3 その騎士、こじらせ中につき注意されたし

3-1


 うすぐらく染まる景色の中、かがりに照らされて、王立劇場の外観がらめくようにかびがる。

 エスコートを受けながら、楽しみですねとミリエッタが告げると、ジェイドがうれしそうにうなずいた。

 開演前の場内は照明を落として適度に暗く、通路や階段には厚めのじゅうたんかれ、観劇中に席を立っても、足音が消えるよう細やかなはいりょされている。

 細部までほどこされたじゅうこう感のあるそうしょく

 色あざやかなごくさいしきてんじょう画はごうけんらんで、格式の高さを感じさせる。

 席間が少々せまい気もするが、案内された二階のボックス席には一人けソファーが二つ設置されていた。

 座部は低めだがしっかりと視界が確保されたいが見切れず、ストレスなく全体をわたすことが出来る。

 しばの内容は、ひめぎみが身分差をえて結ばれるという、よくあるこい物語だったが、歌とおどり……特にぐんらしく、ミリエッタは終始かんたんの息をらした。


「三階のアートショップで絵姿や公演プログラムを売っているので、見に行きますか?」


 芝居の感想をこうかんしあい、人がまばらになったころ合いを見計らってアートショップに行くと、天井まで続くたな一面に商品が並べられている。

 公演プログラムの冊子がしくなり、つま先立ちをして手をばすがもう少しのところで届かず、「んんん」とうなっていると後ろからプッとす音が聞こえた。

 ミリエッタの身体からだおおうようにかげが差し、目のはしたくましいうでが映る。

 届かなかった冊子を軽々と手に取り、「これでよろしいですか?」とにこやかに差し出すその姿は、本で読んだ騎士とヒロインの出会いの場面そのもので、うつむほおを染めて頷くことしか出来なかった。

 折角だからと関連するしょせきや主演女優の絵姿をまとめてこうにゅうしてくれ、荷物になるからとはくしゃくていべっ配送してくれる。

 ゆめごこのまま王立劇場を後にし、ジェイドが予約してくれたレストランに馬車で移動すると、事前に手配してくれていたのか、スパークリングワインがフルボトルで運ばれてきた。


「甘い口当たりで飲みやすく、度数も低めでお酒の苦手な女性におすすめなめいがらです」


 グラスに半分ほどぐと、しゅわしゅわとすずし気な音を立ててはっぽうする。

 だいに収まって行くグラス内のほうに見入っていると、ソムリエがもう一度ゆっくりと注ぎ足した。

 目の高さにグラスを持ち上げかんぱいすると、ジェイドと視線が交差し、とつぜんきゅっと心臓をつかまれたように胸が苦しくなる。


「こちらの銘柄でだいじょうでしたか?」


 何が起きたのか分からず、手でそっと胸を押さえたミリエッタを案ずるように、すかさずジェイドが声をけてくれた。


「はい、とても美味おいしいです。だんはあまりお酒を飲まないのですが、ジェイド様といっしょだからでしょうか……なんだかとても美味しく感じます」

「えっ」


 ミリエッタの言葉におどろいたのか、小さく声を上げたジェイドの耳がほんのり色付く。

 何かをこらえるようにくちびるをきゅっとめ、目をまたたかせた。


「私もミリエッタじょうと一緒にいると、とても楽しくいつもよりお酒が進んでしまいます。ご要望があれば何なりとお申し付けください」

「そんな、……もうじゅうぶん過ぎる程です。これ以上ごこうに甘える訳には参りません。むしろジェイド様のご要望をうかがうべきところです」

「それではなおさらえんりょしないでください。貴女あなたしんらいされたいし、甘えてもらいたい。これは私の願いであり、わがままでもあります」


 幸せそうにほほむと、そのひとみが甘くゆがむ。


「……かなえてくださいますか?」

「ええッ!? その、ぜ、善処します」


 む、胸のドキドキが収まらない──!!

