第5話 面接

 七月最後の金曜日。この日をもって藤次郎は全ての科目の試験を終えた。

 気絶したせいで必修科目を一つ落としたが、その後の試験は全て順調で実力を出し切った。それもこれも楓の支援のおかげであった。


(彼女には頭が上がらないな)


 どうにか試験を乗り越えたことで藤次郎も夏休みを迎えることができた。大学の夏休みは二ヶ月と長く、学生達は浮き足立っている。

 藤次郎も安堵していたが、すぐに気持ちを切り替え、日が高いうちに浮ついたキャンパスを後にした。傾いた日差しに照り付けられながら自転車で向かったのは、大学の真南にある六本木。なんの用事かというと、例のインターンの面接である。


 株式会社ファイナンス・ホライゾンにインターンの応募をしたところ、相当フットワークの軽い担当者に当たったらしく、面接の日取りはとんとん拍子に進んだ。

 履歴書をメールで送り、「面接したい」とすぐに返信が来て日取りが決まったのだった。


「ふむ、ここであってるな」


 案内のメールに記されたビルに入り、エレベーターに乗ってフロアボタンを押し込む。見上げるほど大きなビルの低層階がファイナンス・ホライゾンのオフィスだ。ドアも壁も床もピカピカに磨き上げられた密室が嫌に緊張感を誘う。


 エレベーターを降りて静謐とした廊下に降り立つと緊張ですくみ上がる。まるで借りてきた猫になった気分。幸い降りてすぐに大きなガラス扉が目に入り、「きっとここだろう」と当たりをつけて受付の女性に挨拶をした。


「すみません、面接の約束をしている伊達と言います」


「はい、伊達さんですね。お話は聞いてます。このゲストカードを首にかけてそちらの椅子にお掛けください。取り次ぎます」


「ありがとうございます」


 言われた通りプラスチックカードの首紐に頭を潜らせ、カウンター脇のソファに腰掛けた。


 待っている間、藤次郎はオフィスの中をそれとなく観察した。


 奇妙な空間である。受付はあるが壁の類は無く、すぐに執務室になっていた。その執務室にしても壁や仕切りはなく、開放的でモダンであった。

 ファミレスのような半個室、椅子に囲まれた大きな机、居酒屋っぽい掘り炬燵の席。窓辺に置かれた観葉植物と壁に掛けられたアートが目を潤し、スピーカーから流れるヒーリングミュージックが耳心地良い。

 藤次郎の知っている『会社』とはかけ離れた世界で、むしろおしゃれな家具屋のようであった。

 だがここは紛れもなく会社であろう。中の人達はノートパソコンに向かって一心不乱に指を動かしているのがその証拠である。


「お待たせしました。伊達くんだね?」


 突然名前を呼ばれ、息を呑む。藤次郎は咄嗟に立ち上がった。

 現れたのは背の高い、モデルのような女性だった。自分と大差ないので一七〇センチはあるだろう。シニヨンにしたライトブラウンのロングヘアとシャープな輪郭の小顔も相待ってモデルじみた美貌である。年齢は十歳も離れてなさそうでまだ若い。


「はい、紀尾井町大学の伊達藤次郎と言います。本日はよろしくお願いします」


「よろしくね。私はファイナンス・ホライゾンのCEOの笹川だ。そんなに緊張しなくていいから、肩の力を抜いていこう」


「は、はい。肩の力を……」


 リラックスと言われても対応に困る。初対面の人な上、しかも向こうはCEO――つまり社長だ。もっと下の人が出てくると思ってたので緊張に拍車がかかる。


(この人に嫌われればアウトか。まさか社長が出てくるなんて……)


