだけで、もしかしたら別の文字で書かれているのかもしれないが、とにかく「ゆ」と書かれたのれんからここが銭湯だと一目でわかる。

 どうやら左が男湯で右が女湯のようだ。


「えっと、こっちが女湯ですからわたしはこっちですね」

「それじゃ、また後でな」

「うん」


 ラスクに一声かけてからのれんをくぐると番台と思わしきおじいさんが座っている。

 クライスの件があったからもしかしてとも思ったけど、ちゃんと老人もいるんだな。

 あ、いっけね! 銭湯ってことはお金がいるんじゃないか……しくったな、どうしたもんか。


「なにを突っ立っとるんじゃ? はよ入んなさい」

「そ、それが……実はお金を持ってなくて……」


 仕方がない後でアデリーかクライスに立て替えてもらうしかない……。


「あぁ、金なんていらんよ。ここは好きに使っていいんじゃから」

「え、そうなの?」


 よ、よかった。女湯に入ったラスクにどう言おうかとも考えていたけど、これなら向こうのほうも大丈夫そうだな。


「さよさよ、ほれ、わかったらさっさと入んなさい。疲れが取れるぞい」

「それじゃ、お言葉に甘えさせてもらうよ」


 小さくおじいさんに会釈をしてから脱衣所へと入ってさっさと着替えをすませていく。

 脱げばさっきまで着ていた寝巻きが泥やら汗やらでひどく汚れていたのがわかり、森での体験が激しかったのだと改めて実感する。


「……洗濯しないとな」


 着替えを棚へと入れてから入れ替えるように寝巻きをカゴに移してから風呂場へと向かう。


「おー」


 露天ではなく屋内式の銭湯は広々としており家の風呂では味わえない開放感がある。

 まだ夕方前だからか人は片手で数えられるぐらいしか見当たらないが、僕としては正直そのほうが気が楽だ。


「えっと、まずはっと」


 確か湯船に浸かる前に体を洗うんだっけか?

 公共や共用のものを利用させてもらう以上はできるだけルールは守らないとな。


「よいしょ」


 目についた適当な椅子に腰かけていく。

 ちゃんと蛇口やシャワーも完備されていて取っ手をひねればシャワーからお湯が出てくる。


「ふぃー」


 まずは体についている泥やら汗やらの汚れを軽く流してから、銭湯側で用意されている石鹸で体を綺麗に洗い流していく。

 いやはやこれだけの設備を用意したと考えるとここに来た奴はかなりの能力をもらったんだろうな。

 少しうらやましくもはあるけどこうやって至れり尽くされだから感謝しかないよ。


「それにしても……」


 洗い場にある鏡の曇りを手で拭っていくと自分の姿が映り込む。

 床屋に行くのが面倒で乱雑に伸びてしまった髪は転移前と変わらず、肩近くまである髪は今は水に濡れてべたっと張り付いている。

 こっちの世界に転移する過程で視力が回復しもうメガネを付けていない目つきは思ったよりもぱっちりとしていて、イケメンとは言えない平凡だが案外悪くない顔つきだ。

 変化が顕著なのは体つきで、明らかに見慣れた自分の体から変化している。

 元々の身長から逆算して考えると……170ちょいぐらいか? 元々小太りだったが身長が伸びていい感じに脂肪が筋肉に置き換わってくれたからか、バランスのいい体格で思わずポーズを取ってしまいたくなるぐらいだ。

 それ以外は特に変化は見えないが、小さなシミとかも無くなって血色もかなりいい気がする。


「……うん、いいんじゃないか」


 いや、むしろかなりいい!

 勇者然としたイケメンも好きだけど、素朴で等身大な主人公のほうが好きな僕にとってはしっかりと〝僕〟を残してくれてシンプルに改善してくれた今が〝あり〟だ。


「おっと、落ち着け僕……浮かれると足元を滑らせるぞ。銭湯だけに」


 いくら体質や体型が改善されているといったって、それはあくまで現状でのこと。油断していたらだらしない体型になる可能性だってあるんだ。

 油断せず、できるだけこの状態を維持できるように精進するぞ、精進。


「ん? ケイヤか?」

「その声は……」


 声がしたほうへと視線を向けるとアデリーの兄、クライスが湯船に浸かっていた。


「お前も来たのだな、何をしている? 体を流したのなら湯船に浸かるといい」

「あ、ああ、お邪魔します」


 いきなりのことで面食らいながらクライスに促されるように湯船に浸かっていく。

 脱いでるからなおさらわかるけど凝縮された実用性重視の筋肉って感じで、見れば細かい傷とかもたくさんあってめちゃくちゃたくましく見える。


「いい湯だな」

「あ、ああ……」


 うーん、やはり裸の付き合いはなんだか慣れないぞ。

 これが女の子だったら……いや余計にダメだな、たぶんヘタレてしどろもどろになりながら逃げるのが関の山だ。


「お互いに大変だな、妹に振り回されるというのは」

「妹?」

「カヤとお前は兄妹だろう? 見ればわかる」

「いやいやいや! 違うって。ラスクと俺は友達で兄妹じゃないって!」


 何を言うかと思えばまさか兄妹と間違われているとは……ラスクが聞いたらどんな顔をしていたことやら。

 まあ、確かにクライスから見れば髪色も同じだし、見ようによっては兄妹に見えるっちゃ見えるのか?