 これ以上はもうミリエッタの心臓が限界だったため、話もそこそこに、その後は食事に集中したのだが、そのレストランもディナーもすべてがまるでミリエッタの好みを熟知しているかのように満足のいくもので、デートが終わる頃にはもはや興奮冷めやらず、昔からの友人のように打ち解けることが出来た。


しゅこうらされた圧巻の舞台でしたね! それにディナーも、素晴らしかったです」


 夜景の美しい場所があるのでと案内された橋の上で、あかりがともった家々をながめながら、「今日はとても楽しかったです。ありがとうございます」とじゃに笑うミリエッタ。


「楽しんでいただけて、私も嬉しいです」


 少々お酒が入り、ホロいのジェイドが破顔した。


「ジェイド様、ずっと思っていたのですが、私にはけいしょうも敬語も不要です。年上の方に敬語でお話しされると、何だかムズムズして落ち着かなくなります」


 じょうだんめかして口をとがらせると、ひゅっと息をんだ音が聞こえた。

 しんけんな顔でミリエッタを見つめるジェイドの唇が、何やら少しふるえている。


「ミミ、ミ、ミ」

「?」

「ミ、ミリエッタ」

「……はい、なんでしょう?」


 にこりと微笑み、首をかしげた次のしゅんかん、ジェイドが突然ミリエッタの前でかがみ込んだ。


「ミリエッタ!」

「きゃあッ」


 子どもをあやすようにひょいっと持ち上げ、軽々と腕に乗せてき上げる。


「ミリエッタ!! あああ、だめだ、わいい! かわいすぎるッ」


 突然視界が高くなり、見下ろす形になったミリエッタを、頰を赤らめながら見つめジェイドはさけんだ。


「もう無理、可愛すぎてまん出来ない! ミリエッタ、楽しかったって本当に!?」


 見ているだけで嬉しくなるような満面のみでそう聞くと、ジェイドはミリエッタを抱き上げたまま、背中に手を回した。

 そのままグイッと、自分のほうへ引き寄せると、お酒も入って自制がかないのか、抱き込むようにギュッと腕の中へと閉じ込める。


「ちょッ……、ジェイド様!?」

「ミリエッタ、たった一日だけど、名前で呼んでもいいと思えるくらいには、俺のこと好きになってくれた!?」

「ち、ちか、……近いッ!」


 同じ量のワインを飲んだはずなのだが、明らかにミリエッタより酔いが回るのが早い気がする。

 う人々が自分達を見て、クスクスと笑っている。

 それもそうだ、うるわしい騎士様がこんな自分を可愛いなどと、はたから見ればあきれてしまうだろう。


「ああもう可愛い! かっ、かわいぃぃっ!! このまま連れて帰りたい!」

「ジェイド様、す、少し落ち着いて」

「幸せ過ぎて夢みたいだ! あの日、ミリエッタが話し掛けてくれて、俺は泣きそうなほど嬉しかったんだ!」

「分かりました、嬉しかったのは分かりましたから!!」


 い年をして、子どものように抱き上げられるのもずかしいが、日に焼けたはだに黒曜石のような瞳をキラキラとかがやかせながら、ジェイドは幸せそうに叫ぶ。

 きたえ上げられ均整の取れた身体は逞しく、そして美しい。

 うるわしい美青年とはまたちがう、整ったしい顔立ち。

 明るくさわやかで、ミリエッタが話し掛けるたび嬉しそうに瞳を輝かせ、やわらかいものごしでスマートにエスコートする彼に、あこがれるれいじょうもきっと多いだろう。

 その後はどんなにこんがんしても降ろしてもらえず、歩きつかれただろうからとミリエッタを腕に抱いたまま、馬車へともどって行った。

 酒に弱いのだろうか。

 もう夜もけてきたから一人で帰れますと固辞するミリエッタに、ちゅうで何かあったら心配だからと、ゴードン伯爵邸に送ってくれたまでは良かったが……。

 馬車に乗り込んだ時の体勢のまま。

 ミリエッタをひざに乗せ、太いりょううでで大事そうに抱きしめたまま、ジェイドはスヤスヤとってしまった。


「え、ちょ……ジェイド様!?」


 困ったやら恥ずかしいやらで、ミリエッタはどうしたら良いか分からなくなる。

 遠慮せず甘えられることが自分の願いだと言ってくれた。

 連れて帰りたいとの言葉が本気なら、どんなに幸せなことだろう。

 二日間におよぶデートが思っていたよりもずっと楽しく、ジェイドがてきで感激しきりだったのだが、でもそれが余計にミリエッタを不安にさせてしまう。

 話し掛けてくれて嬉しかったと破顔する、ジェイドの言葉をうそだと思いたくない一方で、何故なぜこんな素敵な人が自分に良くしてくれるのか、不可解きわまりないのである。

 またしても最適解を導き出せない命題に頭をなやませながら、太い腕にガッチリとホールドされ、家に着くまでの約二時間弱。

 ミリエッタは恥ずかしさに両手で顔を覆い、すこやかにねむるジェイドの膝の上で、背中まであせびっしょりになりながら、馬車に揺られたのであった。

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