 これは下手なことは言えないぞ、と自らを戒める。


 笹川の後ろについてオフィスの中を進んでいく。その間、誰も笹川に話しかける素振りはない。社長相手に会釈の一つもしない社員を訝しんだが、余程忙しいのだろう。


 案内されたのはオフィス最奥の個室だった。応接室ではない。ビルトイン式の机にはパソコンと書類、マグカップが置かれ、生活感が漂う。質素で工夫のないレイアウトのこの部屋が社長のオフィスなのだろう。


 藤次郎は入り口側のオフィスチェアを勧められて腰掛ける。笹川は奥側に座って向かい合った。


「改めまして、私がファイナンス・ホライゾンのCEOの笹川晶だ。この度はインターンに応募してくれてありがとう」


 鷹揚な口調の笹川にお辞儀をし、藤次郎も再度自己紹介をした。


「早速だが質問させてもらうね。今回のインターンの職種はアプリエンジニアで、仕事の内容はアプリの開発――いわゆるプログラミングだ。伊達くんは大学でプログラミングの勉強をしたと聞いてるが?」


「はい。俺――じゃなかった、私の学科は文系の社会学科ですが、データ分析に必要なので必修科目の実習で学びました」


「言語は?」


「Pythonです」


「ふむふむ。やってみてどうだった? 偏見じみてるが、文系の学生には難しかったんじゃないかな?」


「周りの学生は苦労してましたが、自分は特に難しいとは。実際、悩んでる人にはアドバイスをして課題をパスするのを手伝ったりもしまして」


「おぉ、それはすごい! ちなみに担当してもらうシステムはJavaで書かれてるんだが、いけるかい?」


 Java。聞き覚えのある単語だ。実習で講師がコラム的に話していた。確か世界シェア第一位の言語だったか。だがコードを書いたことはない。

 しかし「出来ません」とは言えない。


「多分、いけます」


「グレート!」


 笹川は大袈裟に喜んでみせた。しかしあくまで予想なので期待されすぎるのは困る。


「稼働はどれくらいいける? できれば週四くらいで入ってもらいたいんだが……」


「えっと……明日から夏休みなのでその間、平日なら毎日でも」


「エクセレント!!」


 大袈裟だなぁ、もう!


 この笹川という人物は変人かもしれない。


「その、他にご質問は?」


 おずおずと藤次郎は尋ねる。


「採用だ」


「へ?」


 耳を疑った。

 聞き間違えでなければ求職者が一番欲しい単語が聞こえた気がしたのだ。


「伊達くん、面接は合格だ。ぜひ我が社で働き、多くを学んでくれたまえ!」


 ガシッと両手で右手を掴まれ、藤次郎はついドギマギした。笹川の手の感触はほのかに冷たく、鉱物に触れているみたいだ。しかも満面の笑みで見つめられるので直視できない。蛇足だが藤次郎は彼女いない歴=年齢である。


「ご、合格って本当ですか?」


 今までのアルバイトは後日電話で合否を通達されてばかりだっただけに信じられない。こんなことがあるのだろうか?

 だがよく考えるとスピード決裁は不思議じゃない。笹川はこの会社で一番偉い人だ。誰かのお伺いを立てることなく意思決定できる立場に君臨しているから、インターンの合否くらい胸一つで決められるのだろう。


(社長ってすごいな)


 と納得してしまうのだった。


「いやはや、君のような優秀な学生に是非来てほしいと思ってたんだよ! 幸先の良さは日頃の行いの賜物だなぁ、うん」


「は、はぁ。光栄です」


「それで、いつから働ける?」


「いつからでも。何なら明日からでも平気です」


「はっはっは! 明日は土曜日だぞ? だが意気込みや結構! 八月一日イッピ、月曜日からよろしく頼むよ!」


 よほど藤次郎に期待をかけているのか、笹川は上機嫌である。


(やっぱりちょっと変わってる人だな)


 起業家なんてごうつくばりの野心家だ。地べたを這ってコツコツ働く人々とは違う感性を持っているのだ。しかも笹川はまだ若いので人を見る目なんて無いだろう。だから文系学生の自分に過剰な期待をするのだ。