「ぬ、そうだったのか? あまりにも仲が良かったものでな、兄妹かと思ってたが」

「仲がいいんだったら恋人とかのケースもあるんじゃないのか? いや、まあそれも違うけどさ」


 でも思い出してみればゲームを一緒にしていたときは、確かにラスクに対して妹のように接していたような気もするか。


「いずれにしろ振り回されているには変わるまい。妹は愛しているがあれで中々に曲者でな」

「なんだかわかる気がするよ」

「そうだろう?」


 そう言うクライスの口元から笑みが見え、アデリーの話をするのがなんだかんだで楽しそうに思えて好感が持てるな。


「話は変わるけど、クライスって村一番の剣士なんだよな? 実はお願いがあるんだけど」

「お願いだと?」


 悪くない空気の流れに乗ってここは思い切ってお願いしてみよう。


「俺に、剣を教えてほしいんだ」

「剣を?」

「剣だけじゃない、戦い方とかこの世界で生きていくためのすべとかも教えてほしいんだよ」

「ふむ……」


 神妙な面持ちになりながらクライスが頭に乗せていたタオルで顔を拭っていく。


「俺やラスクは他の〝転移人〟が持つような力は持ってない。だから頼む! 俺は強くなりたいんだ、自分のためにも……ラスクと一緒に生きていくためにも!」


 変なごまかしや建前は抜きだ。手前勝手な申し立てたてだとしてもまっすぐに言わないと、きっとクライスは応えてくれない。


「……その様子では、ダメだと言っても食い下がってきそうだな。いいだろう、剣の稽古と共に戦い方や生きていくための術も教えてやる」

「ホント!」

「ただし、条件がある」

「条件?」


 クライスの目つきが鋭くなり真剣さが伝わってくる。


「稽古をつけるからには客人としてではなく、村の一員として従ってもらう。難しいことではない、村での生活をお前にもやってもらおうというだけだ」

「いいぜ、それも興味があったところだよ」


 村での生活は言わば自活する能力と見ていいはず、それも教えてくれるっていうなら願ったりだ。


「次に、理由なく途中で稽古を投げ出すようなことがあれば、私は今後一切、お前に剣を教えることはしない。剣を教えるということに甘えを許すわけにはいかないのだ」

「の、臨むところだ」


 さすがに気圧されてしまうけどそれがどうした。それぐらい本気でないと意味がないってもんだ。


「最後にケイヤ、お前に見せておきたいものがある。銭湯から出て裏手側に行くと見張り台があるはずだ。後でそこに来てくれ」

「見せるって、なにを?」

「来ればわかる。先に上がっているぞ」


 そう言ってクライスが湯船から上がっていくと銭湯から出ていくのを見送ってから、しばらくゆっくりと湯船に浸かり疲れを取ることにした。





「くぅー、風呂上がりの一杯は最高だな!」


 すっかり体も温まり疲れもだいぶ取れた後は銭湯の入り口でキンキンに冷えた一杯を口にしていく。一杯とはいっても酒じゃなくてただのジュースだけど。


「もう、親父くさいですよ、クロマメさん」

「三十路前のおっさんだから問題ないね」


 タイミングよくラスクと合流したところで一息ついていく。

 クライスと待ち合わせをしているけど細かい時間は指定していなかったし、少しぐらいゆっくりしても大丈夫だろう。


「でも、お風呂上がりのジュースがこんなにおいしいだなんて初めて知りました」

「雰囲気っていうのもあるんだろうけど、結構おつなもんだよな」


 ちなみにじいさんから教えてもらったことだが、自販機から取り出した商品を捨てる際は横にある投入口に入れるといいとのことらしい。


「ところでどうですか、わたしの格好? どこか変だったりはしませんか?」

「変?」


 お互いにアデリーから受け取った服に着替え、どちらも村の人とはまた違った雰囲気の民族衣装のような格好になっている。

 ラスクは丈の長いスカートと長袖の上に肩掛けのケープという露出がかなり少なく素朴だが、長い黒髪が映えて個人的にはかわいらしくてよく似合っている。


「いや、よく似合っていてかわいいと思うよ」

「そ、そんなかわいいだなんて、クロマメさんだってカッコいいです」

「そ、そうかい?」


 こっちは長ズボンに肘までの長さがあるフィットしたシャツにポンチョというのかな? 西部劇で見るような大きめの肩掛けをした格好。

 柔らかい素材でできているのか着心地はかなり良い。


「髪、結んだんですね?」

「ああ、せっかくだからな、切るのは面倒だし」


 肩近くまで伸びていた髪の後ろのほうだけを束ねて下に垂らすように結っておいた。

 ラスクは変わらず片目が隠れたくせっ毛の残る長髪で、風呂上がりだからかいつもよりも艶がありほのかに香る石鹸の匂いになんだか妙にドキッとした気持ちになる。


「ふふ、撫でてもいいんですよ?」

「お、おう? それじゃ遠慮なく……」


 うっかり見惚れていたことに気づかれたらしく、押されてばかりなのも男がすたるってもんだ。ならばお言葉に甘えてラスクの頭に手を置いて滑らせるように撫でさせてもらう。

 ……触れればなだらかで柔らかく、さらさらとした手触りでいつまでも触れていたくなる。


「えへへっ」

「ひょっ!」


 触れている手にラスクが頭をこすりつけるように体を揺らしてきて思わず奇声が出てしまった。

 風呂上がりなのもあって赤みを帯びた頬がなんだか別の意味に思えてしまい頭がぐるぐるに回っていく!

 や、やばいやばいやばい! こんな興奮状態じゃ僕の男が保たない。そろそろクライスのところに行って頭を冷やさなければ!


「あ、そういえば俺、クライスに呼ばれてたから! 先に馬小屋に戻っててくれな!

「あっ! クロマメさん、肩揉みは……! っもう……」


 ラスクの不満の声に後ろ髪を引っ張られながらも、僕は逃げるようにその場を後にするのであった。

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