 感謝はするが、そんな偏見に満ちた思い込みを抱いていた。


「そうだ、報酬について話してなかったね」


 内心冷めた思いを抱いていた藤次郎の耳がぴくり、とうさぎのように跳ねる。


「概要にも書いてたけど、これは有償インターンで実質アルバイト。弊社の社員と同じ仕事をしてもらう。労働時間は休憩除いて八時間、残業代込みで日当は二万円。時給換算で二五〇〇円。相違無いかな?」


「ありません!」


「ははは、今日一番いい返事だね! さては欲しい物でもあるのかな?」


 笹川の問いはイエスでありノーである。藤次郎が欲しいのはお金そのものだ。


 お金欲しさに、出来るか分からない仕事を受けようとしている。我ながら現金で無謀な自覚はあった。


 しかし安心材料はある。先ほどオフィスで見た、まめまめしく働く社員達だ。少なくとも五十人はいたが、それだけの社員を食わせるからには、ファイナンス・ホライゾンはしっかりした会社なのだろう。


(あれだけ社員がいれば、誰か教えてくれるだろうし、カバーしてもらえるだろう)


 不安が一気に立ち消える。


 それから二人は勤務時間などについて簡単に話し合い、夏休みの間、平日の日中をインターンに充てることで合意した。


「それじゃあ伊達くん、これからよろしくね」


「はい、こちらこそ精一杯頑張ります!」


 かくして藤次郎は稼ぎ口を見つけた。一時食うや食わずやの瀬戸際に追い込まれていただけに、この喜びは言葉に尽くし難い。


「いやぁ、嬉しいよ。君のようなやる気と元気のある人が来てくれて。人手不足だからすぐに入ってもらえるのも助かるなぁ」


 笹川は足を組んで背もたれにゆったり身体を預けた。機嫌は上々で何度も謝意を述べてきた。

 まだ何もしていない藤次郎としては反応に困る。言われたことだけやって給料をもらうことしか考えてないので多大な貢献を期待されるのは居心地が悪い。


 とはいえ給料をもらう以上はその分の仕事はきっちりやり遂げるつもりだ。もちろん、社員の誰かに教えてもらいながらになるだろうが、それでもやり切ったことには変わらない。


「それにしても、ここの内装おしゃれですね。会社だからもっと無機質なオフィスを想像してました」


 オフィスの光景を思い出しながら、藤次郎は手付かずだった紙コップの緑茶に口をつけた。夏の暑さと緊張で乾いていた口腔に冷たさが心地良い。


「学校の職員室みたいな?」


「はい。スチールの机が並んで、その上には書類が山のように積み上げられてるのかなぁって」


「ははは、それじゃあJTCじゃないか!」


 笹川はツボにハマったようで吹き出した。『JTC』の意味は分からないが、機嫌が良いのは明らかだ。


「さすがIT企業って感じです。そういえば社員は何人くらいいるのでしょう?」


「え、人数?」


「はい。ホームページには載ってなかったので」


「あぁ、そういうことね。私を含めてだよ」


「え?」


 藤次郎の双眸がどんぐりのように見開かれる。


 ざっと見たところオフィスでは五十人くらいの社員が働いていた。聞き間違いだろうか?


「えっと……三人、とは?」


「あれー、言ってなかったっけ? うちは少数精鋭のスタートアップなんだけど」


 初耳である。


「ここで働いている人達はもっと多く見えますが?」


「ははは、何を言ってるんだい? ここはコワーキングスペースだから他所の社員やフリーランスがサラダボウルになってるんだよ」


 コワーキングスペースとはなんだ。初めて聞く単語だ。


 いや、それよりも重要なのはたった三人で仕事を回しているということだ。分母が小さいということは一人当たりの割り当てが大きくなるということ。つまり責任重大である。

 楽に給料がもらえると思っていた藤次郎の目論見は早くも暗礁に乗り上げていた。

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